Star's in the sky with Blood Diamond

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6-3 内命

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「はぁ!? 十億が帝都銀行に戻ってきて、また無くなった!?」
 サイバー犯罪対策課の捜査員が、受話器を握りしめ驚きの声をあげた。
 各々の業務に取り掛かっていただの捜査員が、キーボードを押下する手を一斉に止める。受話器を持つ捜査員は、一斉に集まる視線を気にすることもなく。眉間に皺を寄せて、受話器から流れる言葉をジッと耳を傾けていた。
 緊迫した空気が、久しぶりに遠野の皮膚をピリピリと刺激する。黒いリュックに資機材を丁寧につめながら、遠野は刺激に身を任せてその様子を遠巻きに見ていた。
「なっ……! ふざけるなッ! F県こっちだって業務を抱えてるんだ!!」
 いつもは課内で一番冷静な捜査員である。その捜査員が声を荒げて、乱暴に受話器を置いた。
「どうした、佐野」
「帝都銀行の十億。この件を最重要案件として、他の業務より最優先して取り組むようにと……本庁から」
警察庁本庁も無茶ばかり言うよなぁ……。のに必死なのはわかるけどよ」
 通常業務に追い討ちをかけるように。
 ブラッド・ダイアモンドや警察庁に振り回された捜査員の表情には、疲労の色が濃くあらわれる。捜査員たちは各々深くため息を吐いた。一言二言、言葉を交わしはじめる。
 それでも、前に進まなければならない--。
 過酷な環境にありながら、理不尽な要求にも屈せず、彼らがひたすら捜査に邁進するのは。
『何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、良心のみに従い、不偏不党且つ公平中正に警察職務の遂行に当たること』
 という、心に刻まれた信念によるものだ、と。遠野は眩しそうに彼らを見て、小さく笑った。
 重量が一気に増した黒いリュックを慎重に背負う。キーボードのリズミカルな音と、ざわざわとした捜査独特の音が遠野の耳を刺激する。真摯に捜査に向き合う彼らに声をかけることなく、遠野はそっとサイバー犯罪対策課の執務室をでた。
「あー……久しぶりだなぁ」
 警察本部の中庭を臨む窓を見上げると、四角い空が遠野を包み込む。病室から見上げる、どこまでも続いて見える空とは違い。吸い込まれるような小さな青空は、幾分緊張した遠野の心を和ませた。
「遠野補佐」
「よう、イッチー」
 階段を降りようと、昇降口のドアに手をかけようとした、その時。遠野は、自分の名を呼ぶ市川の声で振り返る。
「本当に、大丈夫なんですか?」
 使いこなした光沢のある革の質感が目を引くブリーフケースを手にした市川は、遠野が離したドアノブをもう片方の手で触れた。
「おまえこそ、大丈夫か?」
 質問したはずの遠野に逆に質問を返され、市川は少し驚くと目を細めて答える。
「大丈夫ですよ。心配には及びません」
「俺も。心配には及ばんよ、市川」
 市川はクスリと笑い、表情を崩した。
「勇刀が下に車を回しています」
「そうか……。悪いな、結局力を借りる羽目になっちまったな」
 遠野は体を揺らし、リュックを背負い直しながら呟いた。靴の踵が階段が鳴らし、その音に紛れてしまうような、独り言にも聞こえる遠野の声音。一歩前、階段を降りる遠野の表情を想像して、市川は苦笑した。
です」
「え? 緒方は大丈夫なのか?」
「予算要求は大体カタが着いたから。と言っていました」
「本当かぁ……?」
「無理はしますが、嘘はつきませんよ。勇刀は」
「ははは! そうだったな!」
 遠野と市川は、軽口を叩きながら警察本部の裏口に出る。重いドアを開けると、出入り口の目の前に一台の黒いSUVが横付けされていた。間髪入れずに、助手席のパワーウィンドウが降りる。中から、緒方が手を振りながら人懐っこい笑顔を見せていた。
「早く乗ってください! せっかくの年休なんですからッ! もたもたしてたら勿体ないですって!」
「緒方……あのなぁ」
 ワザとだとはわかっていても、屈託のない緒方の嘘のない言動に。遠野は己の緊張と毒気が抜けるのを感じた。遠野は車のドアに手をかけると、ゆっくりとした動作で後部座席に滑り込む。
「ま、俺は。警察人生二度目の療養休暇中だけどな」
「じゃあ、いいになるかもッス!」
「アジト?」
 助手席に市川が乗り込むのを横目に見て、緒方はマニュアル車のギアを左手の掌で素早く押した。そして軽やかな手捌きでハンドルを切った。
「温泉もあるらしいです」
「はぁ!? お前ら何を……!?」
「いやぁ! ちょうどいいポイントにあったんスよ!」
「はぁ?」
 「これだから若い奴は」と。
 煙草の煙を鼻先に吹きかけられた二十年ほど前の自分を思い出す。あの頃の自分は、上司を煙に巻くほど利口でもなかったし、そんな度胸もなかったように記憶する。かつて自分に投げつけられた喉元につまる言葉を、遠野は出してしまいたい衝動に駆られた。
 たまらず身を乗り出し、緒方に一言と思ったが。遠野は、ため息を吐いて苦笑いをした。リアシートに深く身を沈め、シートベルトを手にする。
 厭に楽しげな緒方と。幾分表情が柔らかくなった市川。二人を見ていた遠野は〝若い奴ら〟の考えにのってみようと思った。
 どうせなら楽しく乗り切ってやろうじゃないか、と。
(特命……いや、内命というべきかもな)
 遠野は目を閉じた。瞼の裏には、ぼんやりとした人口の灯りの残像が残る。つい一時間前の薄暗い会議室での出来事を、遠野は頭の奥で反芻していた。


「……内偵捜査を、しろと?」
 サイバー犯罪対策課に隣接するF会議室。
 小言の多い看護師から「二度とこないでちょうだい!」と激励をうけ退院した遠野は、迎えにきた黒塗りの公用車に有無を言わさず乗せられた。
 どこにも寄ることもなく、真っ直ぐにF県警察本部に連れてこられた。案内されるがままにF会議室に足を踏み入れる。来客でもないのに予想外の成り行きに、遠野はかなり面食らった。久しぶりに動かす体は、ふわふわとしてどこか落ち着かない。色んな要因が重なり、遠野の鈍った体から、冷や汗が一斉に吹き出した。
 F会議室に一歩足を踏み入れた瞬間に、硬直するほど。遠野は、面前の光景に目を見張った。
「体の調子はどうですか? 遠野補佐」
「課長……!?」
 ワイシャツのボタンを一つ外し、スーツを緩く着こなす。まだ二十代の捜査第二課長・高清水が、ブラインドの降りた窓を背に、遠野を出迎える。
「本庁が色々と迷惑をかけたみたいだね。すまなかった」
「いや……」
 予想だにしない事態に対し未だ思考が追いつかない遠野に、高清水は深々と頭を下げた。
 捜査第二課に異動し、予算要求作業以外は遠野自身、高清水とは特段会話をすることもなかった。どこか寄せ付けない雰囲気を放ち、一線を画す本庁から来たエリート。
 表情が読めないのは薄暗い会議室のせいか、高清水のせいかは分からなかったが、遠野はたまらず生唾を飲み込んだ。
「まだ体力も戻り切らないのに、呼びつけて悪いんだが、遠野補佐に特命を受けてもらいたい」
「特命……ですか?」
 遠野は、なんとなく胸騒ぎがした。
「今回の件、警察庁本庁が派手に動き過ぎている。ここまで事件が膨張してしまうと下手に動けない」
「しかし……俺は、もう」
「長官直々の特命だ」
 胸騒ぎが的中した--。
 同時に、特命がなくとも療養休暇を利用して、密かに動こうとしていた遠野にとって、まるでその高度を見透かしているような。肝を冷やす予感だった。
 遠野はゆっくりと目を閉じ、高清水の言葉と含まれる意味を頭の中で反芻する。
「……優先は?」
 少し間をおいて。絞り出した声を発して、遠野は高清水に問いた。
警察庁本庁は? 三ツ谷すばるとブラッド・ダイアモンド、どちらを優先しろと?」
 ゆっくりと目を開け、真っ直ぐに高清水を見据える遠野。高清水は穏やかな声音から逸脱した鋭い視線を投げつけた。
「遠野補佐ほどの方なら。一連の事件から自ずと理解できるのではないか?」
「……今の答え。それが本当の答えですね? 高清水課長」
 否定も肯定もせず。ただ黙って遠野を見つめる高清水に、遠野は止めていた呼吸をゆっくりと再開した。
 特命の意味を、優先の意味を。
 それを遠野に課す意味を。
 全てを把握した遠野は、体内に溜まっていた何もかもを吐き出す。心中の決意を確かめるように、深くゆっくりと。
「分かりました。その特命、引き受けます」
「……朗報を待っている」
 遠野から目を逸らした高清水は、小さくつぶやいた。
 幾分、疲労がたまり小さく見える高清水の背中に向かって、遠野は姿勢を正して敬礼をする。素早く踵を返すと、遠野は薄暗い会議室のドアを勢いよく開けた。


「遠野補佐!」
 ぼんやりと車外の流れる景色を眺めていた遠野は、緒方の声でハッとした。
「大丈夫ですか? 調子悪いなら、どこかに車を止めるッすよ?」
「……あぁ、大丈夫だ」
「本当ッすか?」
「心配すんな、マジで」
 ルームミラー越しに。いじけたような遠野の姿を確認した緒方は、たまらず頬を緩める。
「遠野補佐が、粗方特定してくださって本当助かりました」
「……すばるの、ためだ」
 車外から目を逸らさずに答えた遠野は、内命を伝える高清水を思い出していた。
 薄暗い室内。表情は見えなかったが、握りしめた高清水の拳は行き場のない力を蓄えていた。
 上司の命令の理不尽さや、本庁の仲間による行動。決して表に出さないが、怒りや悲しみ、苦しみ。色んな感情がせめぎ合っていたに違いない。
〝……朗報を待っている〟
 と、言った高清水の深いところにある心情から言葉が、遠野の胸をチクリと刺した。
 すばるの、高清水の。そして皆の見えない思いが、遠野の手に重なる。
「必ず……成し遂げなきゃ、な」
 自らの強い思いが、緊張感となり、鋭く冷たい刃となって重なる掌を刺激する。
 遠野は得体の知れない痛みを誤魔化すように、拳を握りしめた。
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