忘却の彼方

ひろろみ

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五歳編

三十二話 追跡 (紅葉)

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 ただでさえ視界の悪い森の中に土砂が舞った。それでも紅葉は足を止めることはできなかった。そのまま木々の枝を飛び移るように移動して、啓二の追跡に集中する。紅葉に残された体力を考えると、誠一の相手をしている余裕はなかった。

 時間も体力も有限だ。できる限り浪費は避けたい。いくら厳しい鍛錬を積んできたと言っても、紅葉は僅か七歳の少女である。英才教育を始めてから四年の月日しか経っていない。口が達者で大人びて見えるが、精神面は成熟しきれていない上、未発達な身体では成せることと成せないことがある。それでも嘆いてはいられなかった。

 例え、どんなに窮地に追い込まれたとしても、挫ける訳にはいかない。風祭家の長女としてのプライドが許さなかった。敗北も挫折も許されない。今の紅葉では全力で立ち向かっても、啓二とまともに戦えるのか微妙なところだった。

 その上、誠一の相手をしていられる訳がない。求めているのは結果だ。啓二を捕縛し、尋問することができれば良い。わざわざ無理をしてまで誠一の相手をする必要はない。上手く立ち回ることができなければ、状況は悪化の一途を辿っていく。

 全速力で森を駆け抜ける紅葉に、追い撃ちを掛けるように光の濁流が襲い掛かった。誠一が背後から魔術を放ってきたのだ。圧縮された一筋の光線が紅葉の行く手を遮る。光の濁流は木々を薙ぎ倒し、地を抉っていく。

 誠一を撒くつもりで全力で疾走しても、誠一はピッタリと背後を追い掛けて来ていた。このまま啓二を追跡すれば、自然と誠一も跡を追って来る。両者の走る速度は互角と思われたが、徐々に二人の距離が近付いていった。

 「くっ……厄介ですわ……」

 啓二と誠一の二人を同時に相手にすることは、いかに紅葉であれ骨が折れる作業となる。かと言って、誠一との戦闘を終えてから、啓二と戦うことは紅葉にとっても分の悪い賭けになる。体力と氣が最後まで持つのか疑問だったのだ。

 それに紅葉が扱う魔術にも制限が存在する。厳しい制約と限られた制限があるからこそ紅葉は爆発的な力を得ることができたのだ。今の紅葉の能力では長期戦は望めそうにない。いくら麒麟児と評される少女であっても、限度があるのだ。

 残りの体力は六割弱、氣の残存量は五割といったところである。今の状態で啓二を捕らえることは困難を極める。最悪の場合、失うものもあるかもしれない。不安要素は拭えないが、このまま啓二を放置することはできなかった。

 焦燥感を滲ませる紅葉に、追い打ちを掛けるように光の濁流が襲い掛かる。紅葉は繰り出される魔術を、回避しながら思考を巡らせる。暗闇に紛れても誠一を突き放せない。何故、紅葉の位置を正確に把握できるのか、疑問が尽きない。

 紅葉が向かっている目的地を、誠一に悟られていると考えるべきか。それとも偶然が重なり、紅葉の位置を把握できただけなのか。前者か後者で今後の対応が変わる。今の誠一には他者の気配を探知する魔術は使えない筈だ。

 肉体を強化する魔術と、放出系の魔術しか使えないことは既に把握済みである。啓二の精神干渉系の魔術は、操る対象者の能力に制限を強いる。現段階で分かっていることは、誠一の本来の系統である具現化系の魔術は使えないということだ。

 啓二の精神干渉系の魔術に、どのような規制があるのか、現状で全てを把握するのは難しい。今は啓二の追跡に集中したいところだ。早く啓二に追い付かなければならない。人差し指から放たれる糸を確認し、啓二の逃走する方角に向かう。

 このまま誠一を振り切れば、諦めてくれる可能性もある。時間を掛ければ啓二が行使している精神干渉系の魔術の効果が弱まる可能性も捨てきれない。いや、楽観的な希望は捨て去るべきだ。自分に都合の良い解釈はするべきではない。

 紅葉は気配を絶ち、完全に暗闇と同調している。物音さえも立てず、足跡も残していない。にも拘らず、誠一に居場所を特定される。誠一を撒こうとしても、振り切れない。啓二と誠一が何らかの魔術によって、リンクしている可能性が非常に高い。

 どうすれば啓二の術を破ることができるのか、今の紅葉には分からなかった。こんなことになるのであれば精神干渉系の魔術を、もっと勉強しておくべきだった。後悔しても遅いことは理解していた。それでも悔やみきれない。

 木々の枝を飛び移るように、凄まじい速度で移動する。暗闇に覆われ、視界の悪い状況でも誠一は追い掛けてくる。木々や草花が生い茂る森の中でならば、誠一を完全に撒けると考えていたが、紅葉の思惑が悉く外れていった。

 このままでは追い付かれるのは時間の問題だ。徐々に追い詰められ、精神的な余裕は消え去った。それほどまでに状況は切羽詰まっていた。紅葉に出来得る最善の策は使い果たした。やはり誠一と戦うしか選択肢がないのか。紅葉は選択を迫られる。

 「こうなったら気配を遮断しても意味はないわね……」

 紅葉は誠一を警戒しながらも、森の中を素早く静かに移動する。もはや、気配を絶っても意味はなかった。誠一の視界には紅葉の背中が映っている。どんどん距離が縮まり、背後を振り向かなくても誠一の位置を把握できた。その時だった。

 「くっ……最悪ですわ」
 
 紅葉の背後から複数の人間の気配がした。しかも紅葉の走る速度よりも早い。どんどん距離が近付いている。敵か味方か、現状で判断するのは難しい。だが、啓二の仲間の可能性が高かった。状況は悪化の一途を辿り、紅葉は追い詰められていった。

 「……まずいですわね……さすがの私でも対処しきれないわ……」

 紅葉に背後を振り向く余裕はなく、焦りが生じていた。思考している余裕さえもなかった。紅葉が動揺している姿を狙い撃ちするように、一条の光線が襲い掛かった。紅葉は氣を瞬時に纏い、光線を躱してから啓二の追跡を続ける。

 普段は頼りになる兄の誠一だが、敵に回ると改めて厄介な相手だと認識せざるを得なかった。このままでは啓二のシナリオ通りに事が進んでしまう。まるで啓二の掌で転がされている気分だった。負けず嫌いの紅葉は、ついに堪忍袋の緒が切れた。

 「いいわ、もう温存なんかしないわ。私を怒らせたことを後悔させてやる」

 紅葉は氣を全力で放ち、いつでも戦闘できるように心構えをする。もはや、体力と氣の温存とは言ってられない状況だと悟った。啓二の追跡は諦めざるを得なかった。優先順位を変え、今は誠一に掛けられた洗脳を解くことが無難な選択だ。

 背後から近付く複数の気配も、紅葉に迫っていた。もはや、戦うしか選択の余地はない。紅葉は覚悟を決めた。誠一とは戦いたくないなど言ってられない。誠一にもリスクを負って貰うしかない。手足を折ってでも誠一を行動不能にする必要がある。

 「紅葉様、我々です」

 「紅葉様、敵ではありません。我々は紅葉様を連れ戻しに来ただけです」

 突如として左右の木影から現れたのは、恩田家の当主である恩田智則と、宝条家の当主である宝条稔だった。智則は長身で紺色の和服を身に纏っていた。分家の当主の中では最も若く、今年で三十八歳となる。信護から信頼されている腹心の一人だ。

 稔は宗家の当主である信護よりも年上で、今年で四十五歳となる。黒髪を肩まで伸ばしている長髪の男性だ。真っ白な和服を羽織っていた。年齢の割に幼く見えるのが特徴的だ。稔もまた信護の腹心の部下の一人である。警戒していた紅葉だったが、背後から感じていた気配が敵ではなく、顔見知りだったことに安堵の息を漏らした。

 「あなた達は……先程から感じていた気配は貴方達だったのね……驚かさないでくれるかしら。危うく攻撃するところだったわ」

 「申し訳ございません。ですが、緊急を要する事態のため、ご容赦下さい」

 「分かったわ。あなた達には誠一兄様を何とかして貰いたいの。無茶なこと言っているのは理解しているわ。でも、あなた達にしかお願いできないのよ」

 「それでは紅葉様は……?」

 「私は叔父を追うわ」

 
 


 

 
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