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第一部 夫の生殺与奪の権利、いただきます

聖女の力 1

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 エインズワース辺境伯城を出発して十日。
 それは唐突に訪れた。

「野盗だ!」

 怒号のような叫びが馬車の中まで響き渡ってきて、直後、がくんと大きく揺れて馬車が停まる。

「野盗ですって?」

 耳を疑いながら馬車の窓に張り付けば、馬車を護衛していた兵士や騎士たちがバタバタと動き回っているのが見えた。
 馬車の周囲の守りを固めているのだろう。

 かちゃり、と物音がするので振り向くと、ルーファスが馬車の足元に置いていた剣を手にしていた。
 ルーファスの表情は険しい。

「殿下……」
「モルディア国では珍しいのかもしれないが、別にここではそう珍しいことではない。まあ、できるだけ野盗が出なさそうな場所を選んだつもりだったが、運が悪かったな」
「運が悪かったって……」

 そもそも野盗が珍しくないとはどういうことなのだろうか。
 怪訝がっていると、「お前は案外世間知らずだな」と笑われた。
 馬鹿にされたのかと思ったが、表情を見るにそうでもなさそうだ。

「戦争の長期化で、マグドネル国でもルウェルハスト国でも物資が不足していた。農工具も武器を作るために奪われ、満足に畑を耕すことができないところに兵糧として多くの食料が巻き上げられていく。食うに困った農民たちが徒党を組んで野盗化したんだ。他にも、マグドネル国の兵士もいるかもしれない。戦から逃げたものたちが食うためにしているのだろう」
「マグドネル国の兵士ならマグドネル国に帰ればいいじゃないですか」
「馬鹿かお前は。わが身可愛さで戦場から逃亡した兵を、戦が終わったからといってマグドネル国が受け入れるはずがないだろう。戻ったところで、戦って死ななかったことを責められ、国賊として処刑されるのがおちだ」

 そういうものなのだろうか。
 ヴィオレーヌは、どんな手段を用いてもモルディア国の兵士たちには生き延びてほしかった。

(つまり、野盗と言っても戦争の被害者なんじゃない)

 ヴィオレーヌはきゅっと唇をかむ。
 相手が戦争の被害者だからといって、王太子の乗る馬車を襲ったのだ、許されることではないだろう。

「……食糧配給とか、していないんですか」
「どこも物資が足りない。まだ終戦して一年だぞ。……貴族連中が、自分たちの食い扶持を平民に回すと思うか? 国の備蓄から多少の食糧配給は行っているが、苦しい中必死に働いている民ならばまだしも、野盗に回す食糧などはない」

 ルーファスの言い分はもっともだった。
 戦で生活水準が下がっている貴族が、平民のためにさらに己の生活水準を下げるとはヴィオレーヌも思えない。

 モルディア国は貴族と平民の垣根が低いので平民のための援助をしている貴族は大勢いたけれど、それでも平民と同じレベルまで生活水準を下げて我慢しようとするものはいなかった。
 それが身分差というもので、そこの違いを完全になくしてしまうと、貴族の権威が地に落ちる。
 食糧配給にしてもそうだ。優先されるのは国のために汗水流して働いているものたちで、他人の金品を奪おうと暴徒化している野盗ではない。

 わかっては、いるのだが。

(それが戦争のせいだと言われると、どうしても、ね……)

 ここは割り切らなければならない問題だ。
 モルディア国内のことならばいざ知らず、ルウェルハスト国内の問題である。ヴィオレーヌがしゃしゃり出るのはおかしいし、どんな理由があれ、徒党を組んで他人を襲っているのだ。同情する余地がないとは言わないが、彼らは優先的に国から守られる立場ではない。

「……どうやら、状況はあまり思わしくないようだな。数が多いのかもしれん」

 いつでも外に出られるように剣を片手にルーファスが外の様子を探っている。
 耳を凝らさなくとも、金属同士がぶつかり合う音や怒鳴り声や叫び声が渦のように響いていた。

 ヴィオレーヌも、窓から外を伺う。
 奥の方に数人の兵士が血だらけで倒れているのが見える。
 馬車の窓から見えるということは、かなり近くまで野盗たちがいるということだ。
 元農民の野盗が訓練された兵士よりも強いはずがないので、ルーファスの言う通りきっと数で上回っているのだと思う。

「お前はここにいろ」
「どうなさるおつもりですか?」
「どうもなにも、この状態だ。俺も出る」
「……は?」

 王太子が、野盗討伐に出る?

 このような状況下において、もっとも守られるべき存在が外に出ると言い出して、ヴィオレーヌはさすがに慌てた。

「危険では?」
「馬鹿にするな。あの時も、お前が魔術使いでなければ俺が勝っていた」

 そういう問題ではないのだが。
 確かにルーファスの剣の腕は相当だと思う。しかし、本来王族は守られる立場にあって、戦場においても後方で指揮をする立場だ。危険に自ら身を投じようとする王族がどこにいるだろうか。
 何を言えば留まるだろうかと考えていると、馬車のドアノブに手をかけたルーファスが肩越しに振り返ってにやりと笑った。

「なんだ、俺が心配か?」

 揶揄い口調の声に、ヴィオレーヌはムッとした。

「心配などしておりません!」
「そうか、ならそこで大人しく俺の帰りを待っていろ」
「あ!」

 止める間もなく馬車から飛び出して行ったルーファスに、ヴィオレーヌは頭を抱えたくなった。
 いくらルーファスが強くとも、相手の人数によっては苦戦を強いられるだろう。
 訓練された兵士と違って、我流で武器を振り回す相手は、意外と戦いにくいものだ。隙も多いが、予想できないような攻撃を繰り出してくる。

(わたしが出れば早い、けど……)

 せっかくルーファスが黙ってくれているのだ、魔術が使えることは知られたくない。
 ルーファスが言う通り、ここで野盗を退けるのを待っているのが正解だろうか。
 外から響いてくる争いの音に焦燥に駆られながら、ヴィオレーヌはぎゅっと両手を握り締めた。

 どれだけの人数がいるのだろう。
 こちらの被害はいかほどだろうか。

 別に、ヴィオレーヌに対して嫌悪感を隠そうとしないルウェルハスト国の兵士たちを守ってやる義理はない。

 ない、のだが。

(殿下が死んだらわたしも死ぬからね。これは、わたしのためよ)

 ヴィオレーヌは大きく息を吐き出すと、馬車の座席の下から己の剣を引っ張り出した。
 己の剣と言っても、もともとはルーファスのものなのだが。

 渓谷で襲われた際に適当に拾ってきた剣をそのまま自分のものとしようとしたヴィオレーヌに、モルディア国の紋章が入っている剣を持っていたら兵士たちの神経を刺激するからやめろと言われたのだ。
 ほかに持っていないと突っぱねようとしたら、仕方がないと言ってルーファスの剣を一本くれた。彼が持っている中で一番細身の剣で、女でも使いやすいだろうと言って。
 もちろん、ヴィオレーヌに武器を与えたルーファスに彼の護衛騎士たちは、嫁いできたとはいえ敵国の王女に武器を持たせるのは何事かと怒っていたけれど。

 ルーファスにしてみれば、ヴィオレーヌと自分の心臓がつながっている時点でヴィオレーヌが彼に剣を向けることはないと判断したようだが、それを護衛騎士たちは知らないので、怒るのは当然だろう。
 この剣のおかげで騎士や兵士たちからより警戒されるようになったけれど、もともと受け入れられていないのだから気にする必要もないだろうと、ヴィオレーヌはありがたく剣を受け取っておいたのだ。

 剣を鞘から抜いて、ヴィオレーヌは馬車のドアノブに手をかける。
 戦争被害者である野盗に剣を向けたくない気持ちはまだ少しあるが、相手が引かないのであれば仕方がない。やらなければこちらがやられる。ヴィオレーヌだって、さすがにそのくらいは理解していた。
 馬車から降りると、馬車の近くにいた男がギョッと目を見開いた。

(確か……ファース卿だったかしらね。第二騎士団団長の)

 カルヴィン・ファースという名前だったはずだ。彼はルーファスの筆頭護衛騎士で、ファース男爵と聞いた。ヴィオレーヌを警戒しているのは間違いないが、それでも他の兵士や騎士たちと違って、ヴィオレーヌを避けようとはしないので、彼とは一応会話が成立する。

「馬車にお戻りください」

 カルヴィンが険しい表情で言った。
 ヴィオレーヌはそれを聞き流し、ざっと周囲の様子を見る。
 敵も味方も大勢が倒れていたが、まだ大勢の野盗らしき男たちの姿がある。
 そのうち何人かが農工具のような即席武器ではなく剣を手にしていたので、彼らは元マグドネル国兵かもしれない。

(これはちょっと、厳しいわね)

 それでも、ルーファスが参戦したからだろうか、こちらのほうが優勢だ。
 これでカルヴィンが出ればもっと戦況が変わるだろうが、口惜しそうな彼の様子を見るに、ルーファスから馬車を守るように命じられたのだろう。
 ざっと状況判断を終えて剣を構えると、ヴィオレーヌはカルヴィンを一瞥した。

「ファース卿も討伐に参戦いただいてかまいませんよ。わたしは、自分の身は自分で守れます」
「その細腕で何を――」
「信じていただけないのならそれで結構ですが、ファース卿は殿下の護衛騎士。殿下の御身を守るのが仕事でしょう?」
「……殿下の正妃となられたヴィオレーヌ妃殿下をお守りすることも、仕事でございますが」

 これは意外な答えが返って来たなとヴィオレーヌは目を見張った。
 ヴィオレーヌのことよりもルーファスを優先したいだろうに、カルヴィンは仕事と己の感情をきっちり切り分けるタイプなのだろうか。

(いえ、不満そうな顔をしているから、しっかり切り分けられているのとは違うわね)

 ヴィオレーヌは少し考えた。

「わたしを守ることも仕事に入っているということは、わたしもファース卿の主ということでいいのかしら」
「そうなりますね……」
「そう、じゃあ都合がいいわ。ファース卿、主であるわたしが命じます。殿下をお守りにしながら野盗を蹴散らしなさい」
「は?」
「話している時間が惜しいので、わたしはもう行きます」
「な――、妃殿下⁉」

 タンッと地を蹴って、ヴィオレーヌはドレスのスカートをひるがえして走り出す。
 ルーファスがいる前方は今のところ大丈夫そうだ。
 問題は後方。こちらは押されぎみである。

「死にたくなければ撤退しなさい‼」

 大声で叫んで、ヴィオレーヌはこちらに向かって来ようとする野盗相手に剣を閃かせた。
 細腕のヴィオレーヌに、あっさり武器が弾き飛ばされた男が愕然と目を見開く。
 驚愕している男の腹に蹴りをお見舞いして横に吹き飛ばすと、すぐさま次の男に剣を叩きつけた。
 一応剣の腹を使ったが、重たい一撃を肩にくらった男がその場に膝をつく。

 茫然としているのは、野盗だけではなかった。
 兵士たちも何が起こっているのかと瞠目してこちらに視線を向けている。
 そんな彼らを、ヴィオレーヌは一括した。

「呆けてないで陣営を立て直しなさい‼ 死にたいの⁉」

 戦後で人手不足かもしれないが、彼らは王太子の護衛役としてついてきた割には程度が低すぎる。
 ルーファスが自分も出るというはずだ。
 ルーファスの護衛騎士はまだまともだが、それ以外の兵士がこの体たらくでは、自分が出ると言いたくなるのもわかる気がした。

(よくこれでマグドネル国の騎士や兵士たちを一掃で来たものだわ)

 人数差があったとはいえ、彼らは渓谷でヴィオレーヌの監視役としてついてきていたマグドネル国の騎士や兵士たちを全滅させた。
 まあ、マグドネル国側も戦後の人材難で、大した人間はつけていなかったのだろう。そうでなければ、この統率力で全滅させるのは不可能だっただろう。
 改めて、戦死者を一人も出さなかったモルディア国の状況が特殊なのだと思い知らされた。もしかしたら、今なら小国モルディア国がマグドネル国やルウェルハスト国に勝てるかもしれない。

(ま、お父様は争いごとが嫌いだし、小さな国でのんびり君主をやっているのが性に合っているなんて言うくらい欲のない人だから、そんなことはしないでしょうけどね)

 父が野心家であれば、ヴィオレーヌは戦場に立たされていたはずだ。一人で千の騎士をも圧倒するヴィオレーヌを出さなかった時点で、父に他国を侵略し国土を増やそうという野心など皆無なのである。

 ヴィオレーヌの一喝に、兵士たちがハッとしたように武器を構えて態勢を整えはじめる。
 ヴィオレーヌが、一人、また一人と野盗たちを戦闘不能にするたびに、兵士たちが彼らを縛り上げたりしているのが見えた。統率力はいまいちだが、王太子に仕えるだけあって、彼らも無暗に命を奪ったりはしない。捕らえて情報を吐かせる方が得策だとわかっている。
 戦後まだ一年でバタバタしているが、落ち着けば国から野盗討伐の兵が出されるだろう。そのときのために情報は多い方がいい。野盗たちに、横のつながりもあるかもしれないし。

 ヴィオレーヌが相手を戦闘不能にし、兵士たちが捕らえていくという構図が出来上がってしばらくして、野盗たちがばらばらと撤退をはじめた。勝てないと判断したようだ。
 この状態で逃げる彼らを深追いするのは得策とは言えないので、逃げる分には放置である。この人数で野盗を全滅するのは厳しいし、兵士たちの最重要任務は王太子の護衛だ。野盗討伐ではない。さすがに優先順位はわかっているようだった。

「おい! なぜ馬車から出た!」

 ヴィオレーヌが周囲の被害確認をしていると、息を切らせながらルーファスが走って来た。
 見たところ、彼に怪我はないようだ。

「何故と言われても、その方が戦況が上向くと判断したからですわ。殿下と同じです」

 しれっと返してやると、ルーファスの顔が険しくなる。
 これは怒っているなと思ったが、怒られる理由がわからなかった。別にルーファスはヴィオレーヌを守りたいわけではなかろう。

「お前は――」

 ヴィオレーヌは怒鳴られることを覚悟したが、それを止めたのはルーファスを追って来たカルヴィンだった。

「殿下、お気持ちはわかりますが被害確認が先です。妃殿下へのお小言は後になさいませ。それに……見たところ、妃殿下のおかげで、こちらの被害が抑えられたのは間違いなさそうです」
「くそっ、あとで覚えていろよヴィオレーヌ‼」

 ヴィオレーヌは肩をすくめて、それから驚いた。

(今、ヴィオレーヌって言った?)

 ヴィオレーヌのことをずっと「おい」とか「魔女」と呼んでいたルーファスに名前を呼ばれて、不思議な気持ちになったけれど、どうやらルーファスははじめて妻の名前を呼んだことに気づいていないらしい。

 たまたまなのか、もしくはルーファスの中で多少の心の動きがあったのかはわからない。
 でも、名前を呼ばれて悪い気はしなかった。

 ヴィオレーヌは小さく笑って、自分も被害状況を確認するために彼のあとをついて行った。



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