大魔女さんちのお料理番

夕雪えい

文字の大きさ
上 下
58 / 61
07 大魔女さんと大海原

竜の涙のミネストローネ 前編

しおりを挟む
 邪竜がいるのは、泡沫うたかたの大地からはそう遠くない大海のよどみ。そこに水竜の巣と呼ばれる広大な海底洞窟があるのだそうだ。
 僕たちが目指す目的地は、もちろんその洞窟になる。

 数日の準備を経た後で、僕たちは海人マーフォークの討伐隊と一緒に街を出発した。
 洞窟に向かって海を旅する途中で、泡沫の大地を脅かしているという大渦のそばを通りすぎる。
 もちろん巻き込まれないように迂回はしたんだけど、それでも見えるくらいのとんでもなく巨大な渦だ。
 イメージとしてはニュースで見たアメリカのトルネードに近いかも。

「あの大渦の前じゃ、確かにどんな頑丈な建物でもひとたまりもなさそうだなあ」
「ええ。途方もない魔法力マナを感じるわ。邪竜が作り出したというのは間違いなさそうね。ということは、たとえ今あの渦を消したとしても、邪竜がいればまた作り直されてしまうってことよ」
「それで『竜殺しドラゴンキラー』って話になるのか……」

 この討伐が決まってから、不安は誰も口にしてはいない。
 ただエリーチカやルジェは明らかに普段より緊張している。それにトッティも魔法の下準備をしているのか、移動中もずっと忙しそうだ。
 僕にできるのはいつも通りだ。みんなのためにと美味しいごはんを作ることだけで、それが今はことさら歯がゆかった。


 水竜の巣に近づくにつれて、魔物との遭遇の回数は目に見えて増えてきた。
 それでも討伐隊が先行してくれているので、僕たちは戦わずに済んでいるのだ。
 でもどうやら魔物はだんだんと手強くなり、数も多くなってきているらしい。

 そしていよいよ水竜の巣――海底洞窟に着いた。これまで乗っていた泡に包まれた船から降りる。

「ここからは徒歩で先を目指すわ。討伐隊がつゆ払いしてくれる手はずになっているけど、敵の規模が読めないの。もしもの時のために、準備しておいて」
「そういえば! トッティ様、船ではずっと魔法を組んでましたけど、あれはなんなんですう?」
「あれは……もしもの時の命綱よ。使わないで済むと良いんだけど」

 エリーチカに聞かれたトッティは、ちょっと困ったような笑顔でそう答えていた。
 やっぱり魔法の準備をしてたのか。あらかじめ準備しておくこともできるんだなあ。
 この時の僕は深く考えていなかったけど――トッティの心配は少し後に的中することになったのだ。


 魔物を倒しながら進み続け、地図で見た洞窟の最深部に近づいてきた。
 地図通りに行けば大きな空洞があるはずで、そこを抜けたら最深部。竜の巣になる。
 しかし最深部を目前にして、先を行く討伐隊から次々に悲鳴が上がり出した。

「うわーっ! まずいぞ、これは……」
「すごい数だ……! しかもあんな奴まで……!」

 僕たちにもすぐにその理由はわかった。
 急いで駆けつけると、空洞はかなりの数の魔物で満ちあふれていたのだ。
 しかもまずいことはもうひとつあった。先行隊の一部が踏み入った後で魔物が急に増えたらしく、魔物の群れの中で孤立している部隊があるみたいなのだ。

「トッティ……! マーフォークさんたちが……!」
「もしもの時のためとは思っていたけど、やっぱり使わずに済むほど手ぬるくはないみたいね。みんな下がっていて」

 トッティはそう言うと一歩踏み出した。左手に水晶玉のようなものを持ち、右手にはいつもの魔法杖ロッド

「大魔女トッティの名において精霊の加護よ、顕現けんげんせよ――」

 唱えだした呪文は『長いやつ』……つまり、すごく強力な魔法ってことだ。
 兵士たちの悲鳴にも動揺せずに、長い詠唱をひと息に終えてしまう。と同時にトッティの持っていた水晶玉がもろいガラスのようにカシャンと砕けた。

 一瞬の静けさ。そのあとにトッティの杖からあふれ出したのは、空間を走り抜けるおびただしい数の稲妻。
 バリバリッ! という凄まじい音とともに、魔物たちをどんどん焼け焦がして行く。しかもこの空間全ての魔物をだ。
 それだけでも驚くには十分だったけど、雷撃は味方にはかすりもしない。魔物だけを選んで狙っているのだ。

 轟音がやむのと、視界が開けるのは同時だった。
 あとに残ったのは呆然と立ち尽くす討伐隊と、僕たちだけだ。

 みんな言葉を発せなくなっていた。
 それだけ衝撃的な強さの魔法だったのだ。
 そしてピンチを脱出できたにも関わらず、辺りの空気はなんというか――。

(驚きというより、恐怖……?)

 その時僕は、こないだのトッティとの会話を思い出していた。
 『私が本気で魔法を使っても恐れない』。だからトッティはキースさんとならパーティを組めたって。
 その意味がわかった。
 たぶんこの場のほとんどの人は、今こう思っているはずだ。『こんなの人間業じゃない』って。
 だから――。それって、つまり――。

「ケガ人を集めて治療して! 新手が来るわよ! 道が開けているうちに、私たちが水竜を叩く。しばらくなんとか持ちこたえて!」

 トッティが凛々しい声でそう告げるのを聞いて、僕はハッとした。
 討伐隊も同じだったようで、慌ててケガ人を集めて隊列を組み直している。
 そうなると歴戦の戦士たちの動きによどみはなく、すぐにみんな体勢を立て直し始めた。

「行けるっす! トッティさん!」
「ええ。みんな、私たちは奥まで飛ぶわよ」
「ひゃい!」
「わ、わかった!」

 横穴から魔物たちの増援がやってくる。
 邪竜を倒すまでは、瘴気しょうきのせいで小さな魔物たちなら無限に生じてしまうらしい。だから雑魚を叩いてもキリがないのだそうだ。

 トッティの使った飛行魔法で宙に浮かび上がると、僕たちパーティは洞窟の最深部を目指した。
 そして最深部で待っていたのは――。

『来たか、氷青ひょうせいの大魔女。当代の竜殺しを成し遂げた英雄よ』

 地を揺らすような、腹の底から響く恐ろしい声。
 一面がどす黒く染まった鍾乳洞しょうにゅうどうのような最深部にいたのは、おとぎ話に出てくるような巨大なドラゴンだった。
 息が苦しくなるくらいの、強い威圧感がある。

『そして次は我をほふろうと言うのだな』
「ええ、そうよ。あなた自身にはなんの恨みもない。でもこの地に生きる全ての者たちのために――私たちはあなたを討つわ。もちろんそれを許して欲しいとは言わない」
『良かろう、わきまえておるな、矮小わいしょうな人間よ。返り討ちにしてくれよう』

 竜は落ち着き払っていて、威厳があって。
 でも震えが止まらなくなりそうなくらいの敵意を僕たちに向けている。
 そして今まで出会った敵の中では、魔族か、いやそれ以上に知性が高いのは明らかだ。たぶん僕よりずっと経験豊富で頭が良い。
 こんな奴を相手にしなければならないなんて――。

 それでも、もう戦いは始まってしまった。僕たちは勝たなければいけないのだ。
 竜の咆哮ほうこうが戦闘開始の合図だった。

 厳しい戦いなのはわかっていた。
 でもそれ以上に大変なできごとがこの後に待ち受けているなんて。
 竜がどんなに難しい敵なのかということを、僕は本当の意味では全然わかっていなかった。
 この時はまだ少しも予想していなかったのだ――。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

異世界でのんびり暮らしてみることにしました

松石 愛弓
ファンタジー
アラサーの社畜OL 湊 瑠香(みなと るか)は、過労で倒れている時に、露店で買った怪しげな花に導かれ異世界に。忙しく辛かった過去を忘れ、異世界でのんびり楽しく暮らしてみることに。優しい人々や可愛い生物との出会い、不思議な植物、コメディ風に突っ込んだり突っ込まれたり。徐々にコメディ路線になっていく予定です。お話の展開など納得のいかないところがあるかもしれませんが、書くことが未熟者の作者ゆえ見逃していただけると助かります。他サイトにも投稿しています。

異世界へ誤召喚されちゃいました~女神の加護でほのぼのスローライフ送ります~

モーリー
ファンタジー
⭐︎第4回次世代ファンタジーカップ16位⭐︎ 飛行機事故で両親が他界してしまい、社会人の長男、高校生の長女、幼稚園児の次女で生きることになった御剣家。 保険金目当てで寄ってくる奴らに嫌気がさしながらも、3人で支え合いながら生活を送る日々。 そんな矢先に、3人揃って異世界に召喚されてしまった。 召喚特典として女神たちが加護やチート能力を与え、異世界でも生き抜けるようにしてくれた。 強制的に放り込まれた異世界。 知らない土地、知らない人、知らない世界。 不安をはねのけながら、時に怖い目に遭いながら、3人で異世界を生き抜き、平穏なスローライフを送る。 そんなほのぼのとした物語。

邪神だけど生贄の女の子が可哀想だったから一緒にスローライフしてみた

海夏世もみじ
ファンタジー
 小さな村で凶作が起き、村人たちは「忌み子」として迫害している少女を邪神に差し出し、生贄にすることにした。  しかし邪神はなんと、その少女を食わずに共に最高のスローライフをすることを決意した。畑や牧場、理想のツリーハウスなど、生贄と一緒に楽しみまくる!  最強の邪神と生贄少女のまったりほのぼのスローライフ開幕ッ!

アラフォー料理人が始める異世界スローライフ

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
ある日突然、異世界転移してしまった料理人のタツマ。 わけもわからないまま、異世界で生活を送り……次第に自分のやりたいこと、したかったことを思い出す。 それは料理を通して皆を笑顔にすること、自分がしてもらったように貧しい子達にお腹いっぱいになって貰うことだった。 男は異世界にて、フェンリルや仲間たちと共に穏やかなに過ごしていく。 いずれ、最強の料理人と呼ばれるその日まで。

料理スキルで完璧な料理が作れるようになったから、異世界を満喫します

黒木 楓
恋愛
 隣の部屋の住人というだけで、女子高生2人が行った異世界転移の儀式に私、アカネは巻き込まれてしまう。  どうやら儀式は成功したみたいで、女子高生2人は聖女や賢者といったスキルを手に入れたらしい。  巻き込まれた私のスキルは「料理」スキルだけど、それは手順を省略して完璧な料理が作れる凄いスキルだった。  転生者で1人だけ立場が悪かった私は、こき使われることを恐れてスキルの力を隠しながら過ごしていた。  そうしていたら「お前は不要だ」と言われて城から追い出されたけど――こうなったらもう、異世界を満喫するしかないでしょう。

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

憧れのスローライフを異世界で?

さくらもち
ファンタジー
アラフォー独身女子 雪菜は最近ではネット小説しか楽しみが無い寂しく会社と自宅を往復するだけの生活をしていたが、仕事中に突然目眩がして気がつくと転生したようで幼女だった。 日々成長しつつネット小説テンプレキターと転生先でのんびりスローライフをするための地盤堅めに邁進する。

昔助けた弱々スライムが最強スライムになって僕に懐く件

なるとし
ファンタジー
最強スライムぷるんくんとお金を稼ぎ、美味しいものを食べ、王国を取り巻く問題を解決してスローライフを目指せ! 最強種が集うSSランクのダンジョンで、レオという平民の男の子は最弱と言われるスライム(ぷるんくん)を救った。 レオはぷるんくんを飼いたいと思ったが、テイムが使えないため、それは叶わなかった。 レオはぷるんくんと約束を交わし、別れる。 数年が過ぎた。   レオは両親を失い、魔法の才能もない最弱平民としてクラスの生徒たちにいじめられるハメになる。 身も心もボロボロになった彼はクラスのいじめっ子に煽られ再びSSランクのダンジョンへ向かう。 ぷるんくんに会えるという色褪せた夢を抱いて。 だが、レオを迎えたのは自分を倒そうとするSSランクの強力なモンスターだった。 もう死を受け入れようとしたが、 レオの前にちっこい何かが現れた。 それは自分が幼い頃救ったぷるんくんだった。

処理中です...