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7-1 糸(1)
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深い林道を走るSUV。
その滑らかなボディに景色が反射して、同化する。
対向車も通らないような細い道を抜けると、視界が突然、開けた。目を細めてしまうほどの眩い光が、どこまでも広がる海面に反射する。現実から切り離されたような穏やかな風景は、走り抜けるSUVを風景ごと包み込んだ。
ここ数日のかなりハードな出来事が夢のようだ、と錯覚するほどに。遠野の目に痛いくらい深く入り込む。
「しかし、よく分かったっすね」
遠足にでも行くのではないかと、疑ってしまうくらい。高いテンションと明るい声を発しながら、緒方がハンドルとギアを慣れた手つきで捌いた。
その声に、遠野はぼんやりとした声で答えた。
「コンタクトが取れたんだよ、すばると」
「えッ!? ど、どういうことっすか!?」
動揺した緒方は、遠野の顔を確認しようと思わず後ろを振り返る。なだらかなタイヤの轍が乱れるほど、SUVの車体が左右にぶれた。間髪入れず、助手席に座る市川の手が、ハンドルに伸びる。
「勇刀、前!」
あらぬ角度にぐるりと回ったハンドル。市川は勇刀に鋭く言葉を飛ばすと、助手席から手を伸ばしハンドルを強く支えた。途端に、バツが悪そうな表情をして。勇刀は微妙な笑いをしてハンドルを支える。一気に吹き出した額の汗を腕で拭うと、勇刀はルームミラー越しに遠野の表情を窺った。
普段と変わらない飄々とした表情をした遠野。
ぼんやりと西日の反射する景色を眺める遠野を、勇刀はチラチラと視線を投げて確認する。
瞬間、前方とルームミラーを行き来する勇刀の視線と、窓の外を見ていた遠野の視線がパチンと重なり合った。遠野の中に宿る柔和な視線の中の、力強く鋭い光。緒方はギョッとして慌てて視線を外した。
「んな、動揺するこたぁねぇだろ、緒方」
「でも、どうやって……」
「〝糸〟を」
「〝糸〟?」
「すばるが垂らした、すばるに繋がる。たった一つの〝糸〟を見つけたんだよ」
そう端的に言った遠野は、緒方との会話を中断して、また車外の景色に視線を移す。
「……どう、いうことっすか?」
「ま、時期わかるよ」
遠野の真意が見えない、遠野らしからぬ曖昧な言動。緒方は急に口をつぐむとSUVの車体を海沿いの道に滑らかに沿わせた。
--シン、と。
先ほどまで賑やかっだ車内が、水を打ったように急激に静かになる。SUVの車内にいる三人が一様に口を黙む。そんな車内には、駆動するエンジンの音がやたらと大きく響いていた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
『110000 101011 101001 111110 110000 010101 100100 100111 100110 101000』
黒い画面に表示された緑色の〝new message〟という言葉。すばるは、呼吸すら忘れてエンターキーを押下した。
黒い画面が少し発光し、二進数のメッセージを表示する。すばるは苦笑して呟いた。
『イ マ ハ テ イ コ ウ ス ル ナ』
カナ表記の二進数という、なんとも単純で無骨なメッセージ。それでもすばるの心から不安がサラサラと消えていくには、そう時間もかからなかった。
「……らしいよ、まったく」
目の前に現れた〝希望の糸〟
カンダタの蜘蛛の糸さながら。見えない、実体すらないその糸に手を伸ばす。
痛む背中を無理矢理起こし、すばるは椅子に座った。力強く糸を掴む代わりに。キーボードを慎重に押下する。繋がった糸が千切れないように。そっと、そっと。
遠野の垂らした一条の糸を手繰り寄せた。
『I thought you weren't coming back. I'm glad you're feeling better.(もう、戻ってこないかと思ったよ。君の機嫌が治って、よかった)』
機械的煮た発せられる言葉。その言葉の羅列は、ステラの上機嫌さを微細に反映する。
この暗い部屋に連れて、こられてどれくらい経過したかは不明だが、しばらく経つにも拘らず、相変わらずステラは機械的な声のみですばるに語りかけていた。実体をすばるの前に現したことは、未だない。実体のない手中にある希望の糸とステラの仕掛けた糸が螺旋状に重なる。見えないステラの視覚が、聴覚が。すばるの手中すら見透かしているようで、たまらず拳を握りしめた。
「……That money is not yours!(あんたの金じゃないだろ!」
抵抗するな、と遠野のメッセージを頭の中に響かせながらも。不安な胸中を悟られたくなかったすばるは、ついステラの言葉に反応した。
帝都銀行から奪った十億円。何ヵ国かの金融機関を経由した後、帝都銀行に戻るプログラムを隠していたワームに仕込んでいた。ステラの好きにさせない、とすばるにしかできない抵抗をみせたのだが。結局はステラの脅しに屈し、戻した十億円をまた奪うことになってしまった。
下唇を噛むすばるに、ステラは機械的な笑い声をあげる。
『Welcome.come. I'm glad I was able to be friends with you.(ようこそ。君と仲間になれてよかったよ)』
「Friends?Don't mess with me!(仲間? ふざけるな!」
『You did a good job, didn't you? You are also a great friend.(しっかり仕事もこなしたじゃないか? もう立派な仲間だよ)』
「ッ!!」
脅されたとはいえ、犯した罪の大きさがすばるの華奢な体を押しつぶす。
監視・制限され、インターネットでさえ眺めることができない小さな部屋の中にいても。外の世界では、大きな事件として取り上げられているはずだ。
すばるは、たまらず手の平で口を塞いだ。
色んな感情がせめぎ合い、脳裏を掠めていく。吸った息が上手く肺に流れないほどの強い緊張感と圧迫感に苛まれた、今にも倒れそうになるフラついた体を奮いたたせて、すばるは懸命に保った。
辛い現実が、握りしめた希望の糸の存在を否定するかのように。遠野が繋いだ糸に相応しくないと、すばるの小さく思考を蝕み始める。
(大丈夫……大丈夫だ。遠野さんに、全て任せたんだろ?)
思い詰めた最悪の頭を左右に振り、すばるは足の裏に力を込める。そして実体のない声の方を、グッと睨んだ。
「……なぁ、ステラ」
すばるは、声を押し殺して呟いた。
ステラの挑発にのることもなく、自分の感情を乗せた言葉が薄暗い部屋に響く。
真っ直ぐに、ピンと張り詰めた糸のようなすばるの声。
いつもは機械的な声を弾ませ、軽く答えるステラがなかなか返事をしない。冷たく滞った室内の張り詰めた空気。すばるは、その空気が震えるのをビリビリと肌で感じていた。
「ちゃんと、話そう……ステラ」
『……』
「やっと、お互いちゃんと話せる環境にいるんだから、さ。ねぇ、話そう」
『What do you talk about?(何を話すというんだ?)』
「いい加減やめろよ、ステラ」
『Hahaha!What do you want to quit?(ははは! 何をやめるって?)』
「……ステラ」
普段と何一つ変わらない機械的な声。しかし、ステラの声は、明らかにいつもと違っている。すばるは、その声音すら敏感に感じ取っていた。
自身に絡まるステラの糸を、ゆっくりと剥がして離していくように。
すばるは、大きく息を吸った。
「もう、全部分かってるんだよ」
『What is it?(何が?)』
「大丈夫。まだ誰にも言ってないから……」
『Cut it out!(いい加減にしろ!)』
ステラの口調が鋭く感じるにつれ、すばる自身の感情も昂る。すばるは語尾を強めて、小さな部屋にこだまするほど大きな声を発した。
「大丈夫なんだってば! なつかッ!!」
その滑らかなボディに景色が反射して、同化する。
対向車も通らないような細い道を抜けると、視界が突然、開けた。目を細めてしまうほどの眩い光が、どこまでも広がる海面に反射する。現実から切り離されたような穏やかな風景は、走り抜けるSUVを風景ごと包み込んだ。
ここ数日のかなりハードな出来事が夢のようだ、と錯覚するほどに。遠野の目に痛いくらい深く入り込む。
「しかし、よく分かったっすね」
遠足にでも行くのではないかと、疑ってしまうくらい。高いテンションと明るい声を発しながら、緒方がハンドルとギアを慣れた手つきで捌いた。
その声に、遠野はぼんやりとした声で答えた。
「コンタクトが取れたんだよ、すばると」
「えッ!? ど、どういうことっすか!?」
動揺した緒方は、遠野の顔を確認しようと思わず後ろを振り返る。なだらかなタイヤの轍が乱れるほど、SUVの車体が左右にぶれた。間髪入れず、助手席に座る市川の手が、ハンドルに伸びる。
「勇刀、前!」
あらぬ角度にぐるりと回ったハンドル。市川は勇刀に鋭く言葉を飛ばすと、助手席から手を伸ばしハンドルを強く支えた。途端に、バツが悪そうな表情をして。勇刀は微妙な笑いをしてハンドルを支える。一気に吹き出した額の汗を腕で拭うと、勇刀はルームミラー越しに遠野の表情を窺った。
普段と変わらない飄々とした表情をした遠野。
ぼんやりと西日の反射する景色を眺める遠野を、勇刀はチラチラと視線を投げて確認する。
瞬間、前方とルームミラーを行き来する勇刀の視線と、窓の外を見ていた遠野の視線がパチンと重なり合った。遠野の中に宿る柔和な視線の中の、力強く鋭い光。緒方はギョッとして慌てて視線を外した。
「んな、動揺するこたぁねぇだろ、緒方」
「でも、どうやって……」
「〝糸〟を」
「〝糸〟?」
「すばるが垂らした、すばるに繋がる。たった一つの〝糸〟を見つけたんだよ」
そう端的に言った遠野は、緒方との会話を中断して、また車外の景色に視線を移す。
「……どう、いうことっすか?」
「ま、時期わかるよ」
遠野の真意が見えない、遠野らしからぬ曖昧な言動。緒方は急に口をつぐむとSUVの車体を海沿いの道に滑らかに沿わせた。
--シン、と。
先ほどまで賑やかっだ車内が、水を打ったように急激に静かになる。SUVの車内にいる三人が一様に口を黙む。そんな車内には、駆動するエンジンの音がやたらと大きく響いていた。
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『110000 101011 101001 111110 110000 010101 100100 100111 100110 101000』
黒い画面に表示された緑色の〝new message〟という言葉。すばるは、呼吸すら忘れてエンターキーを押下した。
黒い画面が少し発光し、二進数のメッセージを表示する。すばるは苦笑して呟いた。
『イ マ ハ テ イ コ ウ ス ル ナ』
カナ表記の二進数という、なんとも単純で無骨なメッセージ。それでもすばるの心から不安がサラサラと消えていくには、そう時間もかからなかった。
「……らしいよ、まったく」
目の前に現れた〝希望の糸〟
カンダタの蜘蛛の糸さながら。見えない、実体すらないその糸に手を伸ばす。
痛む背中を無理矢理起こし、すばるは椅子に座った。力強く糸を掴む代わりに。キーボードを慎重に押下する。繋がった糸が千切れないように。そっと、そっと。
遠野の垂らした一条の糸を手繰り寄せた。
『I thought you weren't coming back. I'm glad you're feeling better.(もう、戻ってこないかと思ったよ。君の機嫌が治って、よかった)』
機械的煮た発せられる言葉。その言葉の羅列は、ステラの上機嫌さを微細に反映する。
この暗い部屋に連れて、こられてどれくらい経過したかは不明だが、しばらく経つにも拘らず、相変わらずステラは機械的な声のみですばるに語りかけていた。実体をすばるの前に現したことは、未だない。実体のない手中にある希望の糸とステラの仕掛けた糸が螺旋状に重なる。見えないステラの視覚が、聴覚が。すばるの手中すら見透かしているようで、たまらず拳を握りしめた。
「……That money is not yours!(あんたの金じゃないだろ!」
抵抗するな、と遠野のメッセージを頭の中に響かせながらも。不安な胸中を悟られたくなかったすばるは、ついステラの言葉に反応した。
帝都銀行から奪った十億円。何ヵ国かの金融機関を経由した後、帝都銀行に戻るプログラムを隠していたワームに仕込んでいた。ステラの好きにさせない、とすばるにしかできない抵抗をみせたのだが。結局はステラの脅しに屈し、戻した十億円をまた奪うことになってしまった。
下唇を噛むすばるに、ステラは機械的な笑い声をあげる。
『Welcome.come. I'm glad I was able to be friends with you.(ようこそ。君と仲間になれてよかったよ)』
「Friends?Don't mess with me!(仲間? ふざけるな!」
『You did a good job, didn't you? You are also a great friend.(しっかり仕事もこなしたじゃないか? もう立派な仲間だよ)』
「ッ!!」
脅されたとはいえ、犯した罪の大きさがすばるの華奢な体を押しつぶす。
監視・制限され、インターネットでさえ眺めることができない小さな部屋の中にいても。外の世界では、大きな事件として取り上げられているはずだ。
すばるは、たまらず手の平で口を塞いだ。
色んな感情がせめぎ合い、脳裏を掠めていく。吸った息が上手く肺に流れないほどの強い緊張感と圧迫感に苛まれた、今にも倒れそうになるフラついた体を奮いたたせて、すばるは懸命に保った。
辛い現実が、握りしめた希望の糸の存在を否定するかのように。遠野が繋いだ糸に相応しくないと、すばるの小さく思考を蝕み始める。
(大丈夫……大丈夫だ。遠野さんに、全て任せたんだろ?)
思い詰めた最悪の頭を左右に振り、すばるは足の裏に力を込める。そして実体のない声の方を、グッと睨んだ。
「……なぁ、ステラ」
すばるは、声を押し殺して呟いた。
ステラの挑発にのることもなく、自分の感情を乗せた言葉が薄暗い部屋に響く。
真っ直ぐに、ピンと張り詰めた糸のようなすばるの声。
いつもは機械的な声を弾ませ、軽く答えるステラがなかなか返事をしない。冷たく滞った室内の張り詰めた空気。すばるは、その空気が震えるのをビリビリと肌で感じていた。
「ちゃんと、話そう……ステラ」
『……』
「やっと、お互いちゃんと話せる環境にいるんだから、さ。ねぇ、話そう」
『What do you talk about?(何を話すというんだ?)』
「いい加減やめろよ、ステラ」
『Hahaha!What do you want to quit?(ははは! 何をやめるって?)』
「……ステラ」
普段と何一つ変わらない機械的な声。しかし、ステラの声は、明らかにいつもと違っている。すばるは、その声音すら敏感に感じ取っていた。
自身に絡まるステラの糸を、ゆっくりと剥がして離していくように。
すばるは、大きく息を吸った。
「もう、全部分かってるんだよ」
『What is it?(何が?)』
「大丈夫。まだ誰にも言ってないから……」
『Cut it out!(いい加減にしろ!)』
ステラの口調が鋭く感じるにつれ、すばる自身の感情も昂る。すばるは語尾を強めて、小さな部屋にこだまするほど大きな声を発した。
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