地方騎士ハンスの受難

アマラ

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5巻

5-2

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「実は、すでにコウシロウ殿にもウィンタードラゴンの監視をお願いしていてね。おおよその進路を確認してもらっているのだよ。それから、隣国のウィンタードラゴンの縄張りの位置もね」

 ロックハンマー侯爵は手元に置いていた、折りたたんだ紙を広げる。
 それはロックハンマー侯爵領と、接した隣国の一部の地図だった。インクや線の具合から印刷物と判断できる。どうやら、ロックハンマー侯爵はすでに地図を印刷して複数所持しているようだ。その地図には、丸印が二つ書き込まれていた。
 一つはハンス達の国内に、一つは隣国側に。

「印の位置が、それぞれのウィンタードラゴンの縄張りの位置でね。この直線上はほとんど辺境で、幸い人里もない。ただ、一箇所だけ街があってね」
「私の街、ですね」

 地図を食い入るように見て、ハンスは声を絞り出した。二つの丸印を繋ぐ直線状には、きれいにハンスの街が収まっている。

「コウシロウ殿によると、その直線をまっすぐに辿っているらしくてね。ただ、今はまだ本格的に冷え込んでいないからね。ウィンタードラゴンは本格的に寒くなるのを待ちながら、ゆっくり動いているようなのだよ」

 ハンスの国側の縄張りは、街をはさんで北東側にあった。隣国側は、南西側だ。
 寒くなるのを待ちながら目的地を目指しているのであれば、ハンスの街近くを通るまでにはまだ幾らかの猶予ゆうよがあるだろう。

「今のうちに街を放棄ほうきして逃げ出す、というのも一つの手だろう。だが、それはあまり現実的ではないと私は思っているのだがね。いくら田舎いなかとはいえ、街にはかなりの人数が居るからね」

 街の人間を丸まるすべて移動させる。それも、寒くなり始めたこの時期に。
 輸送手段が確立した地球ならばともかく、この世界では移動するだけでも命がけだ。ましてハンスの街は周囲を森に囲まれており、ほかの土地へ行くための道も狭い。しかもその道はかなりけわしく、女子供おんなこどもや年寄りにはつらい。

「となれば、近くの農村部に分かれて隠れているのが無難だろうが、それにしても収容人数は限られているし、ドラゴンが気まぐれにそちらを通らないとも限らない」

 相手はあくまで「野生動物」なのだ。絶対にそこを通ると言い切れない以上、安全の保証はない。

「遠くに逃げようとすれば、途中で力きる者が出るだろう。近場では、避難する意味がそもそもない。家の中で震えながら、通り過ぎるのを祈るのとあまり変わらないだろうと、私は思うのだがね」

 それについては、ハンスもおおむね同意だった。何らかの手を打つ必要がある。

「ところで、騎士ハンスは、四元竜しげんりゅうという言葉を知っているかね?」
「はい。風雪竜、火炎竜、海中竜、岩石竜の四体を、風火水土の四属性になぞらえて表す言葉、でしたか」
「うむ。それぞれ代表的なものだね。これらは戦力的にも同格とされているのだが、ふと思い出してね」

 そこで、ハンスもあることに気がついた。
 岩石竜というのは、一般的にアースドラゴンと呼ばれる竜のことなのだ。そして、そのアースドラゴンは――。

「ケンイチ君の舎弟しゃていに居たはずだと思ったのだがね」
「確かに。居ましたね」

 最近は黒いレザーのライダースーツを着込んだ女性の姿になっているので、ハンスもうっかり忘れていたがロックハンマー侯爵の指摘通り、アースドラゴンは居る。

「まあ、これは素人考えなのだがね。同格のドラゴンであれば、倒すのはともかく、街に被害がおよばないように牽制けんせいする程度は可能なのではないか、と思うのだがね」

 なるほど、倒すつもりではなく、追い払う程度ならできるだろう。それに、いくらドラゴンでも、進路上に自分と同じぐらいの強さのものが居れば、道を変えるかもしれない。

「それに、アースドラゴンは四天王の一体、というからね。つまり、少なくとも同格の魔物があと三体居ることになる」

 天馬である黒星くろぼし蜘蛛女くもおんな、吸血鬼。
 非常に強力な、それこそドラゴンと同じほど危険な魔獣達だ。

「さらに、それらを制圧して舎弟にした、ケンイチ君も居るわけだからね。ごくごく大雑把おおざっぱに言ってしまって、五倍の戦力になると思うのだがね。ほかの魔獣のことも考えれば、それ以上かな」
「はい。そうではありますが」
「そもそも現在、あの街はイツカじょうのダンジョン化によって、相当に武装化されているからね。防衛にも力を入れているという報告を受けているよ」

 まさしく、街はケンイチとイツカの手によって、確実に防衛強化がなされていた。トラップやゴーレムによる防御は、すでにかなりのものになっている。

「そして、一人で攻撃魔法使い何十人分もの働きをしてくれる、ムツキ嬢も居るからね」

 単純な火力で言えば、ムツキはそれこそ「ドラゴンを殺せるレベル」と言って問題ないだろう。それだけ常識外れの力を、間違いなく持っている。

「まあ、これは私が軍人寄りで、ウィンタードラゴンについてあまり知識がないから出た結論なのかもしれないがね?」

 ロックハンマー侯爵は真剣な表情を作り、しっかりとハンスを見据みすえて口を開いた。

「……迎撃してしまった方が手っ取り早く、安全なのではないか、と、思うのだがね」

 なるほど、そのとおりだろう。
 迎撃戦力としては十分を通り越して、むしろ過剰かじょうなほどだ。ウィンタードラゴンの位置は常にコウシロウが把握しているということなので、見失う心配もほとんどない。

「ええ、そう、ですね」

 ハンスは胃の辺りを押さえながら、地をうような低い声を出した。
 ロックハンマー侯爵の言うことが間違っていないことは、ハンスにも理解できている。ただ、胃が痛くなるのは避けられなかった。

「事が事だからね。一度話をケンイチ君とキョウジ君、イツカ嬢にしてみてもらいたいのだがね。不幸中の幸い、まだ寒くなるまでに時間もあるわけだから。私のところにも対策に詳しい者が居るからね。彼らとも相談して決めて欲しいと思うのだがね」
「分かりました。早急に対処手段をまとめます」

 ロックハンマー侯爵領は広く、辺境地域も多いので、そういった被害は少なくない。そのため、「災害」の専門家も居るのだ。彼らと状況を整理しつつ話し合えば、より確実な対処が取れるだろう。

「とはいえ。ケンイチ君ならば喜んで退治に向かってくれそうな気が、しないではないのだがね」
「目に浮かぶようではありますが」

 胃の辺りを押さえ脂汗を浮かべるハンスを見て、ロックハンマー侯爵は片眉を上げた。

「お茶がほどよく冷めているようだね。飲んでみるといい。君のは胃に良いハーブティーでね。執事に作らせたものだが、味は保証しよう」
「はっ。ありがとうございます」
「瓶に詰めたものも用意してあるから、持ち帰るといいと思うのだがね」
「本当に、ありがとうございます」

 なんとなく街に帰りたくなくなったものの、そういうわけにもいかないんだろうな、と思うハンスであった。



 2 わらう男 いきどおる影


 その日、リアブリュック公爵の領主館応接室に、五人の日本人が集まっていた。
 五人とも時期は違うものの、この世界に転移して来たところをファヌルスに保護された者達だ。ファヌルス・リアブリュックは、リアブリュック公爵家の養子であり長男だった。幼い頃、子供の居なかった公爵家に引き取られたのである。長身痩躯そうくの、同姓でも見惚みほれるほどの美青年。そして、前世は日本人という、いわゆる転生者でもあった。
 五人は助けられた者同士、全員面識がある。境遇が同じということもあり、皆仲がよく、仲間意識も強い。こうして一堂に会するのは久しぶりなのだが、それぞれの表情は一様に暗かった。
 集合の理由が、嬉しいものではなかったためだ。
 この世界に来たばかりの日本人のナナナが、消息を絶ったのである。
 とはいえ、情報自体はすでに数ヵ月前、全員に知らされていた。今回五人に声がかかったのは、ナナナの行方に、おおよその見当が付いたからだという。
 五人のうち、二名は、ナナナとは直接顔を合わせてはいない。だが、ナナナが発見されたという情報だけは、当日のうちに届けられていた。大切な話だからと、すぐに全員の耳に入るようにファヌルスが手配したのだ。
 五人にとって「新しい日本人が来た」というのは、とても大きなことである。
 わけも分からないままやって来たこの世界で、同じ国の人間が居るのがどれだけ心強いことか。もちろん、それに対する考え方はそれぞれ違っている。
 大きく分ければ、二つになるだろう。
 仲間が居てくれると、心強く思う者。
 自分と同じ目にあった人が居ることを、悲しく思う者。
 なんにしても、同郷の者に対して、特別な感情を抱いているのは間違いない。

「ナナナ、と言ったか。どんな感じの娘だったのだ?」

 全員が重苦しく押し黙る中、口を開いたのは後頭部の高い位置に一つ結びのポニーテールを作った少女だった。切れ長の目とシャープな顔立ちをしており、高い身長が印象的だ。

「そっか。トヨカちゃんは、ナナナちゃんに会ったことなかったんだよね」

 そう言ったのは、利発そうな少女、イチゴだった。
 イチゴは、この世界で一番最初にナナナと接触した日本人だ。その分思い入れも強いのか、沈痛な面持おももちで胸を押さえている。それでも、イチゴはポニーテールの少女、トヨカに笑顔を向けた。
 上手く笑えてはいない、苦い笑顔だ。

「凄くいいだったよ。頭も良さそうだったし。だから、きっとひどいことにはなってないと思うんだ」
「そうか。イチゴがそう言うなら、きっと大丈夫だろうな」

 イチゴのそんな言葉に、トヨカが気遣きづかわしげに言う。
 近くに居たボーイッシュな少女のニコが、そんなイチゴの肩を抱いた。ニコは、ナナナが外出するときによく護衛として付いていた少女だ。イチゴと同じく、ナナナに対する思い入れは強い。
 その横で、いつもは無表情で暗い印象を受ける少女――ミクルも、どこかさびしげな顔をしていた。普段、屋敷に居ることが多い彼女も、ナナナとはよく顔を合わせていたはずだ。
 そうなれば、当然情も移る。

「僕も、会ってみたかったな。ナナナちゃんに」

 落ち込んだ様子でそう言ったのは、肩までかかるつややかな黒髪の美少女のような少年であった。年齢は小学校低学年くらいで、ミクルと変わらない程度だろうか。小柄で気弱そうな少年だ。

「イツミも、外に行っているときだったからな。仕方ないさ」

 ニコになぐさめの言葉をかけられ、イツミと呼ばれた少年は力なく笑う。

「ファヌルス様に頼まれた、大切なお仕事だったから。トヨカさんも、お仕事だったんだもんね」
「ああ。なるべく早く終わらせたつもりだったんだが……」

 トヨカの表情がみるみる曇る。そして軽く唇をみ、悔やむように目を伏せた。
 五人全員が黙り込み、部屋の中に静寂が満ちていく。
 丁度、そのときだ。
 廊下に繋がるドアから、ノックの音が響いた。
 全員の注目が、そちらに動いた。

「やぁ、皆。久しぶりだね」

 ドアを開けて部屋に入って来たのは、ファヌルスだった。どこか疲れたような笑みを浮かべるその顔は、常のものからは考えられないほど暗い。

「ファヌルス! ナナナちゃんがどこに居るか分かったって、ホント?」
「分かった、というわけではないんだけれどね。予想がついた、と言ったところかな」

 話に飛びついて来たイチゴに、ファヌルスは苦笑をらした。イチゴの肩を落ち着かせるように撫でると、室内に居る全員の顔を見回す。

「情報を集めるのにいろいろ手間取ってしまってね。ただ、王都の特殊な魔法を使える人達にも協力してもらったから。かなり信憑性しんぴょうせいはあるはずだよ」

 そう言うと、ファヌルスは五人に座るように促した。
 全員が着席したのを確認して、ファヌルス自身もテーブルに着く。
 険しい表情の者や、心配そうな者。
 状況の受け取め方はそれぞれ違うが、五人の注目は一様にファヌルスに集まっていた。
 ファヌルスは小さく息を吐き、ゆっくりと話し始める。

「ナナナ君が行っていた、海底魔石鉱山採掘に関することは、すでに皆知っていたはずだね」

 五人の日本人、全員が頷いた。
 各人が今どんなことをしているか、という情報は、必ず共有するようになっていた。ファヌルスが抱えている魔法使いの中には遠隔地えんかくちとの通信を可能にする「遠話」を使える者も居るので、その辺の伝達に抜かりはない。

「そのあたりの細かいことは、知っている前提で話をしよう」

 ナナナ達との「遠話」による連絡が取れなくなった直後、ファヌルスは海軍に働きかけ、すぐに探索隊を派遣はけんしてもらったのだという。
 状況が分からないので、少数精鋭せいえいの水系統魔法使いによる隠密おんみつ潜入という手段を取ることになった。隣国が軍艦などを派遣していた場合、こちらも軍艦を出したのでは開戦になりかねないからだ。
 調査は慎重に行われ、情報はすぐにもたらされた。
 ナナナがポイントカタログで作り出したメガフロートには、彼女達の姿はない。代わりに、隣国の兵士達の姿があったのだという。

「ただ、周囲には目立った大型船舶せんぱくはなかったそうでね。中型船舶が数隻だけだったので、彼らは周辺の陸地を捜索したらしいんだよ」

 すると、小さな村落が見つかった。
 建物が十軒もないような小さな小さなそれは、ファヌルス達側の国では記録されていないものだった。
 つまり、彼らから見て、隣国側、ハンス達の国に所属している村ということになる。
 これを聞いた五人の顔が、一様に凍りついた。
 ファヌルスは目を伏せ、一呼吸置いて続ける。

「つまり、あの海域で一番近くに人が暮らしている土地を持っていたのは、彼らだったんだ。村の様子から見て、最近作られたものではないことも分かった。お互いに領海を主張している地域だが、先に暮らしていたのはどうやらあちらだったらしい。これは、僕の調査ミスだね。本当にすまない」

 頭を下げるファヌルスに、五人の表情がゆがんだ。

「違う! ファヌルスのせいじゃないよ! 海軍の人も、今回のことで初めてその村の存在を知ったんでしょう!?」
「そうだな。誰も知らないことだったのなら、調査のしようもない」

 イチゴとニコの言葉に、ほかの日本人達も大きく頷いた。
 ファヌルスは、無理矢理笑顔を作る。

「すまない。ありがとう」
「謝ることはない。それよりも、どうするか考える方が先決だ。といっても、ファヌルス様ならすでに何か手を打っているのだろうが」

 トヨカにそう言われ、ファヌルスはゆっくりと頷いた。

「僕の考え、ということではないんだけど。実は、事情を聞いて手伝いを申し出てくれた方が居てね。過去の現象が見られる、特殊な魔法を使える方なんだ」
「それって、『過去視かこし!?』 もしかして、この国の王子様、でしたっけ!?」

 驚いた声を発したのは、イツミだった。
 過去の出来事を見通す魔法は、この世界でもかなり特殊な部類になる。その能力者は、ファヌルス達の国でも片手に収まる人数しか居なかった。しかも、ほとんどが王族につらなる者だ。

「ああ。以前、話したことがあったかな? この国の第三王子は、僕の学校時代の友人でね。どこからか今回のことを聞きつけたらしくてね。協力を申し出てくれたんだ」

 第三王子は、軍部に所属している行動派で有名な人物だ。今回のことを聞きつけた彼は、水系統魔法使いの協力の下、くだんのメガフロートに接近。ナナナ達が捕まることになった、一部始終の状況を見て来たのだと、ファヌルスは言う。

「ただ、彼の過去視も、鮮明に見える、というものではないからね。所々おぼろげだったものの、おおよそのことは分かったそうなんだ」

 いわく。
 メガフロートは、強力な魔法を使う集団に制圧されたと考えられるらしい。
 なぜなら複数の攻撃魔法が飛び交う様子と、何体ものゴーレムが使われているのが見えたからだそうだ。
 この世界の常識で言えば、自己強化以外の魔法の所有は、一人一つが原則である。
 炎や風、光、雷、ゴーレム製作など複数の魔法が確認されたことから、相手方には相当な力を持った魔法使いが複数居ると考えるのが普通だろう。

「それだけの強力な魔法を使える人員をそろえているとなると、やっぱりあちらの国の軍部の者達だと考えるのが妥当だよね」

 破壊力を持つ魔法を使える者のほとんどは、軍に所属している。

「その中でも、アレだけ強力な魔法が使えるとなると。騎士団になると思うんだ。あの国は特殊でね。騎士というのは、一人で数十人の人間を圧倒できる戦闘力を持つ人間に送られる称号なんだよ」

 そんな人間だけを集めたのが、ハンスの国における騎士団なのである。
 ハンス達の国独特の制度ではあるが、その高い能力から諸外国でも有名な存在だ。

「それを裏付けるように。メガフロートを襲撃した騎士の中に、一人印象的な人物が居たそうでね」

 ファヌルスは言葉を区切り、呼吸を整えるように息を吐いた。
 ファヌルスのいつになく改まった真剣な表情に、五人が息をむ。

「前戦争の、の国の英雄。僕達にとってみれば、敗戦の最大原因と言われている人物。〝魔術師殺し〟のハンス・スエラーだよ」

 ファヌルス達の国にとって、ハンスは敗戦の象徴の一つだ。
 活躍したということは、裏を返せばそれによって大きな被害を受けた者もいるという意味だ。
 そういった感情や評価は強く根付いており、普通に生活をしていても五人の耳に届くほどであった。

「ナナナ君は、どうやら彼に捕まったらしい。あまりかんばしい状況とは言えないね」

 固唾かたずを呑んで固まっている五人を見回し、ファヌルスは僅かに表情をゆるめる。

「ただ、彼は今、地方騎士という立場になっているらしいんだ。山間の小さな街に赴任ふにんしているそうでね。そこが活動の拠点きょてんのようなんだよ。だとすれば」

 五人の視線が集まる中、ファヌルスは笑顔を作る。場違いなほど美しいその笑顔に、僅かにほっとした空気が流れた。相手を落ち着かせ、安心させるような。そんな何かが、ファヌルスの笑顔にはあった。

「ナナナ君を助け出せるかもしれない。いや。必ず助け出そう。だって彼女は、僕達と同じトコロから来た、仲間なんだからね」

 静かな、しかし力強いその言葉に、五人は大きく頷くのであった。


   ◇◆◇◆◇


 自室のソファーに座り、ファヌルスは自分の膝の上に乗せたミクルを撫でていた。
 今にも鼻歌でも歌い出しそうな表情は、先ほどまで五人の日本人達に見せていたものとはかけ離れている。

「随分な茶番だったな」

 部屋の中に、しわがれた声が響いた。
 ファヌルスとミクル以外には、人影らしきものは見えない。

「酷い言い草だな」

 一瞬、いつもと同じ苦笑を浮かべるファヌルスだったが、それもすぐに機嫌のいい笑顔の中に消えてしまう。ミクルを撫で続けながら、声の主を探す様子もない。探しても姿がないと分かっているのか、ずっとミクルを見つめたままだった。

「だが、お前は相変わらず、伝えるべきこととそうでないことの選別だけは上手い。ハンス・スエラーがどこで何をしているかの情報は、こちらも未確認なはずだが?」

 彼らが持っている情報は、あくまで襲撃の現場にハンスらしき人物が居たらしい、というものだ。
 この情報は、かなり信憑性が高い。まず間違いないと、ファヌルスも声の主も思っていた。だが、ハンスが今現在どんな立場に居るのかというのは、「隣国がそうだと言っている」という程度のことしか知らないのだ。
 あれだけ優秀な男なのである。
 もしかしたら、実は秘密任務などに当たっているのかもしれない。もちろん、本当に地方でくすぶっている可能性もある。なんにしても、不確定な情報が多すぎる。

「彼の任地は、ロックハンマー侯爵領だろう? 案外、セルジュ・スライプスに頼んだ前回の実験で行った辺りだったりしてね」

 ファヌルス達の国は、未だセルジュ達が捕まった詳しい土地の名前などを把握していなかった。情報伝達の都合上、そうそう多くのやり取りができるわけでもなく、それほど重要度の高い情報でもなかったからだ。誰も、捕まえた兵士の名前や素性まで調べようと思わなかったせいもある。

「そうかもしれんし、そうではないかもしれん。なんにしてもロックハンマー侯爵領内でのことだ。あそこにはコールスト家が付いてる」
ぎ回ったらシッポを掴まれる、か。君達のライバルは優秀だね」
「そういった物事を得意としている集団はどこにでも居るだろう」

 姿が見えない相手の言葉に、ファヌルスは楽しそうに笑う。
 声の主は、苛立いらだたしそうに言葉を続ける。

「そんなことよりも。相手に日本人が居るかもしれないことを伝えなくていいのか。王子は黒髪黒目の人間が居たと言っていたのだろう」


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