オープンシーズン ~妖精姫は今日も預かりの騎士にいたずらを仕掛ける~

アルカ

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番外編

伯爵、最後の夜 ②

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「希望者の照会状はこれで全部だ」
「お預かりします」
 封書の束を従者が受け取る。明日にでも皆に配られるだろう。
 家に残る者には多めの特別手当を。伯爵家を辞する者には、しっかりとした照会状と退職金を用意した。
 ガーシュ・アイロニー伯爵としての最後の務め。

「テオドール」
 封書を数えていた従者が、顔を上げる。
 焦げ茶色の整えられた髪に、黒い瞳。美男ではないけれど、丈夫そうな骨格の造作と、紳士付きの紳士として身につけた所作の美しさは、好ましい。若いメイドの娘にも、わりと人気があるようだ。

 きちんと名前で呼びかけたのは、久しぶり。彼はフローレンス達双子の、乳母の息子。一緒に育った乳兄弟だった。
 呼ぶ必要もないほど、テオドールは必要なとき、いつも気がつくと傍に居た。

「フローレンス様」
 いつだって二人きりの時、本当の名前で呼んでくれる。まるで輝く宝石を手に取るように、恭しく。
 お母さまが呼ぶのをやめてしまった、本当の名前。
 だから、心の中はフローレンスのままでいられた。

 綱渡りをするフローレンスには、こうして命綱が繋がっていた。
 けれどもう、それは解かなければいけない。
 だって命綱は。
 テオドールは、アイロニー伯爵家の従者なのだから。
 フローレンスはもう、伯爵でなくなる。
 彼の主たる資格を失う。

「照会状も特別手当も要らないと言ったね」
 机越しに見つめる。

「はい」
 テオドールは、フローレンスのクラバットの結び目辺りを見つめている。彼はあまり表情を読ませない。従者らしく主張もあまりしないから、こんな時、意思を汲むのが難しい。
 幼い頃は、もう少し分かり易かったのに。

「確かにテオドールなら、代が叔父上か弟に代わっても重用されるだろう。その点は心配していないよ。二人にも一応、手紙で口添えはしておいた」
 微妙にずらされていた視線がかち合う。テオドールの黒い瞳は、驚いたように見開かれている。

「私のことを、ですか」
「うん。ここに残るのだろう? お前の家族は、代々アイロニー家の執事を勤めあげているわけだし」
 実際領地にある領主館の執事は、彼の父が務めている。
 テオドールはきゅっと口を引き結んで押し黙ってしまった。フローレンスはかまわず続ける。

「だから今夜でお別れになるけれど。散々お前に迷惑を掛けたのだから、今までの働きに見合う贈り物をしたいんだ。何が欲しい? 私物でも何でも、私にあげられるものなら構わないよ。但し今夜までだ。明日には全部、次の伯爵の持ち物になってしまうから」

 男のふりをするフローレンスの、一番の被害者はテオドール。秘密を知る彼は、着付けも、ある場所・・・・での無茶な身代わりだって、一手に引き受けてきた。鬱積と不満が溜まっていたに違いない。フローレンスが彼の立場だったら、いくら祖父の代から仕える家だって、とっくの昔に逃げ出していた。そうしなかった彼の忠義には感謝している。
 照会状が要らないなら、当然伯爵家に残るということ。
 新しい伯爵に膝を折る。
 離縁されるフローレンスとは、お別れだ。

 だからと思って笑いかけたのに。

 テオドールは預かった使用人達への照会状を、きっちり角を揃えて机の上に戻した。そうして、執務室の鍵を内側からかけてから振り向き、漸く笑みを返してきた。

「頂くものを決めました」
「そうか。何が欲しい」

 テオドールがゆっくりと近づき、机を回ったフローレンスの前に立つ。
 まるで着付けを手伝わせている時のような、近しい距離。
 彼女のすぐ後ろには、ちょうど執務机があった。テオドールはフローレンスを挟むようにして、両手を後ろの机につく。身体の外側に両手を置いた彼に、覆われたような形になる。
 こんなこと、今まで一度もなかった。
 主人に対しての不躾な行為に、男を咎めようとして。すぐそこに迫っていた顔の近さに一瞬息を止める。

「フローレンス様が欲しいです」

 囁かれた言葉を上手く飲み込めず、瞬く。
 ずっと保たれているテオドールの笑みからは、いつもの暖かみが消えていた。まるで――そう、投資相手の嘘に気づき、資金を引き上げるときのフローレンスみたいに。笑みを保ちながら、不誠実な相手に腹の底で怒りを煮え立たせている時の。
 両腕に抱きすくめられ、執務室に据え置かれている長椅子に運ばれるまで、抵抗らしい抵抗など出来なかった。

「待て。私が言ったのは、もっと価値のある……」
 重くはないのに、がっちりと押さえ込まれている。必死に留めようと試みるけれど。いくら男の格好をしたって、腕力で本物の男性に敵うはずがない。

「これ以上に価値のあるものなんて、思いつきません。私にお別れの贈り物をくださるのでしょう? ――ねえ、フロウお嬢様」
 ぎくりと身体が固まった。

「その、呼び名は」
 油を差し忘れた機械仕掛けの人形のように、ぎこちなく見上げれば。

「懐かしいですよね。幼い貴女がテオと呼んだら、今度は私が愛称を呼びかえす。貴女はこの遊びが大好きだった。先に私を呼ぶのは、いつだって貴女と決まっていました」
 まっすぐな黒い眼差しに射貫かれた。

「テオドール、私は……」
「溺れるように『テオ』と呼んでください。貴女が寝室で一人の時そうするように。熱く、淫らに。ずっと満たされなかったのでしょう? 今夜は最後まで、私が手伝って差し上げますから。安心してください、フロウお嬢様」

 声はどこまでも甘やかで、艶を含んでいる。それなのに何処かひやりと容赦がない。耳元で囁かれ、耳朶に口づけられて、フローレンスは身を縮こまらせた。

 テオドールは気付いている。
 誰にも、特に彼には知られたくなかったはずの寝室の出来事を。
『テオ』とフローレンスが呟いた場面を。

 それなら、これは腹いせだろうか。散々こき使われ、従者の領分を超えた役目ばかりを押しつけられたことへの。
 或いは、同情なのだろうか。あんなこと・・・・・を他人に命じておいて、伯爵の立場ゆえ、決して満たされたことのない哀れな女への。

 胸板を押し返そうと空しい努力をしていた手から、力が抜ける。
 代わりに両手で、目蓋を覆った。
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