【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.5 溺れる涙

Chap.5 Sec.6

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 波乱を乗りこえた食卓は、無事におわった。
 ティアの気苦労を知ってか知らずか、彼女もセトも一切会話することなく食事を終え、彼女のほうは現在もめごとの要因となったシャワー室に入っている。
 テーブルにはティアとセトのみが向かい合って座っていた。セトはいつもの珈琲コーヒーを飲みながら、サクラが放置していった例の機械部品らしき物を袋越しに観察している。それを更に観察しながら、ティアはグラスの中の炭酸水をくるくるとストローで攪拌かくはんした。ピンク色のコーディアルによって作られていたグラデーションが、崩れていく。

「……セト君、寝ないの?」

 つぶやくように訊くと、金の眼がこちらを向いた。

「寝てほしいのかよ」
「そういうわけじゃないけど……眠くないの?」
「……ねみぃ」
「寝たら?」
「……寝てほしいのかよ」
「え? デジャヴュ?」

 昨夜眠っていないと思われるセトは、なぜか珈琲まで飲んでいる。考えていることはなんとなく分かっているのだが、彼の身体のためにも眠ったほうがいいのではないかと案じていた。加えて言うなら、今日はハウスに戻ってからも一悶着ひともんちゃくあるのではないか。体力も精神力も、間違いなく回復しておいたほうがいい。

「アリスちゃんなら僕が見とくよ? イシャン君が起きても平気だよ?」
「……べつに」
「なんならアリスちゃんも連れてく? 一緒に寝たら?」
「はぁっ?」

 セトは眉根を寄せて不審げに声をあげた。それを見てティアも少しだけ眉をひそめる。

「……や、寝るってそういう意味じゃないからね?」
「………………」

 ふいっと横を向いたセトに、ティアは密かに吐息をこぼした。

「したいならすればいいけどさ。でも、アリスちゃん、今はいろいろとダメージ受けてるだろうし。そっとしてあげない?」
「ヤるなんて言ってねぇだろ」
「うん、僕もセト君はそんな子じゃないと信じてるけど」
「信じてるけど? ってなんだ」
「……ハウス着いたらさ、アリスちゃん独占する時間も減るだろうし……焦る気持ちも、分からなくはないよ」
「焦ってねぇよ。なんの話をしてんだ」
「さぁ、なんの話だろうね?」
「はぁ?」

 セトとの会話を切って、ストローに口をつける。エルダーフラワーと複数のバラの香りが鼻腔びこうに抜けた。もう少しコーディアルを入れてもよかったかも知れない。甘さが足りない。

「……お前は、どうなんだよ」
「ん?」

 質問の意図を理解しながら、はぐらかすようにきょとりとしてみせると、セトの表情が険しくなった。

「心配してるみてぇなこと言ってるけどよ、お前あいつの味方か?」
「………………」
「違うよな。面倒事は御免だもんな? 帰ったところで現状放置か。それで、あいつの前でだけ優しくするんだろ」
「……それのなにが悪いの? 優しくするくらいしかできないでしょ? ハウスにいたいなら、サクラさんの命令には背けないんだからさ……僕も、君も、——もちろん、アリスちゃんも」
「………………」
「サクラさんが、暇をもて余したみんなのために娼婦を雇った。それだけの話でしょ? 本人が望んでなかろうと反対派がいようと、関係ないよ。アリスちゃんも、自分でここにいることを選んだんだからね。……まぁ、昨日逃げたわけだけど? 君が見つけなかったら死んでただろうし、文句はないでしょ」
「…………俺のせいかよ」
「そんなこと言ってないよ……セト君には感謝してるみたいだし、気にする必要ないよ」
「………………」
「せっかく懐いてきたんだから、可愛がってあげればいいんじゃない? いつもの動物たちと同じで」

 今のはトゲがあったかも知れない。あちらから突っかかってきたのだから、これくらいの仕返しはいいか。
 セトは唇を引き結んだまま眼だけで反発している。ティアは控えめに、ため息をひとつ。

「僕にどうしろって言うの? ……セト君もさ、いい思いすればいいんじゃないの? 他の誰かが酷いことしたら、そのぶんセト君が優しくしてあげたらいいんだよ。それでアリスちゃんも頑張れるし、セト君もたのしめるんだから、みんな得するでしょ? ——僕、間違ったこと言ってる?」
「知らねぇ……けど、正しくはねぇよ」
「じゃ、どうするの? セト君が、アリスちゃんと駆け落ちでもする?」
「真面目に話せ」
「僕、ずっと真面目なのになぁ……今の、いちばん現実的な解決案だよ」
「どこがだよ」
「あ。アリスちゃん帰ってきた」

 ティアの言葉に、セトが首だけで背後を振り返った。昨日見た純白の総レースのワンピース。それを身に着けた彼女がキッチンから顔を出した。何か言いたげにさまよう視線が、ティアとセトのあいだを行ったり来たりしている。

「背中、やってあげるね」

 立ち上がって彼女の背後に回ると、セトが何か短く吐きだした。偽善者。おそらくそう言ったのだと思う。ねたそねみと受け流しておこう。

「アリスちゃん、のど渇いたでしょ?これ、飲んでみない? 僕がハウスで作ったコーディアル……んーと、お花のシロップ漬けって言ったら分かるかな? 見たほうが早いかな? ……こっち、おいで」

 背中のリボンを結びきってから、手を取ってキッチンへといざなう。手作りのコーディアルが入ったボトルを取り出して、台の上で細長いグラスにそそいだ。マスカットに似たみずみずしく甘いアロマが、バラの気品をまとって広がる。彼女は心かれたのか、じっと見つめている。よく冷えた炭酸水を加えると、ローズピンクの濃縮液が綺麗なグラデーションを構成した。透明のストローを飾るようにさし、彼女にどうぞと促す。

「美味しいと思うよ。飲んでみて」
「アリガトウ」

 グラスを手に取った彼女は、くるりとストローを回してから、唇に挟んだ。液体が透明なストローの中をすべっていく。口に流れ込んだそれを飲み下した彼女は、丸い目でこちらを見上げた。

「オイシイ」
「でしょ? 僕が作ったんだよ」
「ティアが、ツクッタ?」
「そう。アリスちゃんも、いつか一緒に作ろうね」
「これ、ツクル? イッショニ?」
「うん、一緒に、つくろう」
「いっしょに……」
「残りは座って飲もう。僕、アリスちゃんに見せたいものがあるんだ」

 リビングのソファに誘導して、彼女を座らせた。テーブルでもよかったのだが、セトへのささやかな嫌がらせで。ティアもテーブルの上のグラスを取って隣に腰を下ろすと、セトは不機嫌さを隠すように珈琲へと口をつけた。

「デイジー、360度の展望で外のようすを見せてくれない?」

 セトのことは放っておくとして、ティアはディスプレイの方に向けて声を上げた。旧型のAIがティアの意図をすくって、リビング一面に外のようすを映し出した。
 彼女はパチっと目を大きく開き、驚いたように両足を床から上げた。ソファが浮いたように錯覚したのかも知れない。ソファと運転席以外の備えつけの家具には、ズレを補正した外の映像が浮かびあがっている。

「ふふっ、いい反応だね」

 ハイウェイを走りぬけるモーターホームから見る世界は、空を飛んでいるかのようで爽快だった。これより速度のある乗り物なんてVRでいくらでも体験できるだろうが、きっと彼女は知らない気がする。瞠目した丸い黒目に、無垢むくな輝きが見えた。

『……すごい』

 透き通るような青が重なる空に、エルダーフラワーに似た、こまかな雲が散っている。彼女の口からもれた言葉は知らないけれど、意味は分かった。

「ね、見事でしょ」
『……速い』
「こわい? 大丈夫だよ。僕ら以外いないし、なによりオートパイロットだからね。僕が運転してたら危ないけどさ」
「……ウンテン?」
「それもいつかしようね、って言いたいところだけど……僕は苦手だから他の誰かと楽しんでね。……セト君は、どうだっけ?」

 彼女の反応を意外そうに見ていたセトが、ティアの声に目を細めた。

「何が」
「運転は得意?」
「旧型の話か?……得意っつぅか、まぁ普通に。最近はしてねぇな」
「ロキ君が上手そうだよね」
「いや、あいつは暴走する。ゲーム感覚でやるから。一緒に乗ったらお前死ぬぞ」
「えっこわ……ロン君は?」
「……ハオロンも暴走するな」
「……ちなみにセト君は?」
「…………まあ、みんなやるよな」
「ちょっと! 君たちなにっ? 怖いひとしかいない!」
「……イシャンが上手いんじゃねぇの? 安全運転って意味なら」
「あぁ……なるほどね。そうかも」
「メルウィンとアリアは知らねぇ」
「サクラさんは? 運転するの?」
「……あれはなんか、また別だな。暴走じゃなくて、試験テスト。速度に対する身体の反応とか試してる感じで……しれっとドリフトかます」
「わー……アリスちゃん、やっぱり僕と乗ろうか。オートパイロットでさ。それが一番いいと思う」
「つってウサギも暴走型かも知んねぇぞ」
「そんなことない。僕は信じてる」
「あっそ。裏切られねぇといいな」
「不穏なこと言わないでよ……」

 話しながら立ち上がったセトは、大人しくドリンクを飲んでいた彼女へと近づいた。進行方向の空を見つめていた彼女の前に手をかざし、

「お前、眠くねぇの?」

 視界をさえぎられ、彼女はセトの方を振り仰いだ。言葉を咀嚼そしゃくする間が数秒ほど。

「……ネムイ?」
「眠くなくても寝ろ。ティアのベッド使えよ」
「えっ? セト君が許可するの? 僕のベッドなのに?」
「うるせぇな。じゃあお前が言えよ」
「アリスちゃん、今のうちにベッドで寝てきたら? 今夜——ハウスに戻ると、あわただしいだろうから」

 考えるように沈黙し、ティアとセトの顔を順番に見てから、彼女は首を縦に振った。それを見て、セトが空になったグラスを彼女の手から取りあげ、「ティア、あと頼んだからな。それと、オートでも念のため運転席に座っとけよ?」自身の飲み終えたカップと合わせてキッチンへと持っていった。意外とマメな性格をしている。優しさというよりは効率を重視しているのだろうけれど。……多少は思いやりもあるか。

「ウサギ」

 キッチンから呼ばれて、彼女はソファから腰を上げた。

(なんだかんだ言って、一緒に行くんだ。そっか、僕のことも疑ってるもんね? イシャン君やサクラさんが起きてきたところで、僕が本気で護るわけないって?)

「おやすみ、アリスちゃん」

 掌を向けて声をかける。
 振り返った彼女の顔に、思わずぞくりとした。

「……オヤスミ」

 意思のない人形のように、感情がぬけ落ちた顔で、唇をほとんど動かすことなくティアの言葉を模倣した。その瞳は覚悟と呼ぶには何かが足りず、絶望にしては浅い——しいて言えば諦観に近い、奇妙な溟闇くらやみが宿っている。

 そらぞらしいほどに青い世界で、ティアは何も言えず、その背中を見送った。
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