短編集「異世界恋愛」

狭山ひびき

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時計屋の兎(ラビット)

エピローグ

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 後日――

 ナターリアの懐中時計を受け取りに来たドルバー教授は、今朝の朝刊を片手にラビットの時計屋を訪れた。
 ラビットはまだ今朝の朝刊を読んでいなかったので、ちらちらとそれを気にしていると、ドルバー教授は「八ページだよ」と言いながら手渡してくれた。
 言われた通り八ページを開くと、そこには小さくマルク子爵令嬢ナターリアのことが取り上げられていた。
 記事によると、ポールマー伯爵がナターリアの殺害を供述したという。当然のことながら、ソルトレイグ公爵令嬢との婚約の話は白紙。ポールマー伯爵は身分剥奪の上に投獄されて。跡は彼の従弟が継ぐのだそうだ。

「マルク子爵がナターリアの死因が自殺でないとわかってひどく喜んでいたよ」

 自殺――自らその命を絶ったものは、死後の世界で過酷な労働を強いられると言われている。自殺者が出た家は、世間的にも肩身を狭い思いをするだろう。マルク子爵が娘の死後の安寧と世間体のどちらに重点を置いているのかは定かではないが、こうして、娘の形見である懐中時計を引き取ろうとするあたり、前者であると信じたい。
 ドルバー教授に懐中時計を手渡すと、彼はそれをポケットに入れて、新聞はもう読んだから上げるよと言いながら店を出た。
 ラビットは店の奥の椅子に座って、新聞を一面から読み直そうとしたが、記事を数行読んだところでカランと店の鈴が音を立てて、今日は来客が多いなぁと思いながら顔を上げる。

「ごきげんよう」

 優雅に挨拶をしながら店の中に入ってきたのは、グリーンのドレスを着たアザリーだった。

「レマニエル侯爵令嬢、こんなところにどうされたんですか?」

 立地こそ超がつくほど土地代の高い一等地であるが、いつも閑古鳥の鳴いているようなラビットの時計屋である。百歩譲って紳士であれば時計を買い求めに来ることもあろうが、ここには婦人用の時計はおいていない。

「今日はあなたに会いに来たのよ」
 アザリーはそう言いながら、ぐるりと店の中を見渡した。
「ごちゃごちゃしてパッとしない店ね。まるで倉庫みたい。これじゃあ、人もやってこないのではなくて?」
「ええ、まあ……」

 ラビットはさほど儲けようとも思っていないし、客が増えてもそれをさばききれる自信がないので、店が繁盛しなくてもいいと思っているのだが、ラビットよりもこの土地代のことをわかっているアザリーは信じられないものを見るような目で店内を見ている。

「ヴィラーゼル伯爵ならもっとなんとかしそうだけど」
「ロードは僕の好きにしていいと言ってくれているので……」
「そう」

 アザリーはまだ納得していなさそうだったが、狭い店内を横切りラビットのそばまで歩いてくると、彼女の手の中にある新聞をちらりと一瞥して言った。

「ヴィラーゼル伯爵から聞いたわ。あなたもポールマー伯爵の件で力を貸してくれたそうね」
「僕は別に……」
「そう? ナターリアとポールマー伯爵のことを調べてくれたと聞いたけど」

 まさかラビットが時計の「声」を聴けるとは言えないからだろう。ウィルバードはまるでラビットが探偵のようにナターリアが殺される前のことを調べたと説明したようだ。

「おかげでナターリアの復讐をすることができたわ」

 黒いドレスを脱いだところを見ると、アザリーはようやく前を向くことができるようになったようだ。

「だからお礼をと思ってきたのだけれど、……なんだかあなた、ドレスや宝石類はあまりお好きではなさそうね」

 アザリーがラビットの服装を見て目を細める。彼女は今日、黒のジャケットにダークグレーのズボン、えんじ色のネクタイを身に着けていた。どこか変だろうか?

「何か好きなものはある?」
「好きなものですか? ……この三つ隣にある店のキャラメルは好きです」
「………キャラメル……」

 アザリーはわざとらしくため息をついた。
 そしてもう一度店の中を見渡すと、口端を持ち上げる。

「いいわ。それなら、このお店を手伝ってあげる」
「え……」
「任せておきなさい。もっと人が入るような、華やかな店内にしてあげるわ」

 いや、してくれなくていい。
 ラビットは困惑したが、アザリーはすっかりやる気で、ぶつぶつと独り言を言いながら店の中を歩き回る。

(……なんか、面倒な人と知り合ったかも……)

 変な人は、ウィルバードとドルバー教授の二人でお腹いっぱいなので、これ以上増えてほしくないのだけれど。
 ラビットがどうやってこのお嬢様を追い払おうかと考えていると、カランと店の鈴が鳴った。

(またお客さん?)

 ラビットが振り向けば、店に入ってきたのはウィルバードだった。

「ラビット、今朝は一人で朝ご飯を食べさせてしまって悪かったね。ちょっと城に呼び出されて――、ってラビット! またそんな男の子みたいな恰好をして!」
(……今日は忙しくしていると思ったのに)

 ラビットはドレスが嫌いである。コルセットはもっと嫌いだ。朝からウィルバードがいなかったので、しめしめとズボンをはいてきたのに、まさかこんなに早くに見つかってしまうとは。

「あら、ヴィラーゼル伯爵」
「やあアザリー。君はここで何をしているのかな?」
「このお店をお手伝いすることにしたのよ」

 いやいや許可してないから!
 ラビットはぶんぶんと首を横に振ったが、ウィルバードは「それはいいね」とあっさり許してしまった。

「アザリー、ついでだから、俺のリトル・ラビットに、もっと女の子らしいおしゃれの楽しみ方を教えてあげてくれないかな」
「あら、お安い御用よ」
(やだやだ――!)

 ラビットはウィルバードのあとから店に入ってきたショーンに視線で助けを求めたが、彼は同情的なまなざしを返しただけで助けてくれるつもりはないらしい。

「そうそうラビット。リズに劇のチケットをもらったんだ。明日にでもデートしてくれないかな?」

 リズとはウィルバードが親しくしている女優である。老若男女、ありとあらゆる役を演じきれるという噂の演技派女優だ。

「劇はいいけど、デートはちょっと……」

 わざわざ「デート」という言い方をしたということは、劇以外にも連れまわされるに違いない。ウィルバードはラビットに「遠慮しない」宣言をしてからというもの、「ぐいぐい」来るようになった。そのたびにラビットは追い詰められた兎のような気分を味わうことになるから、できれば劇だけにしてほしい。

「デートしてくれないなら、今日はこのままこの店にいようかな」

 そう言いながらウィルバードがラビットを抱き上げようと腕を伸ばしてくるから、ラビットは慌てた。このままではウィルバードにお膝抱っこされたまま一日をすごすことになる。それは何としても回避したい。

「わ、わかった! デートするよ! それでいい?」

 ラビットが折れると、ウィルバードがにっこりと笑う。その背後でショーンが「かわいそうに」と言いたそうな表情を浮かべるから、同情するくらいなら助けてくれないだろうかとラビットは思う。

「まず、店の看板をもっと目立つようにするべきね!」

 店を改装する気満々のアザリーがそんなことを言って――

(どうして僕の周りは、変な人ばかりなんだろう……。そう思わない?)

 ラビットは時計たちに同意を求めると、彼らはまるで笑っているかのように、カチコチと秒針を鳴らしたのだった。







 ~~~完~~~
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