さつきの花が咲く夜に

橘 弥久莉

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第六章:忍び寄るもの

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 「満くん……あの、ごめんなさい。他人の
私が、出過ぎたこと言っちゃって」

 満留の声に顔を向けると、満は「いや」と
首を振る。けれどその表情は硬い。

 「満留さんは何も悪くないよ。俺の話を聞
いて、真剣に考えてくれただけだから。けど
やっぱり、母さんに愛情があるっていきなり
言われても、どうしても信じられないんだ。
たとえ、婆ちゃんに否定されたとしても俺の
ことを大事に想うなら愛情を示すべきだし、
あの時だって真っ先に傍に来てほしかった」

 「……うん」

 「なのにあの人は、俺よりも婆ちゃんを
責めることの方を優先したんだ。あの人に
とって俺はいつも一番じゃなくて、仕事が
大事で。婆ちゃんはきっとそのことが不満
だったんだと思う。婆ちゃんは俺にとって
唯一の味方で、一番に俺のことを想ってく
れる人だったから」

 一度すれ違ってしまった気持ちは、重なる
ことが難しいのだろうか?お婆ちゃんが唯一
の味方だと言った満の瞳は確かに、寂しさに
揺れたように見えるのに、彼がそのことに気
付くことはない。


――どう言えば、満の心が動くのだろう?

――どう言えば、凍り付いてしまった心が、
溶けてくれるのだろう?


 満留は必死に次の言葉を探し、口を開こう
とした。――その時だった。

  突然、ギィ、と鈍い音をさせてリビングの
戸が開いたかと思うと、女性の声が飛び込ん
できた。

 「お客さんなの?」

 そのひと言にどきりとしてドアの方を見や
れば、深紅の口紅が印象的な、長身の女性が
立っている。


――満のお母さんだ。


 瞬時にそう察した満留の心臓は早鐘を打ち
鳴らし、額にじわりと汗が滲んだ。

 満留はごくりと唾を呑むと、満とドアの前
に立つ母親とを交互に見た。

 「……ああ。俺の……友達」

 「友達?」

 ぶっきらぼうにそう答えた満に、母親が怪
訝な顔をする。きろり、と鋭い眼差しが自分
に向けられたので、満留は思わず、すっく、
と立ち上がってしまった。

 「あっ、あの私、桜井満留と申しますっ!
満くんとは病院の中庭で知り合って、仲良く
なって、それで、厚かましいとは思ったんで
すけど、お宅までお邪魔してしまいました」

 「病院???」

 母親の眉間にシワが寄る。
 お世辞にも歓迎されていないのが、わかる。
 満留はぎこちない笑みを浮かべながら、
「はい」と小声で頷いた。

 母親は頭の天辺から足の爪先まで、舐める
ように満留を見ると、満に目を向けた。

 にこりと笑みでも浮かべれば絶世の美女と
呼べるかも知れない母親は、けれど笑みを浮
かべるでもなく「はあ」と、あからさまな
ため息をつく。

 「あなた、用もないのにまだ病院に行って
るの?受験生のくせに」

 「あんたに関係ないだろ。それより、何で
いるんだよ。帰ってこねーと思ってたのに」

 まるで、突き放すような言い方だった。
 どちらも、家族とは思えないような態度で、
冷たく言葉を放っている。満留は初めて見る
満の冷えた横顔に心を落ち着かなくさせなが
ら、二人を見守った。
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