ワルプルギスの夜

まゆり

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22(最終回)

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 五月も半ばに入り、真夏のような日々が続いている。少し動いただけで汗ばむような日曜日の朝で、西武新宿駅は家族連れや、精一杯おしゃれした中高生でごった返していた。
 ミリちゃんは、長野に住む杉山さんの両親に引き取られることになった。長野に行くまでの間、施設に入ってもらうのもどうかと思い、私のところで預かった。杉山さんの両親は数日前にミリちゃんを引き取りに来た。何日か東京に滞在し、ディズニーランドに行ってから長野に帰るらしい。
 エクリは結局高校を中退した。アルバイトをしながら、マコトくんと一緒に大検をとって、大学に行くと言っている。やるといったらやる強情な子だし、勉強もできるほうなので、あまり心配はしていない。
 エイジからは何回かメールが来た。もう会う気はなかったので、適当にかわした。
 ヨシオには、一緒に暮らす気はないことと、エクリに会いたければ、本人に直接連絡するように言い渡した。ヨシオとはもうとっくに終わっている。エクリにも一応ヨシオの提案を伝えてみた。本当のパパには悪いけど、私のパパは、シゲちゃんひとりなんだ、という返事が返って来た。

 駅ビルを出たところの花屋で、小さなガーべラの花束を買った。本当は豪華なのを買いたかったけど、そういう大仰なのはなんとなく気恥ずかしい。
 新宿駅から、中央線に乗り換え、四谷で下車した。ヤスの家に行くのは久しぶりだった。シゲキが生きていた頃にはエクリを連れてよく遊びに行った。
 ヤスは先週の半ばに退院し、しばらく自宅療養するらしい。四ッ谷駅から新宿方面に少し戻る新宿四丁目のあたりは、古い公団がひしめき、昭和っぽい生活感が漂う懐かしい感じのするエリアだ。ヤスの部屋がどこにあるか、ちゃんと覚えていた。郵便受けの名前を確かめてから、階段を上り、ブザーを押した。
「退院おめでとう」
「ありがとうチエちゃん。でも、本当に来るとは思ってなかった」
 一応メッセージを入れておいたのに、ちょっとは人の言うことを信じてほしいものだ。何でも疑ってかかるのは刑事の職業病だろうか。
「何にもないし、散らかってるけど上がってくれよ」
 たしかに何もなかったけど散らかるほどのものがない殺風景な部屋だ。お茶ぐらい淹れるというヤスを無理やり座らせて、台所にあったコップにガーベラを活け、ダイニングテーブルの上に置いた。大きな花束を買わなくて、本当に良かった。花瓶などというものが、ここにあるかどうか疑わしい。
 急須に入っていた茶葉を捨てて、新しいのを入れた。ポットはなかったので、やかんに水を入れて火にかけ、私もヤスの横に座る。
「おにぎり持ってきた。炊き込みご飯のやつ」
 トートバッグの中からおにぎりの入った容器を出した。
「おう、チエちゃんのおにぎり、久しぶり」
「入院してたらちゃんとごはんが出てくるけど、退院したらろくなものを食べないんじゃないかと思って」
「自炊ぐらいできるって。また売れ残りとか、言いにきたのかよ」
「ヤスったらもう、まだ言ってないじゃない。言おうと思ってたけど」
 売り言葉に買い言葉で、また余計なことを言ってしまった。
「大きなお世話だ。俺はチエちゃんみたいにモテないからな」
 ヤスはそう言うと、拗ねたように横を向いた。エイジのことをまだ気にしているのか。
「あれは諜報活動の一環だってば。鍵だって、がんばって手に入れたんだから、褒めてよね」
「そうだったな。無理させてごめん」
「いいのよ。いろいろと吹っ切れたから」
「吹っ切れたって?」
「上手く説明できないけど、かわいそうな未亡人でいるのはもうやめようかなって思った」
「そうか、それはよかった」
 まだ怒ってるのかヤス。困ったな。素直になろうと思ってここに来たのに。
「あ、でも手当たり次第に男を引っかけようとは思ってるわけじゃないの。自宅療養中の男を押し倒したりしないから大丈夫。安心して」
 さらに余計なことを言ってしまった。立ち上がり、まだ沸騰していないやかんの前に立ち、意味もなくガス台の青い炎を見つめた。熱で、顔が熱くなる。ふと顔を上げるとヤスが横に立っていた。
「チエちゃん」
「なに?」
「ありがとう。今日来てくれて」
「うん。ここに来たかったの。だから来た」
 抱きしめられた。簡単に逃げられるくらいにゆるく遠慮がちに。それから、髪を撫でられた。なんだか、微笑ましい気分になって、ヤスの背中にぎゅっと腕を回した。ヤスの匂いに包まれ、唇が触れ合う。ヤスとこんなことしてるなんて嘘みたいだけど、もう自分の気持ちに気づかないふりをするのはやめる。差し込まれた舌を舌先でくすぐり、迎え入れて吸いつく。やかんが耳障りな音を立て始める。手探りでガスコンロのつまみを探して火を止める。ずっと髪を撫でていたヤスの手が、私の輪郭を確かめるように背中に降りてくる。ぎゅっと抱きついたお腹のあたりに硬く熱を持った隆起を感じ、欲しくてたまらなくなる。
 
 玄関のブザーが鳴った。無視していたら執拗に何度も鳴って、やがてそれはノックに変わった。ヤスは私の体を離し、玄関に向かう。開かれたドアの向こうに、ヒロシくんとミリちゃんが立っていた。
「今日の午前中だけミカの両親に頼み込んでミリを借りたっす。パチスロとドンキとマックに行って、ミリが、チーママにさよなら言わなきゃっていうから、ミリが持ってた電話番号にかけたら、ここにいるって言われたもんだから……なんか邪魔しちゃって申し訳ないっす。すぐ帰ります」
「そんな邪魔だなんて……こんなところじゃなんだから、上がって」
「いや、もうこれからミリを新宿まで送っていかなきゃならないんで、タクシー待たせてっから」
「待って。私たちも行く」
 そのままヤスの家を出て、新宿へ向かった。
 
 信越線のホームでは、杉山さんの両親がミリちゃんを待っていた。
「俺、ちゃんと働いて金ためて、ミリに会いに行くからな。沼津にも遊びに来いよ。えぼ鯛いっぱい食わせてやっから」
「ヒロシ君、ミリは大きくなったらヒロシ君と結婚するんだから、忘れちゃやだよ」
 ヒロシ君がミリちゃんを抱き上げた。
「忘れるわけないだろ」
「ミリちゃん元気でね」
「チーママと、刑事さんもね」
 発車を知らせるベルが鳴り、ミリちゃんと、杉山さんの両親を乗せた列車のドアが閉まる。列車が去った後のホームには、初夏の光が満ち溢れていた。

                  (了)
                                     
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