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光輝の兆し
十三
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秦は郢を南郡ととした。郡県制(郡の下の県を置き、中央から統率する官吏を派遣することで、中央に権利を集約させる仕組み)を孝公の頃より推進している。郢を郡に取り入れ、ほうぼうの罪人を赦免して、南郡に移したことで一帯は完全に秦が掌握したということになる。
更に白起は郢攻略の功績により、武安の地を与えられ武安君と号することを認可された。白起は長大な封地を得て軍の総帥となり、宰相の魏冄に次いでの有力者となった。また白起の雷鳴は中国全土に轟き、秦王を凌ぐほどの勢いであった。
最早軍事は白起に。政治は魏冄に掌握され、秦王は真の傀儡と成り果てた。何事においても裁可を仰ぐ必要などなく、全てが己の思いのままに動かせるのだ。
この頃、ある一つの考えがずっと脳裏に張り付いている。
(今の秦に王は必要か?)
餓鬼の頃から不本意ではあったが、嬴稷に仕え続けている。士官するまでは、彼の護衛まで務めた。だが一度たりとも彼を王など仰いだことはない。昔も今も、白起の王はただ一人なのである。しかし現実は玉座に坐するのは酒と女に溺れた醜く太った男。そして、魏冄と白起が与える、恩恵で奴は更に肥え太っていく。
古代から人民は血胤を重んじる。秦の先祖は帝顓頊(黄帝の孫であり五帝が一人。暦法の創始者)の苗裔と考えられている。先祖とされる大費が帝舜より皁游(黒色の旗)を賜った。之が秦の国旗である。
帝舜は明晰であった大費を大層気に入った。自ら召し抱え、大費を鳥獣の世話係に任じた。すると驚くことに獰猛な鳥獣達は、数日も掛らず大費に馴服した。帝舜は更に大費を重用するようになり、彼に嬴氏の性を賜った。之が嬴氏の興りである。
やがて嬴氏は幾星霜の経過と共に、周宗室に諸国として認められるまでに成長を遂げ、現今に至る。嬴氏の興りから五百年ほど経過した今でも、国の存続と共に嬴氏の血脈は途絶えることなく続いている。
白起にとって何百年もの間、子々孫々と受け継がれた血流など重要なものではない。歴史とは興亡の繰り返しに過ぎない。断言できる。秦も何れは滅び、新たな力を持った文明に打倒される日が来るであろうと。
そして、滅びの日。脈々と受け継がれ血胤も灰と共に無に帰す。畢竟、この世が無為転変の世である以上滅亡は避けらない。遅かれ早かれ滅びやってくる。
だが武王は滅びのない、未来永劫と泰平が続く理想郷を夢見た。突拍子もない理想論である。しかし、武王は本気でこの世に理想郷を顕現させようとあがいていた。旧き世を終焉さえ、新世界を創り上げる。
俺は旧世界を終わらせる剣に過ぎない。そして、ふと思う。旧世界を終わらせたとして、新世界に立つ王が嬴稷で良いのか。
自問自答するまでもなく分かりきっている。嬴稷に泰平の世を維持するだけの器量はない。
其れを持ち合わせているのは、たった一人。魏冄だ。魏冄が王になればいい。新たな世に旧世界の遺風など不必要だ。武王は冥府で憤るであろうか?
(いいや。あの人は世襲制を誰よりも憎んでおられた)
魏冄の死を間近に感じ始めてから、白起は政事に目を向けるようになった。郢で駐屯を続ける間に、過去の史書を読み漁った。まるで魏冄から失われた意欲が、自身に注ぎ込まれていくようだった。魏冄が病み衰えるまで、政など彼に投げっぱなしにしていた。だが、何れ魏冄は政事を仕切る力さえも失うかもしれない。例え力を失ったとしても、魏冄が生きてさえくれればいい。彼が玉座に王として君臨し続けることが、何よりも重要なのだ。
更に白起は郢攻略の功績により、武安の地を与えられ武安君と号することを認可された。白起は長大な封地を得て軍の総帥となり、宰相の魏冄に次いでの有力者となった。また白起の雷鳴は中国全土に轟き、秦王を凌ぐほどの勢いであった。
最早軍事は白起に。政治は魏冄に掌握され、秦王は真の傀儡と成り果てた。何事においても裁可を仰ぐ必要などなく、全てが己の思いのままに動かせるのだ。
この頃、ある一つの考えがずっと脳裏に張り付いている。
(今の秦に王は必要か?)
餓鬼の頃から不本意ではあったが、嬴稷に仕え続けている。士官するまでは、彼の護衛まで務めた。だが一度たりとも彼を王など仰いだことはない。昔も今も、白起の王はただ一人なのである。しかし現実は玉座に坐するのは酒と女に溺れた醜く太った男。そして、魏冄と白起が与える、恩恵で奴は更に肥え太っていく。
古代から人民は血胤を重んじる。秦の先祖は帝顓頊(黄帝の孫であり五帝が一人。暦法の創始者)の苗裔と考えられている。先祖とされる大費が帝舜より皁游(黒色の旗)を賜った。之が秦の国旗である。
帝舜は明晰であった大費を大層気に入った。自ら召し抱え、大費を鳥獣の世話係に任じた。すると驚くことに獰猛な鳥獣達は、数日も掛らず大費に馴服した。帝舜は更に大費を重用するようになり、彼に嬴氏の性を賜った。之が嬴氏の興りである。
やがて嬴氏は幾星霜の経過と共に、周宗室に諸国として認められるまでに成長を遂げ、現今に至る。嬴氏の興りから五百年ほど経過した今でも、国の存続と共に嬴氏の血脈は途絶えることなく続いている。
白起にとって何百年もの間、子々孫々と受け継がれた血流など重要なものではない。歴史とは興亡の繰り返しに過ぎない。断言できる。秦も何れは滅び、新たな力を持った文明に打倒される日が来るであろうと。
そして、滅びの日。脈々と受け継がれ血胤も灰と共に無に帰す。畢竟、この世が無為転変の世である以上滅亡は避けらない。遅かれ早かれ滅びやってくる。
だが武王は滅びのない、未来永劫と泰平が続く理想郷を夢見た。突拍子もない理想論である。しかし、武王は本気でこの世に理想郷を顕現させようとあがいていた。旧き世を終焉さえ、新世界を創り上げる。
俺は旧世界を終わらせる剣に過ぎない。そして、ふと思う。旧世界を終わらせたとして、新世界に立つ王が嬴稷で良いのか。
自問自答するまでもなく分かりきっている。嬴稷に泰平の世を維持するだけの器量はない。
其れを持ち合わせているのは、たった一人。魏冄だ。魏冄が王になればいい。新たな世に旧世界の遺風など不必要だ。武王は冥府で憤るであろうか?
(いいや。あの人は世襲制を誰よりも憎んでおられた)
魏冄の死を間近に感じ始めてから、白起は政事に目を向けるようになった。郢で駐屯を続ける間に、過去の史書を読み漁った。まるで魏冄から失われた意欲が、自身に注ぎ込まれていくようだった。魏冄が病み衰えるまで、政など彼に投げっぱなしにしていた。だが、何れ魏冄は政事を仕切る力さえも失うかもしれない。例え力を失ったとしても、魏冄が生きてさえくれればいい。彼が玉座に王として君臨し続けることが、何よりも重要なのだ。
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