啓蟄のアヴァ

藤井咲

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第三章

終章

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 目の前でライトが点滅した。
天井から光がひっきりなしに落ちてきて床に敷き詰められている。空と地上が反転したようだ。
周りには夥しい数の人、人、人。
耳鳴りで周りの音が何も聞こえないが、多分大きな音がかかっているのだろう。一定のリズムで踊っている人々は露出度の高い服を着て青白く光る肌を見せたくて堪らないようだ。

「‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐!----!」

隣にいた長身の女が顔を寄せて私に何かを言っている。

「‐‐‐‐‐‐‐?」

自分で言った言葉が聞こえない。なんて言ったつもりでいるのだろうか。

女も私も口を大きく開けて叫んでいるのに何ひとつ伝わらない。
ライトが落ち、赤、白と交互に光って消える度に隣にいる人間は変わった。
踊り狂う奴らが私の身体に無遠慮にぶつかってくるせいで、黒いレースのワンピースが人の汗で濡れていく。

こんなにたくさん人がいるのに、私はこの中の一人も知らない。
今彼らが何を楽しんでいるのか分からない。身体に膜が張ったように静かだ。
視覚だけで状況を理解できるなんて嘘だ。
世界中の人間が今私に目を向けても私は孤独から抜け出すことは出来ないだろう。
孤独を楽しめたらいいのに自分の被害者性がいちいち気になって気に食わない。
なんて可哀想なんだ。
これでは何もない部屋にいるのと変わらない。
私は何かに干渉することもされることも出来ない。

「‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐!」

隣の男がやたら顔を近づけて叫んでくるが何も伝わらない。
突然手をぐいと引かれた。
私はいきなり現れた腕に驚いて初めてその男の顔を見た。
この顔を見たことがある。いや、よく知っている。
でも夢の中の私はこの男が誰なのか思い出すことは出来なさそうだ。
凄く怒っているし凄く悲しんでいるようにも見える。
真っ黒な髪と黒い目が私を見て何か言っている。

「‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐!‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐!」

掴まれた手は一向に離れない。
(痛いな)手を振り払おうとすると目の前の男は涙を落とした。
ぎょっとする私は男が涙を流すのをどうしようもなく見ていて不意に耳鳴りが消えていたことに気づく。

「どうして泣くの?どこか痛いの?」

私は初めて自分の声を認識することが出来た。
しかし私の言葉を彼は理解できないようだ。
話しかけたことが伝わったのか彼がまた何かを言っている。

「‐‐‐‐‐‐‐‐、‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐?」

どうにも意思の疎通は難しいように感じたので彼に首を振ってみせる。すると彼はまた泣いた。

先ほどよりも人が増えたこの場所は狭くて居心地が悪い。
下に積もった星たちは膝丈まできていて、このままここにいたら窒息してしまうのではないかと恐怖を感じる。
彼はまだ泣いている。「さめざめ」と、言ったらいいのだろうか、綺麗に泣く人だなと思った。
ここにいてもどうにもならないし、彼は手を放してくれないのでどうせなら彼と一緒にここを出ようと掴まれた手首の反対の手で彼のあいた手を握った。
手をひいて出口を探す私に彼は大人しくついてきた。

遠くに非常灯が見える。
あれが出口だろう。
増える人たちを押しのけて光を目指した。
ようやくEXITと書かれたドアの前に立つ。
奇妙なことにここだけ人がいなかった。
彼の手を引いてノブを引くと後ろに力がかかり彼は申し訳なさそうに立っている。

「行こうよ、ここにいてもしょうがないし」

「‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐。」

彼はここを出たくないような雰囲気で俯いてしまった。
でも、私は彼と行きたかった。
少し力を強くして彼を引っ張ると彼も同じように力を入れてそこに立ち止まった。
そして振り払っても放さなかった手をいとも簡単に放した。
何故かそれがとてもショックで、今度は私の目が潤んだ。

「勝手すぎ、」悪態をついて目にぎゅっと力を入れる私に彼はまた何事かを言っている。

「‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐、‐‐‐‐‐‐‐‐。」

なにも伝わらないし、勝手に手に触れて勝手に離れてなんなんだこの男は。
胸の内にぐるぐると受け入れがたい気持ちがふってくる。
私はその男に一発入れてやりたくなった。私の気の済むにはこれしかないとも思った。
考えた瞬間に私の拳がその男の頬の下に当たったが、本当は綺麗に頬に当ててやりたかった。人を殴ることは初めてなので上手く打つことが出来ず、力もあまりはいっていなかったのだろう、「ぺちん」と軽く阿保みたいな音が聞こえた。

「ハハ、じゃあね」私は満足して出口に向かった。

すると男は目が覚めたような声を私に向けて言った。

「ごめんね。」凄く嬉しそうに頬を抑えて男が言った。

私はその声が聞こえたときに涙が溢れて止まらなくなった。
唾液が出てくるし、目はかすむし、鼻水は出てくるし歯が痛い。
こんな一瞬で私の感覚を全て襲ってくるのが凄く悔しい。

「ごめんなんて、いうな馬鹿」

そういって私は出口を開けた。声が震える。馬鹿馬鹿馬鹿、ほんと馬鹿。
凄く悲しくて叫びたいくらいなのに出てくるのは悪態だけだ。
開いた出口は重く厚く、ドアを閉めるとぐわん、という音がした。



――――――――



 起きたら目が開かなかった。
カラカラに乾いた涙が睫毛を固めて目を開かせてくれない。
睫毛がとれないように慎重に涙の殻をとっていく。

「あ゛ーーーーーーあーーーーーーあーーーーーーーーーーーー」

溜息なのか叫び声なのか分からない声がでる。
ようやく目が開いてぼんやりとまわりを見るとJが研究所の床に寝ていて、窓からさし込む柔らかい光に包まれていた。あのまま寝てしまったのだろう。

「ジャックの馬鹿。」

なぜ分からなかったのだろうか。
不審者を見る目で見てくる妹にジャックはショックを受けていたのかもしれない。
そう思うと少しおかしい。
久しぶりに思考が冴えているように感じる。喉も乾いたしお腹もすいた。
まずはJを起こして母に会いにいこう。そしてジャックのことを家族で話そう。
もう、忘れようとしない。ジャックがいたことを私は覚えてる。
海は穏やかで、世界は美しい。
―冬が明けた。
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