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雄飛
十三
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魏冄は穣を得た功労により、秦王より、かつて宋の領地であった、飛び地の陶を増封された。陶も穣同様に肥沃な土地で、宋と国境を接する、斉と楚に近い位置にある。
要衝であるが故に、かねてより斉と楚は、陶を奪おうと侵略を繰り返していたが、結局、宋が秦の斉に対する和睦が成立し、宋が陶の地を秦に割譲するまで、斉と楚は奪うことが叶わなかった。
これより、陶と穣を得た魏冄は穣候、陶候と号することになる。周宗室の後押しもあり、天下に列候として認知された、魏冄の権勢は並び立つ諸王と同格のものとなった。
魏冄と白起は秦の双璧となり、諸国の王達は秦王ではなく、二人の動向に注視することになる。魏冄が穣候を号したその年。魏冄は自ら軍の指揮を執り、魏へと侵攻した。白起には宣撫を終えたばかりの穣と陶の二地の警備を任せている。特に穣は競争率が高い土地なだけに、未だ取り巻く国々が虎視眈々と狙っている。
魏冄の派兵を聞き知った、魏王は臆病風に吹かれ、猛烈な速さで和平の使者を寄越した。河東の土地方囲四百里を献じる故、兵をおさめてほしいとのことだった。魏王は見誤っている。渇望するのは天下だ。鄙びた土地では断じてない。使者を送り返し、魏冄は堂々と二十万の兵を引き連れて魏に侵攻した。魏の河内を侵し、攻略した後に六十城の城を陥落させた。
魏軍は驚くほどに脆かった。連戦続き。しかも白起に悉く討ち滅ぼされている。魏冄が相対したのは、虎符で寄せ集めた雑な軍であった。魏の国情には内心同情すらも覚えた。
翌年、入れ替わるように白起は司馬錯と共に魏へと侵攻し、方囲三百里領土を広げた。
要衝であるが故に、かねてより斉と楚は、陶を奪おうと侵略を繰り返していたが、結局、宋が秦の斉に対する和睦が成立し、宋が陶の地を秦に割譲するまで、斉と楚は奪うことが叶わなかった。
これより、陶と穣を得た魏冄は穣候、陶候と号することになる。周宗室の後押しもあり、天下に列候として認知された、魏冄の権勢は並び立つ諸王と同格のものとなった。
魏冄と白起は秦の双璧となり、諸国の王達は秦王ではなく、二人の動向に注視することになる。魏冄が穣候を号したその年。魏冄は自ら軍の指揮を執り、魏へと侵攻した。白起には宣撫を終えたばかりの穣と陶の二地の警備を任せている。特に穣は競争率が高い土地なだけに、未だ取り巻く国々が虎視眈々と狙っている。
魏冄の派兵を聞き知った、魏王は臆病風に吹かれ、猛烈な速さで和平の使者を寄越した。河東の土地方囲四百里を献じる故、兵をおさめてほしいとのことだった。魏王は見誤っている。渇望するのは天下だ。鄙びた土地では断じてない。使者を送り返し、魏冄は堂々と二十万の兵を引き連れて魏に侵攻した。魏の河内を侵し、攻略した後に六十城の城を陥落させた。
魏軍は驚くほどに脆かった。連戦続き。しかも白起に悉く討ち滅ぼされている。魏冄が相対したのは、虎符で寄せ集めた雑な軍であった。魏の国情には内心同情すらも覚えた。
翌年、入れ替わるように白起は司馬錯と共に魏へと侵攻し、方囲三百里領土を広げた。
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