【完結】いばらの向こうに君がいる

古井重箱

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10. 異変

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 ピアノのレッスンをこなしているうちに、内藤と約束した日がやって来た。
 都心にあるキッチンスタジオに足を踏み入れた悠理は、そこがアウェイであることに気づいた。お揃いのエプロンをつけたカップルがペアになって、キッチンに立っている。
 悠理は内藤を睨みつけた。

「どういうことだ?」

 料理教室というから、てっきり数人でグループを作るものだと思っていた。

「カップルプランに申し込んだんだけど、ダメだった?」
「俺は……あんたの恋人ってわけじゃない」
「そんな寂しいこと言わないでよ。愛してる」
「チャラいんだよ!」

 まだまだ内藤に言いたいことがあったが、女性講師が現れたので悠理は口をつぐんだ。女性講師はにこやかに教室を見渡した。

「今日はアジフライと、いんげんの胡麻和え、そしてなめことお豆腐のお味噌汁を作ります」

 アジフライということは、背開きをしないといけない。

「魚の目が怖い」
「捌けるかな?」

 教室内が騒然となったが、悠理は気にせず、魚のウロコとぜいごを取った。内藤は悠理の思いきりのよさに見惚れている。
 悠理は魚の頭を切り落とした。

「すごいね、悠理くん」
「可愛げがなくて悪かったな。お魚さん怖いとか言うの、俺のキャラじゃねぇから」

 内藤の包丁さばきは自信なさげである。

「あんた、ふだん料理しないの」
「簡単なものは作れるけど、魚料理は初めてだ」

 女性講師がみんなに指示を出した。

「内臓と血合を取り除いて、水で洗ってください。そのあとはキッチンペーパーで水気を取ってくださいね」

 またしても教室内にどよめきが湧き起こった。いちいちうるさいなと思いつつ、悠理は言われたとおりにした。内藤の手が止まっている。

「抵抗があるのか?」
「少し……」
「腹くくれよ。このアジは俺たちのために命を捧げてくれた。美味しく調理してやるのがせめてもの供養になるはずだ」
「そうか、そうだよな」

 内藤は魚の体内に指を突っ込んで、内臓と血合を掻き出した。おっかなびっくりな手つきが可愛らしい。

──内藤さんを可愛いと思うとか、俺、どうかしてるな。

 悠理はアジに包丁を近づけた。背の方から中骨に沿って包丁を入れ、身を開く。内藤もまた奮闘していた。
 女性講師が悠理に声をかけてきた。

「慣れてますね。おうちでもよく料理をするんですか」
「はい」
「えっ。悠理くんって料理ができる人だったんだ……」
「アルファにそれ言うと、すぐ自分のために作ってくれとか騒ぐから、あんまり教えないようにしてる」

 悠理はその後の作業も着々と進めていった。
 内藤はぐったりしている。

「命をいただくってのは大変なことなんだなあ」

 出来上がった料理を食べながら、内藤がつぶやいた。

「悠理くんといると、教えられることが多い」
「ずいぶんと殊勝なことを言うじゃねぇか。明日は赤い雪が降るんじゃないの?」
「きみに会えてよかった」

 内藤の笑顔を見て、悠理の鼓動はうるさいほどに速まった。

──俺、なんか変だ。

 料理教室からの帰り道、悠理は無言だった。内藤が心配して、あれこれ話しかけてくる。

「俺、まずいこと言った?」
「……違うんだ。内藤さんといると俺……自分じゃなくなっていく。アルファなんて大嫌いなはずなのに、内藤さんは特別だって思ってしまう」
「それ、恋だよ」
「またすぐチャラいこと言うんだから」
「人生は短い。悩む時間がもったいないよ。ねえ、悠理くん。俺と結婚を前提に付き合ってくれないか?」

 いつになく真剣な表情をされて、悠理は戸惑った。内藤は本気だ。

「俺は……いい奥さんにはなれないぞ。子どもができたら子どもを優先する」
「構わないよ。ずっとそばにいてほしい」
「あんたって本当に変わってる」

 悠理はそう言いながらも、嬉しくてたまらなかった。もっと内藤と一緒にいたいと思う。

「……内藤さんは俺の言葉の向こうにある、俺の心を見てくれた。そんな人、初めてだ」
「手をつないでもいい?」
「好きにすれば」

 内藤の指先が近づいてくる。手と手が触れ合った瞬間、悠理は全身から刺々しさが抜けていくのを感じた。もう毒舌は必要ない。内藤が悠理を守ってくれる。
 手をつなぎながら街中を歩く。
 悠理に合わせて、内藤は歩幅を調節してくれた。ちょっとした気遣いがありがたい。

「次はどこに行こうか?」
「水族館がいい。イルカに会いたい」
「じゃあ、また連絡するね」

 地下鉄の構内に入ると、人でごった返していた。アナウンスによれば、電気系統のトラブルによって悠理が利用している沿線の電車はすべて運休しているらしい。復旧時刻は未定とのことだった。

「うちに泊まっていく?」

 内藤に訊ねられて、悠理は心臓が跳ね上がった。

「襲うつもりだろ」
「そんなことしないってば。俺は初夜まで悠理くんを抱かない」
「……迷惑じゃないのか?」
「困ってるきみを放っておけないよ」

 悠理は内藤の言葉に甘えることにした。むっと人いきれで蒸している地下鉄の構内から離れる。
 なんだか匂いに敏感になっている。

──もしかして……。

 悠理はヒートが始まりつつあった。
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