ワルプルギスの夜

まゆり

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 それから一週間は、毎日仕事の後に病院に寄った。回復するまでは叱ったり問い詰めたりするまいと心に誓って、ベッドの脇のドーナツ椅子に座ってとりとめもない話をした。   
 エクリは、少しずつ、彼氏の話もするようになった。マコちゃんという、劇団関係のつてで知り合った男の子と付き合っているらしかった。
「すっごいかっこいいんだ。バンドでボーカルやってて。高校中退でフリーターだけど、いいやつなの」
 どう反応したらいいんだ。母親としてはもう少しまともな男と付き合って欲しいと思わないでもないけど、高校教師で既婚者というよりはましといったらいいのか。
「こっそり中絶なんかしないでママに相談してくれれば良かったのに」
「だって、ママに心配かけたくなかったんだもの」
 そういえば、私も六ヶ月になるまで、母には黙っていた。一人で何でも処理したがるところがやはり私に似ているのだ。
 
 エクリは5日ほど入院した。退院の手続きは朝九時と決まっているらしいので、朝から病院へ行った。退院後も数日間は自宅療養が必要であるらしい。 
 エクリの通っている高校では、一週間以上の欠席に対しては、医師の診断書を提出しなければならない。妊娠していたことがばれないように、病名をはっきりとは書かないようにとと医師にも看護師にも頼み込んでみたけど、もらった診断書には、繋留流産とはっきりと書かれていた。
 手続きを終え、タクシーで自宅に帰り、それから職場に向かった。あの診断書をどうにかしなければ、というか、どこかで学校にも出せる偽の診断書を書いてもらわなければ。知っている医療機関でそういうことをやってくれそうなところはといえば、橋口カヨコ先生のところぐらいしかない。橋口先生なら、多少の心付けでやってくれるような気がする。何しろあの医院には相当胡散臭い雰囲気が漂っている。何でもありという感じだ。

 橋口産婦人科は、西武新宿の駅のホームから見えるところにあるので、出勤前に寄ってみることにした。駅の高架下から歌舞伎町へ抜ける途中の雑居ビルの四階にあって、屋上には、婦人科、性病科、泌尿器科と大きく書かれた広告塔が立っている。ガタゴトといつ故障してもおかしくなさそうな音を立てるエレベーターが一階に降りてくるのを待っていたら、エレベーターのドアが開き、風采の上がらないサラリーマン風の中年男が降りてきて、すれ違いざまに不躾な視線を送ってくる。
 四階に上がり、橋口産婦人科のドアを開けた。受付には、ショートの髪を茶色く染めた若い女の子が座っていた。新宿ウィズで相談員をしているものだが、橋口先生に会いたいのだというと、保険証の提示を求められた。ここには何度か仕事の関係で来たことがあったけれど、保険証の提示を求められたことはなかった。やはりスタッフが変わったのか。
 そのときに、記憶の残像が蘇ってきて、かすかな金属音をたてた。音もなくカウンターに零れ落ちる長くて黒い髪と、金のバングルが触れ合う小さな音。
 叫び声を上げそうになるのをようやく抑えて深呼吸を一つした。受付の女性は訝しげな表情で私のことを見ている。私は、また日を改めて来るとだけ言って、待合室を出た。
 ふらつく足で、下りのエレベーターに乗り、靖国通りまで出てから、最初に見つけたカフェに入ってコーヒーを買った。窓際のカウンターに座って横断歩道を渡る人の波を見ながら、何度か深呼吸してみた。シャクティのカウンターに零れ落ちる長い髪と、赤いライトを受けて光りながら小さな音を立てる金のバングル。それは先ほど記憶の底から立ち登ってきた橋口産婦人科の受付の光景とぴったりと重なった。セイラは、橋口産婦人科で受付をしていた。毎日あちこちの風俗店で働く女の子たちが定期検査に来るのだ。シャクティへの引き抜きなんてお安い御用に違いない。その上、インターネットサイト経由で経口中絶薬まで売って、人工中絶手術の邪魔までされたら、橋口先生だって、黙ってはいられないだろう。ところで橋口先生は、組とはなんらかの関係があるのだろうか。何時までもさぼってはいられないので、店を出ると私は、地下道に降りた。

 職場に着くと、私はヤスに電話をかけた。話をするのは、エクリが入院した日以来だ。
「チエだけど、今日、橋口先生にところに行ってきた」
「何しに?」
「偽の診断書が要るのよ、娘の学校に提出するのに。受付の子が替わってた。前の受付、誰だと思う?」
「誰だよ」
「セイラ」
「……なるほどな。やっぱりあのババアも絡んでいたんだ」
「なんだ知ってたの?」
「今知った。あのババアは島口組ご用達の闇医者だからな」
「あの書き込みのことわかった?それより犯人は捕まったの?」
「捜査中だ。書き込みはネカフェからだった。残念賞だ」
「なんだ、警視総監賞がもらえるかと思ったのに。ところでガサ入れはやらないの?」
「それは一般市民には言えねえな」
「……ちゃんと教えておいてもらわないと。遊びに行って、公然わいせつで捕まりたくないし」
 しまった。シャクティに遊びに行くつもりなんかないのに、またこんなことを言ってしまった。反応がない。
「金曜十一時だ。遊びに行きたかったら、別の日にしろ」
 受話器の向こうから、電話を叩き切る音が聞こえた。
 カレンダーを見た。四月二十八日は、第四金曜日、乱交パーティーの夜だ。ワルプルギスの夜と銘打ったイベントが開催されるはずだ。古来から、ワルプルギスの夜は五月一日と決まっている。誤差範囲に収まるようにちゃんと考えられているのだ。
 午前中にたまった事務処理に追われているところに、ヒロシ君がやってきた。
「あら、ヒロシ君どうしたの?」
 いつ見ても、路地裏の野良猫みたいに情けない男だ。
「相談員さん、ミリが誘拐されました」
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