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第十章 仮面のキス
第八話 御用邸Ⅰ
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同じ頃、純白のベアトップロングドレスに蘭は着替えた。母に手伝ってもらい、髪を夜会巻きにする。
そのあいだも、胸は疼き続けていた。
自分の本心に向き合う機会を――あえて見逃すのだ。無抵抗や服従は安逸である。一冴と和解するという面倒ごとから目を逸らし、父に従うという道を自分は選んでいる――菊花からも目を逸らしつつ。
両親も然るべき格好となる。
十八時半ごろ、ホテルを出てタクシーに乗った。
ネオンが窓に流れてゆく。一方、車内は暗い。
やがて御用邸の駐車場に車は止まる。
この御用邸は、元は鈴宮家とも血のつながりのある宮家の邸だった。広い日本庭園の中に、二階建ての洋館がある。現在の主な用途は、迎賓館や御会食所だ。
車を降り、門へと向かう。父が名前を告げると、門衛は一家を御用地へと入れた。
石畳を進んだ先に邸が見える。
空は暗い。都会に星は見えない――漆黒の闇だ。ただ、落ち着いた光が洋館に灯っている。
侍従に導かれ、御用邸へ這入った。
玄関の受付で記帳し、前室へ通される。二十人ほどの男女がそこには集まっていた。
ふと、前方から歩いてきた人物に声をかけられる。
「鈴宮さん。」
蘭は顔を上げる。
紋付き袴を着た麦彦と、黒づくめの山吹が立っていた。
蘭は眉をひそめる――麦彦の顔は白く、げっそりと頬はこけ、くぼんだ目元には黒い隈がついていたからだ。
祐介が口を開く。
「東條さん――お久しぶりです。」
骸骨のような顔に麦彦は笑みを浮かべる。
「ええ、こちらこそ、お久しぶりです。今日はこのような会に参加できるよう取り計らって下さいまして、誠にありがとうございました。」
「あ、いえ――そんな。」
ちらりと、祐介は山吹へ目をやる。
「そちらの方は?」
「ああ、秘書の山吹です。」
山吹は一礼する。
「お初にお目にかかります。」
「本当は、こやつは招待されておらんのですがの。けれども、儂の体調が気になるとかで、とりあえず前室に待機してもらうことにしたのです。」
「はあ――さうですか。」
祐介は曖昧に微笑んでみせる。
「ところで――その、お加減は大丈夫ですか?」
「ええ。お陰様で、健康に毎日すごせておりますよ。」
「それなら何よりですが――」
――本当か知ら?
祝賀会は十九時に始まる。少し時間があるので、賓客たちと会話を交わした。
ふと、前室に這入ってきた者と目が合う。
蘭と対になる――真紅なドレスを彼女はまとっていた。
真希だ。
真希の眼差しに、明確な敵意が一瞬だけ浮かぶ。
蘭は目を逸らした。
葉月王との関係を真希が知っているかは分からない。だが、数か月前まで葉月王とつきあっていたのは真希だ。ならば――この敵意の理由はそれなのか。
やがて祝賀会の時間となった。
賓客たちは広間へと通される。
様々な料理の載ったテーブルが広間には竝んでいた。立食会なので椅子はない。シャンデリアが二つ。生成り色の壁を彩るのは、一つの鶴の絵と、紫の屏風だ。
賓客が広間へ這入り終えたころ、月見宮家の人々が現れた。
先頭を歩くのは、月見宮家の当主・草月王とその妃である。
それに続くのが皆月王だ。いわゆる公家顔であり、風を軽く受けたように髪は固められている。燕尾服に身をまとい、桐花大綬章を着けていた。
その背後を歩くのが葉月王だ。
葉月王の顔は皆月王と似ていた。額の中央で分けられた髪は、その歳に相応しくないほどの上品さがある。
続いて、他の宮家の人々が何人か続いた。
屏風の前に王や女王が竝ぶ。
マイクの前へと草月王が進み、一礼した。
「本日は、皆月の成年の祝賀会にお集まりいただき、誠にありがとうございます。」
その後で皆月王が挨拶をし、乾杯が行われた。
宮家の人々が賓客と会話しだす。
背後から祐介が促した。
「さあ――蘭。殿下に挨拶をしなさい。」
「はい。」
あくまでも自分からは行かないのだ。
蘭は歩きだす。
――仲直りしたいです。
菊花の言葉が頭をかすめた。
その気持ちに応えたいという思いをさえぎるのが、今ある状況と一冴の顔だ。
二人の王子が蘭に気づき、目と目が合う。
王子たちとの挨拶を賓客が次々と終えた。
御前に進む。
最初に声をかけたのは皆月王だった。
「蘭さん、お久しぶりです。」
深々と蘭は頭を下げる。
「殿下もお久しうございます。この度はご成年と渡らせられましたことを謹んでお祝い申し上げます。」
「いえ、畏まらないで下さい。」
続いて、祐介が頭を下げる。
「皆月王殿下、お久しうございます。この度は、ご成年の儀を執り行なはせられましたことを心よりお喜び申し上げます。」
「いえ、いえ。こちらこそ、わたくしの誕生日をお祝いいただきありがとうございます。蘭さんが来ていただいて、特に葉月も嬉しいでしょう。」
隣にいた葉月王が微笑む。
機械的に蘭は頭を下げた。
「葉月王殿下もお久しうございます。再び御尊顔を拝しましたことを心よりお喜び申し上げます。」
「お久しぶりです。こうして蘭さんとお会いできて嬉しいです。以前にお会いしたときよりも、ますますお綺麗になられた。」
「いえ、もったいなうお言葉にございます。」
祐介が口を開く。
「殿下、お久しうござります。――このとほり、年相応の女に蘭も育ちました。今は白山女学院で寮生活を送ってをりますが、女しかをらん環境に閉ぢこもってゐても仕方なからうと存じ、思ひ切って学習院へ転校させようかといふ話を進めてをります。」
「蘭さんが――こちらに来られるのですか?」
咄嗟に湧いてきた本心を、蘭は呑み込む。
「いえ――まだ決めかねてをります。友人とも別れて転校して――東京で一人暮らしを始めるなどとは。」
冷たい声が背後から聞こえる。
「殿下。」
顔を向けると、真希が立っていた。
「御誕辰を謹んでお祝いいたします。ご成年とあらせられて慶賀の極みです。」
皆月王はほほえむ。
「いえ、真希さんもありがとうございます。」
一方、葉月王の顔には陰りが見えた。
「真希さん――こられていたのですか。」
「ええ。月見宮殿下の御招待を賜ったのです。――お厭でしたか?」
「そんなことは――」
真希は蘭へ目をやる。
「蘭さん、もうお話はすみましたの?」
反射的に、はい、とうなづく――王子との会話に乗り気でなく、真希が苦手だからだ。
「それでは、お下がりになられたら? 後がつかえています。」
「はい。」
王子へ一礼してから蘭は御前を離れる。
祐介に目をやると、不快そうな顔をしていた。真希の無礼な態度にもそうだが、やる気がない蘭の態度に苛立ったのだ。申し訳なくなり、蘭は顔をそむける。
麦彦が祐介に声をかけた。
「尾田さん、元気ですのう。」
「えゝ。」
「少し前までは殿下と上手くやっておられたというお噂でしたな。」
「さうですね。」
「けれども、あれが年頃の娘として相応の態度でしょう。同性愛なんてやっとる人間も世の中にはおりますが、人間として間違っておりますな。」
祐介は少し驚いたような顔をしたあと、すぐうなづいた。
「全く仰る通りです。」
そのあいだも、胸は疼き続けていた。
自分の本心に向き合う機会を――あえて見逃すのだ。無抵抗や服従は安逸である。一冴と和解するという面倒ごとから目を逸らし、父に従うという道を自分は選んでいる――菊花からも目を逸らしつつ。
両親も然るべき格好となる。
十八時半ごろ、ホテルを出てタクシーに乗った。
ネオンが窓に流れてゆく。一方、車内は暗い。
やがて御用邸の駐車場に車は止まる。
この御用邸は、元は鈴宮家とも血のつながりのある宮家の邸だった。広い日本庭園の中に、二階建ての洋館がある。現在の主な用途は、迎賓館や御会食所だ。
車を降り、門へと向かう。父が名前を告げると、門衛は一家を御用地へと入れた。
石畳を進んだ先に邸が見える。
空は暗い。都会に星は見えない――漆黒の闇だ。ただ、落ち着いた光が洋館に灯っている。
侍従に導かれ、御用邸へ這入った。
玄関の受付で記帳し、前室へ通される。二十人ほどの男女がそこには集まっていた。
ふと、前方から歩いてきた人物に声をかけられる。
「鈴宮さん。」
蘭は顔を上げる。
紋付き袴を着た麦彦と、黒づくめの山吹が立っていた。
蘭は眉をひそめる――麦彦の顔は白く、げっそりと頬はこけ、くぼんだ目元には黒い隈がついていたからだ。
祐介が口を開く。
「東條さん――お久しぶりです。」
骸骨のような顔に麦彦は笑みを浮かべる。
「ええ、こちらこそ、お久しぶりです。今日はこのような会に参加できるよう取り計らって下さいまして、誠にありがとうございました。」
「あ、いえ――そんな。」
ちらりと、祐介は山吹へ目をやる。
「そちらの方は?」
「ああ、秘書の山吹です。」
山吹は一礼する。
「お初にお目にかかります。」
「本当は、こやつは招待されておらんのですがの。けれども、儂の体調が気になるとかで、とりあえず前室に待機してもらうことにしたのです。」
「はあ――さうですか。」
祐介は曖昧に微笑んでみせる。
「ところで――その、お加減は大丈夫ですか?」
「ええ。お陰様で、健康に毎日すごせておりますよ。」
「それなら何よりですが――」
――本当か知ら?
祝賀会は十九時に始まる。少し時間があるので、賓客たちと会話を交わした。
ふと、前室に這入ってきた者と目が合う。
蘭と対になる――真紅なドレスを彼女はまとっていた。
真希だ。
真希の眼差しに、明確な敵意が一瞬だけ浮かぶ。
蘭は目を逸らした。
葉月王との関係を真希が知っているかは分からない。だが、数か月前まで葉月王とつきあっていたのは真希だ。ならば――この敵意の理由はそれなのか。
やがて祝賀会の時間となった。
賓客たちは広間へと通される。
様々な料理の載ったテーブルが広間には竝んでいた。立食会なので椅子はない。シャンデリアが二つ。生成り色の壁を彩るのは、一つの鶴の絵と、紫の屏風だ。
賓客が広間へ這入り終えたころ、月見宮家の人々が現れた。
先頭を歩くのは、月見宮家の当主・草月王とその妃である。
それに続くのが皆月王だ。いわゆる公家顔であり、風を軽く受けたように髪は固められている。燕尾服に身をまとい、桐花大綬章を着けていた。
その背後を歩くのが葉月王だ。
葉月王の顔は皆月王と似ていた。額の中央で分けられた髪は、その歳に相応しくないほどの上品さがある。
続いて、他の宮家の人々が何人か続いた。
屏風の前に王や女王が竝ぶ。
マイクの前へと草月王が進み、一礼した。
「本日は、皆月の成年の祝賀会にお集まりいただき、誠にありがとうございます。」
その後で皆月王が挨拶をし、乾杯が行われた。
宮家の人々が賓客と会話しだす。
背後から祐介が促した。
「さあ――蘭。殿下に挨拶をしなさい。」
「はい。」
あくまでも自分からは行かないのだ。
蘭は歩きだす。
――仲直りしたいです。
菊花の言葉が頭をかすめた。
その気持ちに応えたいという思いをさえぎるのが、今ある状況と一冴の顔だ。
二人の王子が蘭に気づき、目と目が合う。
王子たちとの挨拶を賓客が次々と終えた。
御前に進む。
最初に声をかけたのは皆月王だった。
「蘭さん、お久しぶりです。」
深々と蘭は頭を下げる。
「殿下もお久しうございます。この度はご成年と渡らせられましたことを謹んでお祝い申し上げます。」
「いえ、畏まらないで下さい。」
続いて、祐介が頭を下げる。
「皆月王殿下、お久しうございます。この度は、ご成年の儀を執り行なはせられましたことを心よりお喜び申し上げます。」
「いえ、いえ。こちらこそ、わたくしの誕生日をお祝いいただきありがとうございます。蘭さんが来ていただいて、特に葉月も嬉しいでしょう。」
隣にいた葉月王が微笑む。
機械的に蘭は頭を下げた。
「葉月王殿下もお久しうございます。再び御尊顔を拝しましたことを心よりお喜び申し上げます。」
「お久しぶりです。こうして蘭さんとお会いできて嬉しいです。以前にお会いしたときよりも、ますますお綺麗になられた。」
「いえ、もったいなうお言葉にございます。」
祐介が口を開く。
「殿下、お久しうござります。――このとほり、年相応の女に蘭も育ちました。今は白山女学院で寮生活を送ってをりますが、女しかをらん環境に閉ぢこもってゐても仕方なからうと存じ、思ひ切って学習院へ転校させようかといふ話を進めてをります。」
「蘭さんが――こちらに来られるのですか?」
咄嗟に湧いてきた本心を、蘭は呑み込む。
「いえ――まだ決めかねてをります。友人とも別れて転校して――東京で一人暮らしを始めるなどとは。」
冷たい声が背後から聞こえる。
「殿下。」
顔を向けると、真希が立っていた。
「御誕辰を謹んでお祝いいたします。ご成年とあらせられて慶賀の極みです。」
皆月王はほほえむ。
「いえ、真希さんもありがとうございます。」
一方、葉月王の顔には陰りが見えた。
「真希さん――こられていたのですか。」
「ええ。月見宮殿下の御招待を賜ったのです。――お厭でしたか?」
「そんなことは――」
真希は蘭へ目をやる。
「蘭さん、もうお話はすみましたの?」
反射的に、はい、とうなづく――王子との会話に乗り気でなく、真希が苦手だからだ。
「それでは、お下がりになられたら? 後がつかえています。」
「はい。」
王子へ一礼してから蘭は御前を離れる。
祐介に目をやると、不快そうな顔をしていた。真希の無礼な態度にもそうだが、やる気がない蘭の態度に苛立ったのだ。申し訳なくなり、蘭は顔をそむける。
麦彦が祐介に声をかけた。
「尾田さん、元気ですのう。」
「えゝ。」
「少し前までは殿下と上手くやっておられたというお噂でしたな。」
「さうですね。」
「けれども、あれが年頃の娘として相応の態度でしょう。同性愛なんてやっとる人間も世の中にはおりますが、人間として間違っておりますな。」
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