暁の草原

Lesewolf

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第一環「春虹の便り」

1-3 価値を知るもの

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 少年は困り果てていた。情報収集のため、昼時の食堂を訪れるところまでは順調だったはずだ。湧き上がる淡い期待は、何度も打ち砕かれていた。

 ルゼリア国では、親切にしてくれた人に限り、持っていた懐中時計を見せた。しかし見覚えはなく、どこぞの島国の紋章だと言うのだ。それがセシュール国に入り、絵柄をグリフォンだというのだから、少年は有頂天になってしまっていた。

 食堂には、各地から復興支援のために人が集まっていると聞いた。多くの作物が十分に育たなくなり、自然災害も多く起こっている。原因の光から遠く離れたこの町を中心に、皆で協力して田畑を耕し、農作物を作り、収穫物をそれぞれの故郷へ送ろうというのだ。その為に、遠くフェルド共和国や、セシュールの山々から部族民が集まっている。多種多様な人が居たにもかかわらず、なんの情報も得られなかったのだ。そもそも、兄を探そうにも名前はおろか何一つ知らないのだ。

 女性の店員から、パンくらいなら提供できると言われたが、食欲などなかった。復興作業支援労働者用食堂と玄関の札に書いてあったのだ。立派に働き、食べ物を家族に送ろうとする彼らの貴重な食糧を、自分のような者が食べてしまうわけにはいかない。少年は、すっかり気落ちしてしまった。

 広場まで出ると、大井戸に列が出来ていた。ルゼリア国では、僅かな路銀で飲料水を買う事が出来たため、水には困らなかった。セシュール国の商店は建物の店内ではなく、路上に布やテーブルを置き、その上で食材のみを売っていることが多いとわかった。

 ルゼリア国では、路銀の支払いさえすれば、詮索されることもなかった。それなりに路銀は手渡されていたし、無駄遣いをする気もなかった。すぐに食べられる物の取り扱いが多く、必要なものだけ買い、リュックに詰めて少しずつ食べることができた。ところがセシュールでは、パンは材料の小麦として売られている。パンとして売られていないなど、初めてだ。当然練ることはおろか、焼くことすらできない。 野菜は購入できても、調理する道具はおろか、場所もなく、料理などしたこともない。

「もっと色々学んでおくんだった……」

 列を眺めてた少年はあることに気付いた。広場の井戸は無人のようで、誰も支払いをしている様子はない。無料なのだろうか。試しに列に並んでみるが、特段咎められる様子はなさそうだった。
 すぐに少年の後ろに若い女性が並んだ。首元から二つ、可愛らしい三つ編みをしていて、紐のような美しい布が一緒に編み込まれている素敵な女性だった。周囲を見渡してみると、他に列に並んでいるのは、見るからに母親と呼べるような女性ばかりだった。中にはゆったりとした服装で、お腹の大きな女性もいる。

 ふと少年は、自分の存在が異国民であったことに気づいてしまった。国境前で帽子つきのケープをもらったことで、異国で目立たない程度の身なりだろう。セシュールの織物で作られていると聞いている。
 前の女性は鮮やかな鳥の刺繍の入ったワンピースを着ている。後ろの三つ編みの女性はそこまで着飾ってはいないものの、しわのない白いブラウスに白いエプロンを付け、青いスカートを履いている。それでもエプロンにはオレンジ色の糸によって花の刺繍や動物が描かれている。少年からみれば十分おしゃれだ。

 少年の服はケープ以外はボロボロで、所々がほつれており糸が出ている。その上うす汚れた服に、真新しそうなセシュールの織物で出来た、帽子付きケープを羽織ったところで、誤魔化すことは難しいだろう。そのケープをもらう際に、服を縫い直してもらったというのに。
 セシュール領での検問では、特に何も言われなかった。兄を探しに来たと言ったところ、見つかることを願っておりますとだけ言われたのだ。こんなにも異質で怪しいというのに。少年はケープについている帽子を被った。自分の存在が場違いであり、異質であることが恥ずかしい。虚しさ、絶望が沸き上がり、目が熱くなるのを感じる。この姿のまま、食堂に入っていったなど。

(ぼく、ここにいていいのかな……)

 少年は列に並ぶ女性が皆、大きな桶や壺を手に持っているに気づいた。自分は小さな革袋しか持っていない。井戸を使うのは三回目だ。始めは使い方など知らなかったが、たまたま居合わせた老夫婦が指南してくれた。
 ルゼリア国にあった井戸は、吊された縄は太いだけではなく、少年の力では引き上げることも難しかった。それでも、一度引き上げてしまえば、一度分の料金を取られる。やっと汲み上げられても、そこで溢してしまえば一度分の料金を支払わなければいけない。二度目は一人でやったため、殆どを零してしまったが、やはり一回分の料金の支払いを言われた。恥ずかしかったため、汲みなおすこともできずに立ち去ってしまった。

 今も一人のため、引き上げられる量は少量であろう。ほとんどを零してしまうだろう。それでも革袋を満たす程度なら、きっと引き上げられる。念のため、少年は先頭の婦人をじっと見つめ、やっと違和感に気付いた。井戸はなぜか木の板で蓋がされており、手前の地面に棒が突き出ていて、そこから出ている棒状のレバーを上下させ、水を出している。

(どうしよう、見たことのない。井戸って全部あれじゃないの)

 列に並ぶ間、周囲に気を取られてしまっていた事を後悔してももう遅い。ふと前を見ると、先ほど水を汲んでいた先頭が、すでに汲み終えて帰路についている。少年の前はもう二人しかいない。

(どうしよう)

 が、先頭の後ろの者は付き添いであり、一緒に列を離れていってしまった。すぐ前のワンピースの女性の番となった。もうこの女性のやり方で覚えるしかない。怖くて仕方がなかった。少年は集中して、ワンピースの女性を凝視した。それ故、突然肩をつつかれてしまったことに驚き、大きな声をあげてしまった。優しくトントンとされたにも関わらず。

「ひゃっ」


 振り返ると、オレンジ色の糸で丁寧に縫われた刺繍の花と動物が、目の前に広がっていた。腰につけられているエプロンが、目の前にあったのだ。三つ編みの若い女性が、自分目線に屈んでいる。エプロンの裾についているレースが地面に付き、砂が付着した。

「ねえ、その革袋に入れるの?」

 女性は革袋を指さした。

「え、あ、はい。そうです。あの……」

 驚いて声が裏返り、震え、口をつぐんでしまった。異国民の自分が水を汲んでもいいのか、そもそも本当に無料なのか、そもそも飲んでもいいのか、井戸の使い方もわからない。
 次々と不安が湧いてでてしまい、言葉にならない。

「あれは水の勢いが強いの。この間、調整されてしまったの。だから、革袋に入れたいなら桶とかに一度汲んで、水差しに移してから注いだ方がいいよ。そのまま入れようとしたら、水が溢れてこぼれてしまうし、服なんて濡れちゃうと思う」

 少年はエプロンの刺繍を見つめ、女性の顔をなるべく見ないようにしていた。女性はその目線に桶を持っていき、桶を軽く指で弾いた。

「桶、持ってないのでしょう。うちに水差しがあるから、私の桶で汲んでいって、そこから入れてあげられるよ」
「え」

 前の女性が水を汲み終え、少年の番が来ていた。女性の後ろには、今も六人ほどが並んでいる。迷っている時間もなかった。

「すみません、あのお願いできますか」

 少年の言葉に、若い女性は笑顔で二度、頷き返した。勢いよく頷いたことて、二本の三つ編みが勢いよく跳ねた。若い女性は自らの桶を地面に置き、長いレバーを上下させると、水が勢いよく出てきた。

「わあ、すごい。びしょ濡れになるところだった」

 少年はハッとし、エプロンを一瞬見つめながら言いなおした。

「いえ、濡れるところでした」

 三つ編みを揺らながら、女性は笑っていた。軽々と片手で桶を抱え、住宅街を指さした。

「じゃ、ついてきて。こっちよ」

 少年は三つ編みの女性の後についていくことにした。よく見れば、編み込んであるリボンにも刺繍も施してあり、エプロンの刺繍と同じオレンジの糸だ。黄色かもしれないし、リボンとエプロンの色はお揃いなのかもしれない。

 案内された家は広場のすぐ裏手であり、赤煉瓦が可愛いこじんまりとした木製の家だった。屋根の煉瓦は所々が新しく、つい最近立て直されたように見える。窓が多く、そのほとんどに植木鉢が見え、可愛らしい花が見える。玄関前で少年を待たせると、すぐに水差しを持ってきた。女性は革袋を受け取ると、零さずに満たしたのだ。

「あら。見た目に関わらず、結構入るのね。はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「飲んだらまた入れられるから、ゆっくり飲んで大丈夫よ。喉、乾いたでしょう? あ、この玄関の椅子はうちのだから、座ってもらっていいからね。今日はやっと晴れたし、なにより良い風もあるから気持ちいいよ」
「……あ、お金」

 少年は慌てて背中のリュックを下ろそうとしたが、女性は三つ編みを左右に揺らしながら、優しく微笑んだ。

「やだ、お金だなんて……。それこそ、タダの水よ? ふふ、ルゼリアじゃあるまいし」
「え、水ってお金がかかるものじゃないんですか!」

 少年の言葉に、女性は一瞬目を見開いたが、すぐに優しく見つめ返した。ここで少年は初めて女性の顔を見た。青い瞳は空の色と同じで、淡くはあるものの透き通っていて、どこか懐かしく、うるんでいた。少年の瞳も青くはあるが、それとは違う青色であり、澄んでいる青色だ。

「あの井戸のお水はね、地下水脈からくみ上げているの。地下水は当然、大地からのお恵みでしょう。誰のモノでもないの。有り難いなって思ったらね、お金を払うより山へ祈ったり、大地に感謝するといいよ。今日は霊峰ケーニヒスベルクが、特に綺麗に見えるしね」

 女性は手のひらで、山々を指してくれた。屋敷を出るときは遙か遠くに見えていた山々が、ずいぶんと近い。

「そっか、ここはもうセシュールだった」
「ええ、そうよ。・・・・ねぇ、ルゼリアの方から来たんでしょう?」

 ルゼリアと聞き、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

「その帽子つきケープ。ルゼリア側の国境の村へ、私が作って贈ったものなの」
「え!?」

 少年は驚いて、また声をあげてしまった。盗品だと思われてしまったかもしれない。

「布も糸から染めて、全部織ったわ。刺繍も糸から染めて、全部手作り。それに、一着一着違ってるの。染める花も全部私が摘んだのよ」
「…………あ、あの」
「おばあさんは元気だった? 大丈夫よ、あの人の事だもの。断っても、あげるあげるって聞かなかったんでしょう」
「え、どうして、知って……」
「ふふ、よく知っている方なの」

 女性は瞳を潤わせた。

「……とっても素敵な方でした。おじいさんと、いつも手を繋いで、仲良くお散歩されてました」
「まあ、ほんと!? 良かった二人とも、歩けるようになったのね」

 女性は安堵を浮かべ、山へ向かい、胸に手を当てて一礼した。

「あのぼく、二晩も……、おうちに、泊めていただいたんです。すごく良くして頂いて、本当にお世話になったんです。おばあさんは少し、足が不自由そうでしたが、暖かくなってくるのと同時に、動くようになってきたって。ぼくとは、一緒にお風呂にいって、体を洗い合いました」
「まあそうなの! 二人は母の両親で、私にとっては祖父母なのよ」

 少年はケープの帽子を脱ぎ、頭を下げた。女性は少年の頭を優しく撫でている。女性の瞳からは涙が溢れ、頬を伝っている。少年はハッとして、すかさず聞いたのだ。

「あ……お姉さんの目、もしかして、おじいさんと同じ色? 空色で綺麗だなって、思っていたんです。あ、でも、すみません、これ……大切な贈り物、だったのに。ぼくがセシュールへ行くって言ったら、おばあさんが、セシュールはまだ寒いからって、着せて持たせてくれたんです」
「やっぱりそうだったのね。祖母ならやりそうだわ。でも大丈夫よ、毎年何着も贈ってるから、いつももういらないって言われてるの」

 女性は部屋の奥を指さした。そこには機織り機があり、絶賛製作中のようだ。糸を染めるためなのか、花が壁に干されている他、大鍋も多くあるようだ。糸と同じ色の花も沢山見えた。

「布をああやって織って、物足りなかったら染めたりするの。染めた糸を紡いで、刺繍もしちゃうのよ。布も糸から全部、紡ぐの」
「すごく可愛くて、丈夫だし、それにあったかいです」
「ふふ、ありがとう。でもそれは女性ものだから、ちょっとあなたには可愛すぎたかな」
「え、そうなんですか? でもこのオレンジ色の刺繍のお花、ぼく好きです」
「……ふふ。褒め上手で、それに乗せ上手ね。……私の、一番好きな花なの。さあ、お水を入れ直してあげる。……そうそう、戴いた果実でパイを焼いた残りがあるから、包んであげる」

 女性はそういうと、刺繍の入ったスカーフでパイを包んでくれた。スカーフには赤の刺繍が施されており、花が描かれているようだ。

「あ、ありがとうございます。何かお返しできたら良いのに……」
「あら、何も要らないわ。うーん、でもそうね……、今日泊るところに困っているのなら、うちへいらっしゃい」
「ええ……、でも……」
「あらやだ大変! 風が湿ってきてるわ。それに、ちょっと暗い? また雨が降るのかしら。風も強くなってるじゃない。気付かなかったわ、ごめんなさい。ちょっと出てくるけど、夕方には戻ってるから。中に入って休んでもらってもいいのよ」

 女性は包みを少年に手渡すと、かごを片手に小走りに走っていってしまった。何度も振り返って手を振ってくれている。

「……なんだろう、ルゼリアから離れれば離れるほど、みんなが、すごくやさしい」

 少年は目に涙を浮かべつつ、女性の走り去った方向、そして家へ向けて一礼した。湿り気がある風が、町を包んでいるようだった。少年は包みの温かみを感じつつ、町の広場へ戻った。水を汲む列には、もう誰も並んでいない。商店の並ぶ方へ、数人の女性たちが足早に駆けていっている。三つ編みの女性も、そちらへ向かったのであろう。セシュールでの露店は、ほとんどが路上に広がっていた。当然、雨など降れば店仕舞いだろう。

 ふと、少年は何かの風を感じ、それが人の視線だとわかった。すぐに後ろへ振り返ったが、木材を肩に抱えた男たちが二人、田畑のあった方角へ歩いて行っているだけで、自分に気など留めていない。一人は可愛らしい獣耳があり、もう一人は声がやたら大きい。

「…………疲れてるのかな。でも、甘えすぎるのは良くないよね。迷惑だもの。泊れるところ、どこかないかな。探してみよう」

 少年は、町の北へと足を運んだ。看板には旧宿場という文字が見える。


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