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第一章 放課後
放課後(3)
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真白先生は「何を説明すればよいのか?」と言う。
開いた口が塞がらない、ってこういう時のためのフレーズだよな?
「何をって……。さっきここでやっていたことですけど?」
何を言っているんだ、こいつは?
どう考えても、すっとぼけられる状況じゃないだろ?
それでも真白先生は、まるで何も無かったみたいな大人の表情を作る。
「君が何を見たのかは問わないけれど、どうしてそれを僕が君に説明する必要があるのかな。2年B組、悠木秋翔くん?」
「――なっ……」
先生は教卓に置いていた紺のジャケットに腕を通す。
最後に前のボタンを二つ留めた。
「説明する必要――ってお前教師だろ? 教師がこんなところで、そんなことをしていていいのかよ?」
「――『お前』か。先生を捕まえてお前呼ばわりはまずいんじゃないかい?」
授業時と変わらないジャケット姿で、真白先生は肩を竦める。
「……って、今はそんなこと問題にしている場合じゃないだろ。この状況、――この状況だよ!」
「この状況……って言われても。ねぇ」
困ったように、明莉の方に首を傾げる。先生と明莉の目が合う。
俯いて険しい顔のまではあるが、明莉の表情が少しだけ緩んだような気がした。
明莉がブラウスのボタンを一つづつ留めていっていた。
白いプラスチックのボタンが指先で弄られて、一つ一つがボタン穴に嵌められていく。
そして彼女の柔肌が日常の服装の中に隠されていく。
その胸の膨らみが、きっと目の前の、この男に揉みしだかれていたのだ。
柔肌はその手で犯されていたのだ。
僕が教室で遠目に見ていた体。
高校生になってから触れたくても、ブラウス越しに背中や肩に触れるのでさえも躊躇していた体。
篠宮明莉――の体。
「――ねぇ……って」
「だから悠木くん。――だから僕は聞いているじゃないか。君は何を見て、僕らの何をそんなに問題にしているんだい?」
「何を……って、だから、今ここでやっていたことじゃないか! 明莉とやっていたこと! 明莉にさせていたことだよ!」
気持ち悪いくらい冷静な態度。
平らな口調。
まるで何も自身が悪いことをしていないかのような。
まるでこの部屋に踏み入った、こっちの方が悪いことをしたみたいな、
そんな空気が作られていく。
詭弁だ。
大人の誘導だ。
今、何かが巧みに隠蔽されようとしている。
そして、いつの間にか僕の方が状況を説明しないといけない立場になっている?
「僕らの何をそんなに問題にしている」だって?
「問題」に決まってるじゃないか。
お前、しゃぶらせていただろ。明莉に自分の肉棒を!
第一、高校の教師が女子生徒に手を出して良いとでも思っているのか?
そもそも法律的にも一八歳未満に性行為をさせたらアウトだろ? 淫行条例だっけ?
それに放課後の教室でやるとか、ありえないだろ。
でも何よりも、腹が立つのは、僕の明莉に――手を出したってことなんだよ。
まだ――してはいないよな? やっぱり――してるんだろうか?
もう明莉の処女は、この優男に奪われたのだろうか?
「堂々巡りだなぁ、悠木くん。君は教室じゃおとなしいけれど、頭は良い子だと思っているよ。物理の成績も良いしね。二学期の期末試験も九〇点くらいあったよね。――ほら、ちゃんとよく覚えているだろ? これでも僕は生徒想いな教師だからね」
「――何が言いたい?」
「特に何も? 何か言いたいのは君の方なんだろ? そんなに怖い顔をして」
ジャケットの真白先生は両肘を抱えるようにして、真っ直ぐに立つ。
話している間に自身の心も落ち着いてきたのか、立ち姿は教室で見る姿に変わっていた。
教壇で世界の物理法則を数式で淡々と黒板に書き連ねる物理教師の、独善的な立ち姿だ。
乱れた着衣を直して、ボブの髪を手櫛で整えた明莉が、俯きがちにこちらに向く。
僕の方に来てくれるのではない。まだ彼女はその傍若無人な男の近くにいて、その男の横で、僕の方に向いて立つ。寄り添うように。そいつに守られる立場であるかのように。
違うだろ!? そうじゃないだろ!?
僕が明莉を追い詰めているんじゃないだろ?
そいつが……そいつがぁっ!
「だから、お前が……真白先生が、明莉にさせていたことですよ。今ここで、この放課後の理科実験室で」
「だから、何をだい? 言ってみなよ、悠木君。具体的に、明確に、君の言葉で、ハッキリと」
苛立たし気に眉を寄せる真白先生。芝居がかった表情。
なんで僕が、この男に、そんな顔をされないといけないんだ?
紺のジャケットの上の色白気味の顔に、口周りに薄い青髭。
黒縁の眼鏡の奥の目は眉尻を垂らし、どこか笑っているようでさえあった。
「やっていたでしょ!? ここで、その教卓にもたれかかって手を突いて、明莉を目の前にしゃがませて。それで明莉に……先生のチン……性……を……」
「ん? なんだって? 僕が篠宮さんに、何をさせていたって?」
ちらりと明莉の方を見る。
彼女はどうしようもなく恥ずかしそうに両手を強く組んで俯いていた。
頬を羞恥心で真っ赤に染めながら。
同時にその表情全体を罪悪感で青白く震わせながら。
明莉の気持ちは言葉にしなくてもわかる。僕にその言葉をしないで欲しいと言っている。
性的な関係は持っていなくても、僕らは幼馴染みだ。
彼女のことは手に取るようにわかる――つもりだ。
だから、僕は言葉に詰まる。この男を直接的な言葉で糾弾したい。
ハッキリと「教師が学校で女子高生に自分のチンポをしゃぶらせるんじゃねぇよ!」と。
でもそれは明莉を淫らな女であると、僕自身が曝け出す行為のようだ。
明莉を自分の言葉で、この男の性器やその愛撫に関係付けたくなかった。
そんな言葉で現実を固定するのは、まるで僕らの関係性の自傷行為だ。
「……先生と篠宮明莉が、この部屋で何か性的な行為をされていたのではないかと、……思います」
はっきりと見たのに、具体的に言えるのに。
それでも僕は曖昧模糊と抽象化した表現で、吐露した。
視線を落としながら。
「性的な行為か。具体的には? 証拠はあるのかい?」
腕を組んだまま。真白先生は唇の端を上げる。
それは自身の緊張の裏返しなのか、それとも本当に僕を与し易しと思っているのか。
証拠なんか無いと、本当に思っているのか?
僕が教室に入ってきた時にスマホで動画を撮っていたことも、明莉が僕に告げた「スマホを下ろして欲しい」という言葉にも、もしかして気づいていないのか?
「証拠なら……ありますよ……」
僕は右手のスマホを持ち上げ、スワイプして画面ロックを解除する。
写真のアイコンをタップすると。ビデオ録画記録から最新の動画を見つけ出した。
薄暗い教室が手振れで少しぼやけたサムネイル。
僕はタップして動画を再生する。
もう一度見るとどうしても込み上げてくる怒りと興奮と背徳感。
他人の肉棒を咥える幼馴染――篠宮明莉の横顔。
僕は顔をしかめながら、その画面を遠ざけるように真白先生へと突き出した。
明莉には出来るだけ見えないように。
「これが証拠です。偶然撮影していたんです。……先生もこれを校長とかに見られたら、大変なんじゃないですか?」
思い切った言葉が口を突いて飛び出した。
――これは脅しだ。
明莉が真白先生を選んだのなら、こんなことをしたって無駄かもしれない。
それでも僕の中には真白先生に対して正義を貫きたい気持ちが膨れ上がってきていた。
いや、これはそうではないな。
ただ好きな女の子を別の男に取られたくない。
取られたら、そいつを殺してでも、その女を自分の物にしたくなる。
これは雌を奪い合う、雄の本能なのだ。
その時、僕はスマホを掲げる右手に、鈍い痛みを覚えた。
「……痛ッ!」
気付いた時には僕の手首は真白先生の右手に掴まれて、強く締め付けられていた。
真白先生はさらに捻り上げてくる。
「――その撮っていた動画、……消してくれないかな? 悠木くん」
身の危険を覚えて視線を上げると、真白先生は真っ直ぐに僕を凝視していた。
見開かれた両眼は、全く笑っていなかった。
開いた口が塞がらない、ってこういう時のためのフレーズだよな?
「何をって……。さっきここでやっていたことですけど?」
何を言っているんだ、こいつは?
どう考えても、すっとぼけられる状況じゃないだろ?
それでも真白先生は、まるで何も無かったみたいな大人の表情を作る。
「君が何を見たのかは問わないけれど、どうしてそれを僕が君に説明する必要があるのかな。2年B組、悠木秋翔くん?」
「――なっ……」
先生は教卓に置いていた紺のジャケットに腕を通す。
最後に前のボタンを二つ留めた。
「説明する必要――ってお前教師だろ? 教師がこんなところで、そんなことをしていていいのかよ?」
「――『お前』か。先生を捕まえてお前呼ばわりはまずいんじゃないかい?」
授業時と変わらないジャケット姿で、真白先生は肩を竦める。
「……って、今はそんなこと問題にしている場合じゃないだろ。この状況、――この状況だよ!」
「この状況……って言われても。ねぇ」
困ったように、明莉の方に首を傾げる。先生と明莉の目が合う。
俯いて険しい顔のまではあるが、明莉の表情が少しだけ緩んだような気がした。
明莉がブラウスのボタンを一つづつ留めていっていた。
白いプラスチックのボタンが指先で弄られて、一つ一つがボタン穴に嵌められていく。
そして彼女の柔肌が日常の服装の中に隠されていく。
その胸の膨らみが、きっと目の前の、この男に揉みしだかれていたのだ。
柔肌はその手で犯されていたのだ。
僕が教室で遠目に見ていた体。
高校生になってから触れたくても、ブラウス越しに背中や肩に触れるのでさえも躊躇していた体。
篠宮明莉――の体。
「――ねぇ……って」
「だから悠木くん。――だから僕は聞いているじゃないか。君は何を見て、僕らの何をそんなに問題にしているんだい?」
「何を……って、だから、今ここでやっていたことじゃないか! 明莉とやっていたこと! 明莉にさせていたことだよ!」
気持ち悪いくらい冷静な態度。
平らな口調。
まるで何も自身が悪いことをしていないかのような。
まるでこの部屋に踏み入った、こっちの方が悪いことをしたみたいな、
そんな空気が作られていく。
詭弁だ。
大人の誘導だ。
今、何かが巧みに隠蔽されようとしている。
そして、いつの間にか僕の方が状況を説明しないといけない立場になっている?
「僕らの何をそんなに問題にしている」だって?
「問題」に決まってるじゃないか。
お前、しゃぶらせていただろ。明莉に自分の肉棒を!
第一、高校の教師が女子生徒に手を出して良いとでも思っているのか?
そもそも法律的にも一八歳未満に性行為をさせたらアウトだろ? 淫行条例だっけ?
それに放課後の教室でやるとか、ありえないだろ。
でも何よりも、腹が立つのは、僕の明莉に――手を出したってことなんだよ。
まだ――してはいないよな? やっぱり――してるんだろうか?
もう明莉の処女は、この優男に奪われたのだろうか?
「堂々巡りだなぁ、悠木くん。君は教室じゃおとなしいけれど、頭は良い子だと思っているよ。物理の成績も良いしね。二学期の期末試験も九〇点くらいあったよね。――ほら、ちゃんとよく覚えているだろ? これでも僕は生徒想いな教師だからね」
「――何が言いたい?」
「特に何も? 何か言いたいのは君の方なんだろ? そんなに怖い顔をして」
ジャケットの真白先生は両肘を抱えるようにして、真っ直ぐに立つ。
話している間に自身の心も落ち着いてきたのか、立ち姿は教室で見る姿に変わっていた。
教壇で世界の物理法則を数式で淡々と黒板に書き連ねる物理教師の、独善的な立ち姿だ。
乱れた着衣を直して、ボブの髪を手櫛で整えた明莉が、俯きがちにこちらに向く。
僕の方に来てくれるのではない。まだ彼女はその傍若無人な男の近くにいて、その男の横で、僕の方に向いて立つ。寄り添うように。そいつに守られる立場であるかのように。
違うだろ!? そうじゃないだろ!?
僕が明莉を追い詰めているんじゃないだろ?
そいつが……そいつがぁっ!
「だから、お前が……真白先生が、明莉にさせていたことですよ。今ここで、この放課後の理科実験室で」
「だから、何をだい? 言ってみなよ、悠木君。具体的に、明確に、君の言葉で、ハッキリと」
苛立たし気に眉を寄せる真白先生。芝居がかった表情。
なんで僕が、この男に、そんな顔をされないといけないんだ?
紺のジャケットの上の色白気味の顔に、口周りに薄い青髭。
黒縁の眼鏡の奥の目は眉尻を垂らし、どこか笑っているようでさえあった。
「やっていたでしょ!? ここで、その教卓にもたれかかって手を突いて、明莉を目の前にしゃがませて。それで明莉に……先生のチン……性……を……」
「ん? なんだって? 僕が篠宮さんに、何をさせていたって?」
ちらりと明莉の方を見る。
彼女はどうしようもなく恥ずかしそうに両手を強く組んで俯いていた。
頬を羞恥心で真っ赤に染めながら。
同時にその表情全体を罪悪感で青白く震わせながら。
明莉の気持ちは言葉にしなくてもわかる。僕にその言葉をしないで欲しいと言っている。
性的な関係は持っていなくても、僕らは幼馴染みだ。
彼女のことは手に取るようにわかる――つもりだ。
だから、僕は言葉に詰まる。この男を直接的な言葉で糾弾したい。
ハッキリと「教師が学校で女子高生に自分のチンポをしゃぶらせるんじゃねぇよ!」と。
でもそれは明莉を淫らな女であると、僕自身が曝け出す行為のようだ。
明莉を自分の言葉で、この男の性器やその愛撫に関係付けたくなかった。
そんな言葉で現実を固定するのは、まるで僕らの関係性の自傷行為だ。
「……先生と篠宮明莉が、この部屋で何か性的な行為をされていたのではないかと、……思います」
はっきりと見たのに、具体的に言えるのに。
それでも僕は曖昧模糊と抽象化した表現で、吐露した。
視線を落としながら。
「性的な行為か。具体的には? 証拠はあるのかい?」
腕を組んだまま。真白先生は唇の端を上げる。
それは自身の緊張の裏返しなのか、それとも本当に僕を与し易しと思っているのか。
証拠なんか無いと、本当に思っているのか?
僕が教室に入ってきた時にスマホで動画を撮っていたことも、明莉が僕に告げた「スマホを下ろして欲しい」という言葉にも、もしかして気づいていないのか?
「証拠なら……ありますよ……」
僕は右手のスマホを持ち上げ、スワイプして画面ロックを解除する。
写真のアイコンをタップすると。ビデオ録画記録から最新の動画を見つけ出した。
薄暗い教室が手振れで少しぼやけたサムネイル。
僕はタップして動画を再生する。
もう一度見るとどうしても込み上げてくる怒りと興奮と背徳感。
他人の肉棒を咥える幼馴染――篠宮明莉の横顔。
僕は顔をしかめながら、その画面を遠ざけるように真白先生へと突き出した。
明莉には出来るだけ見えないように。
「これが証拠です。偶然撮影していたんです。……先生もこれを校長とかに見られたら、大変なんじゃないですか?」
思い切った言葉が口を突いて飛び出した。
――これは脅しだ。
明莉が真白先生を選んだのなら、こんなことをしたって無駄かもしれない。
それでも僕の中には真白先生に対して正義を貫きたい気持ちが膨れ上がってきていた。
いや、これはそうではないな。
ただ好きな女の子を別の男に取られたくない。
取られたら、そいつを殺してでも、その女を自分の物にしたくなる。
これは雌を奪い合う、雄の本能なのだ。
その時、僕はスマホを掲げる右手に、鈍い痛みを覚えた。
「……痛ッ!」
気付いた時には僕の手首は真白先生の右手に掴まれて、強く締め付けられていた。
真白先生はさらに捻り上げてくる。
「――その撮っていた動画、……消してくれないかな? 悠木くん」
身の危険を覚えて視線を上げると、真白先生は真っ直ぐに僕を凝視していた。
見開かれた両眼は、全く笑っていなかった。
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