聖騎士様の信仰心

宵の月

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第二章 聖騎士様の復讐心

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「奥様、お疲れでしょう?」
「国王陛下と閣下の会談が終わるまで、こちらで休まれてください」
「……ありがとう」

 ひっそりとため息をついたアンナを気遣うように、ギースとアンナ付きの侍女レナに促され、通された王宮の客間のソファーに腰を下ろした。ふわりと雲のように柔らかいソファーは、上等すぎて落ち着かない。

(何もかもが場違いね……)

 アンナはお腹を撫でながら、落ち込む気持ちを慰めた。豪奢な謁見の間に居並ぶ貴族達。その視線が決して好意的ではないことに、顔を上げていられなかった。
 美しく着飾った令嬢達は鋭くアンナを睨み、探るように向けられる不躾な視線が怖かった。見知った神官服の一団だけが、あの場で唯一の味方だったかもしれない。同じく神を信仰する神官達は、アンナをキラキラと熱心に見つめていた。

(……わかっていたじゃない)

 神託で結ばれる婚姻だとしても、簡単には認められないのは納得できた。王家と同等の権威を誇る、三大公爵家エリスコア家の嫡男で代行者。リュカエルはとても素敵だ。美しく。五歳年上の平民の未亡人が、その隣立つとは思わなかったはず。覚悟はしていても、傷つかないわけではなかった。
 リュカエルは変わることなく微笑みを向けてくれる。それでもいつまでも認めてもらえなければ、その微笑みもいつか曇ってしまうだろう。その日が来ることこそが怖かった。

(……ママ、頑張るからね)

 生まれてくる小さな命が、自分のせいで辛い思いをしないように。俯いてるアンナを心配そうに見守っていたギースが、ノックの音に顔を上げた。細く開けられた扉越しに短く言葉を交わすと、アンナに振り返った。

「奥様、ご挨拶をされたいと、ヴァレンシア侯爵がお見えです」
「あ……でも、リュカは今……」

 アンナが立ち上がりかけた時には、ギースは扉を開けて迎え入れてしまう。あっと小さく困ったように視線を惑わせたアンナに、ギースは心を痛めたが、には逆らえない。

「拝謁賜り光栄です。エリスコア公爵夫人。ヴァレンシア家のラヴォスと申します」
「……あ……ラヴォス様、初めまして。あの……アンナ・ブレアと申します。ご挨拶に来ていただいて申し訳ないのですが、リュカ……エルは、今不在なのです」
 
 アンナに丁重に礼をとったラヴォスはすっと顔を上げた。戸惑うアンナの全身に視線を巡らせ、ゆっくりと近づいてくる。

「……では、こちらで待たせていただいてもよろしいですか?」
「ですが……」
「お茶をお持ちいたします」

 ギースが静かに割って入り、ラヴォスも有無を言わせぬ口調で、リュカエルをこのまま待つことが確定してしまう。気まずく張り詰める空気に落ち着かず、アンナはソワソワとそっとラヴォスを盗み見た。
 丁寧に撫でつけられた小麦色の髪には一切の乱れもなく、カップを傾ける所作は生粋の貴族の優雅さだ。アンナは緊張を和らげようと、カップに手を伸ばした。

「……紅茶を飲まれるのですか?」
「あ……いえ、紅茶ではなくて……」

 観察するような眼差しと非難めいて聞こえた声に、アンナはドキドキしながら首を振った。助け舟を出すようにギースがスッと茶菓子を出しながら、穏やかに口を開いた。

「奥様が口にされているのは、お体に少しの障りもないようにと、当家主人が南方の国より取り寄せたものにございます。ハニーブッシュとルイボスをブレンドした茶葉で、ほのかなハチミツの香が薫る癖のない味わいです」
「……リュカエル卿が……? ではやはり……」

 驚いたような呟きをこぼし、ラヴォスはアンナを見つめた。困ったように小さく頷いたアンナのカップを、ラヴォスはじっと凝視する。

「よろしければお試しなさいますか?」
「……いいのだろうか?」
「お注ぎいたします」

 ギースとラヴォスのやりとりに、アンナはもじもじと気まずそうに身じろぎした。

「お、大袈裟ですよね……外国からわざわざお茶を取り寄せるなんて……でも、リュカ……エルは昔からすごく優しくて、細やかに気遣う子、いえ方なので、その……」
「すごく優しい……? 細やかな気遣い……?」

 僅かに表情を顰めて誰のことを言っているのか、理解しようとしたラヴォスにアンナは勘違いした。

「もちろんリュカが優しいとことなんて、とっくにご存知ですよね! すいません。でも、優しいから平民の私にも気遣ってくれていて……」

 焦ったように言い募るアンナに、ラヴォスははっきりと眉根を寄せてカップを置いた。

「夫人……平民などと……神に愛されし尊い御身を、そのように卑下することなどあってはなりません」
「え……あの……?」

 驚いて顔を上げたアンナは怒ったような、ラヴォスの視線に射抜かれて目を見開いた。ラヴォスは乗り出すようにして、説き伏せるような強い口調になる。

「数字ばかり眺める馬鹿どもの無礼を、夫人のような方が気にされる必要などどこにもありません。この婚姻は……」

 急に饒舌になったラヴォスが、言葉を切って扉を振り返った。扉の向こうでは言い争うような声が響き、何事かと確認する前に扉が勢いよく開かれる。

「……王宮は王族の住まい! この私が止めだてされるいわれなど、どこにもありませんわ!!」

 甲高く叱りつける声と共に、煌びやかなドレスを纏った令嬢達が部屋へと踏み入ってきた。何が起きたのかわからず呆然とするアンナに、ラヴォスはそっと立ち上がり、ギースとレナが庇うように前に進み出た。

「ラヴィーナ王女殿下。当家の奥様が休まれております。ご配慮いただけますよう」
「使用人風情が王女殿下と私達を止めだてしようというの!!」
「キアトル伯爵令嬢、ギース・レベリン卿はエリスコア家の執事長である上、れっきとした伯爵。同位の爵位家門に対する礼儀を、弁えていないのは貴女の方では?」
「ヴァレンシア侯爵様……! なぜこんなところに……!!」

 アンナの横に立つラヴォスが王女の横で、鼻息を荒くしていた令嬢を冷ややかに睨みつけた。口ごもったキアトルをラヴォスは無視した。
 縋るようにラヴィーナを見つめるキアトルに構わず、ラヴィーナは視線を巡らせるとアンナを睨みつける。びくりと肩を揺らしたアンナのドレスが揺れ、ラヴィーナがギリッと奥歯を噛み締めた。

「エリスコアの絹糸……!! 貴女! それがどれほど貴重なものかわかっているの!? 図々しくねだって、そのドレスを作らせたのでしょう! 平民風情がエリスコアの絹糸を纏って、エリスコア夫人として王宮で振る舞うなんて! リュカエル様にどれほど恥をかかせるつもりなの!!」
「このドレスは……」

 突然押して来た王女に血走った目で睨みつけられ、噛み付くような罵声を浴びせられる。人生で一度も経験したことのない事態に、アンナ震え上がりうまく言葉が出てこなかった。全く争いごとに向かない愛し子を庇うようにして、ギースが礼をとったまま穏やかに口を開いた。

「ラヴィーナ王女殿下。こちらのドレスは、奥様に夢中な当家の主人が自ら用意したものにございます」
「そんなわけないでしょう!! 礼儀も知らない平民が、神託を盾にリュカエル様に無理を言ったに決まっているわ!」

 興奮に顔を真っ赤にしているラヴィーナに、ラヴォスがクスリと肩を揺らした。

「私の知る礼儀知らずとは、随分と隔たりがあるようだ。先触れもなく王家と同等の権威を持つ、公爵家の夫人の元に押しかけてくるとは。さらには根拠のない罵声を浴びせるなど。神より寵愛を受けし愛し子に、そのような態度をとるほど無知なのでは、隔たるのも無理もないでしょうが……」
「ラヴォス……!! 貴方、誰に向かって口をきいているのかわかっているの!!」
「もちろん理解されていますよ。僕の妻の元に押しかける無礼な王族などより、愛し子を尊重し敬う位には教養深い方ですから」
「リュカエル様……!!」

 涼やかな美声が割り込み、ラヴィーナは破顔して振り返った瞬間、その表情を凍らせた。

「……リュカエル、様……?」

 元々が恐ろしいほど無表情。無表情だからこそ、いつだってなんの感情も浮かんではいなかった。それなのに。ラヴィーナはリュカエルに声を縋らせた。リュカエルはその声を無視して、礼をとって一歩下がったラヴォスに頷くと、アンナをそっと抱き寄せる。ゆっくりと振り返ったリュカエルと目が合った時、ラヴィーナは今までまともに視線が合ったことがなかったことに気が付いた。
 対峙した奇跡のような美貌が、はっきりと冷ややかな軽蔑を浮かべてラヴィーナを見据えた。
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