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第二部 運命共同体の夫が、やたらと甘いです
病院視察と、これから 4
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病室を全部見て回って、ヴィオレーヌは帰りの馬車の中でぼんやりしていた。
対面の座るアルフレヒトも、行きと違ってやけに静かだ。
隣のルーファスも黙っていて、馬車の車輪の音と馬の足音だけが響いている。
ヴィオレーヌが入院している彼らに対してできるのは、ポーションを作ることだけだ。
けれどもヴィオレーヌは永遠にダンスタブル辺境伯領にいられるわけではない。
残党兵の問題が片付いたのだ、ルーファスも落ち着けば王都へ戻るはずである。ヴィオレーヌだけが残るわけにはいかない。
そうなると、ダンスタブル辺境伯領にはまたポーションが届かなくなる。
滞在中にたくさんのポーションを作ったとしても、重傷者に数日おきに飲ませていたらすぐに底をつくだろう。
そうなったとき、彼らが回復していればいいけれど、そうである保証はない。
それから、予算の問題もある。
ヴィオレーヌがいくら頑張ってポーションを作っても、無償ではないのだ。
ルーファスの出費が、彼の個人予算によるものなのか、それとも国の予算からなのかはわからない。
どちらにせよ、ダンスタブル辺境伯領にお金をかけすぎると、よそから反発が上がるだろう。
ミランダに頼み込んで無料にしてもらうことができるかどうかはわからない。それをすることで、他から「自分たちも」という声が上がると非常に困るからだ。
ただの貴族であれば、懇意にしているところへの援助として片付けられただろう。
しかしルーファスは王太子、ヴィオレーヌは王太子妃だ。
どこかにだけ肩入れをするわけにはいかない。
王族とはままならないものだと思う。
モルディア国は小さな国だったので、ある程度は融通が利いた。
貴族間の軋轢も権力闘争も少なく、言ってしまえば、全員が家族のような温かい国だった。
国土面積が小さく人口も少なかったので、皆が協力し助け合って生きていく文化だったのだ。
大国ルウェルハスト国では、モルディア国の理屈は通用しないのである。
帰ったら、ルーファスに予算を確認しなければならない。
それによって、作成するポーションの数を決めなければならず――、場合によっては、今後は満足に重傷者に配れない数になってしまうかもしれなかった。
馬車が辺境伯城の前に到着し、ルーファスにエスコートされて降りる。
アルフレヒトは父である辺境伯に報告があるというので、ルーファスとともに部屋に向かった。
後ろをついてくるジョージーナとルーシャの表情も、心なしか暗い。
彼女たちも、何とかして入院している重傷者たちを助けたいのだ。
部屋に戻ると、中で待っていたミランダが、暗い表情のヴィオレーヌたちにわずかに眉を寄せた。
けれども何も訊かない。病院に視察に行けばこうなると、わかっていたかのようだった。
「殿下、お話が……」
「ああ。……悪いが、ミランダたちは出て行ってくれ」
二人きりで話したいとルーファスが言ったため、ジョージーナとルーシャが一礼して部屋を出て行く。
ミランダだけは、お茶の準備をすると言ったので、彼女がお茶を入れてくれるまで待った。
ソファの前のローテーブルの上にティーセットが用意され、ミランダが部屋を出て行く。
当たり前のようにヴィオレーヌの隣に座るルーファスが、紅茶に角砂糖を一つだけ落とした。
スプーンでティーカップの中身をかき混ぜる小さな音がやけに大きく聞こえる。
「聖魔術は使うな」
もう砂糖は解けただろうに、執拗にティーカップの中をかき混ぜながらルーファスが言った。
「使わない方がいい。気持ちはわかるし、俺もあいつらを助けたいと思うけれど……、お前が聖魔術を使えると知る人間は少ない方がいい」
「……はい」
同じく聖魔術の使い手である王都の大司祭の領分を犯すことになるのは避けなければならないし、必要以上にヴィオレーヌが目立つのも、あまりよろしくない。
マグドネル国の耳に入れば、あちらがヴィオレーヌを取り戻そうと動く可能性もあった。
この先、ヴィオレーヌが王太子妃から王妃になって、地盤が盤石になれば、公表してもいい時が来るかもしれないけれど、それは今ではないのだ。
それはわかっている。
わかっているのだけれど――、助ける力があるのに助けられないのは、ひどくもどかしい。
「ポーションは、あとどのくらい作って大丈夫ですか?」
「予算的には、あと三百にとどめておいてほしいと思っている」
「三百では……」
病院に入院していた重傷者の数は五十人近くいた。
三百では、あっという間に底をついてしまう。
(でも、ポーションは今、ファーバー公爵が一本当たり金貨二枚まで価格を吊り上げてしまっている。今回、スチュワート様の許可を得て一本当たり大銀貨五枚までは下げられたけれど、三百本で大銀貨千五百枚……大金貨十五枚。これまで作った分を合わせると大金貨二十枚以上……)
ダンスタブル辺境伯がその一部を支払うと考えても、ルーファスはかなり無理をしていると思う。すでにほかの領地や大臣たちから肩入れしすぎだと批判が出てもおかしくない金額だ。
周囲の人間は、ヴィオレーヌがポーションを作っているとは知らない。
ゆえにスチュワートの商会から個別で仕入れてダンスタブル辺境伯に配ったと、周囲の人間は思うだろう。
ポーションが貴重品になっている今、ルーファスに厳しい視線が集まっても不思議ではなかった。
「スチュワートに頼んで、ダンスタブル辺境伯領でポーションを販売してもらおうとは思っている。だが、無償配布はできない」
「そうですね……」
ヴィオレーヌが滞在中にたくさんポーションを作って、三百を超えた分は販売という形を取らせるとは言ったけれど、無償ではないので贅沢な使い方はできないだろう。
(助けられるのに……)
ヴィオレーヌは手のひらを見つめて、それをぎゅっと握りしめた。
ルーファスはゆっくりと紅茶を飲み干して、意を決したように顔を上げた。
「そこで、だ。相談なんだが……、君が作った改良版のポーションを、今回限りということで、こっそりと重症患者に飲ませるのはどうだろう? もちろん、リスクは大きい。病院関係者や、患者たちが全員口をつぐむ保証はないからな。だが、あれだけ効果の高い改良版のポーションだ。……あれがあれば彼は、ほとんど完治するのではないか?」
「いいんですか……?」
「今後のことを思えば、隠しておいた方がいいと思う。だが……君も、今のままでは後味が悪いだろう? 俺も助けられるのならば助けたい」
決して口外しないと約束させて、今回だけ特別に改良版ポーションを使ってはどうかとルーファスが言う。
改良版ポーションはヴィオレーヌの作るハイポーションには遠く及ばないが、通常の聖魔術の使い手が作るポーションには引けを取らない。それならば、彼らを助けることはできるだろう。
「殿下、改良版ポーションはかなり性能がいいので、ミランダがどんな金額をつけるかわかりませんよ……?」
払えるのか、とヴィオレーヌが心配そうな顔をすると、ルーファスはにやりと笑った。
「心配は無用だ。通常のポーションをスチュワートの商会を通して売ると契約したが、改良版ポーションは契約に入らない。いくらで売ろうと……例えば無償で配ろうと、文句を言う人間はいない。なぜなら今回は、内緒で配るんだからな」
ヴィオレーヌはぱちぱちと目をしばたたいた。
(それは……、ずると言わないかしら?)
ミランダが聞けば激怒しそうだが、「内緒」なのであるから、ミランダがお金を取るのもおかしいとルーファスは言った。秘密――すなわち事実として残さないのだから、そこに金銭のやり取りが発生するのはおかしいと、何とも強引な持論を展開する。
ヴィオレーヌはつい、ぷっと噴き出してしまった。
「ふ、ふふ……、それは素敵な案だと思います」
「そうだろう? 全員分、改良版ポーションが作れるか?」
「もちろんです」
「では、俺はダンスタブル辺境伯に秘密の相談をしてこよう」
いたずらっ子のような顔をして、ルーファスが席を立つ。
去り際、彼がくすぐるようにヴィオレーヌの頬を撫でて行って――ヴィオレーヌは赤くなって彼に触れられた頬を抑えた。
その部分が、熱いほどに熱を持っている。
しばらく頬を抑えていると、ベッドの上で我が物顔で寝ていたアルベルダが向くりと起き上がって、ふんっと笑った。
「男女の仲とは、一日二日でずいぶんと変化するもんじゃのぅ」
ヴィオレーヌは真っ赤になって、無言で彼にクッションを投げつけた。
対面の座るアルフレヒトも、行きと違ってやけに静かだ。
隣のルーファスも黙っていて、馬車の車輪の音と馬の足音だけが響いている。
ヴィオレーヌが入院している彼らに対してできるのは、ポーションを作ることだけだ。
けれどもヴィオレーヌは永遠にダンスタブル辺境伯領にいられるわけではない。
残党兵の問題が片付いたのだ、ルーファスも落ち着けば王都へ戻るはずである。ヴィオレーヌだけが残るわけにはいかない。
そうなると、ダンスタブル辺境伯領にはまたポーションが届かなくなる。
滞在中にたくさんのポーションを作ったとしても、重傷者に数日おきに飲ませていたらすぐに底をつくだろう。
そうなったとき、彼らが回復していればいいけれど、そうである保証はない。
それから、予算の問題もある。
ヴィオレーヌがいくら頑張ってポーションを作っても、無償ではないのだ。
ルーファスの出費が、彼の個人予算によるものなのか、それとも国の予算からなのかはわからない。
どちらにせよ、ダンスタブル辺境伯領にお金をかけすぎると、よそから反発が上がるだろう。
ミランダに頼み込んで無料にしてもらうことができるかどうかはわからない。それをすることで、他から「自分たちも」という声が上がると非常に困るからだ。
ただの貴族であれば、懇意にしているところへの援助として片付けられただろう。
しかしルーファスは王太子、ヴィオレーヌは王太子妃だ。
どこかにだけ肩入れをするわけにはいかない。
王族とはままならないものだと思う。
モルディア国は小さな国だったので、ある程度は融通が利いた。
貴族間の軋轢も権力闘争も少なく、言ってしまえば、全員が家族のような温かい国だった。
国土面積が小さく人口も少なかったので、皆が協力し助け合って生きていく文化だったのだ。
大国ルウェルハスト国では、モルディア国の理屈は通用しないのである。
帰ったら、ルーファスに予算を確認しなければならない。
それによって、作成するポーションの数を決めなければならず――、場合によっては、今後は満足に重傷者に配れない数になってしまうかもしれなかった。
馬車が辺境伯城の前に到着し、ルーファスにエスコートされて降りる。
アルフレヒトは父である辺境伯に報告があるというので、ルーファスとともに部屋に向かった。
後ろをついてくるジョージーナとルーシャの表情も、心なしか暗い。
彼女たちも、何とかして入院している重傷者たちを助けたいのだ。
部屋に戻ると、中で待っていたミランダが、暗い表情のヴィオレーヌたちにわずかに眉を寄せた。
けれども何も訊かない。病院に視察に行けばこうなると、わかっていたかのようだった。
「殿下、お話が……」
「ああ。……悪いが、ミランダたちは出て行ってくれ」
二人きりで話したいとルーファスが言ったため、ジョージーナとルーシャが一礼して部屋を出て行く。
ミランダだけは、お茶の準備をすると言ったので、彼女がお茶を入れてくれるまで待った。
ソファの前のローテーブルの上にティーセットが用意され、ミランダが部屋を出て行く。
当たり前のようにヴィオレーヌの隣に座るルーファスが、紅茶に角砂糖を一つだけ落とした。
スプーンでティーカップの中身をかき混ぜる小さな音がやけに大きく聞こえる。
「聖魔術は使うな」
もう砂糖は解けただろうに、執拗にティーカップの中をかき混ぜながらルーファスが言った。
「使わない方がいい。気持ちはわかるし、俺もあいつらを助けたいと思うけれど……、お前が聖魔術を使えると知る人間は少ない方がいい」
「……はい」
同じく聖魔術の使い手である王都の大司祭の領分を犯すことになるのは避けなければならないし、必要以上にヴィオレーヌが目立つのも、あまりよろしくない。
マグドネル国の耳に入れば、あちらがヴィオレーヌを取り戻そうと動く可能性もあった。
この先、ヴィオレーヌが王太子妃から王妃になって、地盤が盤石になれば、公表してもいい時が来るかもしれないけれど、それは今ではないのだ。
それはわかっている。
わかっているのだけれど――、助ける力があるのに助けられないのは、ひどくもどかしい。
「ポーションは、あとどのくらい作って大丈夫ですか?」
「予算的には、あと三百にとどめておいてほしいと思っている」
「三百では……」
病院に入院していた重傷者の数は五十人近くいた。
三百では、あっという間に底をついてしまう。
(でも、ポーションは今、ファーバー公爵が一本当たり金貨二枚まで価格を吊り上げてしまっている。今回、スチュワート様の許可を得て一本当たり大銀貨五枚までは下げられたけれど、三百本で大銀貨千五百枚……大金貨十五枚。これまで作った分を合わせると大金貨二十枚以上……)
ダンスタブル辺境伯がその一部を支払うと考えても、ルーファスはかなり無理をしていると思う。すでにほかの領地や大臣たちから肩入れしすぎだと批判が出てもおかしくない金額だ。
周囲の人間は、ヴィオレーヌがポーションを作っているとは知らない。
ゆえにスチュワートの商会から個別で仕入れてダンスタブル辺境伯に配ったと、周囲の人間は思うだろう。
ポーションが貴重品になっている今、ルーファスに厳しい視線が集まっても不思議ではなかった。
「スチュワートに頼んで、ダンスタブル辺境伯領でポーションを販売してもらおうとは思っている。だが、無償配布はできない」
「そうですね……」
ヴィオレーヌが滞在中にたくさんポーションを作って、三百を超えた分は販売という形を取らせるとは言ったけれど、無償ではないので贅沢な使い方はできないだろう。
(助けられるのに……)
ヴィオレーヌは手のひらを見つめて、それをぎゅっと握りしめた。
ルーファスはゆっくりと紅茶を飲み干して、意を決したように顔を上げた。
「そこで、だ。相談なんだが……、君が作った改良版のポーションを、今回限りということで、こっそりと重症患者に飲ませるのはどうだろう? もちろん、リスクは大きい。病院関係者や、患者たちが全員口をつぐむ保証はないからな。だが、あれだけ効果の高い改良版のポーションだ。……あれがあれば彼は、ほとんど完治するのではないか?」
「いいんですか……?」
「今後のことを思えば、隠しておいた方がいいと思う。だが……君も、今のままでは後味が悪いだろう? 俺も助けられるのならば助けたい」
決して口外しないと約束させて、今回だけ特別に改良版ポーションを使ってはどうかとルーファスが言う。
改良版ポーションはヴィオレーヌの作るハイポーションには遠く及ばないが、通常の聖魔術の使い手が作るポーションには引けを取らない。それならば、彼らを助けることはできるだろう。
「殿下、改良版ポーションはかなり性能がいいので、ミランダがどんな金額をつけるかわかりませんよ……?」
払えるのか、とヴィオレーヌが心配そうな顔をすると、ルーファスはにやりと笑った。
「心配は無用だ。通常のポーションをスチュワートの商会を通して売ると契約したが、改良版ポーションは契約に入らない。いくらで売ろうと……例えば無償で配ろうと、文句を言う人間はいない。なぜなら今回は、内緒で配るんだからな」
ヴィオレーヌはぱちぱちと目をしばたたいた。
(それは……、ずると言わないかしら?)
ミランダが聞けば激怒しそうだが、「内緒」なのであるから、ミランダがお金を取るのもおかしいとルーファスは言った。秘密――すなわち事実として残さないのだから、そこに金銭のやり取りが発生するのはおかしいと、何とも強引な持論を展開する。
ヴィオレーヌはつい、ぷっと噴き出してしまった。
「ふ、ふふ……、それは素敵な案だと思います」
「そうだろう? 全員分、改良版ポーションが作れるか?」
「もちろんです」
「では、俺はダンスタブル辺境伯に秘密の相談をしてこよう」
いたずらっ子のような顔をして、ルーファスが席を立つ。
去り際、彼がくすぐるようにヴィオレーヌの頬を撫でて行って――ヴィオレーヌは赤くなって彼に触れられた頬を抑えた。
その部分が、熱いほどに熱を持っている。
しばらく頬を抑えていると、ベッドの上で我が物顔で寝ていたアルベルダが向くりと起き上がって、ふんっと笑った。
「男女の仲とは、一日二日でずいぶんと変化するもんじゃのぅ」
ヴィオレーヌは真っ赤になって、無言で彼にクッションを投げつけた。
応援ありがとうございます!
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