さつきの花が咲く夜に

橘 弥久莉

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第九章:さつきの花が咲く夜に

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 翌日の夕方ごろ。
 俺は重厚感のある古いレンガ造りの建物の
入り口をくぐると、談笑しながらこちらに
視線を投げかける学生たちの間を大股で歩き、
教務課へと向かった。

 そして、天井にまで伸びる教務課のガラス
窓の前に立つ。と、その向こうに彼女の姿を
捜すより先に、事務員らしき女性がカラカラ
とガラス窓を開けてくれた。真っ黒な髪を後
ろで玉ねぎのように丸め、角ばったスリムな
メガネを掛けたその女性は、制服姿の俺を
一瞥すると、

 「もしかして、見学希望の学生さんかしら」

 と、落ち着いた声で言った。

 俺は一瞬、どう伝えるべきか迷いながらも、
いえ、と首を振った。

 「大学の見学に来たわけじゃないんです。
実はこちらに勤めている桜井満留さんという
女性に用があって……それで」

 ちらちら、とガラスの向こうを見やりなが
ら口にすると、その女性は、くい、とメガネ
のブリッジ部分を指で持ち上げ、首を傾げた。

 「桜井ですか?そういった者はこちらには
在籍しておりませんが」

 「いえ、そんなはずは……」

 予期せぬ返答に俺は動揺し、思いきり眉を
顰めてしまう。もしかして、如何わしい用件
で訪ねて来たと勘違いされてしまったのだろ
うか?本当は居るのに居ないと嘘をつかれて
しまっては、困る。どう話すべきだろうか?

 俺はしばし思い倦ねると、ほんの少しだけ
話を脚色して彼女に伝えた。

 「実は俺、しばらく前に大学敷地内の中庭
で桜井さんと知り合って、受験のこととかた
めになる話を色々聞かせてもらったんです。
でも、連絡先も聞けないまま来月引っ越さな
きゃならなくなって。ここの教務課で働いて
るって桜井さんから聞いていたので、せめて
最後に挨拶だけでもと思ってこちらに……」

 いま言ったことに矛盾や不審な点はない
だろうか?俺はごくりと唾を呑むと目の前の
厳格そうな女性に、縋るような眼差しを向け
る。するとその女性は、はあ、と溜息をつい
たかと思うと、何とも言えない渋い顔をした。

 「その桜井さんという女性がこの大学の教
務課で働いてる、って言ったんですね?」

 「はい、そうです」

 「でもうちの大学には十の学部があって、
ここの咲田キャンパスだけでも四つの学部が
入ってるんです。教務課は各学部に設けられ
ているから、もしかして他の教務課に在籍し
ている方なんじゃないかしら?」

 「あ」


――迂闊だった。


 彼女がこの建物を振り返って「教務課で働
いている」と言ったものだから、理学部の教
務課なのだと勝手に思い込んでいた。けれど、
他に三つの学部があると言うなら、いまから
全部の学部を当たってみなければならない。

 俺は腕時計を見やると、口を引き結んだ。
 教務課窓口の受付は五時までだ。
 この広すぎるキャンパス内を走り回って、
全部の学部を訪ねて回るのは難しいだろう。

 取りあえず、比較的近くにある医学部の
教務課をいまから訪ねてみようか……。そう、
思案していた俺の耳に、「仕方ないわね」と、
声が聞こえた。
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