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第1部・第3話:ジェイク

第3章

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 翌日。ルカは午前中から、教会にネイトを訪ねた。
 小規模ではあるものの孤児院を抱えていたり、怪我をした旅人を一時的に受け入れることもあって、教会は常に一定の量のポーションを備蓄している。神父一人で賄えない時に限り、祖母のベリンダがこれを補充するという形で支援しているのだが、今日がその不定期納入の日に当たっていた。ルカは普段から率先して祖母の手伝いをするように心掛けていたし、ネイトがルカをことほか気に入っていることもあってか、ベリンダもルカに使いを任せるのが当たり前になっている。
 特に今回は、ルカが内緒の魔物討伐の際に、ネイトに教会の備蓄分のポーションを融通して貰ったこともあって、ベリンダからは「教会からの要望数+α」、これに「孤児院の子供達への、ベリンダお手製ハーブ入りクッキー」を併せて届けるよう厳命された。
 普段よりも早い時間に、いつもより重ためのバスケットを両手で提げて現れたルカを、ネイトはいつも通り、親愛の情としてはやや激しすぎる抱擁で出迎えてくれた――の、だが。
 本部からの来客があるとか何とかで、教会内は妙に慌ただしい様子だったため、ルカは早々にいとまを乞うた。「どんな要件だって、君には比べられないよ」とネイトは引き止めてくれたけれど、王都の教団本部からの使者となると、ないがしろにしていい相手ではないはずだ。
 ネイトの悲しげな表情と、ほとんど構ってやれなかった子供達の残念そうな様子に後ろ髪を引かれながら、ルカは空になったバスケットを手に、何となく家路を辿った。用は済んだし、帰宅すればいいのだが、ジェイクの勧誘は出来ていない。けれどなぜか言い出しづらい。行き先が定まらないので、自然と歩調は遅くなる。
 商店街の大通りへ入った辺りで、ルカは慌てたような声に呼び止められた。
「あ、ルカちゃんじゃないか!」
 この町で、ルカを「ちゃん」付けで呼ぶ人は少なくない。振り返ると、洋裁店のおじさんが焦ったような表情で駆け寄ってくる。田舎には珍しい、ベリンダ御用達のハイセンスなお店には、子供の頃からお世話になってきた。それこそ女の子とよく見間違われていた幼い頃、西洋風のこちらの衣服に馴染めず、外出用のローブを「赤ずきんちゃんみたいでイヤ!」と引き剥がして困らせてしまったのは、ルカの黒歴史の一つだ。手を掛けさせてしまって申し訳なかったと思っている。
 「どうしたの?」と首を傾げるルカに、ちょっと太めのおじさんは呼吸を整えながら「聞いたかい?」と逆に聞いてきた。本来なら店舗に詰めている時間帯のはずだが、何かあったのだろうか。
「昨日の夜、エヴァンズんとこのシェリルが魔物に襲われたんだよ!」
「えっ!」
 昨日の日中に言葉を交わしたばかりの友人の奇禍きかを知らされ、ルカは小さく悲鳴を上げた。最悪の想像に蒼褪めたルカを安心させるように、おじさんは小さく首を横に振る。
「いや、迎えに出たジェイクが助けに入ったんで、大事には至らなかったらしいんだが、シェリルは逃げる時に足を痛めたらしくてね……」
 人里近くに魔物が出現したとあって、昨夜から近隣は大騒ぎだったのだそうだ。大通りの店主達で結成された組合でも、領主への連絡と自衛策の協議が行われた。おじさんはその帰路、エヴァンズ兄妹と仲のいいルカを見掛けて、声を掛けてくれたという訳だ。
「ありがとう、僕行ってくるね!」
 お礼を言って、ルカは通りを駆け出した。「気を付けてな」という気のいいおじさんの声を背に、少し迷ってから花屋に立ち寄る。月並みかもしれないが、お見舞いと言えば花だろう。祖母から定期的にお小遣いは貰っているし、何といっても今のルカには、魔物討伐でギルドから得た収入が少しばかりある。シェリルの好みまではわからないから、彼女の瞳と同じ色の蒼い花を小さなブーケにしてもらって、ルカはエヴァンズ薬剤店へ急いだ。
 薬品よりもハーブの香りが強い店内は、平常通り穏やかな雰囲気に包まれており、ルカはひとまず安堵に胸を撫で下ろす。店番をしていたおばさんに「シェリルは?」と尋ねかけてから接客中であることに気付き、慌てて口を噤んだ。振り返ったご婦人はルカに優しく微笑み掛けてくれ、おばさんも「あの子なら部屋にいるから行ってあげて」と教えてくれたのは、二人ともルカが駆け付けてきた理由を察してくれたからに違いない。
「ありがとう、邪魔してごめんなさい!」
 早口に、それでも言うべきことだけ言い置いて、ルカは勝手知ったるエヴァンズ薬剤店の住居スペースに上がり込んだ。背後でご婦人達の「あら可愛い」「でしょう?」などとはしゃぐ声が聞こえてくる。
 通い慣れたジェイクの部屋と隣接しているのが、シェリルの部屋だ。オシャレなリースの掛かるドアを、少しだけドキドキしながらノックする。
「ルカ! 来てくれたのね!」
 ルカの姿を見止めて、シェリルは寄り掛かったベッドから上体を起こした。聞いていた通り、大きな怪我はないようだが、スカートから覗く、細い左足首に巻かれた包帯が痛々しい。
 シックな家具でまとめられたジェイクの部屋とは違う、女の子らしい色使いの家具や小物類にソワソワしながらも、ルカはちょこちょことベッドに歩み寄った。
「洋裁店のおじさんから聞いて、ビックリしちゃったよ。大丈夫だったの?」
「うん、ただの捻挫よ。しばらく安静にしてろとは言われたけどね」
 心配していたような精神的ショックもなさそうで、取り敢えずは良かった。お見舞いの花束を差し出すと、「え、私に? いいの?」と、思いも掛けない可愛らしい反応が返って来て、妙に照れる。見れば、サイドボードには他にもお見舞いらしき品が何点か並んでいたが、喜んでくれたようで何よりだ。
 ベッドサイドにクッションを敷いて、ルカはその場に腰を落ち着ける。
 シェリルが語ったところによると、彼女は昨日の午後、町はずれに住む顧客のお婆さんに、気管支の薬を届けに行った。遠方とはいえ、もちろん女性の足で夕方までに戻って来れない距離ではない。そのお婆さんは元パティシエールで、お菓子作りが趣味のシェリルとはよく話があった。共通の話題で盛り上がり、帰宅が遅くなったことは事実だが、それでも非常識な時間まで居座った訳ではないらしい。両親に怒られることを覚悟しながら帰路を急ぎ、完全に陽が落ちるまでに町中へ戻って来られたことに安堵した次の瞬間、跳躍型の魔物に襲われたのだという。
「兄さんが来てくれなかったら、どうなってたかわからない」
 その時の恐怖を思い出したのか、シェリルは小さく身を震わせた。跳躍型の魔物は動きが早い。身体はそれほど大きくはないが、ただでさえグロテスクな生物に執拗しつように追い回されて、さぞ恐ろしかったことだろう。
 ルカの労わるような視線に気付いたシェリルが、うっすらとはにかむ。
 悲鳴を聞いたジェイクがその場に駆け付けられたのは、当然ながら、妹の帰りが遅いのを心配して、迎えに出ていたからだった。咄嗟にシェリルを伏せさせ、護身用に持っていたサバイバルナイフを投げ、魔物の目を潰す。苦しみ悶えるボディに重たい蹴りを一発お見舞いして、動きが鈍ったところでナイフを引き抜き、喉笛を掻き切った――鮮やかな手腕だ。
 ――どこのヒーローなんだよ!
 ルカが感動に拳を握り締めたところで、店番をしていたはずのおばさんがお茶を持って来てくれた。倉庫の整理をさせていたジェイクが戻ったので、「押し付けて来ちゃった」とのことだ。
「やっぱり、ジェイクはすごいね。二人とも無事で良かったよ」
 おばさんが青い花のブーケを生けるために出て行ったところで、ルカは改めて感嘆を口にした。咄嗟の現場で落ち着いて行動できることもさすがだが、何より正確な武器さばきと体術。小さなサバイバルナイフ1本と生身の肉体だけで、小型の魔物をあっさり撃退するとは。
 昨夜から何度も聞かされたであろう兄への称賛に、シェリルは「うん」と、なぜか寂しそうな笑みを浮かべる。
「だから、兄さんの足手纏いにはなりたくないんだけどね」
「え?」
 足手纏いとは穏やかではない。兄と共にしっかりと両親を支える彼女とは無縁の形容に、ルカは思わず眉をひそめた。誰かが彼女をそんな風におとしめたのだろうか。
 するとシェリルは、ルカの早合点を訂正するように、小さく首を横に振る。
「言わないけど、兄さんホントは、魔王討伐隊に志願するか、迷ってたんだと思うの」
「!」
 討伐隊の名称に、ルカの鼓動が大きく跳ねた。その動揺には気付かず、シェリルは「ううん、絶対そう」と強く言い添える。
 確かに、ルカがこちらの世界に転生を果たす前後で、国は大々的に討伐隊への志願者を募っていた。隊長にフィンレーの父であるヘクター・ボールドウィン卿が任命されたほか、名だたる騎士や魔導士に参加を請う一方で、一般にも広く門戸もんこを開き、多くの人材を集めようとしていたのだが――ジェイクが志願を検討していたとは初耳だ。しかも、迷っていたとはどういうことだろう。
 ルカの疑問に答えるように、シェリルは続ける。
「昔から強いし、頼りにもされてきた人でしょ。闘う力のある自分が行かないでどうするんだって気持ちがあるのよ。自分の懐に入れた人には、結構献身的だし」
 わかるでしょ? と言わんばかりの視線を向けられ、ルカは頷くしかなかった。シェリルもルカも、常に彼の庇護下で守られてきたのだ。多くの人が困っているのを見ないふりは出来ない、それがジェイクという人物であることは、よく身に染みている。
「それに、ただの自己犠牲ってだけじゃなくて、純粋に自分の力を試したいっていうのもあると思う。そういうのは、男の子のルカの方がわかるかもね?」
「……そうだね」
 シェリルが自分をジェイクと同じ、年頃の男の子扱いしてくれていることがありがたく感じられて、ルカは口元に笑みを浮かべた。ルカとジェイクでは次元が違うかもしれない。だが、自分に何が、どこまで出来るのか試してみたいという気持ちは、確かに、痛いほどよくわかる。
 ――では、闘う力を持つジェイクが、なぜ絶好の機会である魔王討伐隊へ志願しなかったのか。
 それは。
「置いていけないのよ、私達を。自分だけ田舎を離れることに対する罪悪感もあるんだと思う」
 ルカを見据えて、シェリルははっきりと言い切った。生まれてからずっと、強くて優しくて誠実な兄を間近で見てきた彼女には、それだけの確信があるのだろう。初めて知ったこともあったが、ルカにもおおむね異論はない。彼女の見立ては正しいのではないかと思う。
 けれどシェリルは、「でも」と瞳を伏せた。
「兄さんに頼り切りな私達が言うのもおかしいかもしれないけど、やっぱり家族のせいで、我慢はして欲しくない。能力を活かせる場に出て行ってくれればいいと思うし、その足枷あしかせになるのは嫌なんだけど……このザマだもん」
 嫌になっちゃう、とシェリルは、彼女には珍しく弱音を吐いた。長い睫毛の落とす影が、切なく揺れる。
「…………」
 迷った末に、ルカは立ち上がった。そのまま腕を伸ばし、あやすようにポンポンとシェリルの頭を撫でる。ジェイクがよくしてくれるように。
 その仕草に覚えがあったのか、シェリルは少し頬を染めてから、「生意気よ」と笑ってくれた。
 意地っ張りだけど、どこか傷付きやすくて、兄弟思い。
 ――やっぱりお姉ちゃんに似てるかも。
 ルカは改めて、シェリルをそんな風に思った。
 彼女がそれを喜ぶかどうか、定かではない。

                  ●

 シェリルの部屋を出てから、ルカは考えた。
 昨日ジェイクと話した時からずっと続いている違和感に、シェリルが答えをくれたような気がする。
 ルカが頼み込めば、きっと優しいジェイクは斥候隊せっこうたいへの加入を承諾してくれるだろう。シェリルの言う通り、彼が常日頃から弱者のために力を振るいたい、自分の力を試してみたいと考えているなら尚のことだ。
 だがそれは、決してジェイクの意思ではない。家族のためと言いながら、故郷に自分を縛り付けていることと、何も変わらないのだ。
 ジェイクがこの家、この町にとって、必要な存在であることは言うまでもない。けれど、彼の優しさがあだとなって、身動きが取れなくなっているようにも見える。
 翼竜よくりゅうの件が良い例だ。ジェイクは責任を負い過ぎている。年下で、この世界のことをよく知らない、彼に比べればひ弱なルカを気遣ってくれるのは嬉しい。でも、それは保護者としての責任であり、友達や幼馴染みが背負うべきではないものだ。
 ジェイクはもう少し、自分を優先しても良いのではないか。ジェイクの将来はジェイクのためにある。町の人は別としても、シェリルの話を聞く限り、少なくとも家族は彼の自由な意思を尊重してくれるはずだ。
 彼自身が選び取らなければ、意味がないのに。

「よう」
 程良いレトロ感の漂う店内へ戻ると、カウンターに着いたジェイクが出迎えてくれた。
 どうやらそのまま店番を押し付けられているらしい。「おばさんは?」と聞くと、「昼飯の準備」と端的な答えが返ってくる。となると、今日はおじさんが配達係のようだ。シェリルが店に出られないので、タイトなローテーションも仕方のないことだろう。
 お昼前の店内は、心地良い静寂に満ちている。
「――ジェイクはこのままお店を継ぐの?」
「……どうした、突然」
 不躾ぶしつけなルカの質問に、ジェイクは薄い笑みを口元にいたまま、表情を強張らせた。付き合いが長いからわかる。これは動揺を隠そうとする時の、彼の癖だ。
 やはり将来についての話題は、ジェイクにとっては触れられたくない領域にあるのだろう。彼を傷付けたいとは微塵みじんも思わない。けれど言わずにはいられなかった。
 勧められた椅子に腰を下ろすことなく、ルカは「真面目な話だよ」と問いを重ねる。
「僕が斥候隊に入れるように協力してくれたけど、ジェイクはこのまま、ずっとこの町に残るつもりなの?」
 ジェイクが薄い唇をグッと引き結んだ。その様子が、何かを堪えているようで痛々しい。しかしそれも長い時間ではなく、やがてジェイクは困ったように、溜め息混じりの笑みを零した。
「外に出たい気持ちがあるのは事実だ。でも、家族をおいて行く訳にもいかないだろ」
「!」
 それをあちらの世界では「自己犠牲」というのだ、と、ルカは反発を覚えずにいられなかった。幼馴染みとはいえ、他人のルカがどうこう言える問題ではないかもしれない。だが、ジェイクは家族の意思を勝手に忖度そんたくして、最初からすべてを諦めている――それがとても悔しい。
 ああ、翼竜のことだって、悪いのは絶対的にルカの方なのだ。傷付いた生き物を、自分の尺度で鳥のひなだと思い込んで、手を出した。それで自分の気は済んだが、野生のおきてに関わった結果、家族を危険に晒してしまったし、場合によってはもっと深刻な事態を引き起こした可能性だってある。
 ジェイクの罪は、ルカのしたいようにさせたということだけ。それなのにジェイクは、自分にこそ非があるように受け止めている。そんな風に自分を責めて欲しくないし、ルカのことを甘やかしてほしい訳でもない。
 ジェイクには、もっと自分を大切にしてほしいだけなのに。
「――じゃあ、僕が付いて来てって言ったらどうすんの?」
「え?」
 拗ねたようなルカの口調に、ジェイクが困惑した様子で両目を瞬かせる。肝心の「斥候隊」という単語が抜けているし、そもそも勧誘自体できていないのだから、この反応も無理はない。
 それでもルカは止まらなかった。
「家族が反対してるからついて来てくれないの? それってちゃんと確認してくれた? みんなに行かないでって言われたの?」
 仮定の話でエキサイトしていくルカに、ジェイクは気圧けおされたように「いや」と口籠る。それはそうだろう、少なくともシェリルは、彼に自由にしてほしいと願っている。言葉だ。ちゃんと言葉にして確認しないから、彼ら家族は互いを思い遣りながらも、ずっと擦れ違っている。
 やり場のない怒りに胸の内を掻き回されて、ルカは話が脱線していきそうになるのを必死に堪えた。自分でもめちゃくちゃなことを言っているのはわかっている。ジェイクの責任感の話が、斥候隊のことと、彼の将来とに複雑に絡み合って、混乱してしまいそうだ。
「それって、みんなにも失礼なんじゃないかな」
「!」
 小さく唸るように吐き出したルカに、ジェイクがわずかに眼を見開いた。
 ジェイクのお荷物になりたくないのは、シェリルもルカも同じ。ジェイクには何も強要したくない。
 彼がルカと同じように、外の世界を望んでいたとしても、ジェイクの意思で出て行くのでなければ意味がないのだ。
 ――誰もジェイクを縛り付けようなんて、していないのに!
「もっとちゃんと話を聞いてあげなよ! 自分の意思で町に残るっていうなら、なんでそんなに寂しそうな顔してんだ!」
 堪えきれずに叫んで、ルカはぷいときびす踵を返した。ジェイクの呼ぶ声が聞こえたが、振り返らずにドアを開けて、大通りの人波に紛れ込む。
 子供のように喚き散らしたことが恥ずかしい。
 しかしそれ以上に、何だか無性に悲しかった。
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