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二:森に眠る
20:繰り返し
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仕事部屋の窓から、藍色の闇が森の彼方へと広がっている。朝日がまだ顔を出さず、辺りには淡い闇が立ち込めていた。
「どうしたんだ、こんな早くに」
部屋に入って来た小夜子に声をかけると、彼女は物語を綴った紙片を手にした。
「悠。この話はハッピーエンドになるの」
「分からない」
「悠の絵は優しい。物語も。あなたの心がそのまま出てる。大好きよ、どの作品も。……もう、ハッピーエンドは書かないの?」
「書けないよ」
小夜子は微かに首を振り、俯いた。長い髪に触れると、哀しみに沈んだ瞳が上目使いに俺を見る。迷い、哀しむ瞳。森の闇と同じ漆黒がある。
「今日の夕方、おじいちゃんが来るわ。悠に目を醒ませって。――悠もよく考えて、何が一番幸せか」
「ずっと考えていたよ、答えは一つしかない」
お前が側にいる事だ。そう告げると彼女は否定する。淋しさを宿した瞳には、俺が映っていた。
「先の事は誰にも分からない。こんなに才能だってあるのに。絶対に後悔しないって言える?」
「ああ」
「嘘よ」
「嘘じゃない」
小夜子の手がそっと俺の頬に触れた。冷たく白い、細い指。失う事など考えられない。耐え切れず、思わず彼女を引き寄せた。
「一人で逝くな」
「私には、決められない」
涙に濡れた声が、はっきりそう告げた。
「悠の未来を否定する事なんてできない」
「未来なんて、あの時に全て無くした」
あの時。暗い森で眠る小夜子に全て託した。この森で、未来を手放した。
「――お前が消えた時に。だから、ずっと探していた」
「この森で……。そう。――ずっと、呼んでいたわ」
「知ってる」
「違う。あの日、ずっとあなたを呼んでいた。自分の声が木霊して、森が悲鳴をあげているようだった」
「小夜子」
「あなたは約束を守らなかった」
約束。あの日、小夜子を一人で行かせるべきではなかった。
「でも、悠は抱きしめてくれたわ、ボロボロの私を。――嬉しかった」
「あれは小夜子じゃない。偽物だ。お前はここにいるんだから」
「違う。ここにいるのは偽物。本物は、もうどこにもいない」
長い沈黙が訪れた。抱きしめた体は幻。それでも、小夜子に変わりはないのに。
「私には決められない。だから、貴史君に聞くわ」
「貴史に?」
「そう。悠にとって何が一番幸せか、彼の方が良く知ってる」
「どうして?」
「一緒に、夢を見てくれたから」
だから、見たまま、感じたまま。彼だけが真実を教えてくれる。
「……何も失いたくない」
「もう失ってるの。でも、私も悠を失いたくない。いいえ、貴方の幸せを壊したくない」
小夜子が身を離した。
窓の向こうで朝日が顔を出した。手の届く距離にいる彼女にも、光が降り注ぐ。
三年前の今日、小夜子の時計が止まった。
「どうしたんだ、こんな早くに」
部屋に入って来た小夜子に声をかけると、彼女は物語を綴った紙片を手にした。
「悠。この話はハッピーエンドになるの」
「分からない」
「悠の絵は優しい。物語も。あなたの心がそのまま出てる。大好きよ、どの作品も。……もう、ハッピーエンドは書かないの?」
「書けないよ」
小夜子は微かに首を振り、俯いた。長い髪に触れると、哀しみに沈んだ瞳が上目使いに俺を見る。迷い、哀しむ瞳。森の闇と同じ漆黒がある。
「今日の夕方、おじいちゃんが来るわ。悠に目を醒ませって。――悠もよく考えて、何が一番幸せか」
「ずっと考えていたよ、答えは一つしかない」
お前が側にいる事だ。そう告げると彼女は否定する。淋しさを宿した瞳には、俺が映っていた。
「先の事は誰にも分からない。こんなに才能だってあるのに。絶対に後悔しないって言える?」
「ああ」
「嘘よ」
「嘘じゃない」
小夜子の手がそっと俺の頬に触れた。冷たく白い、細い指。失う事など考えられない。耐え切れず、思わず彼女を引き寄せた。
「一人で逝くな」
「私には、決められない」
涙に濡れた声が、はっきりそう告げた。
「悠の未来を否定する事なんてできない」
「未来なんて、あの時に全て無くした」
あの時。暗い森で眠る小夜子に全て託した。この森で、未来を手放した。
「――お前が消えた時に。だから、ずっと探していた」
「この森で……。そう。――ずっと、呼んでいたわ」
「知ってる」
「違う。あの日、ずっとあなたを呼んでいた。自分の声が木霊して、森が悲鳴をあげているようだった」
「小夜子」
「あなたは約束を守らなかった」
約束。あの日、小夜子を一人で行かせるべきではなかった。
「でも、悠は抱きしめてくれたわ、ボロボロの私を。――嬉しかった」
「あれは小夜子じゃない。偽物だ。お前はここにいるんだから」
「違う。ここにいるのは偽物。本物は、もうどこにもいない」
長い沈黙が訪れた。抱きしめた体は幻。それでも、小夜子に変わりはないのに。
「私には決められない。だから、貴史君に聞くわ」
「貴史に?」
「そう。悠にとって何が一番幸せか、彼の方が良く知ってる」
「どうして?」
「一緒に、夢を見てくれたから」
だから、見たまま、感じたまま。彼だけが真実を教えてくれる。
「……何も失いたくない」
「もう失ってるの。でも、私も悠を失いたくない。いいえ、貴方の幸せを壊したくない」
小夜子が身を離した。
窓の向こうで朝日が顔を出した。手の届く距離にいる彼女にも、光が降り注ぐ。
三年前の今日、小夜子の時計が止まった。
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