美しい弟

亀之助

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新たな出会い

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ショーンは長い間、自分は誰も愛せない人間だと思い生きてきた。
なのに“ある出会い”がそんな自分を変えた。
愛しいと思う気持ちは、こんなにも幸せなことだったのか?
初めて愛を知る…それはまさしく芽生えるという感覚だ。
たとえ報われなくとも神に感謝した。
自分の中にも「愛」があったとわかったのだからそれだけで十分。
自分は誰とも肉体関係を持てない。
良からぬ欲望に駆られるくらいなら不能であることが良かったかもしれない。
気持ちを伝えるなどもっての外で、「彼」を静かに見守っていけたらそれでいい。
彼…そう、アーサーが幸せであれば自分も幸せだ……。



…18歳のショーンは国内最難関の大学の医学部に入学した。
祖父は大病院の理事長、母がその病院の院長を務めている。
父親は祖父と折り合いが悪くショーンが生まれてすぐ家を出てそれきりだ。
裕福ながらも愛情の欠けた厳格な家庭環境で育った。
高圧的な祖父や少々ヒステリックぎみの母親には似ることはなくショーンは温厚な人柄に成長した。
そんなショーンは家業である医者になる事に迷いがあった。
自分には出世にしのぎを削る大病院の医師には向いていないと思っていた。
医学部志望に悩んでいた高校生の頃、大学の特別講義を聞く機会があった。
講師を務めた「心臓外科医のハロルド先生」は自分が持つ医師像を全て覆した。
整った容姿、明るくて溌剌とした感じが、良い意味で医師らしくない。
新しい視点で医師の在り方やこれからの医療についての講義に大きな感銘を受け、ショーンの迷いは消えた。
ハロルド先生に魅了され、先生が客員教授を務める大学だけに絞り見事に合格し入学、月に一度の先生の特別講義を必ず受講した。
ハロルド先生は爽やかで医師というよりスポーツ選手のよう。
太陽のような明るく暖かい雰囲気に心惹かれた。

ショーンは父親を知らない。
父親がハロルド先生みたいな人だったらといつも思ってしまう。
もちろん父親にしてはハロルド先生は若すぎるが…
ハロルド先生に憧れ近づきたいと懸命に勉強に励み、先生の様々な情報を集めて努力もした。
そうして一年の後期が終わる頃少しだけ先生と顔見知りになれた。
先生を見かけると胸が熱くなった。

そんなある日ハロルド先生が何の前触れもなくいきなり病に倒れた事を知る。
末期のすい臓ガンだったらしく倒れてから入院してたった2カ月で亡くなってしまった。
まだ39歳という若さだった。
入院した先生のお見舞いに行った時と葬儀の時、先生の幼い一人息子と会った。
7、8歳くらいの稀に見る美形の男の子だった。
綺麗な顔立ちで、子供なのに物静かで礼儀正しく可憐な雰囲気が強く印象に残った。

葬儀の時ショーンはボロボロと涙が出て止まらなかった。
先生と深い付き合いなどはなかったため、周りからするとショーンのあまりの憔悴ぶりに違和感があった事だろう。
先生に対する想いが単に医師としての尊敬や憧れだけではなく恋心があり人として惹かれていた。
ショーンは、恋していた想いは封印して誰にも話すことはなかった。
葬儀の中、ハロルド先生の幼い一人息子は涙を見せず気丈な態度で母に寄り添っていた。
先生の妻は絶世の美女と言っても過言でなく、まだ幼い息子は父親と母親の良いところを全て受け継いでいる様に見えた。
先生の血を引いた小さな美しい忘形見に少し嫉妬した…



医学部は特別に忙しかった。
日々の勉強、実験、研修、論文の提出などに忙殺され、時と共に初恋のハロルド先生を失った心の穴も少しずつ塞がってきた。
先生がこの世にはもういない事を受け止めた。
ショーンは誰かに恋心を持つ事も、惹かれる事も無かった。
様々な出会いはあれど誰とも友人以上の関係に発展しなかった。
ショーンは争いを好まずいつも穏やかで、容姿もその優しい雰囲気そのままで女性には人気があった。
ただどんなに熱烈にアプローチされても恋人を作る事は無かった。

ショーンには秘密があったから。

誰ともセックスする気になれないのだ。
セックス自体に嫌悪感があるわけではない。性行為に興味を持てず性欲がない。
医師という仕事柄、人間の肉体に常に触れ研究対象として扱ってきたせいだと思っている。
不能なわけではなかったが、ショーン自身は性的不能者だと思って生きてきた。
ハロルド先生が好きだったが、だからといって男性に興味があるわけではなく、男女問わずどちらも愛する対象として興味がわかない。
そんな自分は人間の一番大切な部分が欠けていると自覚していた。
ショーンが今まで惹かれたのはハロルド先生ただ一人、初恋の先生に想いを伝えぬままで唐突にこの世を去られ、ショーンの中に大きな暗い影を落としたのかもしれない…。



ショーンは実家である病院で内科医として勤務していた。
医師という仕事で多くの患者と真摯に向き合い、信頼関係を築きながら接してきた。
医師として万人を平等に扱い、多くの患者に慕われる代わりに自分が誰かを慕う事はなかった。

若かりし頃、人を好きになれず性的な行為に全く興味が湧かない自分に悩んだ事があった。
お酒の力を借りて初めての性経験に臨んだ。
相手は自分へ好意を持つ積極的なマリア。
友人でもあり気が強い優秀な女医だった。
ショーンは当時26歳、マリアはまさかショーンが「初めて」だとは夢にも思わない。
役に立たないかもしれないと長い間思い続けていたのでちゃんと機能したことに純粋に驚いた。
自慰行為もほとんどしてこなかったからだ。
しかし裸で触れ合っても柔らかいはずの女性の肉体にも興奮せず、何とか無理矢理に終えた感じでショーンにとってセックスは疲労感しかなかった。
マリアとはそれ以降、到底付き合う気にはなれなかった。
ショーンは自分の初体験の為に友人を一人失ってしまった。


ショーンは母の強い勧めで見合い結婚する事になる。
何度も繰り返し断ったが、強引な母に逆らえず先方の大胆かつ積極的なアプローチに根負けする形になり押し切られて結婚した。
ショーンにとって結婚生活は全く気が休まらない意味のないものだった。
理想の父親像であり、初恋のハロルド先生を思い出してしまう。
それでもショーンは懸命に努力した。
問題は様々あった。
お嬢様育ちの妻は周りに気を遣えない。贅沢で好き嫌いも多い。いつも「構って欲しい」とどんな時も空気が読めずお喋りが止まらない。
一番の大問題は夜の生活だった。
ショーンは初夜は何とか力を振り絞り乗り切ったが、その後全く男性として機能しなくなった。
何とかセックスすることを避け、ごまかしながらそれ以外で懸命に尽くした。
当然、夫婦の営みを何かと理由をつけて夫に避けられ、新婚の若妻は憤って当然。
ショーンを酷く罵り、辛くあたる。
結婚生活はたったの一年で終わりを迎えた。
妻は恋人を作り不倫に走ったのだ。
ショーンは静かに離婚届にサインをした。
妻が浮気してもショックは受けなかった。むしろ当然だと思った。
一人になり、この上ない解放感で久しぶりに気が休まる気がした。
この短い結婚生活で自分は「欠陥人間だ」とますます自覚した。
ショーンはこれで一人で生きていく理由が出来た。
人にはとても言えないが、離婚歴があるという事は人間らしくていい気がした。
ショーンは愛の正体を知りたい。
家族である祖父や母に感謝はしても愛情があるか?と問われればわからない。
友人に対してもそうだ。
そんな自分の救いは、天に召されたハロルド先生…たった1人だけでも愛した人がいた事。
大人になった今は先生をいくら好きになっても、決して自分の思いが叶う事はなかっただろうとわかっている。
年齢が20歳も離れている上にハロルド先生にはこの上なく美しい妻と息子がいたから。
いつも幸せそうに笑っていたのは愛する妻子がいたからに他ならない。

離婚してから数年が経ち、相変わらず一人のショーンは静かに自分に向き合い、医師としての人生を模索しつつ生きてきた。
仕事に没頭しショーンは内科部長になっていた。
部長となった今でも誰からも好かれる優しい雰囲気は変わらず爽やかなショーン先生の人気は継続していた。

そんなある日、亡くなった祖父に代わり理事長となった母から緊急で呼ばれた。
母にしては珍しく慌てた様子で興奮気味だった。

「ショーン、これから大切な急患が入ってくる。VIPだからあなたが全責任を持って欲しいの。許可されたもの以外の出入りは禁止して看護師も厳選する」

唐突すぎてショーンの表情が曇る。

「VIP専用の特別室はすでに準備してあるからそこに入院してもらう」

「もう少し分かるように説明してください」

ショーンは困惑していた。

「患者の状態については、来てみないと何とも言えないわ、緊急車両を使わないからまだ様子が分からない。VIP患者なの。患者は、ソーンヒル社のコリン副社長の恋人よ。
コリン副社長の恋人に横恋慕した人がいて、副社長の恋人が誘拐されかけたらしいの。どうやら薬物を使われたらしくて意識が朦朧してるって。使われた薬物もまだ不明よ。到着したら確実な処置をお願い、警察沙汰にするかどうかはまだわからない。とにかくコリン副社長の恋人を助ける事が最優先よ。緊急出入口に秘書の運転する車で到着するからすぐに待機して」

ショーンは驚愕の内容に言葉を失う。

「大切な事を付け加えるけどコリン副社長の恋人は『男性』よ」

そう言って母はかかってきた電話を慌ただしく取っていた。

どうやら複雑な事情がありそうだ。ソーンヒル社は国内有数の企業だ。
コリン副社長は次期社長と言われ若くて有能だと言われる超有名人だ。
副社長の恋人が男性だという事にかなり驚いたが、その恋人をめぐっての不穏な話に戸惑う。
とにかく今は目の前の患者の事だけを考えて治療にあたらねば。
精神的なダメージを受けている可能性も高い。
コリン副社長もショックのはず。彼へのフォローも必要だろう。
ショーンは緊急出入口へと急いだ。看護師はすでに待機させた。

黒い高級車が入って来た。

後部座席にほぼ意識を失った男性とその男性を抱え悲愴に名を呼ぶコリン副社長がいた。
ショーンは意識のない患者をストレッチャーへ移し急いで処置室に向かう。
コリン副社長は青ざめていてストレッチャーから離れようとしない。
処置室の前のソファーで待つ様に看護師が言い、やっとのことで手を離させた。
ショーンは処置室へと入りすぐに薬物検査をし、同時に手当てを始めた。
無事に処置が終わり、大事には至らなかった。
使われた薬物は強い痛み止めとしても使われる麻薬で、長く意識が朦朧とするものだ。
点滴をしながら目覚めるのを待つしかない。
体には軽い擦り傷が何箇所かあったが大きな怪我はなかった。
傷の消毒など終え入院着に着替えさせてから点滴を施し処置室を出るとコリン副社長がショーンにつめよる。
社長秘書も控えていた。

「大事には至りません。ただし薬物を使われたので倦怠感が残ります。目覚めるのを待ちましょう。早朝までには目覚められると思います。それから擦り傷はありますがいずれも軽傷です。他には心配はありません。ただ精神的なダメージを受けているかもしれません」

そう言うとコリン副社長は不安げな表情になった。

「入院中は私が付き添います、私が彼のそばにいますから手続きなどは全てこちらにまわしてください」

もし被害届や告訴する時は診断書の作成をお願いしますとも言われた。
ただしそれについては恋人の意向を確認してから。

コリン副社長によれば、今回のことに恋人には何の非も無く、異常な好意を寄せられ、きっぱり拒絶すると相手が暴走したらしい。
コリン副社長は精悍でハンサム、世間の評判通りだった。
そして最愛の恋人のためなら何でもすると言い、最大限先生の力を貸して欲しいと真摯な態度で懇願された。
良い意味で大企業の副社長らしからぬ態度で恋人への愛情の強さに戸惑った。
こんなにも人を深く愛せるなんて。
ショーンにとって医師人生初めての経験で、怒涛の1日となった。

ショーンは処置を終え落ち着いてから今回の患者情報を確認しカルテを書いた。
患者は一流企業の海外事業部でチーフを務めるエリート。
現在27歳の独身男性。家族は海外にいて一人暮らしだ。
「27歳?」年齢不詳の謎めいた雰囲気だった。
アーサーさん…コリン副社長の最愛の恋人。
薬物で昏睡状態になったものの大事には至らなかった。
彼の精神状態が心配だった。
改めて眠っている彼を見る、
確かに類稀な美しさだ。
まだ目を開けた顔を見ていないのにわかる。
白く滑らかな肌はシミシワひとつ無く男性の肌ではあり得ないほど極上の美しさだ。
自分は内科医として多くの患者に触れてきたが、こんなにも美しい肌の男性は初めてだ。
眠っていて表情はわからないが、長い睫毛、鼻筋が通り、形の良い柔らかそうな唇、整った顔立ちだ。
手足はすらりと長くまるで絵に描いたような理想的な体型だった。
こんなにも美しいのに決して女性的なわけではない。
凛々しい男性でありながら何か特別だった。

ショーンは、この高貴な佇まいはどこかで会ったことがある気がした。

その日コリン副社長は夜通し付き添っていた。
看護師によると眠った様子はなくひたすら傍らで見つめていたらしい。
ショーンは誰も愛せない自分とは正反対で愛に生きるコリン副社長に感動を覚えた。
コールが入りアーサーが目覚めたと連絡が入った。
ショーンは看護師を連れすぐに特別室に駆けつけた。
アーサーはコリンにしっかりと手を握られていた。
目覚めたアーサーと目が合うとショーンはなぜかすぐに言葉が出なかった。
何とも不思議な感覚で、一瞬自分を見失う様な感覚になったのだ。
ショーンはすぐに我に帰りアーサーの脈を取りながら「ご気分はいかがですか?頭痛はしますか?」と声をかけた。
アーサーが口を開く。

「体が鉛のように重いです」

心地よい声色だ。

「脈は正常です。薬を出しておきます。頭痛がする様なら看護師に言ってください。もう安心してくださいね。血液検査の結果を見て問題無ければ退院しても良いですが経過を見るために2日ほど入院していただきたい。その後経過観察にしましよう」

「入院ですか?」アーサーが小さなため息をついた。

精神的ダメージをかなり心配し準備をしていたショーンは目覚めたアーサーの冷静さに驚いた。
一方でコリンはアーサーを見つめ「本当に無事で良かった」と言い涙目に見えた。
コリンの深い愛情はその場にいれば誰もが分かる。

「アーサーの会社へは私から病欠として連絡してる。なんの心配もせずよく休んで。あと必要な物があればなんでも言って欲しい」

コリンのアーサーへの手厚い世話焼きぶりにショーンは何となく居心地の悪さを感じるほどだった。
気を取り直しショーンはアーサーに声をかける。

「今からは栄養をしっかりとって休養してください。アルコール類を避けて今はゆったり過ごして何か体に変調があればすぐコールしてください。」

部屋を出ようとしたショーンにアーサーが「先生ありがとうございます。退院までよろしくお願いします」と頭を下げた。
ショーンはアーサーと目が合いその瞳にドキっとした。
ショーンは自分の部屋に戻ってから頭の中は様々な事が巡っていた。
まずは目覚めたアーサーの美しさだ。
想像をはるかに超えた美しい顔だった。
涼やかな目元は微笑むと独特な形になり一層魅力的に見えた。
そして白く細い手首、長くて綺麗な指、脈を取る時少し驚いた。
そして会話から二人は大学時代から続いている仲だと分かった。
彼らの関係が先輩後輩の仲から始まったのかと思うと甘酸っぱい感覚がした。

ショーンはその夜久しぶりにハロルド先生の夢を見た。

先生が亡くなってから20年という長い月日が流れた。
ショーンは、39歳になる。
ハロルド先生と同じ歳になってしまった。
ただしショーンは39歳と言っても童顔のうえ痩せ型でスタイルも良いので、かなり若く見える。
お見合い話が頻繁にやってくるし、若い看護師の女性に告白される事も何度もあった。
ただ愛という感情を持てないままでこの歳になってしまった。
唯一好きになった先生の事を思い出すことも少なくなったのに、唐突に夢に現れてショーンは驚いた。
夢の中でハロルド先生は優しく微笑んでいた。 
懐かしくて切なくてショーンは久しぶりにときめいた気持ちを思い出した。
自分の人生には全く縁のない愛の形をコリンに目の前で見せられ、心が揺さぶられたのだろうか?

アーサー…誰かを恋に狂わせた美貌の持ち主、きっと美貌以外の何かを持ち合わせているに違いない。

彼の恋人のコリン氏は、アーサーに完全な骨抜き状態。
このコリン氏も見るからに魅力的な人物で地位と名声はもちろん容姿端麗で目をひく。
複雑な事情は知る由もないが、アーサーを取り合う様が浮かんできた。
犯罪行為はとても許されないが、そこまで誰かに恋に狂わせたところが尋常でないアーサーの魅力を感じる。

アーサーの元に回診に行くと、すっかり元気になっていて一安心した。
脈を確認し熱を確認し体調を聞いて病室を出た。

しばらくしてショーンはアーサーが一刻も早く退院したいと言っていると看護師から聞き、アーサーのことが気になり病室に戻った。
寝ているかもしれない。
そう思って静かにノックしてドアを少し開けると、アーサーとコリンのキスシーンに出くわしてしまった。
二人はすぐに離れたが確かに口づけを交わしていた。
アーサーの困惑した顔つきが何とも言えず妖艶に見えた。
ショーンは久しぶりに緊張した。
二人は二人だけの特別な空気があって男同士の違和感なんて感じなかった。
そんな事を考えていた時、アーサーに声をかけられた。

「先生にとんでもないところを目撃されてしまいました。呆れてますか?」

「いえそんなことはありません、私は何も見てません」

「先生、いいんです。退院したい理由がわかっていただけたかと…」

「え?」

「彼の立場を考えればこれ以上病院に寝泊まりさせるわけにはいきません。どうかすぐにでも退院させてもらえませんか?」

そう言ってアーサーが深く頭を下げる。
顔を上げたアーサーが上目遣いになったとき、ショーンの体にイナズマが走った。
唐突にハロルド先生の顔とアーサーが重なったのだ。
ショーンは一瞬動揺して動けなくなった。

「先生?」アーサーに声を掛けられショーンは我に返った。

「…い、いいでしょう、退院の手続きをしましょう」

ショーンは無理矢理作った笑顔を貼り付け、急いでアーサーの元を離れた。
退院手続きを済ませて「アーサーさん、一週間後に診察を受けに来てください。何かあった時のために私と連絡を取れる様にしておいて下さい」

その日アーサーは退院した。

ショーンは動揺していた。
胸に何かが引っかかった様な、この感情の正体は何なのか?
とにかく自分をこんなにも戸惑わせる原因はアーサーの存在に他ならない。
VIP患者でもあるアーサーに出会ってから、こんなにも落ち着かない精神状態は初めてかもしれない。
アーサーを見ると、初恋の人、20年も前に亡くなったハロルド先生の顔がたびたび浮かんできた。
あの日は確かにハロルド先生の面影とアーサーが重なった。
何か共通した魅力がある。
心から憧れた先生とアーサーがなぜ重なるのかが不思議で妙に心が騒ぐ。
胸騒ぎのようなものを感じずにはいられなかった。
アーサーの父親は存命だ、、ショーンは大きく頭をふる。
こんな事を考えてばかりの自分はどうかしている。
自分の中でハロルド先生は特別な存在である事は間違いないが、ハロルド先生にとって自分は大勢いる生徒の一人に過ぎなかった…


退院したアーサーは今どうしているだろうか?男に追いかけられたりなどしていないだろうか?体調は万全だろうか?仕事には復帰したのか?
ショーンはアーサーの事ばかり考えている自分に戸惑う。
もしかするともう病院には来ないかもしれない。
そう思うとなぜか胸が苦しくなった。
胸の痛みの原因などどうでもいい事だ。
アーサーのことを考えるのはやめよう…ショーンはそう思って目を閉じて大きく息を吐いた。


退院から一週間、約束通りアーサーは診察のためショーンの元を訪れた。
顔色も良くなり元気そうで一安心だ。
退院した時と違い、髪を整えきちんとしたジャケットスタイルで現れたアーサーは洗練されたエリート会社員。
本当に綺麗な人だなと改めて思った。
大人の色気と可憐さを併せ持ち華やかな雰囲気は犯罪被害に遭った悲壮感は全くない。
ショーンは診察を終え栄養剤などの薬を処方する。
傷も目立つ事なくこのまま消える事だろう。

「アーサーさん、今回の事をご家族には言わないおつもりですか?確かご両親とお兄様皆さん国外に住んでいらっしゃるとか。家族に説明が必要なら私が話しますが」 

「先生、色々お世話になり本当にありがとうございました。先生には感謝の気持ちでいっぱいです。遠く離れて暮らす家族に今回の事を知らせるつもりはありません。実際告訴もしませんから」

「辛い体験をされた今後のあなたがとても心配です。どうかセラピストでもある私を頼ってください、いつでもお話をお聞きしますし何か不調を感じたら放っておかずに、お越しください」

「ありがとうございます」

ここでもまたアーサーの表情がまたハロルド先生と重なる。
ショーンは動揺して、つい顔をそむけた。

「どうかされましたか?」アーサーの問いかけに慌て、急いでショーンは話を戻す。

「ところでアーサーさんのお父様は何をされているのですか?あ、すいません、個人的な事を聞いてしまって、、」

「大学で社会学を教えていました。お堅い人ですよ」

「なるほど、アーサーさんはお父様に似て聡明でいらっしゃるんですね」

ショーンが言うとアーサーは控えめに笑って言った。

「今の父は、母と再婚して実の父ではないんです。実の父は私が7歳の時に亡くなりましたから」

!!!?

ショーンの時が止まった。

顔色が変わる。
手の震えが止まらず冷や汗まで出てきた。

(まさか、そんな事はあり得ない!!)

「も、もしかしてアーサーさんの亡くなられた実のお父様は医師ですか?」

発した声までも無意識に震えている。

「え??そうです!亡くなった父は医師です。なぜ知ってるんですか?」

ショーンはガタガタと音を立てて立ち上がった。

まばたきさえ忘れて「ハロルド先生…」とつぶやいていた。


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