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Chap.8 All in the golden night
Chap.8 Sec.8
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「ひどい目にあった……」
ティアの部屋のソファは、ミントグリーンにピンクの小さな花が散っている。そこに座って、オフホワイトの柔らかそうなクッションを抱えたティアは恨みがましい目を向かいに——つまりセトに、向けていた。
「お前が誤解されるようなことしてるからだろ」
背もたれに片手を回して寄り掛かり、何やら怒っているらしいセトもまた、同じ花柄のソファに座っている。似合わない気がしたのに、意外となじんでいる。くすんだ金髪と金の装飾が相性よいのかも。
「アリスちゃんの身体を確認したかっただけなのに……」
「その発言がすでに問題じゃねぇか」
「……僕にもいろいろ事情があるの」
「どんな事情があったらウサギと風呂入る流れになんだよ」
「いろいろあったんだよ……セト君が呑気に森とか行ってたときにさっ」
「はぁ? 俺のせいかよ」
「そうは言ってないでしょ」
「いや、今ぜってぇトゲのある言い方したよな」
「………………」
「せめて否定しろ」
拗ねたようなティアは、「アリスちゃん、このひと怖いから追い出して」隣に座る私の耳許でひそひそと唱えた。ジェスチャーがないと分かりにくいが、難しい注文をされた気がする。「聞こえてるぞ」セトがジロリと睨んだ。
「……っていうかさ、アリスちゃんはたぶん眠くないし、僕らまだ起きてるつもりなんだけど。……セト君、私室に戻ったら?」
「お前、何する気だ」
「だから何もしないってば。……なんで僕、そんな疑われてるかな?」
「風呂とか入ってるからだろ」
「そこはもういいよねっ? セト君だってアリスちゃんとシャワー浴びてたのに」
「いつの話だよ……あれは使い方を説明してやっただけだろ」
「……そうかな? それだけかな?」
「は? 俺は何もしてねぇぞ」
「アリスちゃんに迫って、シャワー掛けられた、とかじゃなかった?」
「………………」
「うん、図星だね。ほんとセト君は嘘がつけないね?」
「うるせぇ」
ふたりの会話は速い。私の名前と、お風呂やシャワーの単語がたびたび出るので、今さっきお風呂に入ったよという内容かと思う。
ちなみに私はバスローブから着替えて、ティアが用意してくれたルームウェアらしきワンピースに身を包んでいる。気持ちのいい素材。とても暖かい。
「……つぅか、ウサギも眠くねぇって?」
セトの視線が私に流れた。
「……わたし?」
「お前、眠くねぇの?」
「……はい」
おそらく私は、とんでもなく長い時間眠っていたので。そんな理由を思いながら、ふと疑問がよぎった。私が落下して気を失っていたのは、あまり知られていないのだろうか。メルウィンとアリアは知っているようだったが、ティアは詳細を知らない感じだった。セトも知らないように見える。
記憶は怪しいが、自分で手すりの上から飛び降りたのは、なんとなく覚えている。(……なぜ?)そんな馬鹿なことをしたなんて知られたらセトにはひどく呆れられそうなので、黙っておこう。
「——なら、お前も呑むか? アルコール、無理じゃねぇんだろ? ワイン飲んでたしな」
「…………のむ?」
「よし、じゃあ呑もうぜ」
セトはソファの背面から手を離し、身を乗りだした。ブレスレットに触れ、映像を引きだす。ソファの間にあった白いローテーブルの上に、飲み物が入ったボトルの立体映像がいくつも浮かびあがった。
「え? アリスちゃん同意してなくない?」
「ウサギ、好きなの選べ。ティアに選ばせてやろうと思ったけど、むかつくし。お前の好きなのにしてやるよ」
「ええっ!? まってまって! 僕に選ばせて!」
「嫌だ」
「謝るから! 僕が悪かったから!」
「聞こえねぇ」
「そんな!」
クッションを投げだし切に頼みこんでいるティアを無視して、セトは私へと「ほら、選べよ」ボトル類を指で示した。
「……えらぶ?」
「好きなもんねぇの?」
「……これは、なに?」
「酒。俺の所有リスト。……ワイン以外もあるぞ。ブランデーとか、ウィスキーとか……ビール、リキュール……」
セトが指を払うと、映像が切り替わった。初めよりも個性豊かなボトルが並ぶ。
「まって! せめてワインにして! アリスちゃん、ワインにしよう?」
「……わいん?」
「うん、おととい飲んだでしょ? あっちにしよう?」
「おいティア、お前が口出しすんな」
「でも! ここ僕の部屋だし、それくらいの権利はくれていいと思う!」
「……ったく、うるさいやつだな」
セトが吐息まじりに映像を最初のものに戻した。
「ほら、どれがいいんだ?」
なぜか、私に選択を迫ってくる。いまいち理解していない。ここから好きな物を選べよ、ということなのだと思うが、選ぶとどうなるのか。飲ませてやるよ、ということなのか。どれもアルコールのような気がするのだが……。
「………………」
「好きなの、ねぇか?」
「……せとは、どれが、すき?」
「俺じゃなくて、お前のを訊いてんだよ」
「………………」
横からティアが、「こんなにあると選ぶの難しいよね? よければ僕が代わりに選ぶよ?」声をかけてくれたが、セトに「お前は黙ってろ」指示されて、しょんぼりと肩を落とした。
映像を眺める。ボトルはガラス瓶のような形状で、未来感はあまりない。新鮮に思ったのは装飾されたラベルくらい。近くにあった物を指さそうとしたが、たまたま目についた物が——飴色——印象に残ったので、「これ」指先で触れた。もちろん触ることはできず、映像のボトルに指が刺さった。
セトが意外そうな顔をする。
「お前、遠慮がねぇな……別にいいけど」
「え? なになに? これ何?」
食いつくティアに、セトが、
「シャトー・ディケムの、少し古いやつ。たぶん俺の持ってるワインで一番高い」
「知ってる! 甘い白ワインだ!」
「貴腐ワインな」
「わぁっ……アリスちゃんすごい! ありがとう!」
「……?」
ティアが私の手を握って感謝してくるので、「ドウイタシマシテ?」対になるらしいセリフを口にしてみたが、セトから「おかしいだろ。俺のだぞ」なぜか呆れられた。
「こうなると、メル君に何か作ってもらいたかったな~……まだ起きてたりしないかな?」
「無理だな。メルウィンも誘ったんだけど、酒は飲まねぇって。朝も早いから寝るっつって。アリアも。あいつら付き合いわりぃよな」
「えっ? ……なにそれ、さっき僕と呑みたいみたいなこと言っておいて、先にふたりを誘ってたの? それって、ふたりにフラれたから僕ってこと?」
「……他に呼ぶの、チーズとドライフルーツでいいよな。ブルーチーズが合うぞ。アイスも俺としては合うと思うけど、どうする?」
「……ほらね、アリスちゃん。セト君はこういうタラシだからね、おすすめしないんだよ。ロキ君がああなるのも、分からなくないよね……」
じとっとした目でセトを見つつ、ティアは私に耳打ちした。これは内緒話ではなく、セトに対するポーズでやっているだけだと学んだ。案の定セトは聞こえていたらしく、片眉を上げている。
「なんでロキが出てくるんだよ?」
「……そうだよ、セト君はロキ君を誘ったらいいのに。僕じゃなくてさ」
「あいつと呑んだら喧嘩になるだろ」
「なんなの君たち……じゃ、ロン君?」
「ハオロンは今ロキといる。夕飯のときに……ちょっとあってな。ロキのようす見てくるって。多分あいつらゲームしてんだよ。昼夜逆転しちまってんな……」
「僕らもひとのこと言えないけどね……」
ブレスレットの操作を終えて、セトはソファに寄り掛かった。そのソファに座っていると雰囲気がだいぶ可愛らしい。怖い顔をしていても威力が半減する。
ティアは横に置いていたクッションを再び腕に閉じこめた。
「ちなみに、夕飯のときにちょっと、ってなに?」
「ん? ……いや、大した事じゃねぇよ。ハオロンのストレッチ……で、腕がロキに当たった——つぅだけの話」
「……うん? よく分からないけど?」
「ハオロンは、ロキが心配なんだろ。……みんなで仲良くしていたい、みたいなやつだから」
「……そうだね……ロン君は、君たちをとても大事にしてるからね」
「君たち、ってなんだよ。お前も入ってんだろ」
「……そう?」
「……なんだよ。お前までそういう卑屈なこと言うなよ」
「お前まで?」
「……いや、なんでもねぇ」
ふいっと横を向いたセトに、ティアはとくに何も返すことなく、私へと目線を移した。
「今さらだけど、体調どう? お酒なんて飲んで大丈夫?」
「……わたし、からだ、だいじょうぶ」
「ほんと? もう全然痛くないの?」
「はい」
ティアの手がふわりと私の頭に伸びてきて、髪をすくい上げた。傷を探そうとしているのだと気づき、とっさにティアから身を離した。後頭部がどうなっているか、私は知らない。触って確認したが、すこし腫れている? くらいしか分からなかった。けれど、万が一にでも目立つ傷なんてあったら、ティアはまたロキについて何か言う気がする。濡れ衣なのに。
距離をとった私に、ティアは肩をすくめてみせた。何か言おうとしたのか口を開いたが、それよりも先にセトが、
「……なんの話だ?」
疑惑のこもった低い声音で、ティアと私の両方に重たい圧力を——でも、なにか……これを言ったらダメなのだろうけど……ソファが、可愛すぎて……いや、バランスが悪いとか思っている場合ではなくて——
「アリスちゃん、階段で転んだらしいよ?」
訳の分からないことを思い悩んでいたところ、ティアがさらりと答えた。
「……は? いつ?」
「昨日?」
「昨日のいつだよ?」
「僕も知らないよ。セト君が森にいたときじゃないの?」
「……お前、ほんと危なっかしいやつだな……気をつけろよ?」
「…………はい」
ティアの口から出る言葉に緊張したが、ロキの名前は出なかった。ロキのせいではないと説明するのに、自分で飛び降りたという意味の分からない話をして、さらにセトから何か小言をもらう羽目になる気がしたが……いい意味で裏切られた。
ティアの顔をそろりとうかがう。目が合うと、くすっと含みのある顔で微笑まれた。意図的に黙っていてくれたようだった。
そのまましばらく、ティアとセトが話す取りとめのない会話でリスニングの勉強をした。この流暢な音も、いつかすべて理解できる日がくるだろうか——と、思いながらも、
(……私は、いつまでここにいられるんだろう?)
心の奥に引っかかっている、サクラとの——セトへの罰を代わりに受けるという——約束。いつ言われるのかという不安は、なぜか今はそこまで感じない。もしかしてサクラは忘れているかも、なんて思うのはさすがに楽観的すぎるけれど。
——お前と交渉はしない。待遇に不満があるなら、出て行ってくれ。
サクラの言葉を思い出しながら、考える。
約束を終えて、もし出ていけと言われたら……今の私は、一瞬ためらうかも知れない。
それくらいには、彼らといることに慣れているような——気がした。
ティアの部屋のソファは、ミントグリーンにピンクの小さな花が散っている。そこに座って、オフホワイトの柔らかそうなクッションを抱えたティアは恨みがましい目を向かいに——つまりセトに、向けていた。
「お前が誤解されるようなことしてるからだろ」
背もたれに片手を回して寄り掛かり、何やら怒っているらしいセトもまた、同じ花柄のソファに座っている。似合わない気がしたのに、意外となじんでいる。くすんだ金髪と金の装飾が相性よいのかも。
「アリスちゃんの身体を確認したかっただけなのに……」
「その発言がすでに問題じゃねぇか」
「……僕にもいろいろ事情があるの」
「どんな事情があったらウサギと風呂入る流れになんだよ」
「いろいろあったんだよ……セト君が呑気に森とか行ってたときにさっ」
「はぁ? 俺のせいかよ」
「そうは言ってないでしょ」
「いや、今ぜってぇトゲのある言い方したよな」
「………………」
「せめて否定しろ」
拗ねたようなティアは、「アリスちゃん、このひと怖いから追い出して」隣に座る私の耳許でひそひそと唱えた。ジェスチャーがないと分かりにくいが、難しい注文をされた気がする。「聞こえてるぞ」セトがジロリと睨んだ。
「……っていうかさ、アリスちゃんはたぶん眠くないし、僕らまだ起きてるつもりなんだけど。……セト君、私室に戻ったら?」
「お前、何する気だ」
「だから何もしないってば。……なんで僕、そんな疑われてるかな?」
「風呂とか入ってるからだろ」
「そこはもういいよねっ? セト君だってアリスちゃんとシャワー浴びてたのに」
「いつの話だよ……あれは使い方を説明してやっただけだろ」
「……そうかな? それだけかな?」
「は? 俺は何もしてねぇぞ」
「アリスちゃんに迫って、シャワー掛けられた、とかじゃなかった?」
「………………」
「うん、図星だね。ほんとセト君は嘘がつけないね?」
「うるせぇ」
ふたりの会話は速い。私の名前と、お風呂やシャワーの単語がたびたび出るので、今さっきお風呂に入ったよという内容かと思う。
ちなみに私はバスローブから着替えて、ティアが用意してくれたルームウェアらしきワンピースに身を包んでいる。気持ちのいい素材。とても暖かい。
「……つぅか、ウサギも眠くねぇって?」
セトの視線が私に流れた。
「……わたし?」
「お前、眠くねぇの?」
「……はい」
おそらく私は、とんでもなく長い時間眠っていたので。そんな理由を思いながら、ふと疑問がよぎった。私が落下して気を失っていたのは、あまり知られていないのだろうか。メルウィンとアリアは知っているようだったが、ティアは詳細を知らない感じだった。セトも知らないように見える。
記憶は怪しいが、自分で手すりの上から飛び降りたのは、なんとなく覚えている。(……なぜ?)そんな馬鹿なことをしたなんて知られたらセトにはひどく呆れられそうなので、黙っておこう。
「——なら、お前も呑むか? アルコール、無理じゃねぇんだろ? ワイン飲んでたしな」
「…………のむ?」
「よし、じゃあ呑もうぜ」
セトはソファの背面から手を離し、身を乗りだした。ブレスレットに触れ、映像を引きだす。ソファの間にあった白いローテーブルの上に、飲み物が入ったボトルの立体映像がいくつも浮かびあがった。
「え? アリスちゃん同意してなくない?」
「ウサギ、好きなの選べ。ティアに選ばせてやろうと思ったけど、むかつくし。お前の好きなのにしてやるよ」
「ええっ!? まってまって! 僕に選ばせて!」
「嫌だ」
「謝るから! 僕が悪かったから!」
「聞こえねぇ」
「そんな!」
クッションを投げだし切に頼みこんでいるティアを無視して、セトは私へと「ほら、選べよ」ボトル類を指で示した。
「……えらぶ?」
「好きなもんねぇの?」
「……これは、なに?」
「酒。俺の所有リスト。……ワイン以外もあるぞ。ブランデーとか、ウィスキーとか……ビール、リキュール……」
セトが指を払うと、映像が切り替わった。初めよりも個性豊かなボトルが並ぶ。
「まって! せめてワインにして! アリスちゃん、ワインにしよう?」
「……わいん?」
「うん、おととい飲んだでしょ? あっちにしよう?」
「おいティア、お前が口出しすんな」
「でも! ここ僕の部屋だし、それくらいの権利はくれていいと思う!」
「……ったく、うるさいやつだな」
セトが吐息まじりに映像を最初のものに戻した。
「ほら、どれがいいんだ?」
なぜか、私に選択を迫ってくる。いまいち理解していない。ここから好きな物を選べよ、ということなのだと思うが、選ぶとどうなるのか。飲ませてやるよ、ということなのか。どれもアルコールのような気がするのだが……。
「………………」
「好きなの、ねぇか?」
「……せとは、どれが、すき?」
「俺じゃなくて、お前のを訊いてんだよ」
「………………」
横からティアが、「こんなにあると選ぶの難しいよね? よければ僕が代わりに選ぶよ?」声をかけてくれたが、セトに「お前は黙ってろ」指示されて、しょんぼりと肩を落とした。
映像を眺める。ボトルはガラス瓶のような形状で、未来感はあまりない。新鮮に思ったのは装飾されたラベルくらい。近くにあった物を指さそうとしたが、たまたま目についた物が——飴色——印象に残ったので、「これ」指先で触れた。もちろん触ることはできず、映像のボトルに指が刺さった。
セトが意外そうな顔をする。
「お前、遠慮がねぇな……別にいいけど」
「え? なになに? これ何?」
食いつくティアに、セトが、
「シャトー・ディケムの、少し古いやつ。たぶん俺の持ってるワインで一番高い」
「知ってる! 甘い白ワインだ!」
「貴腐ワインな」
「わぁっ……アリスちゃんすごい! ありがとう!」
「……?」
ティアが私の手を握って感謝してくるので、「ドウイタシマシテ?」対になるらしいセリフを口にしてみたが、セトから「おかしいだろ。俺のだぞ」なぜか呆れられた。
「こうなると、メル君に何か作ってもらいたかったな~……まだ起きてたりしないかな?」
「無理だな。メルウィンも誘ったんだけど、酒は飲まねぇって。朝も早いから寝るっつって。アリアも。あいつら付き合いわりぃよな」
「えっ? ……なにそれ、さっき僕と呑みたいみたいなこと言っておいて、先にふたりを誘ってたの? それって、ふたりにフラれたから僕ってこと?」
「……他に呼ぶの、チーズとドライフルーツでいいよな。ブルーチーズが合うぞ。アイスも俺としては合うと思うけど、どうする?」
「……ほらね、アリスちゃん。セト君はこういうタラシだからね、おすすめしないんだよ。ロキ君がああなるのも、分からなくないよね……」
じとっとした目でセトを見つつ、ティアは私に耳打ちした。これは内緒話ではなく、セトに対するポーズでやっているだけだと学んだ。案の定セトは聞こえていたらしく、片眉を上げている。
「なんでロキが出てくるんだよ?」
「……そうだよ、セト君はロキ君を誘ったらいいのに。僕じゃなくてさ」
「あいつと呑んだら喧嘩になるだろ」
「なんなの君たち……じゃ、ロン君?」
「ハオロンは今ロキといる。夕飯のときに……ちょっとあってな。ロキのようす見てくるって。多分あいつらゲームしてんだよ。昼夜逆転しちまってんな……」
「僕らもひとのこと言えないけどね……」
ブレスレットの操作を終えて、セトはソファに寄り掛かった。そのソファに座っていると雰囲気がだいぶ可愛らしい。怖い顔をしていても威力が半減する。
ティアは横に置いていたクッションを再び腕に閉じこめた。
「ちなみに、夕飯のときにちょっと、ってなに?」
「ん? ……いや、大した事じゃねぇよ。ハオロンのストレッチ……で、腕がロキに当たった——つぅだけの話」
「……うん? よく分からないけど?」
「ハオロンは、ロキが心配なんだろ。……みんなで仲良くしていたい、みたいなやつだから」
「……そうだね……ロン君は、君たちをとても大事にしてるからね」
「君たち、ってなんだよ。お前も入ってんだろ」
「……そう?」
「……なんだよ。お前までそういう卑屈なこと言うなよ」
「お前まで?」
「……いや、なんでもねぇ」
ふいっと横を向いたセトに、ティアはとくに何も返すことなく、私へと目線を移した。
「今さらだけど、体調どう? お酒なんて飲んで大丈夫?」
「……わたし、からだ、だいじょうぶ」
「ほんと? もう全然痛くないの?」
「はい」
ティアの手がふわりと私の頭に伸びてきて、髪をすくい上げた。傷を探そうとしているのだと気づき、とっさにティアから身を離した。後頭部がどうなっているか、私は知らない。触って確認したが、すこし腫れている? くらいしか分からなかった。けれど、万が一にでも目立つ傷なんてあったら、ティアはまたロキについて何か言う気がする。濡れ衣なのに。
距離をとった私に、ティアは肩をすくめてみせた。何か言おうとしたのか口を開いたが、それよりも先にセトが、
「……なんの話だ?」
疑惑のこもった低い声音で、ティアと私の両方に重たい圧力を——でも、なにか……これを言ったらダメなのだろうけど……ソファが、可愛すぎて……いや、バランスが悪いとか思っている場合ではなくて——
「アリスちゃん、階段で転んだらしいよ?」
訳の分からないことを思い悩んでいたところ、ティアがさらりと答えた。
「……は? いつ?」
「昨日?」
「昨日のいつだよ?」
「僕も知らないよ。セト君が森にいたときじゃないの?」
「……お前、ほんと危なっかしいやつだな……気をつけろよ?」
「…………はい」
ティアの口から出る言葉に緊張したが、ロキの名前は出なかった。ロキのせいではないと説明するのに、自分で飛び降りたという意味の分からない話をして、さらにセトから何か小言をもらう羽目になる気がしたが……いい意味で裏切られた。
ティアの顔をそろりとうかがう。目が合うと、くすっと含みのある顔で微笑まれた。意図的に黙っていてくれたようだった。
そのまましばらく、ティアとセトが話す取りとめのない会話でリスニングの勉強をした。この流暢な音も、いつかすべて理解できる日がくるだろうか——と、思いながらも、
(……私は、いつまでここにいられるんだろう?)
心の奥に引っかかっている、サクラとの——セトへの罰を代わりに受けるという——約束。いつ言われるのかという不安は、なぜか今はそこまで感じない。もしかしてサクラは忘れているかも、なんて思うのはさすがに楽観的すぎるけれど。
——お前と交渉はしない。待遇に不満があるなら、出て行ってくれ。
サクラの言葉を思い出しながら、考える。
約束を終えて、もし出ていけと言われたら……今の私は、一瞬ためらうかも知れない。
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