愛人に婚約解消を請われています

４

　窓から見える景色の中で、小さな雪がヒラヒラと天空から降りていた。
　私は一人で昼食のスープを食べていた。
　あまり具がなく、味も薄いスープだ。
　
　とても静かだった。
　本当に私がここに存在しているのか、疑問に思ってしまうほどに。

　だが、それは嵐の前兆だった。
　家の玄関が勢いよく開き、父が駆け込んできた。
　私の腕を引っ張り、床についた物置の戸を開けた。

「アクア。ここに隠れていなさい。音が聞こえなくなるまで絶対に出るな。分かったな」

　父の目は血走っていた。
　だが声は落ち着いて、逆にそれが緊迫した現状を私につたえていた。
　私は黙って頷くと、地下の物置部屋へと隠れた。

「お父さん？　入らないの？」

　なぜか父は一緒にこなかった。
　家族二人が入れる空間はあったが、父は一向に入ろうとしなかった。
　
「アクア。お前を愛している」

　父はそう言うと、戸を閉めた。
　動揺する間もなく、続けて砂でも被せるような音が上からした。
　私はまだ子供だったが、ここの存在を隠すために戸に何か被せたのだと悟った。

　暗闇の中でじっと堪えていると、四方八方から人の叫び声が聞こえた。
　その残酷な声を聞いて、私はやっと理解した。
　私の故郷は戦争に巻き込まれていると。

　長い間、音は続いていた。
　助けを乞う女の声や、薄気味悪い笑い声、物が壊れる音や、パチパチと何かが燃える音もした。

　私は暗闇の中でそっと耳を塞いだ。
　しかし音はいつまでも私を苦しめ、恐怖の底に落とし続けた。
　
　いつまでそうしていたのだろか。
　気づいたら音は止んでいた。

　父の言いつけ通り、私は戸を開けた。
　もう既に夜になっていた。
　上空に見える空には満点の星が輝いている。

「……あれ？」

　しかし夜空が見えることに私は違和感を覚えた。
　そしてすぐに、家の屋根が無くなっていることに気づいた。

　地下から抜け出し、地面に立った。
　周囲には何もなく、瓦礫の残骸や、人の死体が散乱していた。
　酷い臭いが鼻をつき、吐き気が込み上げてきた。

「うっ……」

　無様にも、私は胃の中のものを吐き出した。
　同時に鼻水と涙が出てくる。
　最悪の気分だった。
　
　何とか立ち上がると、私は父を探すべく歩いた。　
　そして程なくして見つけた。
　父は心臓を一突きされていて、苦悶の表情のまま死んでいた。
　
「お父さん……？」

　もう精気が無いことは分かるほどに、酷い顔色をしていた。
　
「うそ……うそ……うわぁぁぁぁ！！！！！！」

　私はその場に膝をつくと、地面を思い切り殴った。
　拳が石に当たり、鈍い痛みが走った。
　だが、それすらも救いに思えて、私は殴り続けた。
　
　心が壊れてしまうほどに痛かった。
　だから他の痛みで、紛らわしたかった。
　右手の感覚がなくなり、今度は左手を構えた時、後ろから音がした。

「お前は生き残りか？」

　振り返ると、馬に乗った男がいた。
　歳は父と同じくらいで、馬の上から私に厳しい目を降ろしていた。

「可哀そうに。一人だけ生き残ったのか」

「一人だけ……？」

「ああ、そうだ。この街は戦争に巻き込まれた。生き残ったのはお前だけだ」

「あなたは……誰？」
　
　彼は何かを考えるように黙った後、馬から降りた。
　そして私の傷ついた右手に触れた。

「偶然通りかかったただの貴族だ。私の家に来い、治療してやる」

　彼の手は温かかった。
　茫然とその手を見つめて、私は直観的に頷いた。
　
　私は立ち上がると、父の亡きがらに手を合わせた。
　心がまだ痛んでいたので、いっそのこと殺してしまうことにした。
　そうすれば痛みなんて、もう感じない。

「ありがとう、お父さん」

　故郷は酷い有様だったが、目を閉じれば、そこはいつでも光り輝いていた。