闘う二人の新婚初夜

宵の月

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闘う二人の新婚初夜 前編

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 座学を終えたラルクは、晴れた日は必ず出向く中庭へと急いだ。
 中庭のざわめきが近づくと、歩調を緩めて深呼吸をする。意識して何気ない顔を作り、ゆったりと歩いた。慎重に視界を巡らせ、間違えても目標を真正面から見ないように細心の注意を払う。

「……だからお互いに騎士の家門で、親同士が友達だったからよ。親が決めた婚約なの!」
 
 聞こえてきたよく通る澄んだ声に、思わず足を止めて耳を澄ませた。

「なら親に感謝よね。ラルク・セラードよ? 見た目も家柄も将来性も完璧じゃない! 羨ましい~!」
「羨ましい? 本気で言ってるの? あいつ、性格最悪なのよ?」

 自分の名前に陰口。ラルクはそのまま通り過ぎる予定が、立ち止まったまま顔を上げてしまった。

「アニエスこそ本気? ラルク狙いがどれだけ多いか知ってるの? 婚約者だからって油断してたらあっという間に取られちゃうわよ? まあ、アニエス狙いもすごいけど。」
「あんな奴、熨斗つけてくれてやるわよ! もっとも誰もあいつの性格に、耐えられるとは思わないけどね!」

 吐き捨てながら立ち上がったアニエスが、なおも何か言おうとした。ざぁっと一陣の風が吹き抜ける。高い位置で一つに結んだ長い赤毛を押えて、風からアニエスが顔を逸らした。そのままうっかりとラルクとアニエスは、正面から目が合ってしまった。

「あ……」

 小さなアニエスの声に、はっとしたラルクは覚醒する。身体に染み付いた条件反射で、ニヤリと口角が上がった。

「こんなところで陰口か? 耐えられない程、性格が悪いのはどっちなんだか。」
「コソコソ盗み聞きしてたわけ? 最低ね!」
「偶然通りかかっただけだ。親が婚約を決めて良かったな? ガサツすぎて貰い手がつかなかっただろうから。」
「貴方こそ! その性格じゃ親が決めなきゃ、結婚なんて到底無理よ!」
「ハッ! 言ってろよ。」
「最っ悪! メリル、私先に戻るから!」

 踵を返したラルクは、そのまま練兵場に向かって歩き出す。アニエスも苛立ちを抑えきれないように背を向けると、反対方向に向かって歩き出した。

「うぉあーーーーーー!!」

 練兵場につくとラルクは、奇声を上げてデコイを木刀で殴りつけた。

(腹立つ! 腹立つ! 何なんだ、何なんだ! あの女!!)

 一心不乱に叩きのめされるデコイが、バキッミシッと不吉な音を立てた。

(マジで何なんだ! 今日も最高に美人じゃねーか! 一日ぐらいブスな日はねーのかよ! おまけに何だよあの髪! 大輪の薔薇かよ! 日にあたってキラキラ輝くんじゃねーよ!)

 力任せに振り下ろした木刀が、軋んでいたデコイより先にボキッと音を立てて折れた。荒い息をつきながら、伝い落ちる汗をラルクは乱暴に拭う。
 剣先が折れた木刀を苦々しく見つめると、目があったあの一瞬が蘇り、折れた木刀を地面に叩きつけた。

「……絶対に婚約解消なんかしねーからな!」

 激しい運動にか、別の理由にか。真っ赤になったラルクは、苛立ちのまま軋るように呟いた。何を言われようが、どれだけ嫌おうがこの結婚をやめる気はない。

「諦めてさっさと俺に惚れろよ……」

 もうすぐあの女が手に入る。そう思った途端、血が沸騰するように瞬時に身体が熱くなる。それを誤魔化すように、目の前のデコイをラルクは力いっぱい殴りつけた。悲しそうに揺れるデコイを背にして、ラルクは足早に宿舎に戻って行った。


ーーーーー


 アニエスは苛立ちが収まらないまま、人気のない裏庭の木立にズカズカと踏み入った。奥まった木立の先で、ぴたりと足を止める。握りしめた拳を震わせて、抑えきれない感情を吐き出すように、目の前の木に張り手をかました。

「なんなのよ! なんなのよ! なんなのよ!!」

 騎士訓練を受けているアニエスの八つ当たりに、ひょろっこい木はガサガサと迷惑そうに葉を落とす。

(本当に最悪! 信じられない!)

 ミシミシと悲しげに揺れる木が、隣の木の枝まで揺らしてガサガサと葉のこすれる音が重なった。

(ありえないでしょ! かっこいいのは剣を振るってる時だけにしたらどうなのよ!! 常時かっこよくいる必要なんて、どこにもないじゃない! おまけに声まで美声とか、頭おかしいとしか思えないわ!!)

 目のあったラルクの精悍な立ち姿が、焼き付いていてなかなか消えない。羞恥で全身が沸騰するかのようで、全身の熱をどうにかしようと、ただひたすら張り手をかます。
 どうにか落ち着いたころには、木は少し斜めになっていた。アニエスは、肩で息をしながら靴先を睨みつけた。

「……婚約解消できるなんて思わないでよね……」

 家同士が決めた婚約だ。何を言ってこようが家門を盾に、応じる気なんてサラサラない。卒業まで後数日。卒業と同時に即結婚と日取りも決まってる。絶対に結婚する。

「もう猶予なんてないんだから、今すぐ私を好きになりなさいよ……」

 あとちょっとであの男が夫になる。そう思った瞬間、一気に顔が熱を持った。胸を引絞るような感情が湧き上がり、アニエスは弾かれたように回し蹴りを繰り出す。
 蹴られた木が悲しそうにみしりと揺れて、しょんぼりとまた葉を落した。悶えるような熱はなかなか冷めず、アニエスは人気の少ない木立の中で、何度も脳裏に浮かび上がるラルクの残像と戦っていた。

 セラード侯爵家長男ラルクと、テルミン伯爵家の長女アニエス。
 国内外にも名を馳せる名門騎士家門同士の婚約は、至極当然な両家の結びつきだった。それでも婚約解消の噂は、一度も絶えることはなかった。美男美女の完璧な組み合わせでも、周囲はいがみ合っている姿しか見たことがなかったからだ。
 美しい容姿の上に名門貴族の二人は、婿あるいは嫁の座を求める者達が行列を為す。いがみ合う二人に安心しつつ虎視眈々と、それぞれの後釜を今か今かと、狙っていた者たちの期待と予想は裏切られることとなった。
 最後までいがみ合って卒業した二人は、ほとんど日もおかずいがみ合いながら、盛大に結婚式を挙げたのだった。


※※※※※


 初夜。薄い夜着に身を包み、アニエスはうるさすぎる心臓を抱えて、身を縮めていた。

(一体何の嫌がらせなの……そこまでする必要があった!?)

 式での騎士礼服姿のラルク。かっこよすぎて、直視なんてできるものではなかった。もうアニエスの目を、潰しにかかってきたとしか思えない。かっちり着込んでいるのに、ストイックな色気まで漂わせ、呼吸困難に陥りかけた。その場で倒れなかった自分を褒めたい。

(あ、ああの、あああああの男が私の夫……そして……そして、い、今から……初夜……!!)

 声にならない叫びを上げて、アニエスは枕を思いっきり抱きしめて転げまわった。もういろんな感情が混ざりすぎて、自分の状態が言葉にならない。ひとしきり転げまわったアニエスは、息を乱しながら硬い決意に拳を握った。

(やり遂げるのよ! アニエス!! 何があっても!!)

 初夜の完遂はもちろんのこと、ラルクが来たらいの一番に約束させなければならないことがある。

(浮気なんて絶対にさせないから……!!)

 無駄にかっこいいせいで、結婚式だというのに女性参列者は、全員目がハートになっていた。ラルクは自分の夫だ。他の女に触らせる気など毛頭ない。
 目前に迫った初夜への緊張は、嫉妬に燃やし尽くされた。
 アニエスは戦地に赴く騎士の顔で、挑むように扉を睨んだ。


ーーーーー


 ラルクは寝室の扉の前で深呼吸した。ドアノブに手を伸ばしかけては、手のひらに顔を埋めてため息を吐き出す。

(限界を試しにかかってきてた! どうしてそこまでするのか理解できない……)

 ちらつく純白のウエディングドレスのアニエスが、ドアノブに手をかけるのを盛大に邪魔してくる。どう見ても間違えて降臨した女神としか思えなかった。冗談じゃなくいい匂いがした。ラルクの理性に全く頓着せずに、光輝く美貌を惜しげもなく見せつけられた。

(あの女神が俺の女……い、今から俺はあいつと……)

 前髪をきつく握って、叫びそうになるのをなんとか堪える。カッと血が上った頭を振って、わけもなく荒くなる呼吸を必死に整えたようと、深呼吸を繰り返した。あー、無理無理無理。鼻血出そう。
 どうしようもなくなって、拳で左頬を何度か殴りつけ、何とか冷静さを取り戻した。

(絶対にモノにする! 抵抗しようが、泣こうが絶対やめない! その前に忘れるなよ! まずはそっちが先だ!!)

 逃しはしない。夜は長い。だからその前に必ず取り付けろ。誉れ高き騎士の家門の名で。確実な言質を!

(浮気なんかさせるかよ……!!)

 美人すぎるせいで、男性参列者はどいつもこいつも鼻の下を伸ばしてやがった。アニエスは俺の妻だ。唯一自分だけが触れられる権利がある。よそ見など許さない。全部自分のものにする。
 はちきれそうな欲望を、燃え盛る嫉妬が飲み込んだ。
 ラルクは喉仏を上下させ、死地に赴く騎士の顔で扉を開けた。




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