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第十八話 〈2〉

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 成長、というのは日々の積み重ねである。だが、積み重ねたものがいつ成果を上げるのかは、実のところ誰にもわからなかったりするものだ。

 だからこそ人はすぐに成果が出るものに心を強く惹かれ、成果が出ないものを遠ざけがちである。
 ダイエットなどが良い例だろう。より早く結果が出るものを求めた結果、何も成せずに終わってしまうことが多い。結局は地道に続けていく他ないのである。
 そして努力というのは、それと意識せずに続けることが持続のコツである、と俺は思っている。はてさて。つまり、なんの話かと言えば、お嬢様の話である。

 お嬢様の話だが、ダイエットの話ではない。シャンデュエの話である。

 入学時から続けること五年弱。
 昼休み中の十五分間を使って行われていたシャンデリアエクストリーム・ゴージャスデュエルにて、ついにお嬢様が白星をあげた。

 炎魔法による攻撃と、光魔法による身体強化によって自身の闘い方を確立したお嬢様は、とうとう、土魔法によって逃げる俺を捕らえることに成功したのだ。

 此処まで来るともはや執念の産物である。
 行く手を阻む植物を焼き捨て、土魔法によって生み出した障害物を使って回避を続ける俺を強化された肉体で持って捉えたお嬢様は、見事、地に伏せた俺の腕をとって捻り伏せ、勝鬨を上げた。

「や、やりましたわ!! ついに! ついにわたくしの勝利でしてよ!!」
「おめでとうございます、お嬢様。何百戦とした内の一回ですが、それでも確かにお嬢様の勝利ですとも。恥も外聞もなく大いに喜んでいただいて結構でございます、それが淑女として正しい行いだと思っていらっしゃるのなら、どうぞ好きなだけ騒いでくださいませ」
「ふふん! そんな無様な状態で何を言おうと負け惜しみにしか聞こえませんわね!!」

 まあ、実際負け惜しみである。負け惜しみとして好きなだけ罵倒が口にできるので、むしろ俺としてはありがたいくらいであった。
 長年の宿敵を打ち果たしたのがよほど嬉しかったのか、お嬢様の顔は歓喜に紅潮している。当然、周囲にはキラッキラの光魔法の余波が飛んでいるので、負け惜しみだろうがなんだろうがとにかく罵倒する必要があった。

「地に伏せた従者にのしかかるという行いは、御令嬢としては無様に当たるのでは?」
「今のわたくしは一人の戦士! 戦いの場での振る舞いに無様も何もありませんわ!!」
「戦士であるのに対戦相手に敬意もなく衆人環視の中で地べたに這いつくばらせることがお望みとは、全くもって悪趣味でいらっしゃる。聖女様ではなく悪女様がお似合いだと言われても致し方ない振る舞いでございますね。
 しかしてそろそろ本当に退いて頂けますと助かります。昼食の時間がなくなってしまいますので」
「何よ! もう少し勝利を味わう時間くらい与えてくれても良いでしょ!」
「勝利の味は後ほどゆっくり噛み締めてくださいませ。今は料理長自慢の創作料理の味を楽しむべきかと」

 流石に背中側からのし掛かられてしまっては身体を起こしづらい。起こせないことはないが、背中にお嬢様が乗っているが故に、無理に起こせばバランスを崩してお嬢様が地面にすっ転がりかねないのである。
 勝利の喜びに浸っているお嬢様を地面に転がすようなことになれば、機嫌を損なったお嬢様はきっとこの後半日は拗ね続けるだろう。実際のところお嬢様は怒っているよりも拗ねている方が面倒臭いので、それは避けて通りたいところだった。

 あくまでも穏便に、ついでに食べ物で釣りながら誘導した俺に、お嬢様は渋々、と言った様子で身体を退けた。
 立ち上がり、服の前面についた砂埃を払いつつ演習場の出口へと向かう。前を歩くお嬢様は着替え室から出てくるまで何やら納得がいかない様子で眉根を寄せていたが、出迎えに立つ令嬢たちから祝いの言葉を向けらえると、ころりと機嫌を直したようだった。

 俺とお嬢様のシャンデュエだが、当初に比べて観戦者は減った分、コアなファンがつくようになっているのである。今では別の会場でサークル対抗のシャンデュエ大会が開かれていたりもするので、そっちに観戦者が流れた、というのもある。

 まるで我が事のように喜び、お嬢様へと祝いの言葉を投げかけていた御令嬢方は、隣に控える俺の顔をちらりと見やると、何やら小声で囁き合いながら去っていった。
 何を言われているのかはわからないが、まあ、あまり悪感情を向けられている印象はなかったので流しておく。女子というのは、何故か人前でする内緒話が好きなものなのだ。

 楽しげな声が遠ざかるのを耳にしつつ、お嬢様を振り返る。いつもなら食堂に向かうお嬢様が一向に歩み出す気配がなかったからである。

「お嬢様? 休憩時間がなくなってしまいますよ?」
「………………セバスチャン」
「なんでしょうか」

 そういえば最近、名前の訂正をしていないな。まあいいか。言っても直らないし。

「お前、上着はどうしたのよ」
「は? ……ああ、先ほどのシャンデュエで汚れてしまったので、一旦収納箱にしまっておきました。後で取りに来たいのですがよろしいですか」
「ベストは?」
「同じくしまってありますが」
「ネクタイは」
「それも同じく」

 普段はごく一般的な執事服に身を包んでいる俺だが、今は上着とベスト、ネクタイを外しているので、上はシャツのみという格好であった。
 今聞くべき質問だろうか、と思ったが、確かに従者である俺が正装ではなく極めてラフな格好をして付き従っているのは、公爵家の令嬢としては看過できないのだろう。

「申し訳ありません、着替えを用意していなかったもので。見苦しいかとは思いますが、一先ずこのままお供させて頂きます」
「なんですって、全く用意の悪い! 執事失格ではなくって──……まさかお前、わたくしには土をつけることもできないと高を括っていたということね!?」
「いえいえまさか、そのような事実は一切ございません。全く私の不徳の致すところでございます、執事の資格無しと詰られることも覚悟しております、さ、お嬢様、ともかくまずは昼食と致しましょう」
「わたくしに負けることなど少しも想定していなかったと! それどころか服が汚れる心配すらしていなかったと! そう! そういうことですのねっ!?」
「さあお嬢様、急いで食堂に参りましょう、さあさあ、昼食の時間がなくなってしまいます、さあさあさあ」
「こっ、このウスノロ!! 信じられませんわ!! 無礼者!! 無礼者ーーっ!!」

 全くもって図星だったので、俺は何もかもを誤魔化す勢いでお嬢様を食堂へと押し込むことにした。いや、別にお嬢様を侮っていたとか、そういう訳ではないのだ。本当に。
 ただ、五年も負けなしで、特に汚れることも無いままでいたら、用意しておくのが面倒になってしまっただけで。

 こればっかりはただただ俺が悪いので、何一つ正当な反論が出てこなかった。まあ、俺が正当な反論をしていたことの方が少ないわけだが。

 道すがら散々喚いていたお嬢様だったが、食堂で美味いものを食べた上に、勝利を報告された料理長が『では腕によりをかけて祝いの品を作らせて頂きます』と笑顔で告げるのを聞いた途端、機嫌を直した。
 お嬢様が単純でよかった。 

 と。

 思っていたのだが。


「ふん……度を越した無礼者だとは思っていたけれど、まさかここまでだとは思わなかったわね……」

 どうやらそう簡単に直るようなものでもなかったらしい。

 午後の授業をこなし、いつものように湯浴みを終えたお嬢様は、髪を乾かしながら整える俺を鏡越しに睨め付けながら、なんとも不満げに吐き捨てた。

「そもそも考えてみれば戦闘に相応しい格好に着替えもしないでいること自体がわたくしへの侮辱だわ……全く……なんて不敬な執事なのかしら……性根からして無礼なのね……」

 その呟きは、俺に聞かせるため、というよりはもはや口からこぼれ出てしまっている、というのが正しい様子だった。
 そして、言葉の割には表情に覇気がないあたり、苛立ちよりも落胆が勝っているようである。

 なるほど、お嬢様にとっては俺は幼少期からの宿敵だ。そんな相手に『そもそも対等に戦う相手と見做されていなかった』というのは、プライドの高いお嬢様にとっては許し難い事実であったのだろう。
 実際、確かに俺はお嬢様を侮っている部分があった。小さい頃から面倒を見ている、という前提でいつまでも幼い子供のように見てしまう面もあるが、何よりこの身体が結構なハイスペックであるからして、多少の相手には負ける気がしないと思ってもいたのだ。

 しかし真剣勝負を望むお嬢様にとって、それは単なる侮辱でしかない。本気でやっている相手に手を抜くことがどれほどの無礼であるかは理解していたが、無意識に驕りが出てしまっていたのだろう。この点は俺に非があり、気を引き締めるべきところだ。
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