フンペの海

鈴木 了馬

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   十

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 あくる朝、イソンは暗いうちから森に向かった。
 そして、日の出とともに枝を伐り始めた。
 東の稜線から太陽が顔を出した頃には、一本のクスノキの大枝を伐り終えた。
 その枝から、一尺五寸ほどの丸太を三本取る。
 最初の二本を運んで洞窟に戻ったのは、ちょうど昼ごろだった。
 二往復目は、娘も同行した。
 娘の冬支度も一段落しているようだったからだ。
 川沿いの道をイソンが前、娘が後ろで歩いた。
 娘は嬉しそうだ。
 足取りも軽やかだ。
 もともと、山川に育った娘だった。
 海よりも慣れ親しんだ景色だろう。
 森に着くと、娘は沢の上流を指さした。
 そっちに行きたいのだろう。
 イソンは、行っていい、と促した。
 三本目の丸太に縄を掛け、背負える状態にしてから、イソンも沢に入ってみた。
 幅一間もない沢だ。
 しばらく歩くと、小さな滝があった。
 滝の天辺から、大木が一本倒れ、下流の流れに橋を渡したようになっている。
 倒木は、滝の飛沫を受けて、表面がぬるっと湿っている。
 流れに刺さっているところの少し上に、淡褐色のキノコが並んで生えていた。
 丸い傘は一寸から二寸ほどだ。
 斜面の上で、娘はそれと同じキノコを採っていた。
 そのキノコは、オペも毎年採ってきたし、村人もよく持ってきてくれたりして、食べなれたキノコの一つだった。
 娘の目当てはこのキノコだった。
 娘は背負ってきた籠に、キノコを採っては入れてを繰り返した。
 籠は、一尺立法くらいの大きさで、娘が木の蔓で編んで作った。
 手慣れたものだった。
 上を採り終えると、娘はイソンのところに降りてきて、倒木に生えたキノコを採った。
 そこのキノコをすっかり採ってしまうと、娘は腰を上げ、左右  反対側からの斜面を見上げた。
 間もなく娘は、何かを見つけたらしく、斜面を上がって行った。
 イソンは沢の上流を見やった。
 木々の間から、青空が見えた。
 沢の中まで差し込んだ光が、斜面の土を温め、湯気が立っている。
 しばらくすると、娘は斜面を下りてきて、イソンに籠の中身を見せてくれた。
 さっきのキノコの上に灰色の別のキノコが乗っていた。
 木の皮の色に似て灰色ががった房状のキノコだった。
 イソンはそのキノコを見たことがないので、訝しげな顔だ。
 一方、娘は得意気だった。
 美味しいキノコなのだろう。
 イソンと娘は、屈んで渓流の水を手ですくって飲んだ。
  
 洞窟に戻ると、村の長、チラが待っていた。
 鮭トバを持ってきていた。
 もちろん、それはついでで、目的は別にあった。
 チラは、娘も話を聞くように言った。
 二人はオペの作業場で、チラの話を聞いた。
 チラは、木の棒で、地面に絵を描きながら、説明した。
 オペが死んで、一定の時が経った。
 娘は、集落の外の人間だが、事情があってオペの子供になった。
 それをチラも知っている。
 しかし、それは本当の親子になったわけではない。
 いわば、イソンと娘は、本当の兄妹ではない。
 男と女だ、と。
 だから、この先も住処を一緒にするには、決まりごとを守るしかない、というのだ。
 その決まりごとというのは、夫婦になる儀式のことだ。
 昔からがそうする決まりだ、と。
 イソンも、娘も、初めチラに咎められていると思った。
 だから、話の最後の方は、深刻な表情になっていた。
 しかし、チラは笑って二人の肩に手を置いた。
 チラは、前からそのことを考えていたのかもしれなかった。
 オペがチラよりも年長だから、言い出しづらかったのだろう。
 最後にチラは、儀式までの段取りを話し、帰って行った。
 準備が整えば、村から使いが来る。
 大まかな段取りはこうだ。
 娘は一時的に、村の誰かの子になる。
 それをイソンがもらいに行く、ということだった。
 あらためて、夫婦という話になると、イソンには少し照れがあった。
 イソンはそれを隠すために、火をおこし、伐ってきた丸太を、囲炉裏の横に並べる作業をした。
 娘には照れはなかった。
 それは、ごく当たり前のことで、自然な成り行きのように思えたからだ。
 それに、正式に村の一員になれることが嬉しかった。
 娘はイソンの照れを見ぬいた。
 そしてなぜか笑いが浮かんだ。
 決して蔑んでいるのではない。
 イソンの気持ちが分かるのだ。
 手に取るように。
 娘は、イソンを気遣う意味もあって、洞窟の外で、キノコのごみ取りの作業を始めた。
 枯葉や木の枝、草など、キノコに付着しているものを取り除くのだ。
 そうしておけば、すぐに天日干しにできる。
 幸い、傾きかけた太陽の周りには雲ひとつなく、明日も晴れそうだった。
 キノコの作業が終わるころ、やっとイソンが娘のところにやってきた。
 娘が見上げると、イソンは笑っていた。
 そして、娘に沼に行こうと、誘った。
 娘が同意すると、イソンが駆け出し、娘はそれを追いかけた。
 娘の前を歩きながら、イソンは、複雑な気持ちだった。
 儀式が終われば、もう兄妹みたいには振る舞えなくなるだろうか。
 それは嬉しくも悲しいことだった。
 不意に、娘が声を上げた。
 イソンは立ち止まって、娘の視線の先を見た。
 枯れ草の茂みで、雉(きじ)が一羽、二人の方を見ていた。
 イソンと娘は、しばらく雉と見つめ合った。
 その沈黙を破ったのは雉の方だ。
「ケンッ」
 雉は一声、高らかに鳴くと、走り去って草むらの中に姿を消した。
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