上 下
45 / 45
女神と海の至宝

第十九章 一人歩きする噂話

しおりを挟む
「失礼します」

 騎士団建物の自室で提出された書類を片付けている最中だったグレンの元に、ノックして騎士が敬礼し入ってくる。だが、そのどこか余所余所しい態度にグレンは、またか、と内心用件に当たりをつけつつ、視線を向けた。

「なんだ?」
「あの、アインが来てます。今日は一応、護衛たちを撒かずに馬車で街に来たようです」
「帰るときは衛兵も付けるから待つように伝えてもらえるか?」

 またか、とぼやいたところでアイカがグランディ家を抜け出すのは日常茶飯事になっている。下手に見習い騎士になって、アルバの町を出歩く楽しさを知ってしまったのが運の尽きだろう。

 ギルバートも何度か1人で街を出歩くのは危ないからやめるようにと注意したそうだが、その場だけでもアイカはごめんなさいと嘘で謝りたくないらしく、はっきり<嫌>と断れたのだという。

 どんなに屋敷周辺を護衛で取り囲み見張ろうと、精霊に頼めば簡単に街に行くことの出来るアイカを止めるのは不可能だ。
 となれば、せめて街に行くのを止めはしないから、護衛を必ず連れるようにする、というのがギルバートの妥協だったらしい。それと街に行く際は変装し、極力目立たないようにすることを条件に。

(あの人も大概アイカに甘いからな。この前はラグナにも行って、いつかこの調子で他国に散歩に行ってきたとかいうことにならなければいいが)

 考えた途端にありえそうだと、グレンは気が滅入ってくる。

「かしこまりました。ですが、その……アインは休んでなくて、大丈夫なんでしょうか?」
「何がだ?」

歯切れの悪い騎士にグレンは顔を上げる。

「噂じゃアインは、その……なんていうか……」
「ハッキリ言え」
「ギルバート様の、お子を身篭られているという噂が……」
「子供?」

 寝耳に水である。もしアイカが本当に身篭っているなら、喜ぶギルバートが自分にも秘密にするとは考えにくく、妊娠初期の安定してない身であれば、どんなにアイカが嫌だといっても身体を大事にして屋敷で大人しくするように説得するだろう。

「どこでそんな噂を聞いた?」
「噂っていうか、ラグナから帰るときにはその噂で港は持ちきりだったし、パーティーを口元を抑えて途中で抜けたのもつわりなんじゃないかって……アルバにもその噂が広まってるので本当なのか自分達も判断つかなくて……」

 所詮は噂だったのだと、しどろもどろに騎士が取り繕う。
 けれど噂だと思っていても、内容がたかが噂と流せない。アインが子を本当に身篭ったとなれば、その子がいずれカーラ・トラヴィスの王になるかもしれないのだ。そんな大事な身体で、軽々しく街を出歩いて大丈夫なのかと不安になる。

「やっぱりデマだったんですよね?でなかったら1人であんなにお気楽に出歩いたり……」
「アインを決してこの建物から出すな。俺が送る」

 恐らくギルバートもこの噂を知らないのだろうとグレンは推察した。運がいいのか悪いのか、ギルバートは今、セルゲイに呼ばれ王宮へ行ってしまっている。であればグレンも念のため噂の真偽を確認しなければ。

「か、かしこまりました!」

 慌てて騎士が部屋から出て行くと、グレンは途端に顔を俯かせ脱力した。

(なんて噂が流れているんだ……)

 デマだとしても、この手の噂は静まりにくい。
 しかし、ふと思いついた考えにグレンの表情は一変した。

(いや、これは千載一遇のチャンスだ)

 神と人が交わって子を為すのが簡単ではないことは、既にココから話を聞いている。おまけにギルバートは別としてアイカの方は、この国がどれだけギルバートに子を望んでいるか全く知らないだろう。

 結婚前に子が出来ることを貴族の間でははしたないと倦厭けんえんされがちだが、ギルバートの子となれば話が違う。次代の王を身篭ったかもしれないのに、非難する者がいるとすれば、それこそ周囲から顰蹙ひんしゅくを招く。

(この噂を機に、アイカにギルバート様の子を身篭るということを意識してもらい、ギルバート様に本気を出してもらうのは?)

 部屋で1人、らしくもなくニヤリと笑み、グレンはアイカを屋敷に送り届けるべく立ち上がった。
 

▼▼▼


「そういう事じゃったか。女神が存在するのであれば精霊の女王がいても不思議ではなかろう。しかし、将軍も立て続けに面白いことと出くわすのう」

 ギルバートの報告を楽しそうに聞いているのはカーラ・トラヴィス現国王のセルゲイと、王女マリアだ。ラグナの早朝に港に現れたクリスタルの船の噂の経緯をギルバートから受けている。
 
 だが、場所は謁見の間ではなく、庭園でお茶を飲みながらであるため、変に畏まることもなく至ってリラックスした報告になっている。

「アイカは別として、正直ゼシルとは会いたくなかったですね」

 知らなかったとは言え、あやうく殺されかけた時のことを思い出し、ギルバートはげんなりとした顔になった。女王というだけあってゼシルは気位が高く、自身への非礼を許さない。アイカから預かった指輪がなければゼシルの氷に身体を貫かれ、今頃アルバは喪に伏していたことだろう。

「しばらく外遊を続けるディアーノにくっついて世界を回るそうですが、どこで気まぐれを起こすかさっぱり検討もつきません」
「じゃが、アイカ殿と交友があれば我がカーラ・トラヴィスに敵意を向けることはまずなかろう」
「どうでしょうね。別れ間際、アイカに精霊の加護を与えたようで、普段から周囲の精霊たちがアイカを守っているようですが、人の目には精霊は見えません」

 逆に言えば、精霊たちが守っているのはアイカ女神だけなのだ。カーラ・トラヴィスに加護を与えたわけではない。

(それでも1人でふらっと街に出るアイカを、精霊たちが守ってくれているなら、こちらとしては助かるのは確かだ)

 街へ出たがるアイカを止めるのは不可能だ。街を出るときはせめて護衛を必ず付けるようにと言ってあるが、そこに精霊たちもアイカを守ってくれるなら心強い。

「女神と結婚するとなると、何かと将軍を心配する声が来そうじゃが、そちらの方の懸念は大丈夫か?わしに出来ることがあれば遠慮せずに頼ってよいのだぞ?」

 セルゲイが急に矛先を変えてきた話題は、ギルバートも少なからず考えている懸念だった。軍はギルバートが掌握している。王宮での権力争いも、ギルバートに堂々と懸念を提言するような者は少ないだろう。
 血筋、貴族としての階級、実力、すべてギルバートが抜きん出ている。

「アイカの正体が女神であると公に言うわけにはいきません。となりますとアイカは後ろ盾のない、身元不明の者となります。それに小言を言う者が出てこないとは限らないでしょう」

 王妃となる者が身元不詳の者でいいのか?と。
 であればどこか身分のしっかりした貴族の養女にするか、他は愛人や側室にして、身元確かで力のある貴族令嬢を王妃にしてはどうかと提言しようとする小賢しい者が出てくることは十分に考えられる。

「しかし私はアイカ以外、指一本触れる気はないですよ。王妃になりたいと自ら言ってくるなら話だけは聞きますが、それは確認しますね」

 隣に座るだけのお飾りの王妃になりたいのか?と。子を為すことのない王妃になりたいのかと。だが、話は聞いても結局はギルバート自身にアイカ以外を隣に座らせる気はさらさらない。
 だいたい、女神を妻にするのに、王妃を別に立てるなど神に背く行いだ。

 ギルバートが頼めば、アイカを養女にしたいと考える貴族も、腐るほどいるだろう。王妃となる女性の義父となれば権力が自然と増す。本人がどれだけ謙虚にしていようと、その者に取り入ろうとする輩は出てくる。
 しかしこれも論外だ。人が女神を養女になど愚かでしかない。

「すべてを逆手に取ります。アイカは身元不詳のままで。その方が神秘性を増すでしょう」
「問題が解消するのであればもう何も言うまい。それで、将軍はいつ頃結婚するつもりかのぅ?子が出来たとなれば、目立ちだす前に早めに式を挙げておいたほうがよかろうて」

 何気なくセルゲイの言う言葉に、ギルバートは固まる。

「子とは何のお話しですか?」
「私も、アイカ様がギルバートお兄様のお子を身篭られたとお聞きしたのですが、違うのでしょうか?」

 それまで黙ってセルゲイとギルバートの話を聞いていたマリアが、セルゲイの話に遠慮がちに補足を入れる。
 初めて聞く話に、飲んでいた危うく落としかけた。

「アイカが俺の子を!?」

 ぎょっとしてギルバートが聞きなおす。
 声を荒げたギルバートに、マリアは驚き口元を両手で抑えつつ、訂正をいれる。

「や、やはり根も葉もない噂でいらっしゃったのですよね。お兄様が自らおっしゃったわけでもないようでしたし、周りの早とちりですわ」
「噂?誰がそんな噂を…」
「誰がといいましょうか……お兄様がラグナに行かれた際のパーティーで、アイカ様が口元を抑えて途中退室されたとか……。イエニのディアーノ王子が出席されているパーティーでの途中退席も、ご懐妊でしたら致し方ないでしょうし……」

(あれか!あれは単にアイカを貴族たちからの奇異の目から遠ざけるためであって)

 そんな意図は全く無かったのだと言ったところで、噂はセルゲイとマリアの耳にまで届いているのだ。この調子では噂はアルバ中に広まっていると見ていい。
 元からギルバートにずっと子を望まれていたところにアイカが現れ、意図せず偶然が重なったことが噂に拍車をかけたかもしれない。

(だいたいアイカは普通に抱くだけでは子は身篭らないんだぞ?)

 アイカ本人がそれを認識しているか分からない。しかし女神は本人が相手の子を望まない限り、子を宿すことはない。

「その話は自分も初めて聞いたもので……。後でアイカにも確認してみますが……」

 ラグナに戻ってからは抱く抱かないに関係なく、毎日野菊の間でベッドを供にしている。少なくとも今朝もアイカに子を身篭ったという様子や兆候は見当たらなかった。
 ギルバート自身、初めて聞く話に困惑しているのは本当だ。しかし、噂であってもアイカが本当に自分の子を妊娠していることを想像するだけで

(マズイな。アイカが身篭るということはアイカが俺の子を望んでくれたという証拠であって……嬉しいとかいう次元じゃないぞ……)

セルゲイとマリアの前だというのに、顔が赤面するのを抑えられなかった。



しおりを挟む
感想 23

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(23件)

Kokomi
2024.03.15 Kokomi

めちゃくちゃ面白いです!!
更新待ってます!!

解除
M!LK
2021.07.22 M!LK

素敵なお話です!

解除
にょん
2021.07.15 にょん

最高

解除

あなたにおすすめの小説

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

日常的に罠にかかるうさぎが、とうとう逃げられない罠に絡め取られるお話

下菊みこと
恋愛
ヤンデレっていうほど病んでないけど、機を見て主人公を捕獲する彼。 そんな彼に見事に捕まる主人公。 そんなお話です。 ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

【R18】人気AV嬢だった私は乙ゲーのヒロインに転生したので、攻略キャラを全員美味しくいただくことにしました♪

奏音 美都
恋愛
「レイラちゃん、おつかれさまぁ。今日もよかったよ」 「おつかれさまでーす。シャワー浴びますね」 AV女優の私は、仕事を終えてシャワーを浴びてたんだけど、石鹸に滑って転んで頭を打って失神し……なぜか、乙女ゲームの世界に転生してた。 そこで、可愛くて美味しそうなDKたちに出会うんだけど、この乙ゲーって全対象年齢なのよね。 でも、誘惑に抗えるわけないでしょっ! 全員美味しくいただいちゃいまーす。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。