木苺ガールズロッククラブ

まゆり

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Nineteenth Transaction by サキ

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 サキがもといた豊洲の公園に戻ると、三宅は公園を出たときとまったく同じ背中を丸めた姿勢でベンチに座っていた。じっと待つということに慣れているのだろう。なぜさつきの姿をほんの一瞬ちらりと見るために、あんなに長時間ぼうっと待っていることができるのか理解に苦しむけれど、とりあえず三宅の忍耐力に感謝したいと思う。
「で、買い物袋の中身は何だったの? お菓子のパッケージとか見えてなかった?」
 誘拐されているのにお菓子を買ってもらえるほど世の中甘くないけれど、さつきの営業用の微笑みでおねだりされたら、山根だって心が動かないとは限らない。
「中身まではわかりませんでした」
「まあそうだよね」
 たしかに、仮にお菓子を買っていたとしても、ビルの中に甘党の拘禁要員がいないとは限らない。買い物の中身でさつきがいるかどうかを当てるなんて、いくらなんでも無理に決まっている。
「あの、けっこう至近距離で見たんですけど、長方形の箱みたいなものが入ってたんで、お菓子かもしれません。でも、中身はさらに茶色い紙袋に入ってて、わかりませんでした」
 茶色い紙袋に入った長方形の箱みたいなもの。それって、生理用ナプキンじゃないか。そうだ、事件の少し前からさつきはやたらと機嫌が悪く、頭が痛いなどと言ってイライラしていた。子供の癖にいっちょまえにPMSなのだ。だから水着の撮影などは入れないようにしていた。さつきはここにいるとサキは確信した。どうやって乗り込むかが問題だ。
「やっぱりさつき、いるみたいだわ」
「何でそんなことがわかるんですか?」
「姉の勘」
「三宅さん、わたしにもし何かあったら、さつきを家につれて帰ってくれる? あなたはちゃんと送り届けてくれるわよね」
「もちろんです。でも何かって?」
「もちろん何もなければわたしも一緒に行くけど、もし何かあった場合」
 とりあえず最悪の場合を想定して打ち合わせをしておく。
「いい。宅急便の振りをして乗り込むわよ。ドアが開いたらとにかくさつきを探して逃げて。さつきひとりぐらいは持ち上げられるわよね。縛られていたりしたら、すぐには歩けないから」
 三宅の顔に緊張がありありと浮かんでいる。
「僕、引越しのバイトとかしてたんで、力には自信があります。でも、そんなに危ない状況なんですか? だったら警察を呼んだほうが……」
「警察は呼べないの。いやならひとりで行くわ」
 繭を呼んでおけばよかったと思う。でも純花を探すのに手間取っているかもしれない。
「僕も行きます」
 緊張した面持ちで三宅が言った。
 サキはあたりを見回す。人の姿はなかった。ブリーフケースの中から拳銃の入ったポリ袋を取り出し、巻きつけた袋を解いて上部を開いた。
「それから、これは脅し用に買ったモデルガンだから驚かないでね」
 急に拳銃を出して驚かせるのもどうかと思ったので、一応そう説明して中身を見せる。
「かっこいいですね。僕、拳銃大好きなんです。ちょっと見せてもらっていいですか。マカロフPMですね。ちゃんと星のマークも入ってる」
 三宅がポリ袋の顔を突っ込むようにして、拳銃を見る。そうだ、弾を込めておかないと。そう思ってポリ袋に手を突っ込んでマガジンを探し、グリップの底を開けた。
「装填してみていいですか」
「いいわよ」
 三宅はポリ袋をがさごそいわせながら、弾を装填した。もう一度あたりを見回して、サキはグリップを握り、そのままトレンチコートのポケットに手を突っ込んだ。
 通りを渡り、サキは三宅の後ろについて、古びたコンクリートの階段を上がる。三階のドアには表札はなく、スチール製のドアにはドアスコープもインターフォンもついていなかった。天井に視線を走らせてみたが、隠しカメラのようなものはない。サキは、ドアが開いたときに死角となる蝶番のあたりに隠れ、ポケットから拳銃を抜き、少し迷ってからセイフティを外し、また元に戻した。
「宅急便でーす」
 本物の配達員のように歌うような調子で三宅が言うと、中から床がきしむような音がした。内側から細めにドアが開き、三宅がノブをつかんで勢いよく開く。ペンキのはげた壁との間に挟まれそうになる。三宅が室内に走りこむ。
「早く!」
 サキは拳銃を構えて、ドアの影から出た。深呼吸をして、目の前に立つ男の顔を見る。
「久しぶりだな、さつきちゃん」
 引き金に指をかけた。山根は六年前とちっとも変わっていなかった。もっと上背があったような気がしたけれど、目の位置はサキよりもほんの少し高いだけだった。よく見ると六年前にはなかった皺が目じりの辺りに薄っすらと刻まれている。
「さつき、いや、水那を返してもらいに来た」
 山根は拳銃を見てもさほど驚いた様子を見せなかった。
「大きくなったな。すごく綺麗になった」
 つぶやくように山根が言った。愛想のないものの言い方はまったく変わっていない。山根に少しでもほめられると飛び上がるほど嬉しかったことを思い出す。お世辞を言えない性格だと知っていたからだ。
 室内を見回した。ワンフロアに一戸しかないだけあって、かなり広い物件のようだった。家具のようなものはなく、古びた台所のあたりに、弁当の殻や空き缶などが散乱している。さつきはどこにいるのだろう。三宅が、山根の脇をすり抜けて奥へ走りこむ。
「わたしの両親はあんたのせいで自殺した」
「悪かったな、さつきちゃんには苦労をかけて。こんないい女になるってわかってたら、あのときいっしょに連れてったのに」
 こんな軽薄な口を利く男ではなかった。それとも、サキが買いかぶりすぎていただけなのか。
 三宅が、さつきを抱きかかえて奥の部屋から出てきた。縛られた足首が三宅の膝のあたりに力なくぶら下がっている。
「さつき」
 と呼ぶと、さつきはわずかに顔をサキのほうへ向けた。まさかレイプされたりしたのだろうか。怒りがサキの体を焼けるように熱くする。
「おっと、この子を逃がすわけにはいかないんだ。俺がボスに殺される」
 山根は振り返って両手を広げて、玄関に向かってきた三宅の行く手を阻んだ。
「黙って通さないと撃つわよ」
「おいおい、冗談はよせ。玩具じゃないのか?」
「本物よ」
「どこから手に入れたんだ? 筋者の知り合いでもいるのか?」
「どこからだっていいでしょ」
「まあ、本物だとしても、中国製の粗悪コピーだな。十中八九暴発して命を落とす。ここにいるみんなで揃ってさようならだ。悪いことは言わないから、しまえ」
 嘘だ、と思った。でも自信がない。引き金にかけた人差し指が震えた。一か八か、山根の背中を狙って人差し指に力をこめる。引き金は堅く、びくとも動かない。同時にさつきの両足が勢いよく後ろに跳ねあがり、山根の股間を打ちつけた。
「ちくしょう」
 山根がうずくまる。もう一度渾身の力をこめて引き金を絞る。よく見るとセイフティをかけたままだった。三宅がサキの脇をすり抜け、ドアのところで振り返ってサキを見る。
「逃げて!」
 サキは叫んだ。セイフティを解除する。同時にサキの体が宙に浮き、玄関のタイルに叩きつけられる。何が起こったのかわからないまま、サキは転倒した。うずくまっていたと思っていた山根に足を掬われたのだ。拳銃がごとりと鈍い音を立てて床に落ち、拾おうとした手をつかまれる。階段を駆け下りる足音が遠ざかる。サキの頬に銃口が押しつけられる。不思議なことに、恐ろしくはなかった。さつきはちゃんと家に帰れるだろうか。これでよかったのだと思う。殺すつもりなら、殺せばいい。
「さっさと立って、両手を挙げろ」
 言われたとおりにした。ドアがロックされる。それから奥の部屋まで歩かされた。
「ちくしょう、ガキだと思って油断しすぎた」
 山根がサキの肩にかかったブリーフケースをひったくり、中から携帯を取り出す。
「さっきの男の番号は入っているのか?」
「三宅」
 山根がメモリーから三宅の番号を探す。
「いいか、警察にちくったら、こいつを殺す」
「わたしにも話させて」
 山根がサキの携帯を耳に当てた。
「さつきはわたしが連絡するまで預かっててくれる。家に帰したら叔父さんたちがきっと騒ぐと思うから」
 山根に唐突に携帯の電源を切られた。それからブリーフケースの中身を床にぶちまけられた。
「名簿はどこだ?」
「ここにはないわ」
「どこに隠した?」
 石塚のアタッシュケースは上野のウィークリーマンションに置いてある。でも、繭が帰ってきていたら、大変なことになる。
「渋谷の木山パレスっていうマンションにある」
 通りの名前と番地を告げ、鍵を渡した。山根は、携帯で誰かに電話をかけ、やたらと丁寧な言葉遣いで喋り始めた。相手は高村ではないようだ。電話を切ると山根は、
「さつきちゃん、悪いけど縛らせてもらう」
 と言って、口元だけで笑った。こんなふうにちっとも楽しそうではない笑い方が好きだった。まだ子供のサキにさえ、山根の不遇さが手に取るようにわかった。両親が誰かの噂話をしていると、山根の話が出たらどんな些細なことでも知りたいと思って聞き耳を立てた。悪くない役者なんだけど、なかなか芽がでない、そんな内容のことを何度か聞いた。山根がどこからか荷造り用のナイロンの紐を持ってきた。
「トイレとか、大丈夫か?」
 山根に連れられて出かけると、行く先々で移動の前に必ずそう聞かれた。
「そんな、もう子供じゃないんだから。でも一応行っとく」
 洗面所に連れて行かれた。小用を済ませると、山根はサキの手を後ろに回して縛り、それからサキの膝に紐をかけ、最後に足首を縛った。
「あのころ、俺はまともに働いてなかったくせに、あちこちから金を借りてて、どうにもならなかったんだ。湯川さんは見栄っ張りだったからな。金なんてうんざりするくらい持ってて、あんな手形ぐらいへでもないと思ってた。でも、さつきちゃんのことは本当に連れて行きたいと思ってた」 
 くだらない感傷に流されるとろくなことにならないことは、すでに学習済みだ。それでも、やはり幼いころのことをつい思い出してしまう。
「今はもうさつきじゃないの」
「名前を乗っ取られて悔しくないのか?」
「悔しいけど、さつきにお金を稼いでもらわないと、借金が返せない。あれからずっとさつきにこき使われてきたから、もうすっかり慣れた」
「みなちゃんを誘拐したのは、俺じゃないんだ。でも、ペンダントを渡して、賭けた。まだ持っててくれたってわかって嬉しかった」
 それが、すべての失敗の元だった。さっさと捨ててしまえばよかったのだ。サキがトイレに行っている間に、拳銃が消えていた。どこかにしまいこんであるのかそれとも山根が身につけているのか。どこにあるのかを確かめて、手足の戒めを解かせなければ。
「ずっと、大事に持っていたの。両親があんなことになっても、山根さんのことが忘れられなかった。ねえ、大人になったらお嫁さんにしてくれるって言ったの覚えてる? わたしはもう十八なのよ。最後にふたりで遊園地に行ったときだって、ずっとキスしてくれるのを待ってたの、だから……」
 抱いて、と言おうとした。その前に唇が塞がれた。こんなかたちでかつての夢が実現されるなんて、人生というものはなんて皮肉にできているものなのだろう。
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