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第三章『不条理な十日間~闇に潜む赤い十文字』
一章-5
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その日の昼から、俺は商売を再開した。
といっても夕方には出発の予定だから、大した稼ぎにはなりそうにない。だけど、商人たちの買い付けや、出発の準備をしているあいだ、隊商がなんの商売もしない――というのは、あまりよろしくない。
材料は昨日の残りがある。さらにいえば意外なことに、フレディがパンを焼いてくれていたおかげで、大した準備もなしに商売が開始できたんだ。
祖父であるバートン・カーターの言葉――「おまえと住む世界が違うのだ」というのは、アリオナさんには伝えていない。
俺は貴族なんかになるつもりはないから、関係がない。
もっとも、俺とアリオナさんが、そこまで深い仲になかどうか――まずは借金をすべて返済しなければ、話にもならないわけだけど。
少し日が傾きかけてきて、空がうっすらと茜色に染まりかけてきた。そろそろ商売も終わりか……と思ったとき、市場の奥からざわめきが聞こえてきた。
人並みを掻き分けるように、大層な行列がやってきた。
兵士に囲まれた中央に居るのは……ミロス公爵だ。まるでモーゼの海割りのように、人が引いていくと、公爵の後ろにはアーサーとエリーンの姿まで見えた。
イヤな予感―というのを、ヒシヒシと感じながら商売を続けていると、案の定というか――公爵一家は厨房馬車の前まで来た。
「やあ、クラネス! 商売は繁盛しておるか?」
……必要以上の大声で名を呼ばれ、俺は目眩を覚えた。
ただでさえ、公爵家がやってきて悪目立ちをしているところに、その公爵本人が親しげに呼びかけるという事態は、個人的には最悪から数えた方が早い状況だ。
俺はできるだけ小声で、ミロス公爵に話しかけた。
「申し訳ありませんが、大声で名を呼ぶのは控えて頂けませんか。その……必要以上に目立ってしまいます」
「おお、そうか? では、次からはそうしよう」
「御理解頂き、感謝致します。それで……その、今回はどのような御用件でしょうか?」
「なにを言っておる。もちろん、おまえの作った料理を食べに来たに決まっておる。孫の分も含めて、三つだ」
「……畏まりました。少々お待ち下さいませ」
俺は手早く三つ分のカーターサンドをこしらえると、お付きの人に手渡した。代金を受け取った俺の前で、ミロス公爵と二人の孫たちは、カーターサンドを食べ始めた。
俺と言えば、高貴な方々がジャンクフードを食べるという光景に、俺は理由のわからない罪悪感に苛まれた。
「変わった食べ物ですが、美味しいです!」
「クラネス様、とても美味しゅうございます」
アーサーとエリーンはにこにこと微笑んできたけど、公爵家の御子息御令嬢がジャンクフードを食べて喜ぶ姿というのは、なんとも――いや、いいやもう。
二人からの礼に、「勿体ない御言葉、ありがとうございます」と返していると、ミロス公爵がカーターサンドを食べ終えた。
「なかなかだったぞ、クラ――店主」
「勿体ない御言葉でございます」
「配下の者たちにも食べさせたいのだが、あと三〇個ほど頂けるかな?」
いきなりの注文に、俺は嬉しさよりも愕然とした。
三〇個という数は、もうすぐ出発する予定の俺には、ちょっと荷が重い。俺は表面上は残念そうな顔をしながら、公爵に頭を下げた。
「公爵様、それだけのご注文を頂けるのは、誠に有り難いお話なのですが……わたくしどもは、もうすぐ出発致します。注文の品は、以上ということで、ご勘弁願いたいのですが……」
「なんと――なら、出発は明日の朝にすれば良いでは無いか」
「ですが、次の町での商売がありますので……夕方には出発せなばならないのです。ほかの商人たちの稼ぎと生活もかかっておりますので……どうか御理解のほどを」
俺の頼みに、ミロス公爵は隊商の馬車列を眺めた。
「ふむ……それであれば彼らに、今夜泊まる分の損失を補填しようじゃないか」
ミロス公爵が指を鳴らすと、兵士の一人が革袋を持ってきた。
……やけに用意周到過ぎる気がする。もしかしたら、俺を明日まで足止めするのが、今回の目的なんだろうか。
革袋を受け取ったユタさんが、判断を仰ぐために俺を振り返ってきた。
判断に迷うところだけど……ここまでやってくれた公爵様の願いは、さすがに断り難かった。無下に断ると、あとが怖いって理由からだけど。
俺は諦めたように頷くと、ユタさんは革袋を持って商人たちのところへ向かった。
「わかりました。それでは、配下の方々の分を御用意致しますが、少々お時間がかかります。出来上がりましたら、御領主様の屋敷へお届け致します。代金もそのときで構いませんが……その段取りでよろしいでしょうか?」
「おお、それは任せよう。それでは皆の者。領主の屋敷へ戻ることにしようか」
公爵ご一行が去って行くのを見送っていると、アリオナさんがやってきた。少し不安げな顔で、厨房馬車の小窓から顔を覗かせていた俺を見上げた。
「あれって、クラネスくんのお爺ちゃんの家にいた、貴族よね。なにをしに来たの?」
「名目上は、カーターサンドの注文だけど……目的は明日の朝までの足止め、かな?」
「足止め……か。なんでそんなことするって思ったわけ?」
アリオナさんの質問に、俺は肩を竦めた。
「さあ……わかんない。俺の推測が間違っているかもしれないしけど、そうとしか思えないんだよね」
明日の朝になって、なにが出るやら。蛇くらいで済めば良いけど、ドラゴン級の厄介ごとが舞い込んでくる気がしてならない。
俺はとりあえず、注文のカーターサンドを作り始めたが、その予感が頭から離れることはなかった。
*
カーター家の屋敷に戻ったミロス公爵は、グラネンスが待っている応接間のドアを開けた。
豪勢な調度類に囲まれた応接間では、柔らかい毛皮に覆われた椅子に座っていたグラネンスが、お茶を飲んでいたところだった。
「まあ、公爵様。お帰りなさいませ。クラネスの様子は、如何でしたでしょうか?」
「うむ。変わった食べ物だが、旨かったぞ――という返答を期待した問いではないのだろう? 出発を明日の朝にするという言質はとったぞ。もっともあの珍妙な料理を、我が兵たちのに食べさせねばならんが」
「あら、そこまでして頂けたのですね。クラネスも喜んでいたのではないでしょうか」
クスクスと微笑むグラネンスに、ミロス公爵は腕を組みながら肩を竦めた。
「いや、そうでもなかったぞ。時間稼ぎということを察したのかもしれんが、最初は困惑していたようだったな」
「そうですか。それでは、当初の予定は変更に?」
「いや……変更などせぬよ。どのみち、次の街までの行程は同じはずだ。その理屈で同行を許可させつつ、王都まで引っ張っていくさ。そこで隊商は解散、あやつは孫たちの近衛として取り立てる」
キッパリと言い切ったミロス公爵に、グラネンスは恭しく頭を下げた。
「是非とも、よろしくお願い申し上げます」
そんなグラネンスとミロス公爵の計画に、聞き耳を立てている者がいた。
応接のドアの前には、衛兵が立っている。しかし隣にある、普段は未使用の客間まで見張りの兵はいなかった。
屋敷に戻って来たミロス公爵のあとをつけ、応接間に入るのを見るや、すぐに隣の客間へと侵入した。
応接間の前にいる衛兵に、その姿は見られたが――誰何などをされない存在。
グラネンスとバートンの孫であり、伯爵家の跡取りであるバランの一人息子。マリオーネは壁に耳をつけなながら、従兄弟の危機を感じ取っていた。
(……クラネス兄さんが、大変だ)
なんとか教えたいが、屋敷から出ることは難しい。まだ幼いマリオーネが一人で外出など許されないし、お供を付けてクラネスに会いに行けば、祖母と公爵に悪巧みを盗み聞きしたことを悟られてしまう。
(どうしよう)
応接間にいる二人に悟られないよう、静かに客間から出たマリオーネは、そのまま庭に出た。
こっそりと外に出る方法を考えたが、屋敷にあるすべての門は、衛兵によって護られている。もちろん、まだ幼いマリオーネが壁を乗り越えることは不可能だ。
庭の中を彷徨う視線が、公爵の馬車列で止まった。
今の時間は、公爵一家を守護する兵士たちが周囲で訓練や休息をしている。
(でも、夜はみんな寝る……よね)
そう考えたマリオーネは、自分の部屋へと戻った。その途中で、洗濯のために籠に入れられていたシーツや、自分の着替えなどを、使用人の目を盗んで持ち出すのを忘れなかった。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
ちょっと本編が短いんじゃ……と思われた方へ。本来、中の人は3000文字くらいを目処にすることを目標にしております。
たまたま、4000文字や5000文字を超えたり、6000文字を超えることもありますが、それは例外ということです。
問題は、その例外のほうが回数が多いってことなんですが……。その件につきましては、どうか黙秘権を行使することをお許し下さいますよう、お願い申し上げます。
とりあえず本編についてですが、クラネスがいう厄介ごとの種を蒔いた回となりました。
……今後の収穫がどうなるか、というところでございます。
最後に。中の人の別作品、「屑スキルが覚醒したら~」で、お気に入りをして下さった方が増えまして。その流れか、本作もお気に入りに登録して下さった方々が増えました。
重ね重ね、ありがとうございます!
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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