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Chap.16 処刑は判決の前に
Chap.16 Sec.4
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毒など、元からなかった。
サクラが毒物と謳った薬品に、人を死に至らしめる効果はない。多量に摂取すれば、あるいは。ただ、小瓶ひとつを飲み干したところで死など訪れない。あの薬品は毒物ではなく、名称を与えるなら——自白剤。必ずしも真実を語るとは限らないが、認知機能を著しく低下させ、対象者の素直な心を引き出すことが可能となる。かつて、この城館で起きた悲劇をくり返さないよう、アリアによって作られていた試作品。動物による試験やコンピュータによるバーチャル試験はクリアしているが、本物のヒトでは試されていない。——よって、安全性が確かでない物を使ったという事実は変わらない。
そして、——ゆえに、この薬品にはサクラにも知らない副作用があった。
『……私の声は、届いているか?』
部屋の端、大きなベッドに寝かされた女性は、朦朧とした意識のなか目を開いた。腕からは細い管が伸び、ベッドサイドに載せられた点滴のための輸液カプセルと繋がっている。それはインテリアの丸いランプのように、薄明かりを宿していた。
『……さくら、さん』
焦点の合わない目の下で、ほろりと名前がこぼれた。ベッドの横で、イスに座っていた青年の名前だった。
『……やくそく……』
『……心配は要らない。セトなら、無事だよ』
『……セト……無事……?』
『ああ、怪我を負ってすぐに、治療は済ませてある』
『………………』
『分からないか? ……約束は、守ってある。心配は要らない』
とろりとした目が、安堵を浮かべた。横たわる彼女の手が、何かを捜すように動きかけ、青年の青白い手が、そっと押さえた。
『じっとしていなさい……針が抜けてしまうよ』
『………………?』
夢うつつな様子の彼女に、青年の言葉は正しく届いているのかどうか。青年の手は熱を帯びた肌をたどって、何かを求めるように開かれていた彼女の掌を握った。ぎゅっと、確かな感触に安心するのか、非力ながらも縋るように力が返された。
『……何故、』
カプセルの仄明かりに照らされた端正な顔が、唇を割った。
『何故、薬を飲み干したのか……教えてもらえるか?』
『……くすり……?』
『毒を、何故すべて飲んだ? ……死んでしまうだろう?』
『……わたしは……しぬべき、だった……』
『それはイシャンの解釈だろう? お前の願望ではないはずだよ』
『……わたしの……?』
『……死にたいと願っていたのか?』
おぼろな瞳が、ゆっくりと瞬く。
『…………ここは、どこ……?』
『……さあね。夢の中かも知れないな』
『……夢の、なか……』
『………………』
ぼんやりと、瞳が、青年の姿を捉えるように焦点を絞る。目が合っているようで、合っていない。
『……死神……?』
『……いいや、違うよ。私はただの人間だ』
『……サクラ、さん?』
『ああ』
『……セトは……?』
『セトは、無事だよ』
『……ロキと、仲直り……できた……?』
『………………』
死後の世界でも描いているのか、彼女の双眸は少し遠くを見ている。何か都合のよい幻でも見えたのか、くすりと笑った。
『……よかった』
いっそう安心したかのように微笑む顔は、子を慈しむ聖母の彫刻に似ていた。他者が介入できない、閉ざされたふたりきりの世界。母と子の、ふたりだけの。
青年のなかで、何か、小さな火花のようなものが弾けた。
『……お前が大切なのは、ロキか?』
『…………?』
『お前を最初に助けたのは、セトだろう? セトについて行こうと思ったのではないのか?』
『……セトが、助けてくれた』
『ああ。あの子は、何度もお前を護ろうとしていただろう?』
『……セトは、私を、護ってくれた……』
『お前が、セトに助けを求めれば……すぐにでも攫ってくれただろうに……何故、何も言わなかった? 言葉がなくとも、訴える手段はあっただろう? 最初の夜、私から逃げようとセトに縋りついたように、逃げ出したあの日にも、セトに泣きついていれば……あの子は、お前と共に逃げてくれたはずだよ』
『……セトと、一緒に……逃げる……?』
『それが、お前の望みに最も近い結果を得られる手段だった。……だから、お前が何故セトに縋ろうとしなかったのか……私には分からないな。……セトである必要性がなかったのか? 他の可能性を求めていたか? ……お前は、優しくしてくれるなら誰でもよかったのか?』
青年の口は、饒舌に動いていく。奇妙なほどに。彼女の答えすら待てないその異常な焦燥感は、青年の脳を不可解な熱で煽った。
異変に気づいたときには——遅い。
『側にいてくれるなら誰でもいいのか? 自分に優しくしてくれるなら、それがどんな意図であっても構わないか? 利用しようという思惑があったとしても?』
『…………?』
ゆっくりと焦点を結んでいく瞳が、きょとりとして青年を眺めていた。まるで知らない者を見るかのように。夢のなかで出会った、不可思議な生き物を眺めるように。
青年の口は止まらない。
青年も、自分自身の唇が吐く言葉を、どこか遠くから聞いているような気でいた。
『……愛を語っていれば、何をしてもいいのか? 他のすべてを捨てても構わないのか? ……お前たちには、そんなふざけた道理があるのか』
合わさった掌が、燃えるように熱い。
互いの熱と——青年の感情で。
脈絡のない独り言のような青年の囁きが、寝そべる彼女の鼓膜を揺らしている。
『愛していないとはいえ……子を産んでおきながら……母を、名乗っておきながら……なぜ……何故、平気で他の男と子を作れる……?』
ひっそりとした、弦楽器が奏でるように紡がれる声は、誰に向けられたものだろう。
点滴によってゆっくりと回復に向かっている彼女の脳は、明瞭には程遠いながらも、状況を捉えようとしていた。
サクラが毒物と謳った薬品に、人を死に至らしめる効果はない。多量に摂取すれば、あるいは。ただ、小瓶ひとつを飲み干したところで死など訪れない。あの薬品は毒物ではなく、名称を与えるなら——自白剤。必ずしも真実を語るとは限らないが、認知機能を著しく低下させ、対象者の素直な心を引き出すことが可能となる。かつて、この城館で起きた悲劇をくり返さないよう、アリアによって作られていた試作品。動物による試験やコンピュータによるバーチャル試験はクリアしているが、本物のヒトでは試されていない。——よって、安全性が確かでない物を使ったという事実は変わらない。
そして、——ゆえに、この薬品にはサクラにも知らない副作用があった。
『……私の声は、届いているか?』
部屋の端、大きなベッドに寝かされた女性は、朦朧とした意識のなか目を開いた。腕からは細い管が伸び、ベッドサイドに載せられた点滴のための輸液カプセルと繋がっている。それはインテリアの丸いランプのように、薄明かりを宿していた。
『……さくら、さん』
焦点の合わない目の下で、ほろりと名前がこぼれた。ベッドの横で、イスに座っていた青年の名前だった。
『……やくそく……』
『……心配は要らない。セトなら、無事だよ』
『……セト……無事……?』
『ああ、怪我を負ってすぐに、治療は済ませてある』
『………………』
『分からないか? ……約束は、守ってある。心配は要らない』
とろりとした目が、安堵を浮かべた。横たわる彼女の手が、何かを捜すように動きかけ、青年の青白い手が、そっと押さえた。
『じっとしていなさい……針が抜けてしまうよ』
『………………?』
夢うつつな様子の彼女に、青年の言葉は正しく届いているのかどうか。青年の手は熱を帯びた肌をたどって、何かを求めるように開かれていた彼女の掌を握った。ぎゅっと、確かな感触に安心するのか、非力ながらも縋るように力が返された。
『……何故、』
カプセルの仄明かりに照らされた端正な顔が、唇を割った。
『何故、薬を飲み干したのか……教えてもらえるか?』
『……くすり……?』
『毒を、何故すべて飲んだ? ……死んでしまうだろう?』
『……わたしは……しぬべき、だった……』
『それはイシャンの解釈だろう? お前の願望ではないはずだよ』
『……わたしの……?』
『……死にたいと願っていたのか?』
おぼろな瞳が、ゆっくりと瞬く。
『…………ここは、どこ……?』
『……さあね。夢の中かも知れないな』
『……夢の、なか……』
『………………』
ぼんやりと、瞳が、青年の姿を捉えるように焦点を絞る。目が合っているようで、合っていない。
『……死神……?』
『……いいや、違うよ。私はただの人間だ』
『……サクラ、さん?』
『ああ』
『……セトは……?』
『セトは、無事だよ』
『……ロキと、仲直り……できた……?』
『………………』
死後の世界でも描いているのか、彼女の双眸は少し遠くを見ている。何か都合のよい幻でも見えたのか、くすりと笑った。
『……よかった』
いっそう安心したかのように微笑む顔は、子を慈しむ聖母の彫刻に似ていた。他者が介入できない、閉ざされたふたりきりの世界。母と子の、ふたりだけの。
青年のなかで、何か、小さな火花のようなものが弾けた。
『……お前が大切なのは、ロキか?』
『…………?』
『お前を最初に助けたのは、セトだろう? セトについて行こうと思ったのではないのか?』
『……セトが、助けてくれた』
『ああ。あの子は、何度もお前を護ろうとしていただろう?』
『……セトは、私を、護ってくれた……』
『お前が、セトに助けを求めれば……すぐにでも攫ってくれただろうに……何故、何も言わなかった? 言葉がなくとも、訴える手段はあっただろう? 最初の夜、私から逃げようとセトに縋りついたように、逃げ出したあの日にも、セトに泣きついていれば……あの子は、お前と共に逃げてくれたはずだよ』
『……セトと、一緒に……逃げる……?』
『それが、お前の望みに最も近い結果を得られる手段だった。……だから、お前が何故セトに縋ろうとしなかったのか……私には分からないな。……セトである必要性がなかったのか? 他の可能性を求めていたか? ……お前は、優しくしてくれるなら誰でもよかったのか?』
青年の口は、饒舌に動いていく。奇妙なほどに。彼女の答えすら待てないその異常な焦燥感は、青年の脳を不可解な熱で煽った。
異変に気づいたときには——遅い。
『側にいてくれるなら誰でもいいのか? 自分に優しくしてくれるなら、それがどんな意図であっても構わないか? 利用しようという思惑があったとしても?』
『…………?』
ゆっくりと焦点を結んでいく瞳が、きょとりとして青年を眺めていた。まるで知らない者を見るかのように。夢のなかで出会った、不可思議な生き物を眺めるように。
青年の口は止まらない。
青年も、自分自身の唇が吐く言葉を、どこか遠くから聞いているような気でいた。
『……愛を語っていれば、何をしてもいいのか? 他のすべてを捨てても構わないのか? ……お前たちには、そんなふざけた道理があるのか』
合わさった掌が、燃えるように熱い。
互いの熱と——青年の感情で。
脈絡のない独り言のような青年の囁きが、寝そべる彼女の鼓膜を揺らしている。
『愛していないとはいえ……子を産んでおきながら……母を、名乗っておきながら……なぜ……何故、平気で他の男と子を作れる……?』
ひっそりとした、弦楽器が奏でるように紡がれる声は、誰に向けられたものだろう。
点滴によってゆっくりと回復に向かっている彼女の脳は、明瞭には程遠いながらも、状況を捉えようとしていた。
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