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幼児期編 2話

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 叔父さんは発作が起きると興奮しほとんど動かない足で立ち上がり手当たり次第に物を投げる時があった。
 俺が11歳の頃に事件が起きた。おじさんがたまたまガムテープとともにハサミを投げた。そのはさみがドアに突き刺さった。少し手元が狂っていれば俺に刺さっていたかもしれない。両親は相談し我が家に叔父さんを置いてはおけないという結論を出した。

 おじさんの話を続ける前に父方の親戚の話をしておこう。
 父が病気で倒れた時、父はそのまま亡くなる可能性もあった 。俺が生まれる前の話だ。母は付き添いに行ったが、その間家は留守になっていた。留守になっていた我が家に父方の親戚の何者かが入り込み家の権利書を奪おうとしたと聞いている。真相はわからない。事実を知っている人達は皆亡くなっているか、俺の母のように認知症になっている。

 はっきりとしていることは母が子供を産めなかったことで父方の祖母に責められて心を壊していたということ。父方の祖父の葬式に花輪を送ったらトラックで送り返されたこと。 

 親戚仲は良くなかった。叔父は結局どうなったのかと言うと病院で面倒を見てもらうことになった。その病院と言うのも苦労した。叔父は病院で過ごすことに納得していなかった。病院で暴れるのだ。ある日入院先から連絡が来た。
「はよう迎えに来てください。来んのなら救急車で送りつけますよ」
  あまりの事に母は泣き崩れ父も頭を抱えていた。結局、鉄格子のついた精神科の病院、閉鎖病棟に入院することになった。
  鉄格子と鍵で閉ざされた病棟、閉鎖病棟。エレベーターの前にも鉄格子がある。面会の度に鍵を開けてもらう。家族で叔父さんの様子を見に行く。最低でも2月に1回は面会に行った。おじさんはその病院の中では高齢であったので、長老のごとく慕われていた。入院患者はアルコール中毒の方が多かったが、酒が入らなければそこそこ常識人だったりする 。ブツブツと意味のわからない独り言をしゃべりながらついてくる人もいたが職員さんが間に入ってガードしてくれた。
「こんちわこんちゃーこんちゃーこんちゃーこんちはこんち」
 スルーする。 

 おじさんは視力も弱っていた。ラジオだけが楽しみだった。
「阪神ええとこいっとる。今年は優勝やな」
「おお、小石や。学校はどうや」
 甘いお菓子や段ボール入り缶コーヒーなんかをもっていった。
 差し入れを食べながら楽しそうに語るおじさん 。当時の閉鎖病棟には家族に見捨てられた人がたくさんいた。面会の度に記録簿に名前を残すのだが、1年分の記録の中に我が家以外の名前はめったになかった。一度入院したら面会に来る人は少なかった。

 おじさんは亡くなるまで病院で過ごすことになる。
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