聖騎士様の信仰心

宵の月

文字の大きさ
上 下
31 / 39
第二章 聖騎士様の復讐心

僕の妻です

しおりを挟む



「ねえ、アンナ? 昨日は僕、一人ぼっちだったんだよ?」
「…………」
「夫婦なのに別々に寝るのはおかしいよね?」
「…………」
『当然だろうが……』

 我慢できなくなったアイギスが、低く唸るのを軽くこついてリュカエルは黙らせた。
 シミーズをプレゼントされたアンナは、真っ赤になってその場を逃げ出した。下着をプレゼントされただけでなく、それがあの汚されてしまったシミーズの代りだったことに耐えられなかった。あの時の光景を思い出してしまっては、まともに顔を合わせていられずギースに頼んで客間で眠ったのだった。

「で、でも……リュカ、お腹に赤ちゃんがいるから……だから、そういうことは……」

 真っ赤になって口ごもるアンナに、リュカエルはきれいに結い上げた髪を崩さないようにそっと近づいた。

「僕が何かすると思ってたの? 僕だって赤ちゃんに会えるのを楽しみにしてるんだ。ちゃんと我慢するのに……」

 え? と顔を上げたアンナに、リュカエルが眉を顰めた。

「僕が何も考えてないと思ってたの?」
「そ、その妊娠中は……赤ちゃんだってびっくりすると思うし……」
『愛し子よ、気にするな。これまでのことを考えれば、こやつを信用できないのは至極当然だ』

 なんせ正真正銘の変態だからな。ヒュンヒュンと鳴るアイギスを笑顔で殴りつけて、リュカエルはアンナを覗き込んだ。

「僕、ちゃんとパパになる勉強をしてるよ? 無理させちゃダメって知ってる。だからいい子にして我慢しようと思ってた。それなのに、アンナにそんなふうに思われてたなんて、傷つくな……」
「あ、の……リュカ……そんな風に思っててくれたの……? ごめなさい……私、勝手に勘違いして……」

 リュカエル傷ついた表情に、アンナは申し訳なさそうに瞳を潤ませた。子供とアンナのことを考えてくれていたことに、感謝まで滲ませている。アイギスが疲れたように刀身を震わせた。

《愛し子よ……そやつがいい子だったことがあったかもう一度思い返すんだ……》

 純真な子兎愛し子はいとも容易く、猛獣変態を信頼してしまう。子犬じゃなくて猛獣なのだと早く学習してほしい。また助けられなかった無力感に、アイギスは項垂れた。

「だからもう僕を一人で寝かせないでね? いつもそばにいてよ」
「うん……ごめんなさい……」
「いいよ、許してあげる。その代わり約束してね? 何があっても僕といつも一緒って。寝る時もだよ」
「わかったわ……ごめんね、リュカ」
「うん、約束してくれたから大丈夫」
「ありがとう、リュカ」

(かわいいね、アンナ。僕本当に、ちゃんと勉強したんだよ……)

 色々と。内心の呟きを綺麗に笑って押し隠し、リュカエルは口元を緩ませた。しゃーしゃーとシミーズをプレゼントするという、そもそものアンナが逃げ出す原因を作った変態は、まんまと一人で寝かせた罪悪感を植え付けて欲しいものだけ掠めとっていく。
 狡猾だあまりにも狡猾だ。アンナを抱き寄せるリュカエルに、アイギスは慄いた。無垢な愛し子に対抗できるわけがない。

《愛し子がどうか無事でありますように……》

 アイギスはせめて祈った。どうせろくなことをしない。今どんな言質を差し出したのか。愛し子が思い知る日が来ないことを願った。その願いが届くことはないと分かっていても、上等な布でアイギスを丁寧に磨いてくれる愛し子のために祈らずにはいられなかった。


※※※※※


 聖ガイムス王国の国王は、約束の時間の三時間前からイライラとその到着を待っていた。リュカエル・エリスコアが王都入りしてから一週間。本当に休暇を理由に一度も顔をださなかった男は、王都入りしてからもリュカエル・エリスコアだった。
 帰還しても屋敷に引きこもり、使者も書信も寄越すことはなかった。三日経過してもシカトされたままの王は、業腹ながら使者を立てた。王宮に顔を出せと。その返事は妻が疲れていますの一言。完全に頭に来て、矢のように催促をしようやく訪問の返事をもぎ取ったのだった。

(なんなの? エリスコアなんなの?)

 エリスコア公爵夫人を見ようと詰めかけた貴族が居並ぶ謁見の間で、玉座に座した王はイライラと顔を顰めた。すでに約束の時間から十五分ほど遅刻している。シカトした挙句堂々と遅刻してくるなんて王を舐めすぎ。
 王の不機嫌さに張り詰め始めた空気の中で、貴族達は居心地悪そうに身じろぎをした。

「エリスコア公爵夫妻がお見えです!!」

 遅れること二十分。ようやく行政官の取次の声が響き、王は奥歯を噛み締めた。正直帰れと言ってやりたかったが、普通に謝罪もなく帰って催促しなければ王宮に近寄りもしないだろう。

「……通せ……」

 苛立ちを飲み込み王は、ものすごく我慢して頷いた。謁見室の扉がギイッ音を立てて開かれ、集まった貴族達は入り口に一斉に視線を注ぐ。カツカツと靴音が天井の高い謁見室に響き、序列で並ぶ下位貴族達から声にならないざわめきが広がり出した。目を見開き声を失う貴族たちを、より驚かせたのはなんだったのか。
 エリスコア領でしか産出できない貴重な絹の、揃いの装いの美しさにか。それとも表情筋が死んでるはずのリュカエルの浮かべている蕩けるような笑みにか。
 気遣うように丁寧に妻をエスコートする氷の騎士は、妻しか目に入らないかのようにピッタリと寄り添っている。愛し子といえど平民と聞いていた女性は、王族ですら全身を彩ることは難しいだろう美しい絹を纏っているせいか、噂に聞くよりずっと美しかった。
 本当にあのリュカエル・エリスコアなのか。呆然と二人を凝視する貴族達の視線を気にも止めず、赤絨毯をリュカエルはゆっくりと進んだ。声を失っていた貴族達からざわざわとごく顰めた囁きが溢れ始める。
 玉座の前にきて、ようやくリュカエルは王に顔を向けた。王都中の女性を虜にした美貌は、満面の笑みを湛えて高揚してすらいる。絶句して茫洋と目を見開く王に、リュカエルは一度も浮かべたことのない笑みを向けた。

「リュカエル・エリスコア。謁見のに従い訪宮いたしました」

 懇請……王はぴくりと眉を引き攣らせた。いつものように会釈とも言えない礼をすると、リュカエルは抑えきれない様子でアンナの腰を引き寄せた。

「僕の妻のアンナ・ブレアです!」

 昂然と顎を逸らし自慢げな響きを隠しもしないリュカエルの声が、ひそめたざわめきに揺れる謁見の間に響き渡る。水を打ったように静まり返り、衝撃から立ち直れない貴族達の視線を受けて立つリュカエル。
 王は理解した。リュカエルが王宮に来なければならなかった理由はいくつもある。理由はいくつもあっても、リュカエル・エリスコアが王宮に来た理由はただ一つだ。

(こいつ……完全に嫁の自慢にきてやがる……)

 もう遅刻すらわざなのかもしれない。大注目の視線の中で、ドヤ顔を隠せていないリュカエルに王は絶句した。
 居た堪れなそうなアンナをチラリと見て、ため息をつくようにアイギスがビインと低く刀身を鳴らす。
 アンナに集まる視線の数々。エリスコア当主と共に長きを王都に身を置くアイギスは、野に朗らかに咲く素朴な花が萎れてないよう祈るだけの我が身をもどかしく思った。

しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

転生したけど平民でした!もふもふ達と楽しく暮らす予定です。

まゆら
ファンタジー
回収が出来ていないフラグがある中、一応完結しているというツッコミどころ満載な初めて書いたファンタジー小説です。 温かい気持ちでお読み頂けたら幸い至極であります。 異世界に転生したのはいいけど悪役令嬢とかヒロインとかになれなかった私。平民でチートもないらしい‥どうやったら楽しく異世界で暮らせますか? 魔力があるかはわかりませんが何故か神様から守護獣が遣わされたようです。 平民なんですがもしかして私って聖女候補? 脳筋美女と愛猫が繰り広げる行きあたりばったりファンタジー!なのか? 常に何処かで大食いバトルが開催中! 登場人物ほぼ甘党! ファンタジー要素薄め!?かもしれない? 母ミレディアが実は隣国出身の聖女だとわかったので、私も聖女にならないか?とお誘いがくるとか、こないとか‥ ◇◇◇◇ 現在、ジュビア王国とアーライ神国のお話を見やすくなるよう改稿しております。 しばらくは、桜庵のお話が中心となりますが影の薄いヒロインを忘れないで下さい! 転生もふもふのスピンオフ! アーライ神国のお話は、国外に追放された聖女は隣国で… 母ミレディアの娘時代のお話は、婚約破棄され国外追放になった姫は最強冒険者になり転生者の嫁になり溺愛される こちらもよろしくお願いします。

【完結】たれ耳うさぎの伯爵令嬢は、王宮魔術師様のお気に入り

楠結衣
恋愛
華やかな卒業パーティーのホール、一人ため息を飲み込むソフィア。 たれ耳うさぎ獣人であり、伯爵家令嬢のソフィアは、学園の噂に悩まされていた。 婚約者のアレックスは、聖女と呼ばれる美少女と婚約をするという。そんな中、見せつけるように、揃いの色のドレスを身につけた聖女がアレックスにエスコートされてやってくる。 しかし、ソフィアがアレックスに対して不満を言うことはなかった。 なぜなら、アレックスが聖女と結婚を誓う魔術を使っているのを偶然見てしまったから。 せめて、婚約破棄される瞬間は、アレックスのお気に入りだったたれ耳が、可愛く見えるように願うソフィア。 「ソフィーの耳は、ふわふわで気持ちいいね」 「ソフィーはどれだけ僕を夢中にさせたいのかな……」 かつて掛けられた甘い言葉の数々が、ソフィアの胸を締め付ける。 執着していたアレックスの真意とは?ソフィアの初恋の行方は?! 見た目に自信のない伯爵令嬢と、伯爵令嬢のたれ耳をこよなく愛する見た目は余裕のある大人、中身はちょっぴり変態な先生兼、王宮魔術師の溺愛ハッピーエンドストーリーです。 *全16話+番外編の予定です *あまあです(ざまあはありません) *2023.2.9ホットランキング4位 ありがとうございます♪

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

聖女の、その後

六つ花えいこ
ファンタジー
私は五年前、この世界に“召喚”された。

片想いの相手と二人、深夜、狭い部屋。何も起きないはずはなく

おりの まるる
恋愛
ユディットは片想いしている室長が、再婚すると言う噂を聞いて、情緒不安定な日々を過ごしていた。 そんなある日、怖い噂話が尽きない古い教会を改装して使っている書庫で、仕事を終えるとすっかり夜になっていた。 夕方からの大雨で研究棟へ帰れなくなり、途方に暮れていた。 そんな彼女を室長が迎えに来てくれたのだが、トラブルに見舞われ、二人っきりで夜を過ごすことになる。 全4話です。

月がきれいだった

ピコっぴ
恋愛
あまりにも月が綺麗だったので、もっとよく見たかっただけだったのに 小さい時から、星より太陽より、月が好きだった⋯⋯ 月をもっとよく見るために、外へ出てみた雨傘上がりの宵の口 地面に映る月の端を踏んだら、私はサラサラと爪先から崩れて消えた 目覚めると、湯に浮いていた ──寝湯で見た夢だったのかな 安心するのもつかの間、女湯で男性に取り囲まれる 何がどうなったのか、さっぱりわからない 知らない世界で、贄の月の水環媛と呼ばれるけど、どしたらいいの?

処理中です...