【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.2 ちいさなアリス

Chap.2 Sec.7

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 食事を終えようとしていると、せっけんの香りをまとったセトがリビングに戻ってきた。

「セト君も、食べる?」
「ん」

 私の向かいにセトが腰を下ろした。カトラリーケースからスプーンを取り出し、角皿ごと引き寄せて食べ始める。口の中だけで、いただきますと言った気がした。

 イシャンはとっくに食べ終えて、ディスプレイの前でサクラと話をしていた。セトが座ったのを見て、奥の部屋へと向かっていった。シャワーだと思う。
 サクラがディスプレイの前のイスに座った。軽い振動。車(とみなしていいと思う)が動きだした。

「お茶でも淹れようか。アリスちゃん、後ろ通るね」

 ティアが席を立った。食べ終えた私の食器も持っていこうとするので、あわててその手を止めた。

「気にしないで、座ってて」

 立ち上がろうとした私の肩を、しっかりと押さえるティア。動けないまま、ティアを見送るしかなかった。
 待っていろということなのだろうか。とても居づらいのに。いっそ私もキッチンで片付けをしたい。

 所在なげに目線をさまよわせていたが、視線を感じて前を向く。セトがじっとこちらを見ていた。なんだろう。うかがうように首をかしげてみせるが、金の眼は微動だにしない。手だけ動かしてぱくぱくとご飯を食べている。もしかすると私を見ているのではなくて、ただぼんやりしているだけかも知れない。それにしては眼光が鋭いけれど。どちらにせよ、いたたまれない。

 逃げるように目を下に向けて、テーブルを見つめた。まだ見られている。いや、見てはいないのかも知れないけれど、こっちを向いている。余計なことを思い出しそうだから、やめてもらえないだろうか。そうか、私が席を移動すればいいのか。

 思いたって、そっと立ち上がった。ティアが座っていた壁ぎわに移動する。……ダメだ。金の眼もついてきた。やはり私を見ているらしい。

『……あの』
「お前さ、」

 思いきって声をかけようとしたところ、同時に声をあげたセトと、かぶった。セトの片眉が上がる。

「……あ? なんだよ」

 ……私の話を促されているのだろうか。私のほうは話すことなんてない。可能であれば見ないでほしいと言いたいけれど、言葉も分からなければそれを言う度胸もない。

 考えて、懸命に考えて、尋ねる。

「……オイシイ?」

 手持ちのカードがあまりにも少なすぎて、こんな言葉しか出てこなかった。セトのほうも、(何言ってるんだこいつ)みたいな顔をしている。……消えてしまいたい。

「まぁな」

 怪訝けげんな顔のまま、それでも律儀に返してくれた。しかし、そこから話題を広げられるほどの力は、私にない。

 結局また、沈黙のなか見つめられる。トレイにティーポットとカップを乗せたティア(この光景は再三見ている気がする)が隣に戻ってくるまで、その苦行が続いた。

「お茶の時間だよ。セト君も要るかな?」
もらう」
「アリスちゃんも要るよね?」
「……はい」

 そういう儀式なのかと思うほど、ティアがお茶を持ってくる頻度が高い。恒例なのか、セトは取りたてて気にしたふうもなく、お茶のカップを受け取っていた。が、

「は? なんだこれ」
「チャイだよ。コテージパイに合わせて、ナツメグとクローブを効かせてみました」

 カップに入っていたのは、キャラメル色の液体。紅茶にしてはミルク感が強く、ミルクティーにしては色みが濃い。甘くて癖のある香り。

 飲んでみると、茶葉を濃いめに煮出したミルクティーだった。加えて複数のスパイスの香味。甘い香りがしたが、味に甘さはない。先ほど食べた料理と香りが似ている。

「なんで急に変わったことすんだよ……」
「気分転換だよ」
「まぁ……美味いけど」
「ふふふ。砂糖を入れるとセト君好みになるよ」
「貰う」

 小さな瓶を見せたティアは、セトに促されて手渡した。セトは中から茶色の金平糖のような物を取り出し、カップの中へと落としていく。見ていると、その星たちはとろりと溶けた。あれはなんだろう。

「ほら、やるよ」

 もの欲しげなまなざしを向けていたわけではない。けれど、セトが私にも小瓶を回してくれた。小瓶というよりはケースか。近くで見ると、星の形をした小さな角砂糖にも見える。まねをしてカップに少量落としてみると、氷のように一瞬で溶けた。
 飲んでみる。ほのかに甘い。

「ね、甘くて美味しいでしょ。〈甘い〉ね。あまい」

 ティアが私の方を向きながら、同じ単語をくり返した。きっと発語を促されている。

「……アマイ」
「そう。甘くて美味しいね」
「アマクテオイシイ」

 ティアがゆっくり発音するので、その言葉をくり返す。セトが「こいつの語彙、食に偏ってねぇか」カップに口をつけながら、ぼそっと言った。褒めてはいないと思う。

「ん~……じゃ、もうすこしレベルアップ。セト君は、甘いものが、好き」
「……せと、アマイモノが、スキ」
「うん、いいねいいね」

 指導は続くらしい。ティアがはっきりと丁寧に発音する言葉を拾っていく。ところで、隣どうしで話しているとなかなか距離が近い。とても気になる。
 いつのまにか食べ終わっていたセトが、ミルクティーを飲みながら私たちを眺めている。

「僕は、紅茶が、好き」
「……てぃあ、コウチャが、スキ?」
「うん、一人称はきちんと理解してるね。じゃ、次ね」

 ティアが、にこりと微笑んだ。

「君は、僕が、好き」

 私を指さしたあとに、自分自身を指さした。文法を読み解くように、思考しながら言葉をつむぎ返す。

「……ワタシ……アナタが、スキ?」

 口にしてから、頭のなかで意味を理解しようとして、

「——おい」

 ガンっとテーブルの下で重い音がした。「わっ」ティアのびっくりした声も重なる。

「ちょっとセト君! イス蹴らないでよ」
「お前が変なこと吹き込んでるからだろ」
「共通語を教えてるだけでしょ」
「普通に教えろよ」
「教えてるよ。〈私〉と〈あなた〉。人称代名詞の、主格と目的格を教えてるんだよ」
「……もっと他の動詞あるだろ」
「流れでつかっただけでしょ? ……分かりやすかったよね? ね、アリスちゃん」

 セトと話していたティアが、私の方を向いた。なにか尋ねられている。あるいは、同意を求められている。

「……はい」

 なんとなく、肯定あるいは同意しておいた。

「ほら、ね?」
「……そうかよ」

 ふたりのやりとりを聞き流しながら、教わった言葉を脳裏で反芻はんすうする。

 英語の文法と一緒だ。ずっと思ってはいたが、やはり基本は英語みたいなものなのだろう。聞き取れないのは、記憶がないからではなく、知っている英語と発音がかなり違うからだと思う。やわらかいというか、曖昧あいまいというか。単語も変わったものが多い。音の感じからなんとなく推測できるものもあるが、集中していないと頭に入ってこない。
 これはすべて私の考えであって、確証はない。記憶うんぬんではなく、私本来の英語力に問題があった、という可能性も否めない。

「さて。そろそろイシャン君も来るだろうし……お茶も飲み終わったよね? アリスちゃん、よかったら一緒にシャワー浴びようよ」

 思考に割り込むように、ティアが私の肩を抱いた。
 唐突すぎて理解していない。『え』口から変な声がもれたと思う。ティアの方を向くと、すぐそばにその美しい顔があった。近い。近すぎて頭が回らない。
 なぜ肩に手を回されているのだろう。親愛の情を示されている、にしても脈絡が無さすぎて理解できない。今なにか言われたような?

「シャワー、一緒に、行こう?」

 間近で顔を突き合わせたまま、ゆっくりした発音。ティアの長い指先が、奥の部屋を示した。昨日から何度か耳にする、シャワーを意味する単語だけ、拾えた。

(……シャワーへ、どうぞ?)

「……なんでそうなるんだよ」

 回りきれていない私の思考を遮るように、セトがため息をついた。彼の方を見る。眉根をぎゅっと寄せた顔。セトはよくこの表情をしている。

「セト君は一緒に入ったんでしょ? 僕も入りたいな」
「俺は洗ってやっただけだろ」
「じゃ、僕も洗ってあげよっと」
「だからなんでそうなる……」
「ね、サクラさん! いいよね?」

 ティアが急に、セトから目を外してサクラへと声をかけた。そういえば彼もディスプレイの所にいたのだ。静かすぎて忘れかけていた。

 サクラがイスを回して振り返る。

「私に訊かなくてもいいだろう?」
「そう? ま、本命は、もうひとつのお願いだから」
「そっちも好きにしてくれ」
「ありがとう。じゃ、今夜はもらうね?」

 注意深く聞いてみたが、話の内容はさっぱり分からない。ティアによる感謝の言葉だけが、かろうじて聞こえた。
 気になったのは、ふたりの応酬に剣呑けんのんな雰囲気はなかったのに、セトの表情だけがひどく怖くなったこと。

 会話を終えたティアが、席を立った。それから、私に手を差し出す。握手? と、既視感があった。記憶から浮かんだのは、出会ったときのセトだ。今、この場面では、なにが正解なのか。

「——おいで」

 握手かと迷って出しかけていた私の手を、ティアが取った。握手とは違い、指だけをまとめて掴み、引き上げられる。

「今夜は、君は、僕のだからね?」

 ゆるやかな言葉の意味を。
 考えるよりも先に、ティアがすみれ色の眼でウィンクした。セトの舌打ちが響く。

 石膏せっこうのような肌触りの指先は、あいかわらず冷たい。
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