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第一部 夫の生殺与奪の権利、いただきます

森の中の戦い 3

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 日もだいぶ傾いたころに、目的地に到着した。
 残党兵の根城から少し離れた場所である。
 北西のあたりに崖があり、その崖に追い詰めるような形で残党兵を追い込んでいく作戦だ。

 作戦開始時間はあと一刻のち。
 こちらから第二軍の様子は見えないが、おそらくあちらも到着している頃だろう。
 茂みや木の陰に身を潜ませつつ、少しの変化も見逃さないように息を殺す。
 残党兵はこの先に天幕などを張り、身を潜ませているという。

(戦争が終わって一年……。ここでダンスタブル辺境伯軍と小競り合いを繰り返しながら生き残っているのだから相当な手練れたちだとは思うけれど……)

 違和感がぬぐえないのは何故だろう。
 どれほどの手練れであろうとも、一年もこのような場所に潜伏しながら辺境伯軍と小競り合いを続けていて、何故彼らは疲弊しないのだろうか。

(食料を森で調達できたとしても、無理があるのではないかしら? 特にここは冬が早く雪深い地だわ。雪に覆われれば食べ物もろくに取れないはず。怪我人や病人が出ても満足な治療も行えない。ポーションを持っていたとしても新しく仕入れるのは不可能。普通なら、一年持たずに討伐されていてもおかしくないのに)

 別の村や町から略奪でもしているのだろうか。しかしそうであれば情報として流れてくるはずだ。気づかれないように田畑から略奪しているのだろうか。

(それとも、国境を越えたマグドネル国から援助でもあるのかしら……?)

 もしそうなら大問題だ。
 戦に負け属国となったマグドネル国が残党兵を支援してダンスタブル辺境伯領を落とそうとしているのであれば、ルウェルハスト国はそれを許さないだろう。少なくともルーファスは許さない。
 そして再び開戦となれば、モルディア国はまた巻き込まれる。

(……属国になるに当たり魔術協定を結んだと言うけれど、あれは、抜け道があるもの)

 魔術協定でマグドネル国はルウェルハスト国に逆らわないという協定を結んだ。
 しかしその協定は、結んだ本人にのみ有効で、全国民が対象ではない。

 今回の協定で言えば、マグドネル国王と王太子の二人がその対象だ。
 マグドネル国がルウェルハスト国に歯向かったと明確な証拠があれば、ルウェルハスト国は結んだ魔術協定により、二人の命を簡単に刈り取ることができる。ルウェルハスト国にある控えを燃やせばいいのだから、それこそ一瞬のことだろう。

 もちろん、それには制約もある。
 マグドネル国がルウェルハスト国に歯向かい刃を向けたという明確な事実がなければ、控えの魔術紙を燃やしたルウェルハスト国王が命を落とす。

(だからマグドネル国王や王太子は、簡単には魔術協定を破れない。もし歯向かうつもりであれば、控えの魔術紙を奪ってからでないと自分たちに命の危険が生じる。……でも、例えば、二人ではない第三者が、二人の命の危険をも顧みず開戦を望んでいたら?)

 その可能性は皆無ではないのだ。
 だからルウェルハスト国は、マグドネル国に監視のための人物を送り込んでいる。
 ただし、監視も完璧ではないだろう。監視の目をかいくぐって開戦をもくろんでいる人物がいないとも限らない。

(って、あくまで可能性の話だけど)

 そういう可能性も、ゼロではないということだ。
 マグドネル国が関与しているにしろ、いないにしろ、残党兵たちが今日までそれほど疲弊せずダンスタブル辺境伯軍と渡り合えるだけの力を維持し続けていたことはおかしいのである。

(わたしが気づいたんだもの、殿下も恐らく気づいているわよね。……殿下はまだ、マグドネル国と再び戦争をして、うち滅ぼしたいと思ってるのかしら?)

 そうであれば、残党兵の背後にマグドネル国がいるとわかった時点で彼は行動に起こすだろう。
 そうなったとき、ヴィオレーヌは人質扱いになるだろうが、マグドネル国王の養女であるヴィオレーヌの人質としての価値は弱い。
 そしてモルディア国は、ルウェルハスト国にヴィオレーヌを人質に取られても、同盟国マグドネル国に逆らうことはできないだろう。
 どうあってもモルディア国は巻き込まれ、ヴィオレーヌが守りの聖魔術をかけられない今、恐らくとんでもない被害が出るはずだ。

(そんなの、絶対に嫌……!)

 けれど現実にそうなったとき、ヴィオレーヌはどうするだろう。
 ヴィオレーヌとルーファスの心臓はつながっている。
 ヴィオレーヌが死ねば、ルーファスも死ぬ。彼が死ねば、戦は止まるだろうか。――答えは、否だ。
 ルウェルハスト国王がいくら温厚な人物だとは言え、刃を剥いた相手をのさばらせておくような愚王ではない。そんな愚王には、大国の王は務まらない。
 モルディア国の平穏のためには、何が何でも戦争を回避しなくてはならないのだ。

 唇をかみしめて、最悪の事態を回避するためにはどうすべきかを考えていると、隣にいたルーファスにぎゅっと手を握られた。
 驚いて彼の横顔を見上げると、彼は険しい顔のまま虚空を睨んでいて何も言わない。
 しかし、手のひら越しに伝わってくる優しい体温に、まるで彼に「大丈夫だ」と言われているような気がした。
 何が大丈夫なのかヴィオレーヌにはわからない。
 だが、今の彼は、問答無用で戦争を起こしたりはしないのではないかと、根拠のない信頼が胸の内に広がる。

 嫁いできて数か月。
 ルーファスのことを、まだそれほど知っているわけではない。
 最初はとても憎まれているのが伝わって来たし、冷たかったと思う。
 けれども、彼は少しずつ変化していって、今ではヴィオレーヌの話にも耳を傾けてくれるようになった。

 だから――大丈夫。
 敵国の王女なんて憎くて仕方がないだろうに、その感情を押し殺して、ヴィオレーヌを気遣い向き合おうとしてくれているルーファスは、信じられる。

(残党兵を討伐。そして戦争も回避。――大丈夫)

 ヴィオレーヌはくっと顔を上げ、作戦がはじまる時間を待った。



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