彼にはみえない

橘 弥久莉

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episode4 帰れない道

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対岸までは、かなりある。この寒空の下、向こうまで泳いで渡るのは

不可能だろう。そして振り返れば背後に広がっているのは断崖絶壁で、

ここも登ることなど出来そうになかった。




「……どうしよう」

つばさは、初めて自分たちが置かれている状況に気付いて顔を青くした。

「きっと今頃、黒沢が動いてくれてるだろ。俺たちはここで待つしかないよ。

凍死しないようにしながら、な」

そう言うや否や、嵐は立ち上がって次々と服を脱ぎ始めた。どさ、と水分を

含んだコートが投げ出されて、その上に、同じく水分を含んだニット、シャツが

積み上げられていく。つばさは、瞬く間に露わになった嵐の上半身を見て、

今度は顔を赤くした。

「ちょ、ちょっと!!何やってんの、嵐っ!!」

両手で顔を覆いながらも、指の隙間から嵐の躰をチラ見してしまう。

斗哉も無駄な肉ひとつない引き締まった躰だけど、嵐もかなり筋肉質だ。

細いのに腹筋が割れているのがわかる。

「仕方ないだろ?ここは山の中で、今は一月だ。夜まで助けが来なかったら

気温は氷点下になる。今だって濡れた服で体温が下がってるのに、このまま

何時間も待ってたら、凍死しない保証はないよ」

そう言いながら、嵐は脱いだニットをぎゅっ、と絞った。ポタポタと水滴が垂れて、

砂に染みが出来る。そうして、ジーパンまでも脱ぎ捨てるとつばさを振り返った。

「つばさも早く脱げよ。濡れたままの服着てると気持ち悪いし、体温奪われる

だろう?ニットは絞ればすぐに水が切れるから、俺に貸して」

「ええーっ、私もっ!?いっ、いいよ……だって、恥ずかしいし……」

あはは、と乾いた笑いをしながら、つばさはひらひらと顔の前で手を振った。

嵐はパンツ一枚というあられもない姿なのに、恥ずかしがる様子もなく、

いつもの顔で首を振る。

「そんな真っ青な唇で、ガタガタ震えながら何言ってんの?

別に何かしようとか思ってないから、早く脱いで服貸して」

そこまで言うと、ふい、と背を向けて、ばさりとコートの水を切り始める。

その様子を見れば、まるで自分だけが意識しているようで、つばさは

何となく傷付いてしまった。つばさだって、花も恥じらう17歳だ。

まったく女として意識されなければ、それはそれで悲しい。

「わかった。脱げばいいんでしょ、脱げば」

つばさは口を尖らせると、嵐に背を向けて、服を脱ぎ始めた。

重いコートを脱ぎ捨てて、カーディガンのボタンを外す。嵐の言う通り、

冷たいシャツがぴったり躰に張りついていて、気持ち悪い。

日差しはまだ、うっすらと空に残っていたけれど、冷たい風が濡れた

服越しに体温を奪っていくのがわかる。つばさはガタガタ震えながら、

下着姿になった。





「おいで」

胸を隠すように、両腕を握りしめていたつばさを、嵐が呼んだ。振り返れば、

コートを犠牲にして、その上に体育座りをした嵐が手を差し伸べている。

どうやら、躰を温め合おう、ということらしい。つばさは目を見開いて、

顔を赤くした。

「ごめん。嫌だろうけど、間違って凍死したくないからさ。今だけ我慢して」

さっきとは違う優しい声で言って、嵐がつばさの顔を覗く。その顔を見れば、

つばさの服を脱がせるために、あえて素っ気なく言ったのだとわかる。

嵐の頬は僅かに上気していた。つばさは、素直に頷くと、嵐の手を取って

躰を預けた。自分の足の間に座ったつばさを、抱きしめるようにして

水を切ったカーディガンで覆う。嵐も肩からニットをかけていたが、

それよりも、直接触れあっている肌が一番温かいはずだ。凍えてしまい

そうだった指先も、嵐が両手で包んで体温をくれる。辺りはだんだん

薄暗くなって、空気もさらに冷たさを増していたけれど、濡れた服を着て

いたときよりも、寒くはなかった。
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