愚者の哭き声 ― Answer to certain Requiem ―

譚月遊生季

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第1章 Come in the Rain

30. Leviticus

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 ──祭司が生贄を捧げて贖えば、彼の犯した罪は許される

 脚が熱い。焼けるように痛い。霞んだ視界が、ようやく戻っていく。
 ……は?
 何でこんなに人が倒れて何でこんなに風景がおかしくて何でこんなに部屋が荒れて何でこんなに……酷い臭いが……?

 自分の手をみる。液体がべっとりとついている。何が起こった。何が、ああああ脚が痛い太ももなのかなんだこれはあついあついいたいいたい何でこんなことがわからないわからないなにもかもわからない

 目の前に、警察の人が立っている。そう言えば、目の前にたおれてるのもけいかんで、ああ、冷たい目で、俺を見ている。見て、みている。あの、しせんは、なん、で、なんでなんで、こんな

「……さすがに可哀想…………仕事…………悪く……」

 金属音。そこからはわからない。



***



 誰かの記憶が脳内に流れ込んでくる。
 辛苦が、屈辱が、無念が、孤独が、悔恨が、暴力的なまでの感情の渦が意識を侵す。
 俺の口を借り、訴えかけるように嘆きが溢れ出す。

「……どう思う?」

 嫌味な芸術家……名前はカミーユとかいうらしい……んだったっけ……? 彼が見せてきたのは、汚い字で書かれた文章。……彼もロッドみたいに小説を書くのかと思ったけど、どうにも雰囲気が深刻だった。

「えーと、……精神に異常をきたした人が人を殺しちゃって捕まるところ、とか?」

 どう思う? と聞かれても、わからない。
 どんな答えを期待されているんだろう。どう答えれば、いいんだろう。
 俺は……今、「どう思った」んだろう……?

「……やっぱりそう見えるよね」

 意味深な言葉。気になって……気になって? 別に気になってはないけど、でも、この場面は「気になって意図を尋ねるべき」……なん、だよな……?

「どういう意味?」

 感情を伴わない言葉で、「俺」は意図を尋ねる。
 目の前の男は苦い顔で告げる。

「どちらが被害者か、情報だけならわからないのにね」
「え?」
「……彼、脚を撃たれてるの、わかる?」

 その瞬間、思い出したのは、「警察が善とは限らない」という、わかりきっていたはずの現実。……あれ、これは、誰の記憶?
 俺は……誰? キース? 違う、違う、それは「俺」じゃない。俺は……俺の、名前は……ああ、くそ、考えている場合か。
 俺のことなんか、どうだっていいだろ。壊れたものより、壊れていないものの方が大事だ。どう考えたって、優先するべきはそっちだろ。

「……これ、どういう……?」

 感情が「キース」に近づいていく。俺の意識が、緩やかに塗り替わっていく。

「まあ、単なる例文だと思ってよ。……一人の青年の心を、ぼろぼろに破壊し尽くす原理を示してるのかもね」
「……なに、それ」

 以前整理した情報と合わせると、これは、まさか……
 整理? したのか? キースが? 俺が? どっちが? もしかして、あの「資料室」に、何か……?

「……何で、誰も気づかなかったんだろう」
「わかるわけないよ。……この二人以外、現場には誰も……」

 長い沈黙。ようやく破ったのは、カミーユの言葉。

「わかるわけないのに、彼にもわからないのに……「罪」は彼のものなんだよね」

 ああ、でも……
 きっと、それは、
 地獄と呼ぶのも生ぬるいほどの、苦痛だったに違いない。それだけは、理解できる。
 憎いよな。腹が立つよな。……報復したいって、思うよな。

 でも、「俺」は……その感情に耐えられなかった。
 いっそ何もかも忘れてしまいたかった。
 痛くて苦しくて辛くて、その感情に蓋をして、何事もなかったかのような……「いつも通りのローランド」を……守りたくて……

「……案外平気そうじゃない? え? 姿変わってる? 変なこと言わないでよサワ……って、うわあ、ホントだ。さっきの人になってる? なんで?」

 何の話をしてるんだ、こいつ。

「君、誰なの?」
「僕は……」

「僕」は……いったい、誰だったか……

「僕は、キースだ。キース・サリンジャー」

 僕が名乗ると、カミーユはぽかんと目を丸くした。

「あーーーーー!!!! 君が!!!!!」

 ……? なんだ、この反応。

「えっ、本物? っていうか実在の人物だったんだ? 勝手に名前借りて弟のハンドルネームにしてたんだけど、問題なかった? 使用料とかいるなら払うよ?」

 ……何の話だ……?

「あっ、僕のサイン要る? ファン相手でも滅多に描かないし、オークションに出したらマニアに売れるかも」

 こいつほんとにめんどくさいな。コミュニケーション取る気あんのか?
 一瞬浮上した「ローランド」の意識が、「キース」と混ざる。
 そうだ、アドルフ……さん? あの人も困っているみたいだし……話をしたら、何か、変えられる……かも……

 電話が、できたら……何か……

「……それ、貸して」
「携帯? いいけど」

 繋がることを信じて、番号を打つ。「俺」は知らなくても……「僕」は知って……ああ、駄目だ、これだと、まずい。また、「キース」に乗っ取られ……

「アドルフ、レヴィについて聞きたいことがある。冤罪事件の被害に遭ったっていうのは本当か?」

 ……なぁ、「僕」。これは、知っていいのか。
 僕は、間違ってないんじゃないのか。
 僕は……正しいはずなんだ。
 分かって欲しい、ローランド。僕は……僕は、正義を貫くために行動したし、今も行動している。信じてくれ。僕は間違ってないんだ。

「……俺だけは、信じてやるべきだったよ」

 電話の向こうで、アドルフさんはぽつりと呟いた。
 僕は……「俺」は……その辛さと、ほんの少しだけ似た感覚を知っていた。
 ……俺だけは、嘘にしちゃいけなかった。俺だけは、あの時間を真実だと証明しなきゃいけなかった。

 電話機が手のひらから滑り落ちる。

 なあ、ロッド。妄想なんかじゃないよ。本当は、忘れてほしくもない。
 でも、仕方ないだろ。なっちゃったんだから。

「……あれ? やっぱり大丈夫じゃなさそう? えっ、地雷どこ?」

 ……くそ……痛いなぁ……。

「精神的につらくなったら血まみれになるパターン? 心の傷がそのまま反映されてるとか? ちょっ、ホントに大丈夫!? 僕も人のこと言えないけど見た目結構グロいよ!?」

 声が遠い。誰が何を叫んでいるのか、よくわからない。

「いやでもそうだよね。僕も他人から見たら惨殺死体なわけで……どうしよう興奮してきた」

 ……本当に何を言ってるんだろ、こいつ……。
 視界が揺れる。世界がぼやけては砕け、真っ暗になっては真っ赤になって……やがて、何もわからなくなる。

「おいおい大丈夫かい? ひでぇモンだな。ズタボロじゃねぇか」

 ……これは……子供の……声?

「あっ、レニーさんだ」

 誰、だ……?

「ちょいとした気まぐれだが……協力してやろうか?」

 ぐにゃぐにゃと歪んだ視界の中、エメラルドグリーンの瞳が光る。
「どうして?」……と、俺の思考を察したのか、少年はにししと笑ってみせる。

「さっきも言ったろ。ただの気まぐれさ」

 指先でコインを弾きながら、少年は笑う。

「面白そうな場所を見つけちまったんでね。こうなりゃ、楽しまなきゃ損だろ?」
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