ワルプルギスの夜

まゆり

文字の大きさ
上 下
14 / 22

14

しおりを挟む
 ヒロシ君の話はとても単純だった。一週間ほど前に署に連行されたときに、ミリちゃんを、杉山さんの友達のケイに迎えに来てもらった。それから、ヒロシ君は、ミリちゃんのことは忘れて、ヒロシ君いわく傷心を慰めるための心の旅に出かけていたらしい。ミリちゃんのことが心配になって、ケイに電話をかけてみても、電話はつながらず、住んでいるところも、職場もわからなくて、ミリちゃんがどこにいるかわからないということだ。
 誘拐されたと聞いて、私じゃ埒が開かないと思い、新宿署まで連れて行ったのに、さっき電話を叩き切ったときからものすごく不機嫌だったヤスは、極限まで無反応になっている。
「その、杉山ミカの友達って女に、ガキを押しつけておいて携帯が通じなくなったってことなんだよな。これは誘拐とは言わねえな」
 確かに。でもその、ケイにミリちゃんを預ける前に、なぜ私に相談してくれなかったんだ。
「その上、何でそのケイっていう女の職場を知らないんだ」
「ケイはミカの親友で、元はといえば、ミカがヘルスをやめたのはケイにいい仕事があるって誘われたからなんすよ」
 同じシャクティのサクラか。
「ヒロシ君、杉山さんは、シャクティっていう、歌舞伎町二丁目にあるハプニング・バーでサクラをやっていたの。だから、そこに連絡してみれば、ケイさんの居場所がわかるんじゃないかしら」
 嫌な予感がかすかに脳裏を横切る。店のサクラを見せしめに殺されたら……やられっぱなしでいるだろうか。ほかの子も殺されたり、営業を妨害されたりしないように、何らかの策を講じるだろう。ケイを使ってミリちゃんを人質に取る……でも、杉山ミカを殺した犯人が、島口組興龍会または、橋口先生に関係あるとすれば、ミリちゃんが人質に取られているからといって、サクラへの見せしめをやめるだろうか。島口組興龍会とは、子供に優しい超優良組織なのか。子供か。そっか、子供にはもれなく父親と母親がいる。ミリちゃんの父親って?
「ヒロシ君、ミリちゃんのお父さんって誰だか知ってる?」
 オフィスに帰ればわかる。酷いDV男で、杉山さんは本当に苦労していた。名前は思い出せない。
「ミカの前の男なら知ってます。ゴンタって呼ばれてた半グレで、傷害事件を起こして今服役中のはずっす」
 そういえばそんな名前だったかもしれない。
「ゴンタは興龍会の実務役の今井のドラ息子だ。今井は切れ者だけど、息子はどうしようもない男でな。でもそれがどうした」
 やっぱりな。と、ひとりで納得している場合じゃない。ミリちゃんはやっぱり誘拐されたんだ。ヤスは職業柄、この辺の筋者には詳しい。でももう少し想像力というものを働かせてはどうか。
「ヤス。あんた、刑事のくせに鈍感だね。今井の孫娘を人質に取れば、これ以上サクラに手出しはできないでしょ」
「だから言ったじゃないっすか。ミリは誘拐されたって。俺、夢見るんですよ。ミリが狭いところに閉じ込められて、泣いてるんすよ」
 ヒロシくんはサイキックなのか?だったらミリちゃんが誘拐される前に予測できなかったのか? まあそんなことを今更言ってもしょうがないけれど。
「とりあえず、シャクティに行ってケイさんを探してみる価値はありそうね」
 ひとりでこっそり、探りを入れに行こうか。セイラがどんな組織と繋がっているのかも実は知りたい。経口中絶薬が流れてくるルートとか。でもひとりで行ってもケイを探すことは出来ない。
 ヤスと目が合った。反応なし。せっかくまたネタを提供してやったのに、来るんじゃなかった。娘のことと溜まった仕事で手一杯なのに。感謝状でももらいたいくらいに捜査には協力しているのだ。
「じゃあ、あとは警察に任せたわ。ヒロシ君、行きましょう」 
 そう言うと私はヒロシ君とふたりで新宿署を出た。
 
 都庁に向かって歩きながら、私はシャクティの場所を簡単にヒロシ君に説明した。それから、ひとりで入店するには、身分証明書が必要なことも。
「俺そんなもんもってないっす」
「じゃあ、誰か女の子を連れて行きなさい」
「そんなとこに一緒に行く女はいないっすよ。相談員さん一緒に来てくれないすかね」
まじかよ。と思ったけど、ヒロシ君を連れて行けば、ケイがそこにいるかどうかも確認できる。
「いいわよ。私も探りを入れたいことがあるから」
ヒロシ君とは、待ち合わせ場所を決め、携帯の番号を交換して別れた。

 職場に戻り、溜まった仕事を片付けると、夜の七時近くなっていた。気がつかないうちに日が長くなっていたのだ。帰って夕食の支度をして、また出かけなければならないというのに。机の上に散乱した書類を案件ごとに振り分けて、ファイルに収め、引き出しにしまうと、私は職場を出た。地下鉄と西武線を乗り継いで中井まで戻り、駅前のコンビニでお惣菜数点と、クリームコーンの缶詰と牛乳を買った。娘の好きなコーンスープぐらいは手作りしようと思った。なんだか、気休めというよりも、言い訳に近いけど。
 家に帰ってから、学校に提出する診断書のことを思い出した。どうしたらいいんだろう。今更橋口先生になんて頼めない。エクリが小さいときからかかり付けの小児科を併設した個人医院がある。そこの室井先生に頼んだら書いてくれるだろうか。とてもいい先生で、そういう曲がったことはあまり好きではなさそうだけど、ほかに頼める医者なんかいない。あのサイトの掲示板に何か書かれてはいないだろうか。偽の診断書を書いてくれる医者。そういう胡散臭い情報は胡散臭いサイトの掲示板に載っていそうな気がしないでもない。小麦粉をバターで炒め、缶詰のクリームコーンを混ぜながら、今すぐPCを開きたい欲求に駆られたけれど、そんな暇はない。
 出来上がったスープに乾燥パセリを散らして、お惣菜を電子レンジで温め、部屋で寝ていたエクリを呼びに行った。パジャマのまま食卓に現れた娘は、テーブルを見るなり、
「わー、ママのコーンスープ、嬉しい」
 と言って笑った。
「診断書には、やっぱり流産って書かれちゃってた。明日室井先生に頼みに行ってみようと思うんだけど」
「自業自得なんだから、高校は中退してもいいよ。その代わりちゃんと大検とって大学には行くよ」
「でもせっかく入った高校なんだし、もう少し当たってみるわよ。それから、これから出かけなきゃならないんだけど、大丈夫よね」
「大丈夫だって、もう妊娠してないし彼を連れ込んだりもしないって」
「別に連れてきてもいいけど。でも、あの、言いにくいんだけど、体がまだ戻ってないんだからその……」
「わかってるって。マコリンはそんな鬼畜じゃないよ。ってか、今日もバイトだし。それよりママ、今日もヤスおじさんとデート?」
「ううん、違う。あれはデートじゃなくて、捜査の一環」
「やだ、ママは大人なんだから言い訳なんかしなくてもいいのに、っていうか、私とか、シゲちゃんに気兼ねしてるでしょ、いろんな意味で」
「してないってば。子供はそんなこと気にしなくていいのよ。それに残念ながら今日もデートとかそういうんじゃないのよ」
 そう言いながらも、エクリはいつの間にか大人みたいな口を利くようになったと思う。死んだ夫に義理立てしているわけじゃないけど、他に相手を探す気にはならない。先週みたいに、知らない男と成り行きでそういうことになっても、だからどうということはなく、その程度のことで心は動かない。
 食器を洗って、身支度をしてから、少し時間が余ったのでPCを立ち上げた。例のサイトを開いてみたけど、偽の診断書についての書き込みなんてなかった。なかったら自分で書き込めばいいのか、と気づいた私は、さっそく女子高校生に成りすまし、学校に出す偽の診断書を書いてくれる医者についての質問を書き込んだ。それからPCの電源を落として家を出た。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

傾城屋わたつみ楼

BL / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:29

皇子は私よりも妹……

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

おなじクラスのながおくん!

BL / 連載中 24h.ポイント:462pt お気に入り:12

前世で愛されなかった双子は異世界で溺愛されます

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:165

【R18】女性向け風俗に行ってきました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,676pt お気に入り:32

デュラハンに口付け

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:413pt お気に入り:10

迅雷上等♡─無欠版─

BL / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:208

Blue Destiny

BL / 連載中 24h.ポイント:78pt お気に入り:232

転生したら男性が希少な世界だった:オタク文化で並行世界に彩りを

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:8,936pt お気に入り:278

処理中です...