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後日譚:これから1

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「あれ、指輪……」
和モダンなお鍋専門店で地鶏の白湯鍋をつついている最中、友紀くんの口から出た指摘にはっとして自分の左手に視線を落とす。確かに指輪はついていない。
まさかなくした……!?
嫌な予感に一瞬背筋が寒くなったけれど、すぐに思い出す。
「外してたんだった」
座席の後ろに置いていたバッグから化粧ポーチを出して、そのポケットを探る。
証拠として、指先でリングをつまんでみせる。
ホワイトゴールドの細身のリングは、クリスマスプレゼントとして彼から贈られたものだ。
逆Vの字の形にぐるりとダイヤがはめ込まれていて、半個室の淡い照明のもとでもきらきらと光を放っている。
「普段はつけてるんだけど、今日はフルート教室だったから」
ちょっと言い訳がましかっただろうか。でも、付き合ってるうちに彼が割と心配性だって言うのがわかってきたから、変に誤解されないようにちゃんと理由を伝える。
「ああ、なるほど」
きっと彼は気にしてない。そう思うものの、生来の気にしいな性格が出て、罪悪感でそわそわしてしまう。せっかくプレゼントしてくれたのに、外していたことすら忘れるなんていい気はしないはずだ。
「あの……大事にしてるからね?」
リングを左手の薬指に押し込みながら囁いた。
「わかってるよ」
左手を取られて甲をそっとなぞられると、くすぐったさに小さく息が漏れた。
「教室はどうだった?」
「楽しかったよ。結構気さくな人が多くて、教室の前後にお茶したりするんだって」
今日は友紀くんとの約束があったからすぐに出てきたけれど、今度また誘ってくれるとか。同じフルート経験者だし、仲良くなれる機会は大切にしたい。
「そっか」
彼は軽く顎を引いて、頷く。そして何か思いを巡らせるように目を伏せて一点を見つめた。
友紀くんが急に口数が少なくなる時のパターンは二つあって、半分は仕事のこととか会話に関係ないことを考えていて、もう半分は言おうかどうか迷っている。付き合うようになって知ったことだ。
今回はどっちだろう。気になる。
その間も彼は私の手先をむにむにと触り続けている。甘やかされているようで甘えているような手遊びにぴんときた。
「どうしたの?」
これは何か話したい方だ。そう見当をつけて促すと、長いまつ毛がぱっと上を向いて薄い茶の瞳がこちらを向いた。
まず自分の耳を疑った。
付き合い始めて二か月近く、順調ではあると思う。けれど同棲とはあまりに唐突で、呆然としてしまう。
「……えっ⁉」
「まだ早いかな」
遅れて問い返すと、彼は眉を下げた。しょんぼりとした雰囲気をかもし出され、急いで首を振る。
「いや、ちょっと驚いて」
話の流れとしては、私たちが同棲をするかどうかということで間違いない。
「嫌とかではないです」
慎重に答えると、友紀くんはお箸を置いて、私に向き直った。
「じゃあ、ちょっと考えてほしい」
「うん……」
私は急だと思ったけれど、もしかして彼の方は前々から考えていたんだろうか。疑問を口に出すと、友紀くんは待ってましたとでも言いたげに語りだした。
「最近、お互い忙しくて会えない週もあるよね」
「確かに」
時期的なものもあって、平日はお互い仕事で精いっぱい。私が体調を崩したり、彼の方は休日出勤があったりもして、毎週欠かさず会うということはできないでいた。
「一緒に暮らしたら、毎日顔が見られるし、お互いのことをもっとよく知ることができると思う」
「まあそうだね」
「食器洗いも洗濯も掃除も自動化してるし、俺が家事一通りできるから、ただ居てくれるだけで大丈夫」
「いや、そういうわけには……」
実家暮らしだからといって、私だって少しは家事をしている。一緒に暮らすにしてもそんなお客さん対応は違うと思う。
「何か不安?」
「うーん、親がなんて言うか」
「それなら問題ないと思う。ゆきのご両親と食事に行った時、俺もいい年だし結婚前提でお付き合いしてるって言ったら──」
「待ってうちの両親に言ったの?」
付き合って一か月が過ぎる頃、両親に挨拶したいと言われて日程を調整して、ちょうど二週間前にランチを一緒にした。和やかなムードで当り障りなく終了したはずの食事会で、いつの間にそんな話になっていたのやら。
「ダメだった?」
「ダメじゃないけど、いつ?」
「ゆきがお手洗いに行った時かな。お父さんもお母さんも喜んでくれたよ」
確かに一度、ほんの数分席を外していた。
「私が居ない時にそんな話してたの」
「うん。勤めてる会社や年収の話もしたけど」
私もよくは知らない情報を両親は握っているようだ。
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