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第一部 夫の生殺与奪の権利、いただきます

北へ 4

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「体調はどうだ? 馬車に酔ったらすぐに言えよ」
(いったい今日は、どうしたのかしら?)

 馬車に揺られながら、ヴィオレーヌは内心首を傾げていた。
 馬車の中にはヴィオレーヌとルーファス、そして師匠である黒猫しかいない。
 ミランダたちは後続の馬車に乗っているので、「体調はどうだ?」という問いかけは、間違いなくヴィオレーヌに向けられたものだろう。
 王宮にいたときも、ルーファスの態度は多少軟化はしていたが、ヴィオレーヌの体調を気遣うようなそぶりを、しかも三十分おきくらいに見せるのは、はっきり言っておかしい。

(なんか今朝から様子がおかしいのよね。昨日、何かあったのかしら?)

 今朝起きてから、ルーファスがやたらと優しい――気がする。
 朝食の席では、デザートに出てきたプリンが美味しいと言えば彼の分もくれたし、馬車に乗る際は手を貸してくれた。
 馬車に乗った後も、今日は移動距離が長いから体調が悪くなればすぐに言えと言って、そのあと何度もこうして体調を確認するような言葉をかけられている。

「師匠、昨日の夜、何かありました? 何者かが侵入してきたとか」

 小声で、ヴィオレーヌの膝の上で丸くなっているアルベルダに訊ねると、彼は軽く目を開けて面白そうににんまりと笑った。

「侵入者など来なかったぞぃ。ただ――」
「黒猫殿、ジャーキーがあるが、食べるか?」

 アルベルダが何か言いかけたが、絶妙なタイミングでかぶせられてルーファスの言葉に、食いしん坊な彼はピーンと耳を尖らせた。

「もらおうっ」
「……師匠」

 ルーファスにジャーキーをもらってご満悦のアルベルダが、ヴィオレーヌの膝から降りて、座席の上でもしゃもしゃと食べはじめる。
 アルベルダのことだ、腹が膨れたらそのまま寝るに違いない。この師匠はすっかり、食べて寝る猫人生を謳歌している。

(ただ――、って、何を言いかけたのかしら。報告がないってことはたいした問題ではないとは思うけど)

 やはり何かがあったのだろう。
 その何かとルーファスの変化には関係があるのだろうか。
 じっとルーファスを見つめると、ヴィオレーヌの視線に気づいた彼がぱっと顔を横に向ける。その目元が少し赤いような気がして、熱でもあるのだろうかとヴィオレーヌは首をひねった。

「次の休憩地まではあと二時間ほどだ。そのあと野営地まで休みがない。……少しでも体調が悪いと感じたら座席に横になっていたほうがいい」
「わかりました」
「それから、今日使う野営地だが、付近に獣が多い場所だ。夜通し火を焚くから寄ってくることはないだろうが、一人でふらふらしないように」
「はい」
「……お前には、悪いことをしたと思っている」
「え?」

 ぽそり、と後悔のにじんだ声で言われて、ヴィオレーヌは目をしばたたいた。

「俺の一存でお前を同行者に選んだからな。一緒にいてくれた方が何かと助かるとは思ったが、意見を聞くべきだったと、思っている」

 珍しいこともあるものだ。
 ヴィオレーヌをやたらと気遣ってくれることと言い、今の謝罪と言い、本当にルーファスに何があったのだろうか。

「王宮にいるより外の方が気が楽でしょうから、わたしは構いませんよ」
「その王宮のことについても……、面倒な場所に押し込んで悪かった」
「面倒な場所と言いますけど、王宮が王族の住処なんですから、わたしだけ違う場所に住むのもおかしいでしょう?」
「そういう意味じゃない……」

 もしかして、アラベラを何とかしろとか、母であるジークリンデを立てて味方になれとか、ヴィオレーヌに頼んだそれらのことを指しているのだろうか。
 特にアラベラの件は面倒なことを頼まれたなとは思ったけれど、遅かれ早かれルーファスの正妃になる以上、側妃に大きな顔をさせておくわけにはいかない。ルーファスに頼まれていなくとも、アラベラのことは放置できなかったはずだ。
 王宮でうまく立ち回ることが、ひいてはモルディア国のためになるのだから、ルーファスに詫びてもらう必要はどこにもないのだ。

 ルーファスがぎゅっと目を閉じて、そして息を吐き出す。

「それから……、お前の命を狙ったことだが、申し訳なかったと、思っている」
(本当に、今日はいったいどうしたの……?)

 ルーファスの皮をかぶった別人だろうかと疑いたくなるほど、その、いつもの彼らしくない。

「あの時は、俺の中ではあれが最善だと思っていた。敵国の姫など娶りたくないし、マグドネル国は許せない。お前を殺して宣戦布告し、今度こそマグドネル国を亡ぼすことが俺の中では最善だったんだ。今は……、その、お前を失わなくてよかったと、思っている。悪かった」

 人に謝り慣れていないのだろう。
 ぶっきらぼうで、少し居心地が悪そうな横顔に、ヴィオレーヌはくすりと笑う。

 ルーファスは悪かったと言ったが、彼は自分と国のために判断して行動しただけだ。
 開戦した際、ヴィオレーヌがモルディア国の国民を優先したのと何ら変わらない。
 その国の王族である以上、優先すべきは国と国民で、他国の王族や国民ではないのだ。
 もしヴィオレーヌがルーファスと同じ立場で、そうすることがモルディア国のためになると判断すれば、同じことをしなかったという保証はない。

 結果としてヴィオレーヌは生き残り、ルーファスに利用価値があると判断された。
 だから彼は謝罪をしたが、もしヴィオレーヌがただのお荷物でしかなかったなら彼は謝罪なんてしなかっただろう。

 それでいいのだ。
 それが、王族なのだから。
 王族は――特に、王や次期王になるものは、己の行動を悔いてはならない。下にいるものが、困惑してしまうから。

 一度目の人生が終わり、赤子からやり直すことになったとき、ヴィオレーヌはモルディア国のために生きようと決めた。
 ヴィオレーヌの選択により、ヴィオレーヌが体験した一度目の人生では死なずに生き残った人が、今の世では死んでいるかもしれない。
 モルディア国の国民を守るためにかけた加護のせいで散った命があるかもしれない。
 けれども、それを悔いてはならないと思っている。
 その命の重みは一生ヴィオレーヌが背負わなければならない代償だが、悔いてはならないのだ。

 実際に、ヴィオレーヌは後悔していない。
 誰かを守ろうと思えば誰かが犠牲になる。
 特に戦場であれば、それは自然の摂理だと言えるだろう。
 だから後悔しない。
 そして――、ルーファスも、後悔してはならない。

 もしルーファスが、ヴィオレーヌを含むマグドネル国の一行を襲ったことが間違いだったと言えば、実行に移した兵士や騎士たちはどう思うだろう。
 たとえ間違いだったと思っても、彼はそれを口にしてはならないのだ。

「……謝ってくださった、その気持ちは嬉しいです。でも今日以降、それを口にしてはダメですよ」

 ルーファスがハッとしたようにこちらを向いて、困ったように眉尻を下げた。

「そう、だな」
「それに、わたしも大概なことをしましたし」

 とん、と自分の胸を指さすと、ルーファスが何とも言えない顔になる。

「まったくだ」
「そこはたいしたことないって言ってください」
「たいしたことあるだろう! お前は、とんでもないことをする女だ。命がつながっている夫婦なんて、どこを探しても存在しないぞ」
「そうでしょうね」

 くすくすと笑うと、ルーファスがふっと相好を崩す。
 皮肉も何も乗っていない、彼にしては珍しく純粋な笑顔だと思った。



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