銀鼠の霊薬師

八神生弦

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28 寝付けぬ夜

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「あの馬鹿息子、今ったよ」
 
 外の様子を見に行っていたくろが部屋に入ってくるなり言った。
 
「やっぱり今から追いかけて、殺っちゃう?」
 
 冗談なのか本気なのか。玄は桔梗ききょうを見て笑う。
 
「いや、もういいんだ。それより私たちも明日の朝とう」
 
「賛成だ」
 
 白銀しろがねが間髪いれず同調した。少しでもこの場所から桔梗を遠ざけたいのだろう。
 
「じゃあ、そろそろ休もうか?」
 
 玄がそう言っても、桔梗は俯いて座ったまま動かない。
 自分の部屋に戻らない桔梗に、何かを察した玄が困ったように頭を掻いた。
 
「あー……。桔梗ちゃん、男からこれを言うのもあれなんだけどさ。ひとりで居るのが嫌だったら、その、……今日は三人でここで寝る……かい?」
 
 桔梗はパッと顔を上げる。
 
「いいのか?」
 
「桔梗ちゃんさえよければ」
 
「確か、もう一組布団あったよな。敷いてやる」
 
 白銀は嬉しそうに押し入れを開ける。ふたりの様子に桔梗はホッとした表情を見せた。
 
 その日は桔梗を真ん中に三人、川の字で寝ることにした。
 
 
 
 ────……眠れねぇ。
 
 興奮状態が中々冷めない白銀は、桔梗に背を向けた体勢で横になったまま悶々もんもんとしていた。
 
 あんなに他人に対して、殺意を向けたことは無かった。
 啓一郎があの手で桔梗に触れたのかと思うと、身体中の血液が沸騰してしまうんじゃないかと思うほど、怒りが沸いた。
 
 本当に殺してやろうと思った。
 
 だけど。
 
 あの時、桔梗の涙を見た途端。
 あんなに頭を支配していた殺意が急速にえていった。
 
「…………」
 
 急に桔梗の寝顔が見たくなり、寝返りをうつ振りをして身体を反転させた。
 そしてゆっくりと目を開ける。
 
 心臓が止まるかと思った。
 桔梗の両目はじっとこちらを見つめていたから。
 
 
 
 
 
 桔梗は寝付けないまま、自分に背を向けて寝ている白銀の背中を見ていた。
 
 あの時はもう駄目だと思った。
 このまま、この男の成すがまま犯されてしまうんだと。
 
 心の中で、無意識に白銀の名を呼んでいた。
 そのすぐ後、部屋に飛び込んできた白銀の姿を見た時、驚いたのと同時にひどく安堵あんどした事を覚えている。
 彼をとても頼もしく思ったことも。
 
 それなのに。
 
 自分を気遣う白銀の手を拒絶するような態度をとってしまった。
 あの時の彼の傷ついたような顔が頭から離れない。
 
 彼の髪に触れたくて、手を伸ばそうかと思った時だった。
 白銀が寝返りをうち、こちらを向いた。
 息を殺してその顔をみつめる。
 さっきから心臓の音がうるさい。
 
「────っ!!」
 
 白銀の髪の色と同じ色の睫毛まつげが少し震えたと思ったら、ゆっくりと目が開かれた。
 心臓が更に早鐘を打つ。
 金色の目が桔梗の視線とぶつかった。
 
 
 暫くそのまま見つめあっていたが、白銀の手が恐る恐る伸びてきた。
 そっと桔梗の耳元に触れ、髪の毛をすくように後ろになでる。
 くすぐったさに肩をすくめると、その手は桔梗の頬へと移動した。親指で優しく頬を撫でられると、桔梗はその手に自身の手を重ねた。
 
 白銀は、愛おしむように目を細める。 
 彼の大きな暖かい手の感触が心地よくて、桔梗は目を閉じた。
 
 先程までの出来事が嘘のような甘い時間の中、ふたりはそのまま眠りについた。 
 
 
 
 
 翌朝、桔梗たちは庄屋の家を出た。
 家を出るまで庄屋夫婦は始終頭を下げ、昨夜のことを謝罪してきた。
 
 重ね重ねの失礼のお詫びだと、宗次郎は結構な金額の入った包みを渡してきた。路銀が底をつきそうだった桔梗は、快く受けとることにした。
 
 
 外に出ると、意外な人物が立っていた。
 
「勇太」
 
 桔梗が近づき、しゃがんで目線を合わせる。勇太の手には、石鉄砲の代わりに花が握られていた。
 
「きれいだったから、桔梗にあげようと思って……。桔梗、どっか行っちゃうのか?」
 
「ああ、私はまだ旅の途中だからな。そのうちまた、立ち寄ることもあるさ」
 
 桔梗は花を受けとると、涙を目に溜めた勇太の頭を撫でる。
 
「俺が大きくなったら、桔梗を嫁にしてやる」
 
 泣きながら言う勇太の言葉に、少し驚いた顔をした桔梗だったが。
 
「お前が“いい男”になってたらな」
 
 そう言って笑うと立ち上がった。
 
 
 
 
 ※
 
 
 
 
「滝だ」
 
 暫く歩くと、立派な滝のある水辺にたどり着いた。
 かなりの水量が轟音ごうおんをたてて滝壺たきつぼに吸い込まれていく。
 
「見事だなあ」
 
 感嘆かんたんの声をあげ、玄が滝を見上げた。
 滝を見るのが初めてだったのか、白銀はぽかんと口を開けて見ている。
 
「ここなら申し分ないな」
 
 そう言うと、桔梗は何やら小さな四つの器に水を入れた。
 小刀を取りだし、指に傷をつけるとその血を一滴ずつ器の水にたらした。
 
「桔梗ちゃん……何を?」
 
「まあ、見ていろ。面白いものを見せてやる」
 
 桔梗はその器を四角の対角線上に置くと、不思議そうに見守るふたりにその四角の中に入るよう促す。
 怪訝な顔でふたりは桔梗を挟んで立つと、彼女は思いきり両手を叩いた。
 
 “──パンッ”
 
 心地よい音が辺りに響いたと同時に、強い突風に襲われる。
 あまりの強風に、ふたり思わず目を瞑った。
 
 
 
 
 
「……ここ、どこだ?」
 
 白銀の目の前にあるのは、先程の滝ではなかった。
 
 三人は大きな門の前に立っていた。
 
 中に入ると色とりどりの花が咲き乱れ、見たこともない色の鳥が空を飛んでいる。
 その空も、夕方でもないのに水色から地面に近づくにつれ桃色に変わっていた。
 
「何なんだい? ここは……」
 
 玄がぐるりと辺りを見回しながら訊く。
 
「ここは“竜のみや”」
 
 そう言うと桔梗はすたすたと歩きだす。 
 その肩に乗っていたチュイがパタパタと飛んでいった。
 
「龍神のだ」
 
   
 
 
 
 
 まだ状況が掴めないふたりは、きょろきょろしながら桔梗の後をついていくと、青が基調の美しい建物が見えてきた。けして大きくはないが、細やかな装飾が柱や壁、屋根までほどこされていて、それなりの人物が住んでいるであろうことは容易に想像できた。
 
 よく見ると、綺麗な衣服を着た人々が庭の手入れをしている。
 
「桔梗様っ!!」
 
 その中のひとりが桔梗たちに気がつき、駆け寄ってきた。
 
「お久しぶりでございます。蒼龍そうりゅう様でしたら屋敷の中に……」
 
 桔梗は「そうか」と言うと、屋敷の方へと歩きだす。その屋敷の扉は階段を登った先にあった。
 するとその扉がゆっくりと開き、中からひとりの人物が姿を現した。
 
 周りにいた者たちは一斉に頭を深々と下げる。
 
「久しいな、桔梗」
 
「ご無沙汰しております。蒼龍様」
 
 桔梗は 胸に手を当てお辞儀をする。
 玄は、言葉も出ないほど驚いた様子でその人物を見上げた。
 
 一瞬見ただけでは、姿かたちは人と変わらない。だが、よく見ると美しい衣服から覗く手の甲は青いうろこで覆われている。
 特徴的なのはその眼だった。
 人間で言う白目の部分は無く、切れ長の目は翡翠ひすいを埋め込んだような、深い緑色をしていた。
 
 
 ────これが、龍神……。
 
 霊薬師が“神に近しい者”と言ったが、本当に神と繋がりがあったとは……。
 玄は、ハッと我に返ると、桔梗に習いお辞儀をした。隣の白銀も、慌てて頭を下げる。
 
「ああ、いいよそんなかしこまらなくて。堅苦しいの嫌いなんだ」
 
 龍神は、光の加減で青にも緑にも見える長い髪を風になびかせにっこりと笑った。
 
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