闘う二人の新婚初夜

宵の月

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闘う二人の敗北宣言 前編

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 執務室の扉のノックに、若き王太子は書類をめくる手を止めた。間を置いて入室してきた妻にフフンと鼻を鳴らす。

「な? 断られるって言っただろ?」
「……くっ!!」

 拳を握り無念そうに俯く妻に、ロナウドは腕を組み椅子の背に寄りかかった。尊大に勝ち誇った笑みに、ルーナが唇を噛みしめる。

「……お約束通り南庭園のガゼボの優先権は、貴方に譲りますわ……」
「はぁ……小賢しい真似をするな。マカロンの選択権もだろ?」
「……無駄に記憶力がよろしいですわね。分かりました。渡せばよろしいんでしょ? 王太子のくせにケチ臭いこと!」

 扇の陰で盛大に顔を顰めたルーナに、ロナウドはわざとらしく眉根を寄せた。

「ルーナ、随分な言い様じゃないか。ラルクに側近騎士を断られた私から、茶葉選択権をむしり取ったのは誰だった?」
「過ぎ去ったことをいつまでも。アニエスに護衛を断られて傷心の妻にこんな……あんまりですわ……」

 マカロンの好みがロナウドと被るルーナは、ロナウドに潤ませた瞳を縋らせる。

「茶葉選択権を返してくれるなら、考えてもいい。」
「……チッ!!」

 清楚な王太子妃と称賛を集めるルーナは早々に演技をやめ、苦々しく舌打ちをした。そんな妻にロナウドは眉を跳ね上げる。

「……まあ、同情していなくもない。私もラルクに断られた時はたいそう傷ついた。妻は慰めもしてくれなかったが。」
「では、マカロン選択優先権は……」
「それとこれとは別だ。」
「なら無駄に期待させることは言わないでください。」

 ロナウドは目を輝かせたルーナを、バッサリと切り捨て肩を竦める。扇の陰で不機嫌顔を隠しもしないルーナに、わざとらしく大きくため息を吐き出した。

「茶葉選択権を手放さないくせに図々しい。」
「お黙りになって?」

 冷たく言い放ったルーナを頬杖をついて眺め、やがてロナウドはニヤリと笑うと手を組んで身を乗り出した。

「ルーナ、確かアニエスの断り文句は、新生活に専念するためだったな?」
「ええ。ラルクは家門と騎士団の一員として忠誠を、だったかしら。」
「そうだ。私の側近騎士より、定時で帰れる騎士団所属を選んだ。」
「まあ、あれだけ拗らせてようやく結婚すれば、そうなるのかもしれませんね……はあ、アニエス……約束してたのにひどいわ……」
「忠誠心が足りないと思わないか?」

 顔を上げたルーナがロナウドと視線を合わせる。ロナウドの表情に察したルーナもニヤリと嗤った。

「……ええ、殿下。その通りですわ。忠誠心も友情も。新婚だからと忘れていいものではありません。」

 国外にも名の知れる名門騎士家門の二門。側近にすべく幼少期から、共に四人で緊密な交流を持っていた。行政学部と騎士学部と所属学部は違っても、幼馴染として側近候補として時を重ねてきた。そんな篤い友情を恋愛にかまけて、ないがしろにするのもここまでだ。護衛騎士欲しいし。

「拗らせはもう十分堪能いたしましたし。」
「そうだな。存分に楽しんだ。そろそろ幼馴染としてしてやらねば。」

 人の上に立つべく王族としての教育を施され、二人を間近で見てきた幼馴染にはセラード夫妻の拗らせなど、今更気付くようなことでもない。卒業したら護衛騎士になるという約束をすっかり忘れ、結婚に浮かれて拗らせ続けた相手にばかりかまけている。
 夫婦というより悪友が正しい王太子夫妻は、顔を見合わせ不敵な笑みを浮かべた。そんな二人を盗み見て、補佐官はため息を吐き出した。

(セラード夫婦も気の毒に……)

 そっとしていてやれよ。先日のアマガエル色の拗らせ夫婦を思い出しながら、心優しい補佐官は楽しげに微笑み合う王太子夫妻にため息をついた。


※※※※※


 呼び出された王宮の客間で、アニエスは怒りに燃えてロナウドを睨んだ。

「そ、そんなわけないでしょ! た、ただの噂よ!!」
「そうだな。私もそう信じたい。だから直接聞きたかったんだ。ラルクとはうまくいってるんだよな?」
「もちろんよ! ラルクが毎日毎分毎秒カッコイイを更新してても、心臓麻痺を起こさないように鍛錬だって欠かしてないわ! それに声も……」
「アニエス、ラルクが絡むと途端、知能指数を低下させるはやめてくれ。ラルクのかっこよさとか一ミリも興味がない。うまくいってるのか答えてくれ。」
「そ、それは……」

 正直に言うとまだ堕とせていない。アニエスはもじもじと俯いた。寝室の主導権を握るのは諦めた。かっこいい上に声まで良い。身体に至っては芸術品なのだ。ちょっと触られただけで脳が溶ける。勝てるわけがない。

「でも……浮気する余裕なんてないはずよ……」

 勝てないなら数で。作戦を切り替えてからは、毎晩できうる限り絞り取っている。残弾など残していない。ロナウドが深くため息を吐き出した。

「なんでそう思うのかは聞かない。どうせまたアホなことやってんだろ? そういうことじゃない。」
「……ちょっとロナウド! アホなことって! 私はちゃんと……!!」
「私が聞きたいのは、ラルクはお前のことが好きなのかって聞いてんの。」
「……っ!! そ、それは……」

 腕組みして睥睨するようにロナウドに見据えられ、アニエスはドレスを握りしめ俯いた。

(一度だって言われたことはない……)

 出会った時から好きだった。一目見た時から、アニエスの世界はラルクを中心に回り始めた。好きで好きで大好きで。でも結婚しても身体を重ねても、少しも振り返ってもらえない。

「で、でも……結婚したのよ。神に誓ったの。ルーナは友達で、ロナウドの妃で……ラルクがルーナに想いを寄せてるなんて……そんなこと絶対にない……!!」

 声を荒げたアニエスに、ロナウドは哀れむような瞳を向けてきた。

「政略結婚だろ? 家同士の繋がりのための婚姻だった。お前たちも、私とルーナも、な。」
「だって、そんな……あり得ないわ。お互い既婚者なのよ? だから……」
「婚姻は心までは縛れない。」
「……っ!!」

 アニエスが一瞬で潤んだ瞳を隠すように俯いた。不安を誤魔化すように張っていた虚勢が崩れ去り、泣かないように必死に歯を食いしばる。ロナウドは静かにお茶をすすり、カップを置いた。

「……清楚で可憐な、小柄な女。」
「……え?」

 思わず顔を上げたアニエスを見つめ、ロナウドは会心の一撃を放った。

「ラルクの理想の女。性格はともかく、ルーナは見た目だけは完璧にラルクの理想だろ? だから噂だと聞き流せなかったんだよ。」
「清楚で可憐……小柄……」

 呆然と呟いたアニエスは、目の前が真っ暗になった気がした。背が高くてキツそうと言われるアニエスに、当てはまるところが一つもない。喉奥が震えて、アニエスは両手で顔を覆った。

(そんなの無理じゃない……だから好きになってもらえないの……? 本当にラルクはルーナが好きなの……それじゃあ二人は……)

 もう想い合ってる? 思った途端心臓に走った激痛にきつく目を閉じた。ラルクがルーナを好きなら、ルーナもラルクが好きに決まっている。ラルクより素敵な人はいない。目の前のロナウドなんかよりずっと。

(瀕死だな。なんで嘘だって気付かないのか……)

 のんきに面白がるロナウドは、割と失礼なことを思われていることに気づかなかった。これで最後になるかもしれない、友人の拗らせを楽しみながら、ボリボリとお茶菓子を噛み砕く。
 何度試してもラルクが関わると簡単に致命傷を負うアニエスは、一向に学習しない。
 キツめの凛々しい美貌と、スラリと背が高いグラマラスな体型のアニエス。多分もうそんな容姿すら関係ないだろうに。ラルクの理想は昔からアニエスであること。アニエスなら太ろうが痩せようが関係ない。
 ともあれ超意地っ張りのアニエスを、しっかりぺしゃんこにした。その上で、ちゃんとトドメも刺しておく。

「王宮務めのラルクは、ルーナと顔を合わせる。私付きの護衛騎士なら見張れるが、勧誘は断られてしまった。見張りを頼めたんだがな……」
「…………」
「こうなったら噂が本当じゃないことを祈るしかない。よく顔を合わせる二人に間違いが起きないといいな。なにせルーナはラルクの理想の女だし。」

 もう言葉も出てこないアニエスを見やり、ロナウドは優雅にお茶をすすった。
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