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本編
14 タンジェ
しおりを挟む「レティ!」
呼ばれて振り返ったレティレナは、声の主の姿を認めて目を丸くした。廊下の先でここに居ないはずの青年が手を振っている。
「タンジェ?」
タンジェ・サリデ。母方の叔父ザークの一人息子である彼は、レティレナより年上の十八歳。彼のくるくるとした茶色のくせっ毛と大きな焦げ茶の瞳は、人懐っこい印象を与える。レティレナにとっても、従兄というより弟のように思える青年だった。決して兄ではなく。
「誕生日に間に合あわないかとヒヤヒヤしたよ」
「嘘ばっかり。タンジェのお目当てはいつだって、バストーヴァを通る劇の一座じゃない」
「まあね。けどレティだって相変わらずじゃないか。成人するっていうのに、淑女にはほど遠い憎まれ口」
レティレナが両腰に手を当てて肩をいからせると、タンジェは大げさにかがみ、頭を庇ってみせた。二人ともポーズだけだ。
「西方の一座はまだ発ってないよね?」
「残念ながらね」
レティレナはわざと溜息を吐く。タンジェは「やった!」と声をあげた。旅の一座は数年ごとに西方と南方から不定期でやってくる。彼らは馴染みの領地に身を寄せながら、ゆっくりと大陸を巡っていくのだ。タンジェのお気に入りはより口伝や民話に力を入れる、西方の一座の方だった。
互いに軽口を叩きながらも再会の抱擁をして、笑いあう。
小さい頃はすぐ口喧嘩に発展したものだけれど、大きくなってからの二人の仲は悪くない。今では年の近い従兄妹同士、気の置けない友情を抱いている。
交流はタンジェが思春期を迎えて、頭の固い叔父と衝突するようになってから特に深まった。性格は正反対だけれど、叔父に苦手意識を抱いているところが、同じだった。
レティレナはいくら取り繕っても相変わらず中身はお転婆だし、タンジェは子供の頃に出会った舞台に関わることへの興味を捨てられずにいる。どちらも、叔父の望む理想の紳士淑女像とは外れるようだ。
タンジェの土産話の舞台談義は楽しい。叔父に内緒で送って寄越す手作りの脚本は、とても面白い。バストーヴァから出ないレティレナが観たことのある劇と言ったら、収穫祭や誕生日に旅の一座が披露するものだが、タンジェの解説付きになると、繰り返しのような異国の昔話が、興味深い世界に変わるのだ。
舞台の時代背景やら風習にまで拘り、王都の図書館の書物をひっくり返すタンジェと、食用植物好きが高じて薬草園を増設したレティレナは、やはり従兄妹。根っこは似たもの同士なのかもしれない。
収穫祭の直前に届いたタンジェの手紙には、絶対に参加すると書いてあったのに。叔父一家はいくら待っても訪れず、従兄に会えなくてがっかりしていた。
収穫祭から二日後、その彼がひょっこりと姿を現した。
家族が集まるときに利用する居心地の良い二階の談話室。
二人はテーブルに並べられたティーセットを挟んで、めいめい寛いでいた。
語らいの場はレティレナの私室でも良かったのだけれど、タンジェに断固として拒否された。一応従兄妹同士でも、未婚の男女が私室で二人きりはさわりがある。お互いそんなつもりもないのに。
大人のしきたりは面倒なことでいっぱいだ。
「父上が僕の書いた脚本を火にくべて、今後一切劇場への出入りを禁じるなんて言い出して」
「灰にされるなんて災難だったわね」
「ま、僕が脚本家になりたいって言うと怒るのは、いつものことなんだけどさ」
レティレナの気安い慰めに、タンジェも軽く応じる。
叔父の実力行使はこれが初めてではない。慣れたくはないけれど。
「写しはレティに送ってあったし、良いんだ」
そう言ってタンジェは、レティレナの所に保管されていた自らの書き付けをしっかりと抱き込む。
「部屋の本棚の一角が、タンジェの脚本専用になりそうよ。叔父様も一度ちゃんと読んでみれば良いのにね。観劇自体はお好きなんでしょ?」
茶を口に運んでから、向かいの一人掛けのソファに座って足を投げ出すタンジェに首を傾げる。
レティレナは素人だけれど、彼の脚本が好きだ。
「あの父上だよ? 芸術の何たるかなんてわかる訳ないんだ。新作の声がかかると、演目や演者じゃなくて席に誰が居合わせるかの確認から入るし」
「そんなところも叔父様らしいわ」
「言っておくけれど、他人事な相づちで済むのは今のうちだからね。父上の吹聴に尾ひれが付いて、王都社交界でのレティは伯母上以上の『天使』ってことになってる」真顔でタンジェが言う。
「なによそれ」
「来年のデビューは覚悟しといた方が良いかも。ボロを出さないように、今以上に猫を被らないと」
タンジェの追い打ちに、額に手を当てる。
叔父はたぶんシスコンというやつだ。彼の中では故人であるレティレナの母は、随分と美化されてしまっている。娘であるレティレナに、姉の面影でも見ているのだろう。
ことあるごとに「姉上のように淑やかに」と言われ続けた。
「ううー」
「……そのうえ、さ」
レティレナがうめき声を上げて天井を仰いでいると、タンジェが居住まいを正し溜息を吐いた。
脱線していた話題が、叔父との仲違いの件に戻った。
真剣な声音に、レティレナも背筋を伸ばして座り直す。
「友人と縁を切れって迫られた。縁を切らせるために、父上が勝手に彼女のところに押しかけたって聞いて、どうしても許せなくて。だから家を飛び出したんだ」
タンジェは父親と激しく喧嘩し、その勢いのままバストーヴァにやって来た。
「彼女?」
「レディ・フローレンス・フェザー。僕の大切な友人なんだ。劇場で知り合ったんだよ。フローと話をしていると、時間があっという間に過ぎてしまって」
あまりにも大切そうにその名を紡ぐので。鈍いレティレナにも察しが付いた。
「その女性が好きなのね」
「――うん。少しくらい年が離れていたって、後ろ盾がなくたって、彼女は洗練された素敵な人だ。それなのに」
何故認めてくれないのか。
タンジェのそんな心の声が聞こえた気がした。
「ここまでも、フローの馬車で送ってもらったんだ」
「ええっ」
それはレティレナとタンジェが同席する以上に、障りがあるのでは。
「大丈夫! フローは未亡人で。他国に嫁いだんだけど、夫を亡くしてこの国に戻ってきたんだ。それに友人だし。何もやましいことなんかないんだ。……残念ながら」
「残念?」
「揚げ足取らないでよレティ」
タンジェは両手で顔を覆ってしまった。
レティレナとしては、ただ聞き返してみただけなのに。
未亡人ということは、今は独り身なのだろう。一度でも結婚をすれば馬車での旅も出来るなんて、なんと羨ましい。
それならば、レティレナも結婚をすればランバルトと二人で遠出が出来るようになるのだろうか。
今はせいぜい森を見下ろす丘まで。
成人したらそれだって許してもらえないのに。
大人のしきたりは本当に意味不明だ。
「フローレンスさんに会ってみたいわ」
そして大人のしきたりについて聞いてみたい。
結婚後の方が女性にあらゆる行動の自由が生まれる具体的な理由を、レティレナが踏み込んで聞こうとすると、教育係も侍女も詳しくは教えてくれなくなる。おしゃべりな叔母だって言葉を濁す。
タンジェの友人なら、レティレナの疑問にも答えてくれるかもしれない。
何より、タンジェの想い人に会ってみたかった。
「ほんとっ? 実はフローも是非『天使』に一目会いたいって言ってるんだ。父上がそれはもう方々で褒めそやすから」
椅子から立ち上がったタンジェがテーブルを回って来る。膝をつくと、片目をつぶってお願いのポーズをする。この物見遊山な言われっぷりからすると、叔父は王都で相当話を盛っている。
「じゃあゲイル兄様に話して、誕生日に招待しましょうよ」
「それは駄目! 僕がレティの兄上達のこと苦手なの知ってて、言ってるの。こんな直前で招待客が増えるとなったら、ジャイスに馬上の鞍に簀巻きで固定されるよ。それに」
タンジェが悲愴な顔をする。
「それに?」
「もし万が一、フローがレティの兄上達のことを気に入ったら――僕は立ち直れない。僕なんてせいぜいまだ弟扱いなんだ」
「あらまあ……」
例えばジャイスは家族のひいき目だとしても、女性に好まれる容姿をしている。末兄が城に戻ってきた途端、誰それの娘が父を訪ねる……なんて機会が跳ね上がった。年齢的にもおそらく兄達の方が彼女と釣り合う。タンジェはまだ十八だ。彼の心配も、完全否定できないのが悲しい。
異性として意識されていないなら、なおさら。
タンジェの話を聞いていたら、ランバルトと自分の歳の差の事が浮かんで、何故か苦しい。七歳差ってどうしたら埋まるのだろう。
「その前にこっそり会えない? ほら、馬車で出かけてピクニックとかどうかな。自然だろ」
「それなら馬が良いわ」
「馬じゃ僕が一人で乗れないって、フローにばれるだろ」
長椅子に腰を下ろすレティレナの側で膝をつき、彼女の手を握って上下に揺するタンジェは、縋り付いて懇願せんばかり。必死だ。
あまりの動揺ぶりがおかしくて、レティレナは肩を震わせ笑いをこらえる。
「二人とも、何のごっこ遊びだ?」
レティレナとタンジェの間に、呆れたような声が差し込まれた。
顔を上げたレティレナが見たのは、眉を上げて二人を見下ろす兄ジャイスと、その後ろで目を細めるランバルトの姿だった。
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