忘却の彼方

ひろろみ

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五歳編

三十三話 炎の海 (響)

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 その頃、響は空を見上げながら愕然としていた。初めて見る魔獣の姿に目を奪われ、固まっていた。飛竜は咆哮を上げながら徐々に近付いて来た。翼を羽ばたく度に風が吹き荒れた。尾の先までいれれば体長十メートルはあろうかという巨体だった。

 黄色の眼球は狙った獲物は逃さないと言わんばかりの鋭さを放ち、竜ならではの気品すらも感じた。一目、見ただけで知性が具わっている魔獣だと理解させられた。戦ってどうにかできるレベルの話しではない。あまりにも実力が違い過ぎる。

「ひ……飛竜……そんな……あり得ない……」 

 戦わなくても飛竜の能力が桁違いに優れていることが理解できた。このままでは再び窮地に陥りかねない。焦燥感に苛まれながらも、飛竜から視線を外すことができなかった。数ある魔獣の中でも飛竜は希少性の高い魔獣だ。気性が荒く、人間でさえも簡単に食い散らかす。獰猛で手懐けることは不可能に近い。

 黄土色の飛竜の背中には二十代の女性が跨るように乗っていた。身体のラインを強調するようなライダースーツを着込み、季節外れのマフラーを首に巻いていた。陽に焼けたような褐色の肌に、腰まで伸ばした金色の髪の毛が良く似合っていた。

 日本人にも見えなくもないが、堀が深い顔立ちが特徴的な女性で、エキゾチックな雰囲気だ。見た目は美しい女性だが、異質な雰囲気を醸し出していた。彼女から発せられる氣の量は凄まじく、今までの敵とは一味も二味も違うことが伝わってきた。

 「おいっ、お前ら。子供相手に手こずるとは使えない奴らばかりだな。加勢してやるから私達の攻撃に当たらないように気を付けな。やれ、ジーザス。炎を存分に吐き出せ。遠慮はしなくて良い。殺して殺して……殺し尽くせ」

 次の瞬間、飛竜が甲高い雄叫びを上げる。大気を揺るがすような咆哮に、思わず耳を塞ぎたくなった。飛竜は女性の指示通り、牙を剥いたその顎から炎を吐き出した。全てを溶かし尽くさんとする灼熱の炎だった。

 紅蓮に燃え盛る炎は敵すらも一瞬で飲み込んだ。熱風に煽られ、灼熱の炎は津波のように、豪快に襲い掛かった。炎の勢いは凄まじく、木々が生い茂る森を一瞬で溶かし、大地がマグマと化していた。敵も味方も関係なく、全方位に炎が広がり始めた。

 「なっ……味方も攻撃するなんて……」 

 炎に覆われた敵達は慌てながら身体を地面に擦り付けたり、燃える衣服を慌てて脱ぎ出す者もいた。敵達にとって飛竜の火炎は予想外の攻撃だったのであろう。誰一人として火炎を回避できる者はいなかった。敵達は天狗の面を外し、炎を消すことで必死だった。何人かの敵は皮膚が完全に爛れていた。

 「水だッ……水ッ……」

 敵達の何人かが水の魔術を使い、炎を鎮静化させようとしていたが、魔術によって生み出された水は灼熱の炎よりも劣っているのか、蒸発して霧散していた。飛竜が吐き出す火炎は湖の水でさえも蒸発させる勢いだった。

 水面が沸騰するように泡立ち、蒸気が立ち昇っていた。肉の焦げたような臭いが鼻孔を刺激し、敵達の何人かが炎に耐えきれずに動かなくなった。事切れた瞬間だった。人が死ぬ瞬間を間近で目撃した響は、唖然と固まるしかなった。

 何故、味方ごと攻撃しているのか理解できなかったのだ。響は訳が分からない状況に陥り、困惑を隠せなかった。響だけを攻撃すれば済む問題なのだ。それにも拘らず、飛竜と女性は味方ごと巻き込む形で攻撃を繰り広げた。

 まるで仲間など不必要と言わんばかりに、容赦のない攻撃だった。炎は空気中の酸素を取り込みながら燃え広がり、辺りは瞬く間に炎の海と化した。敵達の中には湖に跳び込もうとする者もいたが、分厚い炎の壁に退路を断たれているため、誰も湖に跳び込むことができなかった。

 それに運良く湖に跳び込めたとしても、湖の水は間違いなく人間にとって脅威の温度になっている。水面か泡立ち、蒸気が立ち昇っているのが、炎の中からでも伝わってきた。退路を失い、業火に身を焼かれていく敵の姿に愕然とした。

 あちこちで敵の悲鳴が響き渡り、まるで神の裁きを受けた罪人のようだった。響には飛竜と女性が何をしたいのか、全く理解できなかった。飛竜と女性の能力をもってすれば、一瞬で敵達を殺すことができる筈だ。

 それでも飛竜と女性は、じわじわと時間を掛けて殺すことを選んだ。残虐で、あまりにも無慈悲な行い。その悲惨な光景に、響は背筋が凍るような思いだった。もはや、響にできることは何もない。隙を見て、逃げるしか選択肢がなかった。
 
 「……助けてくれッ……」

 「……嫌だ。死にたくない……」

 「はぁはぁ……苦しいッ……」

 「ああああああぁああぁぁっぁぁー……」

 「ははっ、最高のショーだ。本当に愉快だな」
 
 炎に覆われた敵達は必死になって炎を消そうとしているみたいだが、炎の勢いは一向に衰えることはなかった。まるで阿鼻叫喚とした地獄絵図のようだった。敵達は飛竜と女性に救いを求めるが、肝心の女性は腹を抱えて笑っていた。

 その姿は狂喜という言葉が相応しかった。敵、味方すらも関係なく、全方位に攻撃して笑っているのだ。普通の一般常識では考えられない行為だった。敵達には仲間という概念すらもないのか、戦慄せざるを得なかった。

 飛竜は尚も灼熱の炎を吐き出し、敵達の身体から皮膚が蕩けるように削げ落ちた。炎に覆われた敵達の呼吸が段々と荒くなり、衰弱し始めた。敵達のもがき苦しむ姿は悲惨で見ていられなかった。上手く呼吸ができないのか、敵達は首を両手で押さえながら痙攣していた。もはや、彼らの命は風前の灯火であった。

 敵達の悲鳴が絶叫に変わり、灼熱の炎は更に勢いを増していった。気付けば炎は樹木に燃え移り、樹木に燃え移った炎は凄まじい速度で隣の樹木に燃え移り、瞬く間に森が焼かれていった。まるで巨大な松明を見ているかのように燃え盛っていた。

 何処を見渡しても炎と煙が上がり、徐々に呼吸することが苦しいと感じ始めた。響が生きていられるのも時間の問題だと悟った。今の響には飛竜の火炎を上回る魔術など使えない。それに響は魔獣を想定した戦闘訓練など一度も受けていない。対人戦の訓練しか受けていなかったのだ。どう足掻いても飛竜は倒せる相手ではない。

 「ん?なんでだ?なんで……お前だけ炎の中で無傷なんだ?炎に耐久性でもあるのか?いや、それはあり得ない。ジーザスの炎は最強だ。ジーザス、あいつも燃やせ」
 
 女性は響が無傷でいることに不審に感じるが、一瞬のことだった。すぐに飛竜に殺すように指示を出した。飛竜は女性の指示に従い、再び灼熱の火炎を吐き出した。空気中の酸素を一瞬で燃やし尽くし、火炎が波打つように襲い掛かった。
  
 まずい。この攻撃をまともに食らえば無事では済まない。脳内が反射的に警鐘を鳴らす。響は瞬時に思考を巡らせ、回避行動に移ろうとする。しかし、周囲は既に炎で覆われいるため、逃げ道がなかった。完全に詰んでいた。

 どこに逃げても炎の海で回避は不可能だった。凄まじい熱量が響に襲い掛かり、窮地に陥った響は目を瞑ることしか出来なかった。恐怖と絶望が響の胸中を埋め尽くした。いくら治癒の魔術が使えるようになったとしても、対策の取り様がなかった。

 自然と諦めがついた。どう足掻いても生き残るという選択肢がなかった。この世は弱肉強食である。自然の摂理に従うしかない。強者のみが生き残れる世界に嫌気がさした。やっと自分だけの魔術を使えるようになったと思ったのに呆気なかった。こんなに簡単に人生が終わってしまうとは思わなかった。響は完全に意気消沈していた。

 
 
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