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第十章 仮面のキス
第七話 一〇五号室Ⅰ
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菊花と蘭の交信が途切れたまま夕刻が迫る。
十七時ごろ、一冴は下足場へ向かった。夕食当番は十八時に厨房へ集まる決まりだ。その前に準備を済まさなければならない。
一冴は怖かった。
菊花のシナリオに全てを賭けたい。しかし、成功するかどうか分からない。拒絶される可能性も高い。何しろ――蘭の居場所を奪ったのは自分だ。全て破綻して失敗するかもしれない。
以前、告白したとき以上に怖い。シナリオの始まる時が――本当は来てほしくなかった。
こっそりと自分の靴を持ち出し、一〇五号室へ戻る。部屋に待っていたのは梨恵と菊花だ。テーブルは元の位置に戻されている。
窓辺に敷かれた新聞紙へと靴を置く。
一つの包みを菊花はさしだした。
「じゃ――いちごちゃん、そろそろ。」
「うん。」
包みを受け取り、衣装を取り出す。
服を脱ぎ、着替え始めた――新しい自分になるために。
濃紺のワンピースをまとい、紅いリボンを頸で結ぶ。白いエプロンは背中で結ばなければならない――これは梨恵にやってもらう。頭には、カチューシャと白いリボンをつける。
そして、アイメイクを梨恵から軽く施された。
本格的なメイクをしたのは初めてだ。心なしか梨恵は愉しそうである。
「はい――完成!」
言って、梨恵は鏡を見せた。
硝子に写る自分の姿に驚く。
菊花から初めて女装を教わった時を思い出した。けれども、そのときとは変わり方が違う。
まがい物の少女。まがい物のメイド。まがい物の恋人。まるで着せ替え人形になったような気分だ。実際、あらゆる意味で自分は代替物である。
「やっぱ可愛えが? ――自信持ちない。」
「うん。」
たとえ受け入れられたとしても蘭は傷つく。到底、「蘭のためにやる」とは言えない。
ただ――自分の恋のさらなる破滅を防ぎたいのだ。中学校の図書室で出会い、あの雨上がりの光景を目にして高まったこの想いは、胸の中で今も熱い。
「どしたん、菊花ちゃん?」
梨恵の声で一冴は頭を上げる。
ぼうっとした顔を菊花は向けていた。切れ長の目から、ひとすじの雫がほほを伝っている。
「え――」
慌てて菊花は涙を拭う。泣いていることに自分でも気づかなかったのだ。一雫だけで涙は終わった。
「いや――その――」
きれいで――と菊花は言う。
靄のようなものが一冴の中で消えた。
――きれいで。
直後に、困惑が訪れる――あまりに突拍子もなかったからだ。菊花はこんな性格だっただろうか。
実際、梨恵も驚いていた。
「え、それが泣いた理由?」
「うん――きれいだよ。」少し紅い目を菊花は向ける。「いちごちゃん、まるでウェディングドレスみたい。」
何かを察し、梨恵は優しげな顔となった。
「ほんになー。今日のいちごちゃん、きれいだな。」
褒められて、逆に居心地が悪くなる。
スマートフォンから紅子の声がした。
「朝美先生、玄関の鍵締めたところ。そのまんま厨房に向かってる。」
ありがとう――と梨恵は言う。
菊花が立ち上がった。
「とりあえず、いちごちゃんは『生理痛』ってことにしとくから。朝美先生が部屋に近づくような真似だけは全力で阻止するから安心して。山吹から連絡が来たらすぐ知らせるし――」
そのときは一人で行ってね――と菊花は言った。
十七時ごろ、一冴は下足場へ向かった。夕食当番は十八時に厨房へ集まる決まりだ。その前に準備を済まさなければならない。
一冴は怖かった。
菊花のシナリオに全てを賭けたい。しかし、成功するかどうか分からない。拒絶される可能性も高い。何しろ――蘭の居場所を奪ったのは自分だ。全て破綻して失敗するかもしれない。
以前、告白したとき以上に怖い。シナリオの始まる時が――本当は来てほしくなかった。
こっそりと自分の靴を持ち出し、一〇五号室へ戻る。部屋に待っていたのは梨恵と菊花だ。テーブルは元の位置に戻されている。
窓辺に敷かれた新聞紙へと靴を置く。
一つの包みを菊花はさしだした。
「じゃ――いちごちゃん、そろそろ。」
「うん。」
包みを受け取り、衣装を取り出す。
服を脱ぎ、着替え始めた――新しい自分になるために。
濃紺のワンピースをまとい、紅いリボンを頸で結ぶ。白いエプロンは背中で結ばなければならない――これは梨恵にやってもらう。頭には、カチューシャと白いリボンをつける。
そして、アイメイクを梨恵から軽く施された。
本格的なメイクをしたのは初めてだ。心なしか梨恵は愉しそうである。
「はい――完成!」
言って、梨恵は鏡を見せた。
硝子に写る自分の姿に驚く。
菊花から初めて女装を教わった時を思い出した。けれども、そのときとは変わり方が違う。
まがい物の少女。まがい物のメイド。まがい物の恋人。まるで着せ替え人形になったような気分だ。実際、あらゆる意味で自分は代替物である。
「やっぱ可愛えが? ――自信持ちない。」
「うん。」
たとえ受け入れられたとしても蘭は傷つく。到底、「蘭のためにやる」とは言えない。
ただ――自分の恋のさらなる破滅を防ぎたいのだ。中学校の図書室で出会い、あの雨上がりの光景を目にして高まったこの想いは、胸の中で今も熱い。
「どしたん、菊花ちゃん?」
梨恵の声で一冴は頭を上げる。
ぼうっとした顔を菊花は向けていた。切れ長の目から、ひとすじの雫がほほを伝っている。
「え――」
慌てて菊花は涙を拭う。泣いていることに自分でも気づかなかったのだ。一雫だけで涙は終わった。
「いや――その――」
きれいで――と菊花は言う。
靄のようなものが一冴の中で消えた。
――きれいで。
直後に、困惑が訪れる――あまりに突拍子もなかったからだ。菊花はこんな性格だっただろうか。
実際、梨恵も驚いていた。
「え、それが泣いた理由?」
「うん――きれいだよ。」少し紅い目を菊花は向ける。「いちごちゃん、まるでウェディングドレスみたい。」
何かを察し、梨恵は優しげな顔となった。
「ほんになー。今日のいちごちゃん、きれいだな。」
褒められて、逆に居心地が悪くなる。
スマートフォンから紅子の声がした。
「朝美先生、玄関の鍵締めたところ。そのまんま厨房に向かってる。」
ありがとう――と梨恵は言う。
菊花が立ち上がった。
「とりあえず、いちごちゃんは『生理痛』ってことにしとくから。朝美先生が部屋に近づくような真似だけは全力で阻止するから安心して。山吹から連絡が来たらすぐ知らせるし――」
そのときは一人で行ってね――と菊花は言った。
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