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第一部 夫の生殺与奪の権利、いただきます

まずは収入源が必要です 2

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 着替えをすませて、ヴィオレーヌは部屋の守りをルーシャに任せ、ジョージーナを伴ってメインダイニングに降りた。
 メインダイニングにはすでにリアーヌが座っていて、ヴィオレーヌを見つけるとにこりと微笑んでくれる。

「おはようございます、ヴィオレーヌ様。今日は春の雰囲気によく似合う素敵なお召し物ですね」
「ありがとうございます。リアーヌ様。リアーヌ様のその薄いピンク色のドレスも、春の可憐な花のようで素敵ですわ」

 ヴィオレーヌはルーファスの正妃なので、リアーヌよりも上座の席が用意されている。
 使用人の案内に従って席に着くと、ジョージーナが背後に控えた。
 それを見て、リアーヌが頬に手を当てて困ったような顔をした。

「昨日の晩餐でもそうでしたが、ヴィオレーヌ様は騎士を伴って食事に来られますのね」

 そういうリアーナの背後にいるのは騎士ではなく彼女の侍女である。
 騎士を伴って来るのは警戒しているように見られるのだろうなと思いつつ、ヴィオレーヌは軽く頷いた。

「わたくしにはまだ侍女がおりませんので、ジョージーナには侍女の仕事も代わりにしていただいているのです。彼女の負担が大きいので、早いうちに侍女を雇わなくてはと思っているのですが……」

 問題は、人選とそれからお金の問題だ。
 ヴィオレーヌの侍女を雇うお金は、ヴィオレーヌの予算から出されるのが本来のことなのだが、王都に来る前にルーファスが言った言葉が正しければ、妨害があってヴィオレーヌに予算が回されない可能性があるということだった。
 そうなれば、侍女を雇うためのお金はヴィオレーヌ本人が工面しなければならなくなる。

 ジョージーナやルーシャにしてもそうだ。
 彼女は騎士団に籍を置いているので、今のところ騎士団から給料が支払われているが、本日彼女たちから忠誠を受け取った。つまりは近いうちに、騎士団から借りている護衛騎士ではなく、専属の護衛騎士として移動せねばならない。そうなると費用はヴィオレーヌ持ちだ。
 正妃ともなれば側近の数も多くなるので、妨害がなければヴィオレーヌの予算から充分に出せる金額なのだろうが、妨害があった場合はそれも難しくなるのだ。

(これは急いで金策が必要ね)

 まずは、側近の給料はひと月にいかほどなのかルーファスに聞いてみなければならない。
 一か月に必要な金額をまとめて、どのくらいのお金を稼ぐ必要があるのかを計算しなければならないのだ。
 さらに、正妃の立場で稼ぐ方法も考えなければならない。
 まさか正妃が堂々と働きに出るわけにはいかないので、お金を稼ぐにしても周囲に気づかれない方法で稼ぐ必要があるのだ。

(いきなり難問にぶち当たってしまったわ……)

 ルーファスがマグドネル国からの支度金をまるまるヴィオレーヌに渡してくれたので、当面の間はこれで工面できるかもしれないが、さすがに一年はもつまい。
 側近たちの給料に加えて、ヴィオレーヌ自身の装いなどにもお金がかかるのだ。

(魔術とか剣術だけじゃなくて、お金の稼ぎかたも勉強しておくんだったわ……)

 あの日生き延びれば何とかなると思っていたが、生き延びた後の生活のことも考えるべきだった。悔やんでももう遅いが、早急に方法を探さねば。
 笑顔を顔に張り付けたまま、その下であーでもないこーでもないとヴィオレーヌが悩んでいると、ジョージーナがにこりと答えた。

「ヴィオレーヌ様のお役に立てるのです。わたくしは負担など感じておりません」

 胸を張って答えたジョージーナに、リアーナが目を丸くする。

「まあ……、ヴィオレーヌ様は、護衛騎士に信頼されていらっしゃるのね」
「え?」
「当然です」

 考え事をしていたためにすぐに反応できなかったヴィオレーヌに代わり、ジョージーナがまた胸を張って答えた。
 リアーヌがジョージーナとヴィオレーヌを交互に見て、こてりと首を傾げる。

「……昨日、ヴィオレーヌ様が魔術を使われたと聞きましたけど、それも関係があるのかしら?」

 無邪気を装っているが、これは探られていると考えていいのだろう。
 リアーヌの紺色の瞳が、まっすぐにこちらに向けられている。
 さて、なんて答えたものかと悩んでいたとき、メインダイニングにルーファスが顔を出した。

「お前たち、早いな」
「新参者が最後に入るのは失礼でしょう?」
「お前は変なところで気を使うんだな。正妃なんだから堂々としていればいいのに」

 あきれ顔をして、ルーファスがダイニングテーブルを挟んでヴィオレーヌの対面に座した。
 並び順は、上座から国王夫妻、ルーファスとヴィオレーヌ、第二王子クラーク、そしてルーファスの側妃であるリアーヌとアラベラの順らしい。
 昨夜もだが、席の順番を見てアラベラが鬼の形相になっていたので、今朝も何か嫌味を言われるかもしれなかった。

「ルーファス殿下とヴィオレーヌ様は、仲がよろしいのね」

 リアーヌの言葉に、ルーファスは一瞬困った顔をしたが、ここで下手に否定するのは得策でないと思ったらしい。

「ここまでの移動に一か月ほどあったからな」

 まるでその一か月の間に仲を深めたと言わんばかりの言い方に、ヴィオレーヌの方が落ち着かなくなった。
 そんな事実は一つもないが、彼同様、王宮で生き抜くためにはヴィオレーヌも否定することができない。

(王太子と正妃の仲がいいと思わせておいた方が都合がいいものね。……モルディア国の平和のためにも)

 気恥ずかしいが、ここは我慢しておくべきだろう。
 心臓を縛られてヴィオレーヌに生殺与奪の権利を握られたルーファスが我慢しているのだから、いくら真実と異なろうとヴィオレーヌも我慢しなければならない。
 にこりと微笑んでおくと、ルーファスも口端を持ち上げて笑い返してきたので、笑って黙っておくのが得策なようだ。

 二人の笑みは秘密を共有している共犯者のそれだったが、リアーヌには仲のいい夫婦の笑みに見えたらしい。
 意外なものを見たと言わんばかりの顔をされた。

 しばらくすると、ルーファスの弟王子クラークと国王夫妻が入って来た。
 そして最後に、まるで女王のように堂々とした様子でアラベラがメインダイニングにやって来る。

 今日の彼女は薔薇の花びらのように幾重にも生地が重なった深紅のドレスを着ていた。ドレスのスカート部分には宝石で作られているのだろうか、キラキラと輝くビーズがたくさん縫い付けられていて、目がチカチカする。

 国王夫妻のあとに入ってきて、どうしてこんなに偉そうなのだろうかと思ったが、彼女のこれはいつものことらしく、国王夫妻も気にした様子はない。
 なんとなく、ルーファスが居心地が悪そうだ。

(まあそうよね。妃の教育は、夫である殿下の責任になるものね)

 アラベラが何かやらかすたびにルーファスの評判に傷がつくのである。可愛そうに。
 アラベラは何を言っても聞かなそうなので、きっとあとでルーファスが「妃を教育するように」と叱られるのだろう。

 二人の侍女を伴ってやって来たアラベラは、自分の席を見て鼻に皺を寄せたが、昨日と同じだったので文句は言わなかった。昨日は散々文句を言っていたが、何を言っても席順が変わらないと理解したのだろうか。
 ただ、文句は出なかったが、じろりとこちらを睨んできたけれど。

 食事が乗せられたワゴンが運ばれてくる。
 前菜のサラダとスープがテーブルに運ばれたところで、ヴィオレーヌはぎゅっと眉を寄せた。

 ヴィオレーヌだけ、メニューが違う。

 眉を寄せたヴィオレーヌに気づいたルーファスとリアーヌが、ヴィオレーヌの手元の皿を見てさっと表情をこわばらせた。

「どういう――」

 声を荒げかけたルーファスに向かって軽く手を上げる。
 ここで騒げば思うつぼだろう。
 出されたものも食べられないのかと、いらぬいちゃもんをつけられるだけだ。

(それにしても、これとはね……)

 明らかに変色して腐っている野菜のサラダに、同じように腐っているとしか思えない具の入ったスープ。わざわざヴィオレーヌのために腐った食材を集めさせたのだろうか。手の込んだ嫌がらせをしてくれる。きっと作らされた料理人も大変だっただろう。

(でも、これのおかげで王宮内のことが少しわかったわね)

 アラベラの権力は、思っていた以上に高いようだ。
 少なくとも料理人は彼女に逆らえない立場であると判明できた。
 王弟ファーバー公爵の権威はそれほどなのだろうか。
 国王もヴィオレーヌの皿に気が付いてさっと表情を変えたが、ヴィオレーヌが首を振ると何か言いたそうな顔のまま、けれども何も言わなかった。

「あら、ヴィオレーヌ様、お召し上がりにならないの?」

 この場にいる全員の表情が険しいというのに、アラベラはくすくすと笑いながらスープを口に入れる。
 アラベラの後ろの侍女たちも、面白い見世物を見たくらいの顔でこちらを見ていた。アラベラだけでなく彼女の側近たちも敵だと判断していいだろう。

「ええ、今から頂きますわ」
「ヴィオレーヌ……」

 やめておけ、とルーファスが首を横に振った。
 ヴィオレーヌは微笑んで、スプーンを手に取る。――その直後。

 ひゅっと、ルーファスや背後のジョージーナ、ヴィオレーヌの手元を見ていたリアーヌが息を呑んだ。遅れて国王夫妻も大きく目を見開く。
 ヴィオレーヌの手元の料理が、変わっていたからだ。

 同時に――

「きゃああああああ‼」

 アラベラから、悲鳴が上がった。
 全員がそちらに視線を向けると、アラベラの手元にあった料理が、先ほどまでヴィオレーヌの目の前に置かれていたものに変わっている。ヴィオレーヌが、自分の目の前の料理とアラベラの料理を魔術を使って交換したのだ。

(売られた喧嘩は買う主義だって、言ったでしょう?)

 ヴィオレーヌは嫣然と微笑んで、アラベラに視線を向けた。

「まあ、どうかなさいまして、アラベラ様?」
「このっ、性悪女‼」

 アラベラが大声で叫んで、それから勢いよく立ち上がった。

「気分が悪いですわ‼ 失礼いたします‼」

 この場で一番身分が高い国王の許可なく出て行くなんてとあきれたが、王も咎めるつもりはないらしい。
 アラベラが憤然とメインダイニングから出て行くと、茫然としてそれを見つめていた国王が、小さく噴き出した。

「ふ、ははっ、ひ、久しぶりに、面白いものを見たぞ……っ」
「あなた、笑っては……」

 王妃が王を咎めようとするも、彼女も必死で笑いたいのを我慢しているようなおかしな顔になっている。
 クラークも噴き出し、リアーナは扇を広げて顔を隠してしまった。
 ルーファスがあきれ顔をして、はあ、と息を吐き出す。

「お前は……」
「あら、わたしが何かいたしましたでしょうか?」

 とぼけて見せると、ルーファスが軽く手を上げた。

「ヴィオレーヌの料理を入れ替えてくれ。……入れ替えたところで、それは先ほどアラベラが手を付けただろう? 正妃が側妃の下げ渡しを口にしたと思われるからな」

 そういうものなのか。
 ルーファスの指示に、使用人たちが慌ただしく動き出す。

 今度は、きちんとした食事がヴィオレーヌの前に出された。
 念のためこっそり魔術で毒検知をしてみたが、毒物は混入していないようだ。

 ちらりとジョージーナを振り返ると、彼女は満面の笑みでこっそり親指を立てる。
 よくやった、ということらしい。



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