【完結済】『咲いた花、そして空の鳥へ捧ぐ物語』

譚月遊生季

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第三章 咆哮の日々

12. 酒場の賢者

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 粗野な罵声、下卑た野次、低俗な喝采。
 その渦の中心で立ち回る相方をよそに、赤毛の青年はを進める。

「んで、どこまで聞いたっけ。旦那の家がすっごい歴史のある良家ってとこ?」
「その通りだ! 由緒ある我が家系をあろうことか信用ならんと……! 全く、ふざけている!」

 こんなちっちゃな領地、ボンクラに払う金なんざねぇだろ。
 その言葉は豆のスープとともに流し込んだ。

「……そりゃ不運なこって。だけど旦那、人生諦めちゃなんねぇぜ。いつかは運が向いてくるモンだ」

 金の瞳は、相手の親指に光る指輪を見つめていた。
 酔いが回っているのか、男は赤ら顔でまくし立てる。

「そんなこと言われたってだね、今やこんな酒場で安酒なんか飲んで……情けないったらない!」

 悪かったな。こちとらここが御用達だよ。
 そんな悪態は飲み込み、ミゲルは冷えたパンをかじる。

「今は市民王だっけか? 何回も革命があっちゃなぁ、仕方ねぇわな」
「領主も何度も変わった。まったく、やってやれん」

 ああ、気に入らねぇことあると首が飛ぶってやつか。おっかねぇの。
 ……などと、他人事のように相槌を打ちつつあくびを噛み殺す。

「爵位売っぱらうのは?」
「いやぁ……もうこのご時世になるとなかなか」

 ま、なりたがるやつがそもそもいねぇわな、と軽く聞き流し、次は恰幅の良い体格に目を移す。

「そんでもあんたはまだ元気そうじゃねぇか。どうだい? この際商売でも始めるってぇのは」
「商売?」
「なんでも、もっと東じゃ鉄で儲かってるらしいぜ。道路もどんどん固まってきてら。目のつけどころによっちゃ一攫千金だろ? こんな古くせぇとこほっぽりだすのもアリってもんだ」

 ほう、と瞳を見開き、紳士は初めて視線を合わせる。

「ゴロツキにしては、ずいぶんと賢いじゃないか」
「そりゃあ、何たってアヴィニョン捕囚グレゴリウス……の部下あたりの血、引いてっからな」

 当然、真っ赤な嘘だ。
 それでも具体的な単語は、紳士の興味を引いた。

「アヴィニョンか……。君も僧侶を目指していたのかい」
「ああ、20年くらい前だったら坊さんになってたろうよ」

 酒場の隅から堪えきれず吹き出す音がする。
 黙っとけよ、と指で合図をし、軽く身を乗り出した。

「ここだけの話だが、旦那。……俺も神様の教えを忘れちゃいねぇんだ」

 役に立つからな、とは言わない。
 あえて声を潜めると、相手も食いつくように顔を近づける。

「あんたがこのまま寂しくおっ死んでくのは忍びねぇ。……隣人を愛せってマルコの書にも書いてら」

 やっべマタイだったか、と顔には出さず、さらに続ける。
 金の視線が再び指輪に戻る。

「それ、気にした方がいいぜ。……安モンだってよ、そんなもん貴族嫌いの連中にゃ関係ねぇ」

 ぎょっと、紳士はステッキを取り落とす。からん、と軽い音が酒場に虚しく響く。

「情報かなんか、探しに来たんだろ?もしくは下見か……。言っとくが、場所を間違えてんぜ。……ここはな、あんたが思ってるよりもっと下の連中が来るとこだ」

 ずいっと顔を近づけて、

「周り見ろよ。あんなガタイのヤツらに勝てると思うか? 旦那」

 指し示した先で、ニヤニヤと笑う男達。
 ぶるりと震え上がる紳士。

「だけどあんたは運がいい。特別に護衛かなんかつけてやってもいいんだぜ」
「ご、護衛……?」
「ああ、向こうの騒ぎはただの賭けじゃねぇ。……ローマの剣闘士を知ってっか? 殺し合いだよ」

 トン、と軽くテーブルを叩く。人混みが割れ、フラフラと押し出されてくる男が1人……頭からは血を流している。
 ヒュッと、男の喉が鳴る。

「あそこで勝ち抜いてんのが俺の相棒だ。アイツなら、無事に送り届けてくれるだろうよ」

 パチン、と指を慣らせば、喧騒が止む。
 人混みの中から現れたのは、褐色肌の屈強な青年。

「なぁに、命よか高くはつかねぇだろ?……ちっとならまけといてやるよ」

 そうして、彼は今日も糧を仕入れた。



「坊さんって柄かよ! この野郎、さっきまで金と女の話でだべってたのによぉ!」
「あんなのに騙されるたぁ、貴族気取りもざまぁねぇな!!」

 ゲラゲラと笑う男たちの服装には、煤や土の汚れが目立つ。

「だな。そもそもここらで鉄道だのなんだの敷こうとしてんのは俺らだぜ? 世間知らずにも困ったもんだ」

 過去の栄光に縋り付きすぎなんだよ、と、ぼやいた声は歓声に消える。
 先程は大口を叩いたが、この酒場に集うのは大半が低賃金とはいえ労働者だ。ミゲルのような貧民も紛れてはいるが、貴族に突然殴り掛かるような人間など稀だろう。

「しっかし、殺し合いねぇ! ただの腕相撲に大袈裟だね兄ちゃん!」
「まあ、アイツなら腕相撲で人を殺せるかもだけど?」
「へぇ? 大きく出たなぁ。えーと……」
「と、名乗ってなかったか。……レオンだよ」

 適当な偽名を名乗り、相方の帰りを待つ。
 黙って送り届けろと言ってきたが、どうせ喋ったところでろくな話にはならない。前金は既に受け取り済みで、着いたらさらにせびれとも言ってある。
 ……ちなみに、暴力は禁じた。

「おーい、相棒。なんか呼ばれた」

 噂をすれば何とやら。
 挨拶もなしに帰ってくるやいなや、ティーグレは用を切り出す。

「……アイツらか?」
「たぶん!」

 所詮、元は盗賊。彼らを快く受け入れるほど、労働者の組合も甘くはない。
 だが……に関しては、賛同する姿勢だけ見せれば融通は利く。

「前も言ったけど、とりあえずパブーフ尊敬してるっつっとけよ」
「それしか覚えてねぇ! いける!」
「不安しかねぇな。……ゴリ押しすりゃ問題ねぇか」

 何とかなんだろ、と、気楽に呟いてその場から立ち上がる。……ふと、視線を感じた。
 翠の瞳だ。

「……どうも、初めまして。僕が呼んだんだ」

 ニコリと笑う、亜麻色の髪の青年。

「君、革命家に興味があるの?」
「……。まあ、この世の中を変えてぇって思う奴ぁザラにいんだろ?」

 に目をつけられるのはさすがにまずい。
 ローヌの川辺に打ち上がるにはまだ早い。それに、そんな結末はミゲルにとっても詰まらない。

「そうだね。まあ、革命で本当に変えられるなら……の話だけど」

 肩を竦めて、青年は細めた瞳をゆるく見開く。

「僕も連れて行ってよ、賢者さん」
「……賢者?」
「うん、煽てていい気にさせ、嫌なことは聞き流す。最後には金をせしめる方に話題を持っていく……しかも、暴力的な手段には極力頼らない。……賢いね、君」

 ニコニコ笑う青年は、腹の中を見せない。

「……名前は?」
「ジョゼフだよ。ジョゼフ・アンドレア」
「……貴族っぽいな。なんでこんなゴロツキに?」

 勘繰りながら、ミゲルは首を捻る。
 そもそもが失うものなどない身だ。仲間が増えるのは、刺激も増えて喜ばしい。 
 だが、ジョゼフの目的が見えない。

「赤毛に金の目はね、賢者の証なんだよ」
「は?」
「……弟から聞いたんだ。なんでも、友達から聞いた伝承らしい」

 あの路地裏に置き去りにした「弟」から聞いたことがあった。
 ソフィがモデルにした賢者は、「義弟」が少しだけ話した友人だと。
 張り付けられた笑顔が、わずかに曇る。

「僕は、どんな手を使っても………」

 一瞬だけ、躊躇う。

「あの劇団を、存続させる」

 背負った亡霊を振り払い、翠の目が見開かれる。

「…………友達の劇団なんだけど、彼、賊に襲われて死んじゃったから……」
「友達ねぇ……」

 再び、亡霊は「ジョゼフ」を絡めとった。細めた眼が、それでも縋るように金の瞳を見つめている。

「とにかく、彼らの情報を手に入れたいんだ」

 何のために……などと聞くのは野暮に思えた。

「いいぜ? 面白そうだしな。なぁティグ」
「悪ぃ! 今話し中!」

 ミゲルが目を離した隙に、ティーグレは給仕の女性と親しげに話している。いつものことながら、思わずため息が漏れた。

「……取り込み中らしい」
「なんなら、とちりそうになったら説明してあげるよ。パブーフ、およびパンテオン・クラブについてとか。今時ならブランキでもいいし」
「ああ……俺もテキトーにしか覚えてねぇしな。んじゃ、頼むぜ」

 ジョゼフ……ジャンの過去は、ミゲルやティーグレにとってさほど気にすることではなかった。
 10年ほど後、ジャンが非業の死を遂げるまで、彼らは友人であり続ける。

「僕が邪魔になったら殺す?」
「そりゃあこっちのセリフだぜ、胡散臭いお坊ちゃん?」
「……うん、君とは仲良くやれそうだ」

 モーゼ、ザクス、ジャン……それが、物語に残された名だ。

 殺し、殺されることに思うことがあったのなら、そんな感傷が彼らに残されていたのなら、
 彼らは決して、友人になどなれなかっただろう。
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